第3話

「え? どこがです?」


 男がそう言った時、突然列車が大きく揺れた。身体が揺れて、老人と肩が当たる。


 その瞬間、どこがおかしいのかが分かった。全く動いてない。あのおばあさんは、先ほどの大きな揺れにもかかわらず、奇妙なほど動かなかった。まるでおばあさんの周りだけ、空間が固まっているかのような──


「確かに、ぴくりとも動きませんでしたね」

「そうだろ? でもな、私がここで目覚めた時は、まだ彼女は動いていた」

「え? それって──」


 男の言葉を遮って、老人が険しい顔で話を続けた。


「だから私は、こう考えている。この列車に長く居続けると、身体が固まって、人形のようになってしまうんじゃないかとな」


 男は、またまた頭が痛くなった。もしそうだとすれば、タイムリミットがあるということだ。早くここから出なくてはいけない。だとしても、一体どこから出れば……


「だとしたら、僕たちもじきに身体が一切動かなくなるってことですよね?」


 気が動転して、すぐに分かるようなことをいちいち聞いてしまう。


「ああ、そういうことになるな。実を言うと、私ももう下半身が動かない」

「嘘……」

「残念ながら、本当だ」


 老人が、神妙な面持ちで言った。


「さっき、『死ぬようなことはない』って言ってたじゃないですか!」

「そうだっけ?」


 これはまずい。おばあさんが動かないことが分かった時は、なんとなく他人事のような気がしたが、いざ隣の人が動かなくなってきていると、さすがに危機感を感じた。


 何か分かることがないだろうかと、男は改めて周りを見渡した。後ろと前には、自分が今座っているのと同じような座席が縦に二列、通路を挟んでもう二列が並び、天井では、質素な電球が頼りなく列車内を照らしている。


 窓は大きめで、なかなか開放感があった。壁や天井は木で出来ており、座席の布地部分の緑といい具合にマッチして、レトロな感じを醸し出している。他には──特に何もないか。


 男は何も収穫がなかったことにがっかりして、もう一度老婆の方を見た。先ほどとは違う違和感がする。なんだろう。男は老婆の綺麗なお団子を凝視しながら考えた。


──既視感だ。


 俺は、彼女に会ったことがあるんじゃないか? 絶対とは言い切れないが、自分の直感がそう訴えている。男はそのことを老人に伝えた。


「やっぱり、君もそう思うか」


 どうやら老人も既視感を抱くようだ。


「おじいさんもですか」

「ああ。あの人を見ていると、なんだか懐かしいような、心がぎゅっとするような……とにかく、どこかで確実に会っていると思う」


 老人の抱く感情は、男が抱くものよりも強いようだ。


「もしかして、奥さんとかじゃないですか?」

「そうかなあ……実は話してみようと声を掛けたことがあるんだが、すでに彼女は固まってて、全く返事をしてくれんかったんだ」

「そうですか……彼女はもう手遅れってことですね」

「そうだな」


 彼女と話ができれば、もう少し何か分かることがあったかもしれないのに。男は脱出する糸口を見失ったような気がして、不安に駆られた。

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