第3話 緊急事態


 もうベッドへ移動できないほど、青年の手足は麻痺していた。意識が混濁してきたのか、話しかけても反応がない。今すぐに治療をしないと持たない。

 私は素早く床に寝かせて癒しの光ルナヒールを発動させる。


 途端に白い光が手のひらからあふれ、青年の身体を包んでいく。すでに全身に症状が現れていたから、ほんの少しも残らないように治癒していった。


 私の手のひらから放たれる白い光が室内に充満して、眩しさで目を閉じる。指先から伝わる感覚で、確実に治癒を進めていった。

 なかなか強力な毒物を摂取したようで、手こずった部分もあったけどなんとか身体からすべて除去できた。


 白く輝く光が消えていき、青年の姿がはっきりとしてくる。

 だけど、光が収まってみればそこに横たわっていたのはまったくの別人だった。


 漆黒の艶髪、すっと通った鼻梁は高く、適度な厚みのある唇はうっすらと開いて色気さえ感じられる。固く閉じられた瞳の色はわからないけどまるで彫刻のように整った美貌は、数日前に婚約破棄騒動が起きた夜会で見かけた。


 フィルレス殿下がなぜここへ——!? え!? さっきは確かに焦茶色の髪と瞳で……いや、顔の作りは一緒だったような……? いやいやいや、それどころじゃない!! これは非常にマズい事態なのでは!?


 王族は身元や家柄、人柄や思想までしっかりと調査された専属治癒士がついており、私たちのような一般の治癒士が御身に触れることはない。


 それは毒を仕込まれたり暗殺されるのを防ぐためだ。もし「診てくれ」と言われても、あらぬ疑いをかけられぬよう、私たちは専属治癒士を急いで呼んでくるしかない。

 過去に緊急事態とはいえその御身に触れ、罪に問われた治癒士がいたと聞いている。だからみんな王族には近づかなかった。


 でもこの状況でフィルレス殿下を置いて離れるわけにもいかない。ひとりのようだけど、すでに従者や護衛騎士が専属治癒士を呼びにいっているのかもしれない。 

 そう考えたけれど、それならどうして治癒室になど来たのか。症状からして、よほど切羽詰まってたのか。そうだとしても。


「はー、私の治癒士人生終わったかも……」


 せっかく見つけた居場所が、足元から崩れていくような感覚に襲われる。

 必ずなにか横槍が入る。積み上げて壊されるなら、最初から積み上げないのに。


 ひどく疲れたな……もし罪に問われたら国外追放してもらおう。そして違う場所でひっそりと生きていこう。


 そこまで決心して、床に寝かせたままだったフィルレス殿下を個室仕様の特別回復室のベッドへ移動させた。

 ひとりでは無理だったので、バハムートを呼び出して手伝ってもらう。床に広がる血液から検体を採取した後、汚れてしまった床もバハムートが綺麗にしてくれた。


 ベッドの隣に椅子を持ってきて、意識が戻るのを待つことにした。穏やかに寝息を立てるフィルレス殿下は、あの夜会で見た時よりやつれたようだった。

 帝国の皇女様から婚約破棄されて、いろいろと大変なのだろう。


「ラティシアさん、戻りました〜! あれ? ラティシアさーん!」


 休憩に出ていたユーリが戻ってきて、私を探している声が耳に届いた。声をかけようと特別室のドアへ手を伸ばしたところで、ガチャリと扉が開かれる。


「あ、こちらだったんですね。どなたかの治療中ですか? 私もお手伝いし——」


 そこでベッドの上に横たわっている人物を見て、ユーリは石像のように固まった。


「ちょ……なっ、なんでフィルレス殿下が!?」

「緊急事態だったの。ここは私が見るから、ユーリは他の患者様をお願いできる?」


 私たち一般治癒士の間では、王族なんて面倒ごとしか運んでこない存在だ。そんな治療に部下を巻き込むことはできない。ユーリは高速で首を縦に振っている。


「特別室には極力誰も近づけないようにね。エリアス室長は城下町の火災で出ているけれど、もし戻ってきたら事情を伝えてくれる?」

「わ、わかりました……でも、ラティシアさんはどうなるのですか?」

「んー、なんとかなるわよ。これでも伯爵家の嫡子だし。あ、ほら患者様がいらっしゃったわ。お願いね」


 本当は名前だけの嫡子だけど、心配するユーリを安心させたくてそう言った。


 ユーリはこの治癒室に配属されてから、私を姉のように慕ってくれている。申し訳なさそうに、やって来た患者様の対応に向かった。そっと扉を閉めて短いため息をつく。


「さて、今後の身の振り方でも考えようかしら」


 私はフィルレス殿下が目を覚ますまでそばにいようと、ベッドの隣の椅子に腰を下ろした。


 今までの経験から、声上げても無駄だと言うことはよく理解していた。

 フィルレス殿下が目覚めたら、王族に触れた不敬罪で国外追放してほしいとこちらからお願いしてみよう。下手に牢屋に入れられるより、きっと生存確率が高まる。


 自由さえあれば、どの国でも治癒士として生きていけるのだから。

 代々続いたカールセンの血を残せるかわからないけど、こんな状況ならご先祖様もあきらめてくれるだろう。両親と兄たちの冥福は、私の心の中で祈り続けていくしかない。

 

「うっ……」

「フィルレス殿下?」

「うぅ……は……」

「お目覚めですか、フィルレス殿下」


 ゆっくりと開いた瞳はくっきりとした二重で、晴れ渡る空のような鮮やかなブルーの虹彩に思わず見入ってしまった。視線を泳がせていたが、やっと私を捉えたようでじっと見つめてくる。


「ここは王城の治癒室です。治癒魔法で毒を除去しましたがご気分はいかがですか?」

「あっ、そうだ! 僕は——」


 ハッとしてフィルレス殿下は起き上がる。その動作がスムーズで、顔色も良くなっているようだから完全に解毒できたようだ。


「君が治癒魔法をかけてくれたのか?」

「はい、僭越ながら私が毒を除去いたしました。変化の魔法を使われてましたのでフィルレス殿下であると気付かず、御身に触れてしまい誠に申し訳ございません」


 そう言って床に膝をつき頭を下げる。私は国外追放にしてほしいと言うタイミングを見計らっていた。


「そう、だったのか。いや、すまない。城下町へこっそり出ていたから変化の魔法をかけていたのだ。気を遣わせたね。毒を除去してくれて助かった」

「いえ、治癒士として当然のことをしたまでです」

「君のおかげで命拾いしたよ。ああ、そこの椅子にかけてくれないか?」

「……? 椅子にですか? かしこまりました」


 フィルレス殿下の意図がわからないが、逆らえるわけもないので指示に従う。先ほどまで腰かけていた椅子に戻った。どうしよう国外追放にしてくれと頼むタイミングが掴めない。


「改めて礼を言う。本当に助かったよ、ありがとう。それで……君の名は?」

「私はラティシア・カールセンと申します。フィルレス殿下が回復されてなによりです」

「そうか、君がカールセン家の……」


 名前を隠したところで調べればすぐにわかることだ。正しく名乗っておいた方が、処罰の知らせを出す際に手間が省けるだろう。


「あ、かしこまらなくていいよ、今は公務の時間ではないから。言葉遣いも一般の患者と同じにしてほしい」

「ですが……」

「ラティシア嬢、それが僕の命令だと思ってくれないか?」

「はあ、わかりました。砕けた話し方になりますがご承知おきください。それではフィルレス殿下も、私のことはラティシアと呼び捨てにしてください」

「なるほど、わかったよ。そうだ、専属治癒士や騎士には報告した?」


 いつもより砕けた印象の話し方でフィルレス殿下も対応してくれるようだ。少々肝は冷えるけど、もうすぐこの国から出ていく身だから気にしないようにする。


「それが私ひとりで治癒室の留守番をしていたのと、毒物を摂取されていたので安全な報告先がわからず、まだ誰にも話していません。ですがフィルレス殿下がここにいらっしゃることは、部下も知っています。それと、こちらは調査用に採取しておいたフィルレス殿下の血液です」


 フィルレス殿下は誰かに暗殺されそうになったのだ。毒を盛られたと情報が広まることで、不利になるかもしれない。変化の魔法を使っていたことも考えると、安易に報告するのは危険だと思った。


「へえ、君は機転が利くね」


 フィルレス殿下は毒に染まる血液の入った小瓶を受け取り、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 その神々しいまでの笑顔を見ても、自分の行く末を考えると気持ちは沈むばかりだった。

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