第4話 やっと手に入れた希望


 処分が下されるまでは、治癒士のままだからと気持ちを入れ替える。

 それにしても、これだけの美形で素晴らしい人柄、王太子としての能力といい、これ程の逸材を手放した皇女は間違いなく見る目がない。


「ところで、なんだか毒を盛られる前より調子がいいのだけど、ラティシアの治癒魔法のおかげ?」

「そうですね。カールセン伯爵家特有の『癒しの光ルナヒール』という特殊な治癒魔法を使用しました。これは一般的な治癒魔法より効果が高いようです」


 きっとフィルレス殿下も知っているだろうけど、私からも我が一族の能力について説明する。


「やはりそうか。でもカールセン伯爵の御息女なら、どうしてここで働いているのかな? その血を絶やさないためにも、カールセン家の女性は早々に結婚すると聞いているけれど」


 この国の結婚した貴族の女性は、余程の事情がない限り屋敷で女主人として采配を振るう。特に伯爵家以上の家格であれば、未亡人でもない限り働くことはない。

 だからフィルレス殿下の疑問ももっともだ。


「それは……義妹夫婦がカールセン家の当主となっていますので、私はこうして治癒室で能力を活かしているのです」


 フィルレス殿下は「そう」と言って、青い宝石のような双眸そうぼうを細めた。その瞳には底知れぬ冷たさが宿っているような気がしたけど、すぐに穏やかな微笑みを浮かべてさらりと話題を変える。


「それにしてもラティシアの治癒魔法はすごいな。最近ゴタついていてかなり疲労も溜まっていたんだけど、すっかり回復しているよ」

「それはなによりです。私の治癒魔法で元気になっていただけたなら、本当に嬉しいです」

「ああ、最近は睡眠時間も削っていたからね」


 私も同じ経験をした。あの時の心の傷の深さは痛いほどわかる。もしかしたらフィルレス殿下は眠れていなかったのかもしれない。私のような者にも優しく声をかけてくれて、対応も丁寧だ。私の癒しの光ルナヒールがそんな方の役に立って喜ばしい。


「……カールセン伯爵には幼少の頃より世話になっていた」

「父は優秀な専属治癒士でしたから。ああ、ゲンコツされませんでしたか?」

「あー、そうだね。自分を粗末に扱うと決まってゲンコツされたよ」

「ふふ、父が患者は皆平等だと言っていましたから。フィルレス殿下にもそうしていたのですね」

「うん、でも温かい人だった」

「ええ、自慢の父でした」


 過去形になる家族の話は悲しみと懐かしさと、幸せだった頃の思い出を鮮明に蘇らせる。感傷的になるのを振り払うように私は次の言葉を口にした。


「フィルレス殿下は、いつもよく努力されています。どんなに辛いことも、どんなに悔しいことも、その胸のうちに抱えて弱さを見せません。ですが……つらい時は弱音を吐いたっていいのですよ」

「弱音など、僕には……」

「私、実は義妹に婚約者と実家を奪われて追い出されたんです。なかなかの経験をしてきたので、きっとフィルレス殿下の愚痴くらい聞けると思います。これでもフィルレス殿下より年上なので、姉に話すつもりでなんでも言ってみてください」


 毒症状からみて、きっと腹部の痛みは相当なものだったろう。それをうめき声ひとつ上げずに耐えていた。

 殺されかけたというのに、そんなことは微塵も感じさせない振る舞いをしている。

 婚約破棄の時だってそうだ。あんな大勢の貴族たちの前でなにもかも踏み潰すように切り捨てられて、なにも感じないわけがない。


 私はただ、心優しい孤高の王子に心から笑ってほしかった。


「それに治癒士には守秘義務があって魔法契約で宣誓しているので、もし破ったら治癒魔法が使えなくなるんです。だから安心して吐き出してください」

「……実は僕、あの皇女にまったく好意を抱けなかったんだ」

「え!? そうだったんですか!? よく隠していましたね。全然わかりませんでした」

「うん、婚約破棄してくれてむしろホッとしている」


 フィルレス殿下の死んだ魚のような目がおかしくて、思わず笑いがこぼれる。婚約破棄についてはフィルレス殿下にダメージはないようだ。


「あははっ、わかります! 私も今は元婚約者に対してそんな気持ちです。あんな浮気男なんていりません!」

「僕も傲慢でわがままなだけの姫はもういいかな」

「ふふふっ、そうですね。フィルレス殿下にはもっと心優しくて、真面目で、こんな風に愚痴を聞いてくれるお妃様がお似合いです」

「そうだね、本当にそう思うよ」


 そう言って、フィルレス殿下はジッと私の顔を見たまま動かない。


「フィルレス殿下? どうかしましたか?」

「……いや、なんでもない」


 ぱっと穏やかな笑みを浮かべたフィルレス殿下は、その後もいろいろな愚痴を聞かせてくれた。

 フィルレス殿下の気の済むまで話を聞いて、もうすっかり元気になったようだ。会話しながら観察していたけど、毒の影響もないようだし、もう大丈夫だろう。


「それではこれで問題ないとは思いますが、念のためもう少しお休みになってから動いてください。どなたかに知らせを出しますか?」

「いや、変化の魔法をかけてひとりで勝手に出ていくよ。ラティシア、本当に今日は助かった」

「いいえ、それでは、私はこれで失礼いたします」


 フィルレス殿下に一礼してから特別個室を後にした。

 国外追放のお願いをし忘れたと気が付いたのは、宿舎に戻ってからだった。






 翌朝、いつものように治癒室へ出勤すると、エリアス室長が難しい顔をして席に座っていた。


「おはようございます」

「ラティシアか。おはよう」


 私の顔を見たエリアス室長は、眉間にシワを寄せたまま手元の書類に視線を落とす。


「……もしかして、昨日の?」

「ああ、今朝一番で君を執務室に寄越せと、王太子直筆の通達がきている」

「承知しました。ではすぐに向かいます」


 出勤早々、重く沈んだ表情のエリアス室長から一枚の紙を手渡された。


 処分を言い渡すためにわざわざ執務室へ呼び出すなんて、よほどお怒りなのかと肩を落とす。昨日は楽しく会話していたけど、やはりフィルレス殿下の身体に勝手に触れたのが許されなかったのだろう。

 昨日のうちにエリアス室長には経緯を報告してあったから、この通達の意味は理解されているようだ。


「エリアス室長。本当にお世話になりました。今までありがとうございます」

「まったく、なぜこのようなことに……」


 目元を覆う手はわずかに震えていた。お世話になってばかりで、最後にこんな迷惑をかけてしまった。まずはエリアス室長をはじめ、治癒室のみんなが困らないようにお願いしてみよう。それで私が牢屋行きになったとしても仕方ない。


 ——私はただ、運が悪かっただけなのだ。


 両親と兄たちが事故で亡くなったのも、義妹があんな女だったのも、あの時治癒室に私しかいなかったのも、すべてついてなかっただけなのだ。


 フィルレス殿下の執務室へ向かっていると、途中で側近のアイザック・ルース子爵令息が迎えに来てくれた。きっと私が逃げないように監視するためだろう。


 普段は王城の奥まで入ることがないため、ソワソワと落ち着かない。

 やっと目的の部屋に着いたのか、アイザック様が凝った装飾が施された漆黒の扉をノックした。


「殿下、ラティシア様をお連れいたしました」

「入れ」


 短い返答の後に扉を開いて、中へ入るように促される。覚悟を決めて足を踏み入れた。


「失礼いたします。私をお呼びと伺いまいりました」


 そう言って、昨日はできなかったカーテシーをする。フィルレス様から声をかけられるまで下げた頭を上げてはならない。


「おはよう、ラティシア。そこへかけてくれる?」


 フィルレス殿下から声がかかったので顔を上げると、やけに嬉しそうにニコニコとしている。昨日の治癒の効果が出ているのか調子もよさそうだ。これから処分を言い渡すのになぜこんなに笑顔を浮かべているのだろう。


 侍従が私の分までティーカップを用意してくれた。これは最後の紅茶を飲めということだろうか?

 紅茶をひとくち飲んで、フィルレス殿下が話しはじめた。


「実は、今日はラティシアに頼みがあって来てもらったんだ」

「頼みですか? 私は処分を受けるのではないですか?」

「処分?」


 なんの話だとフィルレス殿下が聞き返す。


「昨日は緊急事態とはいえ、フィルレス殿下の御身に触れたので不敬罪で処罰されると思っていたのですが……」

「誰がそんなことを言ったの? むしろ命の恩人に罰を与えるとか意味がわからないよ」


 なんということだろう。聖人君子のフィルレス殿下は、昨日の治療を罪に問わないというのだ。真面目にやってきたことが、正しく報われたような気がした。

 これなら治癒室のみんなも安泰だと、胸を撫で下ろす。


「そうでしたか……では、どなたかの治療ですか? それとも毒についての捜査協力でしょうか?」

「昨日の犯人はすでに捕らえてある。それよりもラティシアに治癒魔法をかけてもらって驚くほどの効果があったから、これからも頼みたいんだ」


 これからも頼みたい? フィルレス殿下——この国の王太子が? 私に?



 それは、今までの努力が実ったと思える瞬間だった。



 きっかけは偶然だったけれど、やっと実力が認められたのだ。どんな悲しみに見舞われても、ひどい裏切りにあっても前を向いて続けてきてよかった。

 治癒士としての誇りを胸にやってきた。それは間違いではなかったのだ。


「はい! 治癒室に来ていただければいつでも治療いたします! 事前にお知らせいただければ時間の調整も……」

「それなら心配ないよ。専属治癒士として任命するから、こちらに専念できる」


 また紅茶をひとくち含み、フィルレス殿下は私を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。


「むしろ手放せないくらいに気に入ったんだ。だから僕だけの専属治癒士になってほしい」


 その言葉が大袈裟に感じたけど、ありえない話に現実味が湧かない。


「だからね、ラティシア。これからも僕を癒してくれるかな?」


 そう言って微笑むフィルレス様は、端正な顔立ちも手伝って神々しい光を放っていた。

 穏やかな人柄というのもあり今の私には神のような存在だけれど、体調がよくなったおかげか輪をかけて美しくなった様な気がする。


 私はやっと手に入れた希望あふれる未来に、力強く頷いた。

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