第14話 気持ちが重なった日
「さあ、ついたよ」
人生初の車椅子は、普段より視点が下がるせいか見える景色が違う。
後ろを向こうとすると、首が痛い。申し訳ないと思いつつ、彼に任せることにした。
想い出のジュニアスクールは爆薬により吹っ飛ばされ、ルカは瓦礫の隙間で意識を失った。命を失われずに済んだのは、場所と運が良かったと警察から告げられた。
だがルカは、運よりももっと別の思惑があったのだと考えていた。
本気で殺すつもりなら、対峙した教室に爆薬を仕掛けておけばよかったのだ。自分だけが逃げた後に爆破させればいい。なのにヴィクター教授は、わざわざ違う教室へ爆薬を仕掛けた。
飛び降りる直前に見た失望と歪んだ愛情が込められた瞳には、ほんの少しの慈悲が隠れていた。好きでいてくれたことは嘘ではないと思えた。
「立てる?」
「大丈夫です……っと」
ふらつく身体をエドワードが支えてくれた。
だが足に力が入らず、彼の腰に手を回す。
エドワードはルカを抱き上げ、ソファーまで運んだ。
「うわあっ…………」
「あははっ」
「面白がってるでしょう?」
「ああ、楽しいさ。やっとルカとふたりきりになれたんだから」
エドワードはルカをソファーへは直接下ろさず、膝の上に乗せた。
ルカは落ち着かなくてもぞもぞと動くが、エドワードに抱き寄せられておとなしくするしかなかった。
ジョークで降ろしてなんて言ったら降ろしそうで、それはそれで悲しい。
ヘリコプターで運ばれる最中は意識を失っていたが、夢でなければエドワードに「死ぬな」だの「愛してる」だの囁かれていたような気がした。
本当はもう少し入院する手筈になっていたが、早くふたりきりになりたくて、急遽早めてエドワードのマンションへ戻ってきた。
「チョコレートケーキ買ってあるんだけど、食べる?」
「ケーキ」
「そう、ケーキ」
「食べる!」
エドワードは朗らかに、頬を染めて笑った。
恭しく用意されたケーキは、小さなクマの砂菓子が乗っている。おかえり、と言っているようだった。そしてエドワードのカットケーキには、クマはいない。小さいけれど、愛情の証。
「チョコレート好きだろう?」
「覚えていてくれたんですね……」
「忘れるはずがないだろう」
優しさが胸に染みた。
大きめに一口をフォークで差す。
甘みと苦みと、中のクリームが柔くてとろけた。
付けっぱなしのテレビでは、爆破事件のことが次から次へと流れていく。エドワードから説明をされなくても、テレビのアナウンサーが興奮気味に伝えてくる。
だがテレビの向こう側との違いは、エドワードは真実を掴んでいるプロの警察官だ。
「風呂に入りながらでも話そうかと思ったんだがな」
「ヴィクター教授は、ちゃんと罪を認めてるんですか?」
「大方ね。ヴィクターから君への気持ちはマスコミには伏せてある。過去にいろいろあったから、君は少し有名人だからね」
ジュニアスクール時代の話のことだろう。
救出された小学生は少しだけ有名になってしまった。子供とう理由で隠された部分もあるが、マスコミはいつも無遠慮で厄介だ。
「ヴィクターが狂ったのは、君のせいでもない。奴は麻薬中毒だった。海外からの売人に声をかけられ、自ら売人になった。彼の家の地下では、覚せい剤が大量に見つかっている」
「全然気づかなかった……」
「犯罪心理学の教授で、嘘をつくときの癖や仕草を彼は熟知していた。気づかせない方法も知っていた。だが、まれに心理学に頼らなくても嘘をついて別人になりきれる人物は存在する。本当にそうだと思い込むんだ。映画のヒーローも真っ青になるほど、演技を本物にしてしまう。彼はそのタイプだった」
「一つ、解せないことがあって、僕の母に薔薇の花を送る理由がなくて。それに実家の住所を知るはずがないし」
「それに関しては、ヴィクターはなんのことか分からないと言い張っている。前に話した、君の勘が当たっているのかもしれないな」
心当たりはなかったはずだ。だがコンビで追いかけ回されたときの男の特徴や、自宅の住所を知っていたことから、考えられる結論は一つに行き着いた。
「どのみち、ルカの体調がよくなってからだな。また君の実家に行こう。お母さんだって心配してる。君のお母さんに、ルカとずっと一緒にいたいって告げるつもりだ」
「それって……」
「君が瓦礫の中で俺の名前を呼び続けていて、聞こえなくなったときの恐怖はわかるか? 俺もここで死んだら、ルカと一緒に逝けるとさえ思ったんだ。孤独の人生は耐えられそうにない。それに……」
エドワードは一瞬だけ視線を外す。
「君を保護する目的でここに連れてきたが、一緒に住みたかったっていう不埒な考えがあったのも事実だ。君のご飯はとても美味しくて、朝起きたら君がいて、幸せすぎる日々だった。これからも、ずっと側にいてほしい」
「夢……みたい」
「現実だ」
「ほんとに?」
「本当だとも。君の気持ちは?」
「えー、それ聞いちゃいますか……」
「何度だって聞きたいし、好きだと言われたい。君は控えめで、憧れなのか恋なのか分かりづらいからな」
「エド……あの……す、すき……です」
「俺も」
二回告げた気がするが、お構いなしに唇が迫ってきて、そんなことを考える余裕もなくなった。
背中の打撲のせいで控えめな抱きしめかたで、それでも愛情はめいっぱいに伝えてくる。愛情の証は、クマの砂糖菓子だけではない。
角度が変わると、舌が入ってきた。小さな隙間で蠢き、水音を立てながら激しく動く。コーヒーの味がこれは現実だと訴えてくる。
酸素を求めて唇を離すと、名残惜しそうに桃色の唇が離れていく。
「生きていて良かった」
ほっとして息を吐いたエドワードは小さく呟くと、細い身体をもう一度抱きしめる。
コーヒーと甘酸っぱい香りが混じり合い、ソファーに身を寄せた。
心から結ばれてふたりで何度目かの朝を迎えた後、目を開けるとエドワードはすでに起きていた。
特に何かしていたわけではない。窓の外をじっと眺め、何もしていなかったのだ。ルカはそれが奇妙に思えた。
「どうしました……?」
思っていた以上に声がかすれていて、自分でも驚いた。
対照的に、エドワードは微笑み返してきた。
「今日、決着をつけようと思う」
それが何を差しているのか、起きたばかりの頭では考えられなかった。
布団に潜ったまま黙って見つめ返すと、エメラルド色の瞳とかち合う。
宝石以上に、美しい瞳。狙った獲物は逃さないと、常に犯罪と向かい合っている。
「真夏なのに今日はいくらか気温が低く、過ごしやすい。こういう日は、わりと犯罪が起こりやすいんだ」
「経験と勘?」
「ああ。君か、君のお母さんが目当てか、まだ何も言えないが、動くなら今日の可能性は高い」
まだ何も身につけておらず、エドワードはベッドの下の下着へ手を伸ばす。
引き締まった臀部から無駄のない筋肉質な背中が見える。
仕事柄、鍛えなければならないだろうが、元々彼は体型がすこぶる良い。
幼少時代はかくれんぼで遊んでくれたが、彼が隠れるとすぐに見つけられた。今思うと、鬼になったルカがすぐに見つけられるような隠れ方をしてくれたのかもしれないと思う。
「さあ、かくれんぼは終わりだ。今日で決着をつけよう」
「考えることは同じだ。頼りにしてる」
かくれんぼ違いだが、ルカは頼れる恋人と一緒になり、幸せを噛みしめた。
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