第11話 薔薇の香り

 足早にエドワードのマンションへ戻ろうとすると、母親から電話がかかってきた。

 緊急事態かと焦って電話に出るが、ユウコの困惑した声色に、ルカはすぐに実家へ向かった。

 異変に気づいたのは、玄関のドアを開けたときだ。普段は匂わない、瑞々しい花の香りがする。しかもかなり強い。

「お母さん」

「ルカ…………」

 テーブルには、真っ赤に埋め尽くされている薔薇の花があった。

「これ、どうしたの?」

「わからないわ。差出人の名前がないし、私宛ではあるんだけど……受け取っていいものかどうか」

 恐る恐る、薔薇に触れてみた。強い香りは間違いなく生花の証で、触れるとひんやりと冷たい。

「いたっ」

 棘が指の皮を突き破り、赤い滴が徐々に浮かんでくる。

 気持ちまで沈んできてしまい、ルカは指を口に含んだ。

「ボーイフレンドとかじゃないの?」

「確認したら、違うって言われたわ。そもそも花を贈るタイプでもないのよ」

 花を贈るタイプといえば、エドワードの顔が浮かぶ。

 彼はどうしているだろうか。

 端末を見ると、一件の着信が入っていた。エドワードだ。

『今、どこにいる?』

「ごめんなさい。本を返した後、実家に来てるんです。ちょっと不審なことが起こって……」

 流れを説明すると、エドワードはこちらに向かうと言い、電話を切ってしまった。

 数十分で実家にやってきて、ユウコと熱いハグを交わす。

 面白くないと思っていると、ルカ自身も抱きしめられた。

 残念と感じていたはずなのに、いざ母と同じ対応をされると恥ずかしくて仕方ない。

「大体の説明は聞きましたが、何時頃に送られてきましたか?」

「二時間くらい前よ」

「この辺で花屋があるとなると……」

「まさか、探すんですか?」

「一応ね。足を使っての捜査なら慣れているから問題ない」

「事件に発展したわけじゃないですし……」

「けど、贈り主もわからないとなると気持ち悪いだろう? 今日はどうする? 実家に泊まる?」

「そうですね……母が心配ですし」

「分かった。明日迎えにくる。戸締まりはしっかりして。勝手に出ないように」

 エドワードはルカの頭を何度か撫でる。

 母親がいる手前、背中が痒くなった。

 玄関まで彼を送っていくと、エドワードはルカの右手を掴む。

「これ、どうした?」

「さっきの薔薇の棘で指に刺さってしまって……あっえっ」

 人差し指に生温い感触が伝い、ルカは強く目を閉じた。

 エドワードは指先を口に含み、音を立ててキスをした。

 傷のある先端が遊ぶように嬲られる。舌がうねるたびに目の奥がちかちかし、うまく息ができなくなる。

「すまない、いきなりだった」

「い、いえ……」

「気をつけて」

「はい。また明日」

 エドワードはこちらを振り向くこともなく、ドアを閉めてしまった。

 恋人同士の愛撫を与えたかと思えば、いきなりそっけなくなる。ルカにはエドワードの気持ちが判らなかった。

 舐められた人差し指を口に含んだら、間接的にでもキスできる。そんな不埒なことを考え、頭を振った。




 ひと通りの事件の系列を頭の中で追っていくが、繋がりがあるのかなんとも言えなかった。

 映画館の爆破事件に始まり、ルカへの手紙、バーの爆破事件、そしてストーカー。最後にはルカの母親への薔薇の花束。

 追っている事件は薬の売人を捕まえるのが優先だが、犯人が目の前にいれば、率先して逮捕したい気持ちは変わらない。

 いっそ一つの事件に繋がってくれさえいたら、一気に片が付く。

 バーの経営者が入院する病院へ行ったが、ふたりともシロで間違いない。家にいた経営者は、カーテンが開ききった窓から彼女がテレビを観ているのを目撃していて、車もある。防犯カメラから彼女が外出した形跡はない。

 おまけに、二人とも保険金は一切かけていなかった。

「おかえりなさいっ……」

 玄関に入ると、ルカはキッチンから顔を出してとことここちらへ寄ってきた。

 なんて愛おしい存在だろう。抱きしめて柔らかな頬にキスしたくなる。

「ご飯を作っていたのかい?」

「はい。この前買った牛肉で、ハンバーグを……」

「それは楽しみだ」

 彼は料理も美味い。普段は外食かパスタを茹でるだけの生活に、一気に花が咲いた。

 願わくば、ずっと彼と一緒にいたい。

 少なくともルカからは嫌われてはいない。だが憧れのお兄さんなのか、恋愛対象としてなのか、いまいち分かりづらいのだ。

 奥ゆかしい性格は庇護欲が生まれるが、彼だって男としてのプライドがある。対等の立場でいようと背伸びをする姿は可愛らしい。

「美味しそうだ。日本食だと、すき焼きやラーメンがとても好きだ」

「ラーメンはあまり家庭で作るものじゃないですが、すき焼きは今度作りますね。生卵は……」

「多分、いける。できれば日本の味をそのまま食べてみたい。生卵に野菜や肉をつけて食べるんだろう?」

「はい。味の変化だったり、冷ます意味でつけるらしいです」

 ルカお手製の夕食を食べていると、仕事用の端末に電話がかかってきた。

 途端にルカは不安そうに目を潤ますが、大丈夫だと彼の頭を撫で、廊下に出る。

 相手は上司のフランクだ。

『ニュースは見たか?』

「テレビをつけます」

 フランクはまだ警察署にいるようで、外野の音が騒がしい。

 急いでリモコンに手を伸ばすと、ルカが不安そうに口をへの字に曲げながら隣に座った。

「大丈夫」

 耳元で囁き、小さな身体をそっと抱きしめる。

 珍しいことに、ルカも背中に手を回してきた。

 精一杯の勇気だと思うと愛しくて仕方ない。

 これが仕事の電話でなければ、すぐに甘い雰囲気にしてソファーでいちゃついていたに違いない。

「今度は動物園ですね」

 ルカの身体がびくりと大きく揺れる。

 テレビの向こう側では、動物園の入り口にある花壇が焼け野原になっていた。

 木々は天高く火が伸び、下生えは火花を散らしている。動物に影響がないのは、せめてもの救いだった。

『今のところの被害は花壇だけで、従業員もすでに園内にはいない』

「不幸中の幸いですね」

『俺たちの出番じゃないが、一応、頭に入れておいてくれ』

「判りました。そちらも気をつけて」

 電話を切ると、ルカがゆっくりと顔を上げる。

「ルカ、落ち着いて聞いてほしいことがある。あの動物園は、俺たちが向かおうとしていたところで間違いないね」

「はい……。楽しみすぎて、ネットで調べたりしていましたから」

「この件、誰かに話した?」

「はなし……ました」

「誰かな?」

 ルカの目が揺らいだ。

 楽しみにしていたデートを話すとなると、誰かは予想がつく。

「マーク、です」

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