最終話
「これは──マフラーだな」
武田がそれを手に取って広げた。
「おい! ここに『幸子』って書いてあるぞ!」
「え! 本当ですか?」
斉藤がそれを覗き込む。
「おい、いつからこれを持っていたんだ!」
武田は鬼のような形相で、御子柴を見つめた。
「いや、分からないです。気付いたら、ここに──」
「まあいい。おい、これは回収しておけ」
「はい。分かりました」
斉藤がマフラーを受け取って、廊下に立っていた男に手渡す。御子柴はそれを眺めながら、何か心に引っかかるものを感じていた。
──俺はあれを、何かしなくちゃいけなかったんじゃないか。
喉まで何かが出かかっていたが、それが出ることもなく、再び記憶の深層に潜っていってしまった。
先ほどまで何かを廊下の男と喋っていた斉藤が、小走りでこちらにやってきた。
「ちょっと、武田さん」
斉藤が、武田に耳打ちをした。が、ぎりぎり何を言っているのかが分かってしまった。分からないほうが良かった。
「あちらの奥で治療をされている方が、真藤勝さんのようです」
「何だと!」
武田はそう叫んで、病室の奥に視線を向けた。御子柴もつられたようにそちらを見ると、一人の老人がベッドに横たわっていた。あれが、俺が殺した人の旦那。
幸い、目は開けていない。あの管の本数と、酸素マスクからして、恐らく昏睡状態なのだろう。御子柴は少し安堵した。
「おい、部屋を移せないのか」
「駄目みたいです。コロナの患者さんで病床が埋まっているみたいで」
武田が、悔しそうに眉をひそめた。
「私たちは少し席を外すので、その間にゆっくり休んでてください」
斉藤がそう言うと、二人は部屋の外に消えていった。
先ほどとは一転して、病室が異様に静かになる。聞こえるのは、自分の吐息と、ピーッ、という機械の音だけだ。あの老人が、機械の音を通して自分を責め立てているようだった。
人を殺したという罪が、心に重くのしかかる。死刑か、無期懲役か。どちらかだろう。どちらだとしても、御子柴はしっかりと罪を償う気分でいた。
後ろめたさに押しつぶされそうになり、御子柴は思わず老人の方と反対側に目をやった。そこには、絵が飾られていた。あれは、機関車だろうか。砂漠を走っているらしい。なかなか幻想的な絵だ。誰かが窓から顔を出しているようにも見えるが──。
その時、ドアが開いて、看護師が入ってきた。
「目を覚まされたんですね。体調はどうですか?」
「はい。大丈夫です。あ、あの絵を取ってきてもらえませんか」
御子柴は、飾ってあった絵を指さした。なぜか、間近で見たいと思った。というよりは、見なければならないような気がしたのだ。
看護師は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに笑顔に戻って、絵を取ってきた。
「はい、どうぞ」
御子柴はその絵を眺めた。そして、戦慄した。真藤勝と同じ顔をした老人が、こちらを、憤怒の表情で睨みつけていた。
白と黒 鼻唄工房 @matutakeru
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