第13話 希望の光
「君を見かけたのは、校舎から助け出されても泣かずに気丈な振る舞いを見せる姿だった。僕は外からずっと君を見ていたよ……」
「見ていたって……」
「少年を愛する趣味はないが、好きになったものはどうしようもないだろう。君だってあの男に惚れている。君とお近づきになりたくて、どうしようもなく荒れ果てた」
「そんなの、知りません」
「知らなくて当然さ。ずっと忘れられない想いを抱えていたら、君は僕のいる大学へ現れた。夢かと思ったよ。僕の講義を受け、尊敬の眼差しを向ける君に、あのときの気持ちがまた蘇ってきた」
「僕が飲んだ紅茶に薬を混ぜましたか?」
「誓っていうが、何もしちゃいない。ただ写真をいくつか撮らせてもらっただけだ。一方的なものではなく、君からも愛を向けられないと意味がないからね」
「どうして……映画館や動物園に爆弾を仕掛けたんですか」
「簡単なことさ。認めたくないが、嫉妬深くてね。例え親友であっても、君が僕以外の人間と作った想い出が許せなかった」
「そんな身勝手なことで、たくさんの人を犠牲にしたんですか」
「いつしか振り向いてくれない君が悪いと思うようになった」
「ひどすぎる……あなたのは愛じゃない」
「動物園も壊そうと思ったんだが、僕は猫アレルギーで、中へは入れないんだ。だから入り口を破壊するしかなかった。最大の失態だったよ」
「最大の失態は、あなたの悪事そのものです」
「おかしいな……もっと脅えて許しを乞うかと思ったんだけど」
「許しを乞わなければならないのは、あなたです。警察に捕まり、刑務所の中で反省して下さい」
「警察といえば、あの男だ。あいつは憎い」
ルカの身体に戦慄が走る。自制がきかない。
「君はずっとあの男に夢中だった。しかも今は寮を出て、男の元で過ごしてるらしいじゃないか。家を突き止めようとしたが、鼻がきくのがとにかく撒くのが上手い」
そんなこと、エドワードは一言も言っていなかった。
彼に寮を出ろと言われ戸惑いはあった。巻き込んでしまったことを申し訳なく思うが、彼が正しかった。
これだけ執着心のある男で、寮にいたら何をされるかわからない。
「僕のものになるか、ここで死ぬかどちらか選べ」
ヴィクター教授はポケットから端末を取り出した。
「スマホと連動していてね、僕が押せばこの建物は破壊される。さあ、どちらを選ぶ」
「もう一つ、教えて下さい。どうして薬の売人になったんですか」
「……そこまで知られてるとなると、生かしておきたくはないな。けど君が僕にキス一つでもしてくれるなら許してあげてもいいよ。あの男は君に優しくしてくれた? もう寝たの?」
「彼とはそんな関係じゃありません」
「好きでもないのにわざわざ寮から引っ張り出すなんてありえないよ。君は男の欲を知らなすぎる」
「あなたを見ていると、欲望とは底の見えない、深いものだと知りました。とても尊敬していたのに……」
「それは君の理想論でしかない。ルカ君とは浅い関係とは思っていなかったのに、僕のことを何も知らなかった。心底がっかりだ」
ヴィクター教授は窓際に手をかけた。
「ここは二階です。落ちたら無傷じゃ済まない!」
「僕に感情を向けるなら、心配より愛情がよかったよ。さようなら」
戸惑いは微塵もなく、ヴィクター教授は飛び降りた。
突然、鼻をかすめたのは埃と爆薬のような臭いだった。
閃光が走り、目を開けていられずルカは顔ごと腕で覆った。
壁が破壊され、崩れてきた。背中に当たる衝撃のせいで、ルカは一瞬で気を失った。
耳障りな煩い音が鳴っている。
ルカはゆっくりと瞼を開いた。
目は霞み、状況が把握できない。口の中には何かの粉が入り、水分が吸い取られていた。
目がやられてしまっている分、耳は敏感だった。音の正体はヘリコプターだ。轟音が鳴る中、手と足を動かしてみるが、思ったよりも動くし感覚がある。ただ、気を失う前に何かが背中に当たった痛みで、身体を動かせなかった。
──学校で、男性が一人取り残されているという情報が入り……。
アナウンサーの声が聞こえてくる。情報が漏れているのが救いだ。ひとり孤独に死ぬことはない。
動く腕でポケットから端末を取り出すと、何十件と着信が入っていた。
親友よりも、母親よりも、『エドワード』と誰よりも多く刻まれている。
ルカは無意識に彼の名をタップすると、ワンコールも終わらないうちに出た。
『ルカ! ルカ、無事か? どこにいる?』
「エド…………」
懐かしい呼び名を口にした。子供の頃はそう呼んでいたはずなのに、いつしか呼ばなくなってしまった。照れくさいのと、恐怖と、よく判らない感情が渦巻いて呼べなかった。
『必ず助ける。今いる場所は判るか?』
「……まえに……助けてくれたところ……」
『判った。中に入る』
電話越しに無茶だ、止めろ、などと声が聞こえる。
無茶でもなんでも、エドに助けてほしかった。
「ヴィクター教授は……?」
『彼は校舎から出て、走って逃げているところを捕まえた。心配しなくていい』
「せなか……いたい……」
『すぐに病院に行こう。大丈夫だ』
「エド……エド……」
足音が近づいてきた。
「ルカ」
「エド……そこにいますか……?」
「いるよ。君を助けにきた」
顔を向けると、瓦礫の隙間からこちらを覗くエドワードがいた。
彼は安堵した様子で、歪んだ扉を開けようと力を込める。
必死になる姿を見ていると、目に涙が溜まり、痛みの原因となっていた埃が涙とともに落ちる。
愛した人が目の前にいて、たとえ自分に振り返ってくれなくても、最期の姿を目に焼きつけたかった。
ルカは腕を伸ばして散らばった紙切れとペンを拾い、利き手とは逆の手で文字を走らせていく。
「エド……これ……」
「どうした?」
「読んで……お願い」
そんな場合でないとエドワードは戸惑いを見せるが、受け取った。
拙い言葉で綴った、最初で最期のラブレター。そんなつもりで気持ちを込めた手紙だった。
「返事は、要らない」
「そんなつれないことは言わないでくれ」
「いや、聞きたくない」
「臆病なんだな」
エドワードはいつもと変わらない顔で声を上げて笑った。
「ふたりで生きて家に帰ったら、俺の気持ちを伝えるよ」
「振られる……」
「振らないって。ルカ、足は動くか? 感覚はある?」
「うん……」
「よし、ここを持ち上げれば……」
頭の上から光が差した。
エドワードのつけている香水の香りがした。
彼以外にもいたようで、他の警察官たちも瓦礫を持ち上げている姿が映る。
涙腺が壊れ、涙が止まらなくなった。
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