第10話 一つずつ、一つずつ

「いないわ。恋人もいないし、家族とも離れて暮らしているもの。昨日観てたドラマの内容くらいしか証明できるものはないわね。でもこれって、アリバイにはならないんでしょ?」

「残念ながらそうですね。録画したものを観る方法もありますから。ですが、家にいたのならあなたが外へは出ていない証明をすることは可能かもしれません。防犯カメラの映像もあります」

「爆破事件は深夜だったみたいだけど、一人寂しく寝ていたわ。ドラマを観ながらワインを飲んで、そのままね。朝起きたらびっくりよ。テレビをつけて他人事みたいに大変ねーって思ってたら、私のバーが入ったビルなんだもの」

「わかりました。ありがとうございます。ちなみになんですが、中でマリファナを吸っていた人物はどれほどいましたか?」

 ワシントンではマリファナは合法だが、隠れて非合法である覚せい剤などを売る輩もいる。

「タバコと同じで、いちいち数えちゃいないわよ。吸ってた奴が犯人なの?」

「念のための確認です。売人はいたりしました?」

「私の店なんだから他でやってとは言っていたけれど。隠れてしてたら止める手段はないわね」

「ご協力感謝します。ついでに、もう一人の経営者の方の入院先を教えて下さい」

 受け答えもはきはきしていて、疑う余地はない。

 彼の言う通り、自分の店を自分で壊すなんて馬鹿げた真似はしないだろう。

 入院中であるもう一人の経営者も、怪我をするのを判って爆薬をしかけるわけがない。

「彼はシロよりだろう」

「一応、保険金がかかってないかも確認しないとな」

 入院先に向かう途中、車で大学生らしき人物とすれ違った。

 夏休みでどこにも行けず、家にこもる彼を思うと不憫でならない。




「おかえりなさいっ……」

 ドアの開く音がして小走りで玄関に向かうと、靴を脱ぎかけたエドワードが硬直していた。

「ただいま。勉強してた?」

「はい。それと、夕食を作ってました」

「それは嬉しい。ろくに食べてなくてね」

「すぐに温め直しますね」

 鶏肉たっぷりのキャセロールと、冷蔵庫にあった残り物の野菜で作ったスープだ。

「すごいな。テーブルにこんなに並んだのは久しぶりだ」

「母から教わったものなんです。そんなにレパートリーがあるわけじゃないんですけど」

 エドワードは食べる前に皿のキャセロールを眩しそうに眺め、口に入れた。

「美味しい。すごく」

「よかった。キャセロールと鶏肉って相性良いですよね。オニオンも混ぜるの好きなんです」

「冷蔵庫にはなかったか。明日、よければ出かけないか?」

 ルカは顔を上げ、まじまじと彼を見つめた。

「俺と一緒なら問題ないだろう?」

「いいんですか? 嬉しい……」

「君の安全のためになるべく外へ出てほしくないと行ったが、君の行動を縛るつもりで言ったわけじゃないよ。せっかくの夏休みなのにひとりで過ごしたら、気が滅入ってしまう」

「料理したりするのも気分転換になっていいですよ。それで、事件はどうですか? 進みましたか?」

「解決とまではいかないが、前進してる感じだ」

 食後の皿洗いは彼が担当してくれて、その間に洗濯物をまとめようと、浴室へ向かった。

 新婚みたいな夢心地で洗濯機の中へ入れていると、彼の着ていたシャツが目に止まる。

「……香水?」

 彼のものではない残り香が漂う。

 白いシャツにつく、何かが擦れたような真っ赤な跡。一瞬彼の血ではないかと疑ったが、赤黒くはない。

「ルカ? どうしたんだ?」

「これ……どういうことです?」

 白いシャツについた血痕のような正体は、口紅だ。

 つい咎める口調になってしまった。

「それは……」

 エドワードは息を詰まらせた。どことなく慌てているようにも見えるが、仕事柄か彼は勢いに任せて感情を表に出すことはしない。

「違うんだ、ルカ。今日、仕事で参考人に話を聞きにいった。その、いろいろあって……」

「いろいろってなんですか」

「誤解を生んでいるようだが、俺の気持ちが向いているわけじゃない。つけられたんだ」

「つけられた?」

「ああ。やましいことは想像しなくていい。恋愛対象の相手ではないし、仕事柄会わなくてはいけない相手だったんだ」

「そうですか……」

「そんなにしょんぼりしないでくれ」

 エドワードはルカの肩に手を置く。

 距離が近くて喜んでいたいが、シャツがどうにも気に入らない。

「これ、全力で落とします」

「そうしてくれるか? 俺としても助かる。そうだ、ドーナツをもらってきたんだ。あとで食べないか?」

「食べ物で釣ろうとしてますよね」

「ああ。君が笑ってくれるなら、ドーナツでもケーキでもなんでも買ってこよう。それとも、甘いものはチョコレートがいいかな?」

「はい。好きです」

 エドワードはルカの肩に手を置いたまま、目を瞑って唸る。

「……もう一回、言って?」

「え? ……チョコレート、好きです」

「……最初のは要らなかったが。わかった、今度はチョコレートでも買ってこよう」

「ぜひ、お願いします」

 学生に嗜好品は高い。ここは素直に甘えることにした。


 借りっぱなしだった本を大学へ返すべく、ルカは一度大学へ戻った。

 その前にマークへ会いに行こうと、寮へ顔を出す。

「ルカ、久しぶり!」

「うん、久しぶり。元気にしてた?」

「めちゃくちゃ元気。あっでもルカがいなくて寂しいっ」

「僕も寂しかった」

「エドと仲良くやってる? 喧嘩してない?」

「喧嘩するほど家にいないっていうか……。仲良くやってるよ。この前、一緒に買い物にも行ったし。今度、動物園に行く約束してるんだ」

「デートじゃんそれ」

「デート? いやいや、夏休みにずっと家にこもってる僕が可哀想に思われてるだけだよ」

 ふたり並んでカートを押したり、好きな紅茶を熱く語ったり、一緒にアイスクリームを食べたり、帰りはドライブを楽しんだ。最後はドライブというより誰かが追ってこないか遠回りをしただけだ。

 デートだとどれだけ良かったかと、ルカは嘆く。

「僕がいない間、何か変わったことはあった?」

「野良猫が迷い込んできたくらいかな? めちゃくちゃ可愛くて、しっちゃかめっちゃか撫でられまくってた」

「それは見たかったなあ」

「ロブが飼うことになってさ、あいつの家には他にも猫五匹いるみたいで、慣れてるんだって。家族も賛成してくれたみたいだし。俺たちで飼うかって話にもなったんだけど、猫アレルギー持ちもいたからね」

「餌の問題もあるし、ロブに飼ってもらうのが一番かと思うよ」

 ロブとはおっとした動物好きのクラスメイトである。動物を保護するボランティアにも積極的に参加していて、ぴったりと言えるだろう。

 マークと別れ、学校の図書館へ向かう。なるべく人が多いところを通った。

 無事に本を返却でき、事なきを得た。

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