第23話 小さな違和感の積み重ね

──基本的に偶然は考えない。まずはそこに疑いを持ち、小さな嘘を暴いていくんだ。

 FBIと警察の衝突を描いた映画を観ながら、エドワードはワイングラスを傾けた。

 アルコールの力もあって、彼は少し饒舌だった。かといってみっともないほど酔うわけでもなく、恋人にしか見せない姿にルカも上機嫌になり、心理学についてあれこれ聞いていた。

 偶然を外した世界の中で、なぜそれが起こったのか、必然だった場合は誰が一番得をするのかと考える。

 今は朝早い時間で、生徒はほとんど来ていない。ルカは図書館で借りた本を返し、勉強しようといつもより早くに家を出ていた。

 図書館へ向かうと、一人の男性とすれ違った。足音が規則正しかったからこそ、違和感を感じた。

「…………、……で…………」

 男は独り言を呟いていて、聞き取れなかった。

 目を合わせないようにし、通り過ぎると、曲がり角を曲がる。向こうはすぐ図書館だ。

 図書館には誰もいない。本をロビーに置き、ふと壁際の席を見た。

 机に茶色の紙袋が置いてある。恐る恐る中を覗いてみた。

 心臓の鼓動が早くなり、身体中の血が燃え盛る。

「なに、これ……!」

 黒いプラスチックの箱に、赤や白の線が顔を出している。表面にはデジタル時計がくっついていた。

 ルカは尻餅をつき、這いつくばって図書館を出る。震える指で端末に触れた。

『ルカ?』

「エド……!」

『どうしたんだ? なにかあった?』

 ルカの様子に、エドワードは冷静に聞く。

「図書館に行ったら……紙袋が置いてあって……。中にプラスチック爆弾みたいなものが……」

 エドワードの息を呑む音が聞こえる。

『警察には連絡した?』

「かけるつもりが、あなたにかけてしまっていて……」

『わかった。君はすぐに出て、教授に会ったら事情を説明して校内放送を流してもらうんだ。通報は俺がしておく』

 エドワードの声を聞いていたら、心臓も心もいくらか落ち着いてきた。

 立ち上がると、曲がり角で知らない教授と出会う。

 事情を説明すると彼もまた顔面蒼白で、腰を支えてもらいながら外へ逃げた。

 ほどなくして校内放送が流れるが、朝の早い時間もあって生徒はまばらだ。昼であれば騒ぎが大きくなっていただろう。

 何台ものパトカーが到着すると、ぞろぞろと警察官が降りてくる。

 男性の警察官は外にいる教授と話した後、こちらへ向かってきた。

「君がルカ・アストリー?」

「はい」

「状況を教えてもらえるかな?」

 声色は穏やかではあるが、意思の強そうな声だ。

 数十分前の出来事を思いつく限り話した。

 警察官は時々相づちを打ち、ルカが話し終えるまで待った。

「図書館にある紙袋にはすぐ気づいたの?」

「はい……友達がよく座る席だったので……」

 冷静に思い出し、なぜその席を見ようとしたのか今さらながら気づいた。

 紙袋のあった席は、マーサがよく座っている席だ。朝だからいるとは思っていなかったが、代わりに余計なものを置いてくれたものだ。

 警警察官にマーサについて話すと、彼の瞳が幾ばくか揺れた。

「犯人に心当たりはある?」

「心当たり……図書館に向かう途中で、男性と鉢合わせになったんです。犯人かは判りませんけど、なんとなく……違和感があったような。独り言を喋っていて、あまり近づきたくない印象でした」

「どのくらいの年齢だったと思う?」

「多分、僕とそんなに変わらないくらいです」

 解放されたのは時計の長針が一周回った頃だった。

 大学は閉めると連絡が入り、結局岐路に就くことになった。

 ふとよぎるのは、マーサの件だ。警察に話したからにはマーサの元へも行っているだろうが、どうしても気になってしまい、自宅よりも彼女の家へ向かっていた。

 あれだけマスコミや野次馬で騒がしかったが、今は平和な時間が流れている。車が通り過ぎるくらいで、あとは犬の散歩をしている老人くらいしかいない。

 だからこそ、不自然だと疑問を持った。殺人事件が起きて、マーサにストーカーをする人間がいて、今日の爆弾事件だ。

 平穏が当たり前の世の中に、それがかえって偶然のように思えた。事件が起こらなければおかしいと、警鐘が鳴り続ける。

 インターホンを鳴らしてみた。誰もいないのか、静まり返っている。

 警鐘はただの不安な気持ちの表れかもしれない、と踵を返したときだ。中から鈍く重い音がし、靴底を伝って振動が身体に響いた。

「マーサ?」

 玄関は開いている。あんな事件があった後なのに不用心すぎる。

 マーサの履いている靴が残っていたため、ルカは勝手に上がらせてもらった。それとポケットに手を忍ばせる。

 忍び足で壁伝いに廊下を進んでいき、リビングの前で止まる。

 誰かの息遣いが聞こえ、ルカはそっと顔を覗かせた。

 男の後ろ姿が見えた。茶色のシャツを着て、深く帽子を被っている。まさに図書館前の廊下ですれ違った男だった。

「誰だ!」

 男は振り向き様に叫ぶ。窓越しに映ってしまったらしく、ルカは姿を見せるしかなかった。

 マーサは猿ぐつわをされ、手足をロープで縛られている。叫ぶ元気もなく、生きてはいるがうなだれたままだ。

「マーサの恋人か?」

 男は細く短いナイフを掲げ、ルカに切っ先を向ける。刃の部分は光を照り返していて使った形跡はなく、使用用途はこれからだと反照していた。

「恋人じゃない。友達だ」

「お前は……マーサとよくいる男だな。この前も一緒に帰っていた。邪魔者を葬ってやったのに、また現れた」

「葬った? じゃあ……」

「マーサは義理の父親に嫌がらせを受けていた。だから俺が助けてやった」

「それで……マーサのお父さんを殺害したの……?」

「違う! 俺はマーサを助けたんだ!」

 目が血走り、手足が大きく震えている。

 人間とは思えない、得体のしれない何かがそこにいる。そうとしか思えなかった。

「こんなに助けてやったのに……マーサは俺を知らないって言うんだ……! プレゼントもたくさん送ってやったのに……! 本当はこいつが好きなのか?」

 男はルカを指差しながら、マーサに問いかける。

 猿ぐつわをされたまま、マーサは首を横に振った。

「だったらこいつを殺してもいいんだろ? そしたら愛してくれるんだろう?」

「極端な考え方をすべきじゃない。マーサだって口を縛られたままじゃ何も答えられないよ。まずはそれを外してあげてほしい」

「じゃあお前が代わりになるか? どうせ俺は警察に捕まる。代わりに人質になるならマーサを解放してやる」

「……わかった」

 マーサは唸り、手足をばたつかせる。

 こんなことは誰だって不本意だ。どちらにせよ、このままではどちらも命が危ない。爆弾を作って建物に置くような男だ。マーサの家に設置していてもおかしくない。

 男は床にしゃがむと、ナイフを置いた。

 窓越しに大きな影が覆い被さる。突然現れた男と目が合った瞬間、しゃがんで頭を覆った。

 ガラスの割れる音が響き、ルカは身体をさらに小さくさせた。

 窓の向こうにいた男は割れた窓から飛び込んできて、黒く恐ろしいブツを向ける。

「警察だ。手を上げて立て」

「……っ……、…………」

「早くしろ!」

 男の正体はエドワードだ。ルカに見せるいつもの穏やかな顔とは違い、人を殺めそうなほど恐ろしく頼もしい顔つきだった。

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