第二章 婚約の解消を希望します!

第7話 王太子は腹黒でした


 王太子の婚約者発表の場をなんとかやり過ごし、フィルレス殿下の執務室まで戻ってきた。

 扉がしっかりと閉じられたのを確認して、思いっきりフィルレス殿下に詰め寄る。


「どうして! ただの治癒士の私が! フィルレス殿下の婚約者になっているのですか!?!?」


 フィルレス殿下はきょとんとした顔で、首元のクラバットを緩めた。そんな仕草も様になっていて、無性に悔しい。


「昨日、専属治癒士になると契約書にサインしただろう?」

「確かに契約書にサインしましたが、あれは機密保持や雇用契約の書類じゃ……」

「うん、もちろんそういった内容もあるけど、ここを読んでいなかったのかな?」


 フィルレス殿下は、執務机の引き出しから昨日の書類を取り出してパラパラとめくり、ある箇所を指差した。

 そこには、ふたまわりは小さい極小の文字で【尚、フィルレス・ディア・ヒューレットの婚約者となることを了承する。】の文字がある。


「はあああ!? なんですかこれ!? こんな小さい字でわかるか——!!」


 驚きのあまり、ここがフィルレス殿下の執務室であることも吹っ飛び、心の底から叫びを上げる。


 だって王太子殿下の婚約者だ。

 つまり順当にいけば、いずれ王妃になるのだ。そんな国に関わる重大案件を、こんなあっさりと決めていいわけがない。

 それなのに、フィルレス殿下は楽しそうに笑っている。


「あははっ! 素の君もいいね。もっとありのままのラティシアを見せてよ」

「いえいえいえいえ!! ありえません!! 一瞬とはいえ素を出してしまい失礼いたしましたが、この部分だけ訂正してください!!」

「残念だけど国王の玉璽ぎょくじももらってるから、訂正なんて無理だよ」


 なんてことだろう。

 国王陛下の玉璽を押しているということは、この書類は国王陛下が宣言したのと同じ意味合いになる。つまり、よほどのことがない限り内容は覆らない。


 なんてことしてくれたのっ!! フィルレス殿下は!!


「そんな……いったいなぜ私が婚約者に……なにか、なにか婚約解消をする方法はないのですか?」


 衝撃が強すぎて、頭がクラクラしてくる。


「そんなに僕の婚約者になるのが嫌だった?」


 少ししょんぼりした様子のフィルレス殿下は、まるで捨てられた子犬みたいだ。だけどここで仏心を見せたら、断る機会がなくなりそうなので心を鬼にする。


「嫌ですとか個人の感情の前に、私には荷が重すぎます」

「そうか、王太子妃や王妃になるのが嫌なんだね? それなら王太子を返上しよう」

「はいっ!? なぜそうなるのですか!?」


 どう考えてもやめるのは婚約の方だと思うけど!?

 現実的に考えても私が適任でないと理解してもらわなければ!!


「よろしいですか、フィルレス殿下が王太子を返上などしては国の損害が計り知れません! しかし私は実家から追放され後ろ盾もなく、妃としての礼儀作法にも不安があり、治癒士としてもまだ学ぶべきことがたくさんあります。このような者が婚約者では他の貴族から反発も出ることでしょう。つまり不要な争いを呼ぶことになると、おわかりいただけますか?」

「そうだね、君が非常に真面目で、物事を客観的に受け止められるのはよくわかったよ」


 ……なにかズレた受け止め方をされていませんか?


「だからこそ、僕の妻に相応しいと思っているのだけど」


 にっこりと微笑むフィルレス殿下は本当に麗しくて、思わずその言葉に流されそうになるもハッと現実に帰る。


「いえ! 私にはこんなお役目は無理です!! どうか婚約の解消をしてください!!」

「うーん、それは困ったな。すでに貴族たちの前で発表してしまったし、玉璽もあるし撤回は難しいだろうね」

「そんな……!!」


 そこでフィルレス殿下は、甘くとろけるような笑みを浮かべて私にとどめを刺してきた。


「もう僕からは逃げられないのだから、あきらめて。その代わり、僕なしでは生きていけないほど甘やかすから」

「あきらめません! もう私を国外追放してもかまいませんから、どうか婚約を解消してください!」

「そこまで拒否されるとは思っていなかったな……うーん、それなら条件を設けようか」


 訝しげにフィルレス殿下を見つめると、私の腰を抱きよせて耳元で囁いた。


「ラティシアが王太子妃に相応しいかどうか、三大貴族に判定を頼もう。本来は婚約発表の前に受けるものだけど、僕が省略したんだ。だけど、ひとりでも反対したら婚約を解消するよ」


 三大貴族とは、このヒューレット王国を支える公爵家で貴族の中でも特別強い発言権を持つ。私のようなただの治癒士では簡単に声すらかけられない相手だ。


「……わかりました。おひと方でも反対されたら婚約は解消ですね?」

「うん、そのためにラティシアに判定試験を受けてもらう必要があるけど、公爵家には僕から通達を出しておこう。判定の期間は半年。その間、僕は君を本気で口説き落とすから、覚悟してね」


 そう言って、フィルレス殿下は離れる間際に私の頬に軽く唇を落としていく。

 頬に触れただけなのに柔らかな熱が広がり、じわじわと私の顔を赤く染め上げた。


「や、約束ですからね!?」


 余裕の笑みを浮かべるフィルレス殿下を見て、全力で不適格者の判定を受けて婚約を解消すると決意した。



 執務室の東向きの窓に月が姿を現した頃、フィルレス殿下から本日の勤務終了を言い渡された。

 本当に怒涛の一日だった。精神的な疲労がたまりにたまって、今すぐベッドにダイブしたい。ぐったりした様子を出さないよう、退出の挨拶をする。


「それでは本日はこれで失礼します」

「待って、ラティシア。僕としたことがひとつ言い忘れていたよ」


 爽やかな笑顔を浮かべるフィルレス殿下に笑顔が引きつる。


 今日一日、専属治癒士としてそばに仕えていたが、私はフィルレス殿下に対する評価をガラリと変えていた。

 この王太子、腹黒だった。


 いつも穏やかな笑顔を浮かべているけれど、実は話す相手も内容も全て計算されている。私にだけこぼす毒舌がそれを裏付けていた。

 政務をこなすのにそういうことも必要だと理解できるけど、それにしても吐き出す毒が黒かった。


 私を婚約者に仕立て上げたことも踏まえて考えると、言い忘れたことが喜べる内容だとは思えない。


「宿舎の部屋は引き払ってあるから、これから過ごす部屋に案内するよ」

「……どういうことでしょうか?」

「僕の婚約者になったのに、王城勤務者の宿舎で過ごすつもりだったの?」


 ああ、フィルレス殿下がすごくいい笑顔だわ。

 そしてやっぱり嬉しくない内容だった——!!


「そうですね、私としたことがうっかりしておりました」

「いや、いいんだ。急な話だったし無理もない。さあ、行こう」


 理解のある婚約者みたいな言い草だが、この急展開をもたらしたのは間違いなく腹黒王太子だ。納得いかないけど、早く休みたくて大人しくフィルレス殿下についていった。




 フィルレス殿下の執務室を出て、どんどん王城の奥の方へと進んでいく。

 警備している騎士は相変わらず近衛騎士だ。次第に人影が少なくなり、騎士たちしか見かけなくなった。


「フィルレス殿下、どこへ向かっているのですか?」

「僕の部屋がある居住区だ」

「はい!?」


 なぜ、王族の居住区へ!? なんだか人がいないなと思ったし、フィルレス殿下自ら案内してくれた理由にも納得してしまったけど、まさか王族の居住区なんて場違いにも程がある。


「ラティシアは僕の婚約者でもあるし、専属治癒士だからね。二十四時間そばにいないと業務をこなせないだろう?」

「専属治癒士とは言っても、交代制が普通ですよね!?」

「……ラティシア、契約書はしっかりと読んだ方がいいよ」

「——っ!!」


 なんてこと!! まだ確認できていない項目があったの!?

 あまりのショックでなにも言えなくなる。


「ほら、ここがラティシアの部屋だよ。僕の方でひと通り揃えたけど、気に入らなかったり不足があればすぐに言ってほしい」


 そう言ってフィルレス殿下に案内された部屋は、アイボリーを基調に落ち着いた装飾の家具でそろえられていた。ソファは見た目こそ派手でないけれど、生地の手触りが抜群で硬すぎず柔らかすぎず私にはちょうどよい。

 壁紙は草花模様の淡いグリーンで落ち着く空間になっていた。


「すごいです、どれも私好みです!」

「それはよかった。ああ、ちなみに——」


 フィルレス殿下はホッとしたように微笑んで、部屋の奥の扉を開きながら言葉を続ける。


「こちらの扉は僕たちの寝室につながっている」

「え? ?」

「僕の専属治癒師だし、もし就寝中になにかあっても対応できるようにしておいたんだ」

「はあああああああああ!?」

「あははは、ラティシアの反応は面白いな。これからもそのままで頼むよ。あ、寝室の奥の扉は僕の私室につながっていて、一応鍵はかけられるから安心して」


 あまりの事実に開いた口が塞がらない。


 二十四時間勤務のうえ、寝室も腹黒王太子と一緒なんて気が休まる時がないではないか!!

 それにフィルレス殿下の私室につながってるって、つまりここは王太子妃の私室じゃないの——!!

 そもそも結婚前の男女が寝室を共にするということだってあり得ないから!!!!


「で、で、で、殿下!! それはいくらなんでもやりすぎです!!!!」

「これは僕の体調を管理するための業務命令だよ?」

「業務命令の前にもっと大事な話がありますよね!?!?」

「……ラティ、僕と君は婚約者なんだから、僕のことはフィルと呼んで」


 私の話をまるっと無視して、さらに愛称で呼ばれたし、愛称呼びも強要してきた!?

 本気で待ってほしい、今朝までただの治癒士だったのに、どう考えても王太子の婚約者なんてやれるわけがない。


「いや——!! ムリっ! ムリムリムリムリですっ!!!! 今すぐ婚約解消してください!!!!」

「わかった、では今日からひとつのベッドで同衾して……」

「わー!! わかりました! フィ、フィル様!! お願いだからせめてベッドは別にしてくださいませ!!」

「そんな風にかわいくお願いされたら仕方ないな。ベッドは結婚式を挙げるまで別にしよう」


 いや、かわいくお願いとかしてないし、本当にまったく意味わかんないわ!!

 この腹黒王太子——!!!!

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