第6話 僕の世界が色づいた日


 公明正大で常に穏やか、政治的手腕にも優れた王太子。


 それがフィルレス・ディア・ヒューレット、僕の一般的な評価だろう。


 だけど、それは僕が周囲の期待に応えて作り上げてきた王太子像だ。

 この世界の王族や貴族たちは、膨大な魔力を身体に抱えて生まれてくる。魔物などの外敵や、他国からの侵攻を防ぐために魔力の多いも者同士が結びついた結果だった。


 しかし膨大すぎる魔力ゆえ生まれた赤子が制御できずに、ところかまわず魔力を放出してしまうことがあった。

 そういった赤子は、周囲に危害が及ばないよう隔離される。そして赤子は早かれ遅かれ魔力が暴走して、周囲を巻き込んで十歳までには自ら消滅していくのだ。


 それは人間が強大な魔力を貪欲に求めたゆえの、悲しい代償だった。


 強力な結界が張られた塔に閉じ込められて、魔力が暴走してもの被害だけで済むように世話係を決め、十歳まで生き残れば跡取りとして生家に戻された。


 そして今度は最強の王族や貴族として国のために尽くせと言われる。


 僕は歴代でも随一の魔力を持ち、例にもれず隔離された赤子だった。

 まあ、隔離は仕方のないことだと思う。周りを巻き込むほどの魔力暴走だ。両親、つまり国王や王妃が近寄れないのは理解できる。


 だけど手紙ひとつよこさず、王太子としての知識は本で習得せよと大量の蔵書を送られても、両親の愛というものを感じることはできなかった。


 命懸けで世話をしてくれて読み書きを教えてくれたのは、夫を亡くしたばかりの子爵夫人だったカトリア・ルースとその息子アイザックだ。

 彼らだけが、僕に寄り添ってくれた。


 それなのに僕が十歳まで生き残ったと知ると、両親は用が済んだというように心の拠り所だったカトリアとアイザックを追い出そうとした。


 今まで本を送るだけでなんの興味も示さなかったくせに、突然僕のことを自慢の王子だと言って管理しようとするのは本当に受け入れられなかった。


 だから初めて両親に対面した時に、怒りに任せて魔力を放った。

 死人は出ないように調整したから建物の被害で済んだはずだ。壁が崩れ、天井が吹き飛び、風通しのよすぎる部屋になり両親は言葉が出ない様子だった。

 そこで僕は湧き上がる真黒な感情を込めて宣言した。


『僕の大切な人たちだ。ぞんざいに扱ったら次は王都ごと消す』


 温度のない瞳で睨みつけると両親は青ざめた顔でガタガタと震えながら、正当な報酬を払ってルース親子の生活を生涯保証すると約束してくれた。ここで僕が手に負えない化け物だと理解したらしい。


 それからアイザックは知識も豊富で頭が切れるし、なにより信頼できる乳母兄弟だったから、そのまま僕の側近として教育してもらった。


 その後は快適に過ごせるようになったけど、この国の王子だという自覚はあったので努力を続けてきた。


 王太子として僕はさらに高度な教育を受けた。特別楽しくはなかったけれど、周りが求めるままいつも完璧でいるために淡々とこなしてきた。


 朝は五時から起きて早朝の勉強をして、午後からは剣術で体を鍛える。寝る前に魔法の練習をして、限界まで体力を使う毎日だった。


 なんでもできて当たり前。王太子だから常に笑顔を絶やさない。誰にでも公平に平等に。心はいつも穏やかに。でも王族としての威厳を損なわず、凛とした振る舞いもしてみせた。


 僕が隙のない王太子を続けることでルース親子を守ることにもなる。そうやって積み上げてきた結果、夜会のために集まった臣下の前で帝国の皇女から婚約破棄された。


 臣下の前での婚約破棄は別にどうでもいい。

 そんなことで僕の評価が変わるほど、薄っぺらい仕事はしていない。


 あんな傲慢な皇女と縁が切れてむしろよかった。見た目だけの中身の伴わない女と添い遂げる必要がなくなって、むしろホッとしている。


 ただ自由すぎる皇女に振り回され、残務処理も重なり僕は疲れ果てていた。


 そんな時にお忍びで視察に出た先で毒を盛られた。前回の視察で、劣悪な環境の孤児院をテコ入れして、その孤児院の子供たちからお礼だと焼き菓子をもらった。


 子供たちがキラキラした目で食べるのを期待していたからひと口食べたけど、その後からどんどん具合が悪くなっていった。そこで焼き菓子に毒を仕込まれたのだと気が付いた。


 お忍びの時は変化の魔法を使っているから、僕が王太子だと誰も知らないはずだ。それでもこんなにピンポイントで狙ってくるなら、僕が変化の魔法を使っているのを知る人物となる。


 さらに僕が死んで得する人物となればすぐに突き止められそうだ。僕はすぐにアイザックへ調査と秘密裏に処理するよう命じた。この国で正面切って僕を殺せる人間なんていないから、割とひとりで行動することも多い。この時も単身で王城へ戻るつもりだった。


 魔力は膨大だけれど、僕には治癒魔法の適性がない。だから王城の私室には、さまざまな毒に有効な解毒薬や回復薬を用意してある。


 すぐに王城へ戻れば問題なかったけど、街で火災が起きて延焼しないように魔法を使っていたら思ったよりも時間が経っていた。

 魔法を使ったうえに私室へ戻れず毒が回ってしまい、意識を保っているのがやっとだった。部屋まで持ちそうになかったから、なんとか王城の治癒室へ向うことにした。


 そこで僕はひとりの治癒士と出会った。


 ようやく治癒士に診てもらえると思った矢先に限界がきて、そこで記憶が途切れていた。気が付けば見知らぬ部屋で、清潔なベッドに寝かされている。


「お目覚めですね、フィルレス殿下」


 落ち着いた声で優しく名を呼ばれ視線を向けると、女性治癒士が穏やかな笑みを浮かべていた。


「ここは王城の治癒室です。治癒魔法で毒を除去しましたがご気分はいかがですか?」

「あっ、そうだ! 僕は——」


 毒を盛られたのにすんなり起き上がれたし、どこも苦しくない。あれほどの毒を治してくれたのか……?


「君が治癒魔法をかけてくれたのか?」

「はい、僭越ながら私が治癒魔法で毒を除去いたしました。変化の魔法を使われてましたのでフィルレス殿下であると気付かず、御身に触れてしまい誠に申し訳ございません」


 話を聞けばこのラティシア・カールセンが優秀なのはすぐにわかった。状況判断も的確だし、あのカールセン伯爵家の嫡子というではないか。カールセン家はその血筋を絶やさないよう、結婚は早かったはずだ。


 なにか事情がありそうだと感じながらも、生前のラティシアの父君に世話になったと話題を変えた。しんみりした空気を変えようと、ラティシアが言葉を続ける。


「フィルレス殿下は、いつもよく努力されています。どんなに辛いことも、どんなに悔しいことも、その胸のうちに抱えて弱さを見せません。ですが……つらい時は弱音を吐いたっていいのですよ」

「弱音など、僕には……」

「私、実は義妹に婚約者と実家を奪われて追い出されたんです。なかなかの経験をしてきたので、きっとフィルレス殿下の愚痴くらい聞けると思います。これでもフィルレス殿下より年上なので、姉に話すつもりでなんでも言ってみてください」


 そういえばラティシアの父君が、僕より三歳上の可憐で心根の優しい娘がいるとよく自慢していた。

 間違いないと思いつつ、ただの患者として接してくれた生前のカールセン伯爵を思い出す。あんな風に接してくれたのは、専属治癒士でも彼だけだった。


 僕はまっすぐに見つめてくるアメジストの瞳を、信じてみたくなった。


「……実は僕、あの皇女にまったく好意を抱けなかったんだ」


 ぽろりとこぼした本音。

 こんなことを言えば、いつも僕の周りにいる人間たちは王太子らしくないと注意したり、聞かなかったことにされてる。

 ところが、彼女の返答は僕の予想を裏切った。


「え!? そうだったんですか!? よく隠していましたね。全然わかりませんでした」

「うん、婚約破棄してくれてむしろホッとしている」


 受け入れてもらえたのか……?


 ラティシアは否定せずに受け入れてくれた。

 そして本当の僕を見てくれたと思った。


 ずっとありのままの自分を見てほしかった。

 心からの言葉を聞いてほしかった。

 ただ、僕を受け止めてほしかった。


「ふふふっ、そうですね。フィルレス殿下にはもっと心優しくて、真面目で、こんな風に愚痴を聞いてくれるお妃様がお似合いです」


 その時、ラティシアから光があふれて、僕の世界に色を付けていった。

 今まで僕は灰色の世界で生きてきたのだと、初めて気が付いた。

 世界はこんなにも色とりどりで、輝きに満ちていたのだと。


 ひときわ眩しく光を放つのは、目の前で揺れるプラチナブロンドの髪と、神秘的な紫の瞳。

 ぱっちりとした瞳は優しげに細められて、柔らかそうな薄桃色の唇はゆるい弧を描いていた。


「そうだね、本当にそう思うよ」


 僕は言葉通り、心優しくて、真面目で、こんな風に愚痴を聞いてくれるラティシアを手に入れると心に決める。

 僕の黒い本性が目の前の宝に狙いをつけたのを、浮き立つ心で感じていた。

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