第5話 業務命令


 その後、王族の専属治癒士ということで、機密保持の書類や業務に関する契約書などにサインをした。

 細部まで細かく書かれていた書類だったけれど、最初に契約書の約束は守ると宣誓書まで用意されていた。私のようなただの治癒士にも誠実にしてくださるフィルレス殿下には、ずっと健康でいてもらいたい。


 私のできることはどんなことでもしようと心に決めた。


 そうしてすべての書類にサインを終え、一度治癒室へ戻ることになった。私物の整理と治癒士たちへの挨拶も済ませたかったのでありがたい。

 翌日からは専属治癒士として、フィルレス殿下の執務室へ出勤するように命じられてフィルレス殿下の執務室を後にした。


 その日のうちに異動の通達が治癒室に届き、同僚たちから患者様が驚くほどの喝采を浴びた。

 エリアス室長やユーリたちから祝いの言葉をもらい、急な異動にも関わらず送別会まで開いてくれることになった。


 思ったよりも多くの治癒士たちが参加してくれて、こんなところにも私の努力の結果が現れていた。

 治癒士たちの気持ちが嬉しくて、潤んだ瞳を誤魔化すのが大変だった。




 翌朝、私はすでに手配されていた新しい制服へ腕を通した。

 これからは専属治癒士の証であるロイヤルブルーのワンピースを身にまとう。胸元には純白の十字が刻まれ、治癒士としての誇りが湧き上がった。


「さあ、今日からはお父様と同じ専属治癒士としてバリバリ働くわよ!」

《張り切り過ぎて失敗するな、ラティシア》


 いつも口の悪いバハムートが、興味なさそうにしながらも心配してくれる。


「そうね、空回りしないように気を付けるわ」

《まあ……どうにもならない時は我が助けてやるが》


 ふいっと顔を背けながら、頼もしい言葉を言ってくれる。いつだって私が呼ぶ前に、困った時は現れてくれるから照れ隠しだってすぐにわかる。


「心配してくれてありがとう。本当に困った時は助けてもらうわ。じゃあ、行ってくるわね」


 手のひらサイズのバハムートに見送られて、私は宿舎を後にした。

 バハムートの優しさにずいぶん癒されたなと思い出す。朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きく一歩を踏み出した。




「ラティシア、おはよう」

「フィルレス殿下、おはようございます」


 始業時間の半刻前にはやってきたけれど、すでにフィルレス殿下は業務を始めていて決裁済みの書類が高く積み重なっていた。


「申し訳ございません、初日から登城するのが遅れました」

「いや、ちょうどいい時間だよ。今日は僕の都合で早く来ただけだから。専属治癒士の制服もよく似合っているね」

「ありがとうございます。では早速ですが専属治癒士の仕事として朝の体調をお調べいたしますか? それとも皆さまにご挨拶をするのでしょうか?」

「……そうだね、体調は大丈夫だし挨拶は後ほど。その前に君にしか頼めないことがある」


 私にしかできないことといえば治癒士としての仕事だろう。私は気持ちを引き締めて、フィルレス殿下を真っ直ぐ見つめた。


 体調は問題ないと言っていたとおり、顔色はいいようだ。やはりこの時間でこれだけの仕事をこなされたからなのか、すでに疲れが出ているように見える。

 だけど癒しの光ルナヒールを使えば、これくらいは一瞬で治癒できる。他に調子の悪いところがあるのだろうか?


「そんなに見つめられると……照れるな」


 ほんのりと目元を桃色に染めてはにかむ美形は、びっくりするほど私の心を鷲掴みにした。公務では見ることのないフィルレス殿下に心臓がうるさいほど鼓動する。


「え? あっ、申し訳ございません。すでに診察を始めておりまして、フィルレス殿下の顔色などを確認しておりました」

「あ、そう……君は本当に真面目だね」


 急に表情をなくしたフィルレス殿下は、そばに控えていたアイザック様に視線で合図を送る。


 アイザック様が扉の外にいた騎士に声をかけると、王族付きの侍女たちが私の後ろに並んだ。

 この展開の意味がわからず、侍女たちとフィルレス殿下を交互に見てしまう。


「もしかして、この侍女たちの診察ですか?」

「違うよ、言っただろう。君にしか頼めないことがあるって。まずはこの侍女たちの言う通りにしてくれるかな?」

「ラティシア様、それではご案内いたします。こちらへどうぞ」


 言われるがまま侍女についていくと、隣の部屋に案内される。部屋に入ると色とりどりのドレスが並んでいて、侍女たちが瞳をギラリと光らせ慌ただしく動きはじめた。


「まあ、ラティシア様のお肌は本当に白くて素敵ですわ。でも潤いが足りないようなので保湿してこちらのクリームを塗りますね」

「こんなに美しく輝く銀色のお髪を見たことがございません。さらに艶を出すためにヘアオイルを使いましょう」

「アクセサリーはフィルレス殿下の指示でブルーダイヤモンドのセットと決まっておりますので、グラデーションが素晴らしいこちらのドレスがよろしいかと思います」


 なにがなんだかわからず、されるがままにしていた。


 気が付けば鏡に映るのは、複雑に髪を結い上げ美しくドレスアップしたひとりの淑女だった。

 首もとと耳には価値を理解したら震えそうなほど、煌びやかなブルーダイヤモンドのネックレスとイヤリングがキラキラと輝きを放っている。


 ドレスの裾は淡いパープルで肩の方は澄み切った空色になっていてグラデーションが美しい。動くたびに光に反射するように小粒の宝石が縫いつけられていた。


 ちょっと待って、このスカイブルーのダイヤモンドは伯爵家クラスではお目にかかれないような希少価値の高い宝石よね!?

 しかもドレスについている宝石だって、ひとつひとつがかなり質のいいダイヤモンドじゃないかしら!?


 あまりに高すぎる価値のドレスとアクセサリーに、頭がクラクラしてくる。私は顔を引きつらせながら恐る恐る侍女に聞いてみた。


「あの、これはどういうことでしょうか……?」

「フィルレス殿下のご指示通りにさせていただいたのですが、お気に召しませんでしたか?」

「え? フィルレス殿下の指示ですか?」

「はい、ラティシア様の魅力を存分に引き出し、国一番の淑女に仕立てよとのご命令でございます」


 フィルレス殿下がなぜそのような指示を出したのか、さっぱりわからない。

 そもそも治癒士としての仕事をこなすのに、こんな貴族令嬢が着るような衣装では不都合しかないのだ。しかもドレスの価値を考えたら、恐ろしくてここから一歩も動けなくなる。


「そうでしたか……とても素晴らしい仕事ぶりです。ありがとうございます」

「お褒めのお言葉ありがとうございます。ではフィルレス殿下の執務室へ戻りましょう」


 そう促されて、侍女たちと元の部屋へ戻る。

 ドレスの価値も相まって恐る恐る足を進めていく。久しぶりのドレスで歩きにくかったけれど、なんとかドレスの裾を捌いているうちに扱いも思い出していた。


 ここまで高級なドレスは初めてだけれど、こんな格好で夜会に出ていたっけ……ドレスなんて伯爵家を出てから着ていなかったわ。


 侍女たちの後ろについてフィルレス殿下の執務室に入ると、バチっと部屋の主人あるじと視線が合った。


「これは……想像以上だね」

「お待たせいたしました。これ以上ないくらいの仕上がりかと存じます」

「うん、実にいい仕事をしてくれた。ありがとう」


 フィルレス殿下が執務机から立ち上がり、私の前に立つ。


 その顔にいつもの怜悧さはなく、ハチミツのように甘い微笑みを浮かべていた。しかもフィルレス殿下も衣装を着替えている。


 光沢のあるシルバーの生地には濃いめの銀糸で繊細な刺繍が施され、羽織るマントは紫のグラデーションが品よくフィルレス殿下を飾っている。まるでパーティーに参加するみたいに華やかだ。


「ラティシア、とても素敵だ。では、行こうか」

「お待ちください、どちらに行かれるのですか? 私はこの格好で王城を歩き回るのですか?」

「そうだね。専属治癒士だから僕が公務をこなす時もついてきてくれるよね?」

「確かに、私の仕事ですからどこへでもお供いたします。ですが、この格好では業務に支障が出てしまいます」


 こんなひらひらしたドレスでは緊急時に素早く動けない。なにより万が一ドレスやアクセサリーを破損させたら、私のお給金では弁償しきれない。


「これから向かう場所は、このドレスを着たままついてきてくれ。これも業務命令だ」

「……かしこまりました」


 業務命令だというなら仕方ない。細心の注意を払って、ドレスとアクセサリーを死守しなければ。最悪破損させてしまったら、誠心誠意謝罪して一生をかけて分割で弁償しよう。


 そうしてフィルレス殿下にエスコートされてやってきたのは、あの婚約破棄騒動のあった夜会の大広間だった。


 やたらニコニコと機嫌のいいフィルレス殿下は、王族として専用の入り口から会場に入る。専属治癒士として素直についていくと会場には高位貴族から地方の貴族までが集まっていた。


 その状況に驚いたが、すぐに国王陛下が入場してきて高らかに宣言する。


「皆、本日はよく集まってくれた。今日は大変めでたい知らせがある!」


 国王陛下の声が会場中に届いて、ざわめきが広がった。私は重大発表があるからこの衣装に着替えたのだと納得して、国王陛下の次の言葉を待つ。


「王太子フィルレスの婚約者を紹介する! ラティシア・カールセンだ!」


 いっせいに会場中の視線が私に集まる。静かに深呼吸して、国王陛下のお言葉を頭の中で反芻はんすうした。


 ちょっと待って、『王太子フィルレスの婚約者を紹介』? それが『ラティシア・カールセン』?


 は? はああああああ!? なぜ!? どうして!?

 

 この状況で違うとも言えず、昔鍛えたアルカイックスマイルを貼り付けるしかできなかった。


 これでも伯爵令嬢として受けてきた教育が身に染み付いていた。走馬灯のように厳しかった淑女教育が脳裏をよぎる。両親は私のためにとそれはもう厳しく礼儀作法を教え込んでくれた。


 ああ、本当に努力は裏切らないな、先生はお元気かしら?と現実逃避したくて的外れなことを考えていた。

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