終幕

 この近辺はそう人口が密集しているわけでもないのに、数キロ離れた山の麓でも悲鳴と怒号が聞こえる。黒いバンの窓越しに町並みを見下ろしながら、スーツ姿の男が無線機に向かって吐息混じりに声を放った。


「えー、こちらB分隊。コードAと生存者三名を発見、確保しました。近辺に消却者イレイザーの姿は確認できません。ただ、少し問題が………」


 草臥れたスーツの上からでも分かるほど、屈強な体つきをした男だった。スクウェアタイプの眼鏡のブリッジを右手中指で押し上げながら言葉に迷う。電話越しの相手は仕事はできるし現場にも理解がある上司だが、いかんせん知的好奇心の赴くままに行動するきらいがある。迂闊な報告をすれば自分もその場に行くなどと言いかねない。


 頼むから今は大人しくしていてくれよ、と胸中で祈りながら続けた。


「コードAですが、意思疎通こそ出来るのですが記憶らしい記憶が無く、自らを『アイソサナ』と名乗っているんです」


 彼等にとって、その名の意味は大きい。しかしそれはあくまで人名―――単なる固有名詞であり、多大な意味を持つと言ってもその域を出ない。にも関わらず、こんな辺鄙な場所でここにいるはずのない名を聞いた。それも、不可解極まる現象の中で。


「はい、抵抗はしていません。―――はい、分かりました。生存者は三名とも少年ですね。えぇ、怪我を負っていましたので応急手当を。瀕死の状況には変わりありませんが生きてます。おそらくは、消却者に負わされたものかと。コードAが言うには、『よくわからないけど、危なかったから力を託した』と」


 言葉の選び方が良かったのか、それとも単にこうなることを想像していたのか。どちらかは男のしる所ではないが、いずれにせよ妙な関心を持ってこちらを困らせるようなことはないようだ。


「―――了解。撤収します」


 適宜下った指示に内心ほっとしながらも、男は短く答えて無線機を切った。


「どうなってるんですかね、一体」

「さァな。ただ、どこもかしこも似たような状況らしいぜ?」


 声は運転席と後部座席から。敬語の男は運転席で自前の金髪をガリガリと掻きながら、ぶっきらぼうに答えた巻き舌気味の女は手元の89式5.56mm小銃を弄りながら言葉を交わした。二人共男性の部下だった。秘匿性の高い任務、ということで部隊の中でも腕利きで信頼の置けるこの二人を選んだのだが、しかし端から見ると妙な取り合わせかもしれない。


 かたや日本生まれの日本育ちだが両親が北欧系のハーフらしく、肌や髪の色が目立つ青年。


 かたや日本人のくせに髪を赤く染めてジャラジャラと銀のアクセサリをぶら下げたパンクな女。


 秘匿性という名目故に私服で来いとは言い含めたが、まさか私服の方が目立つとは思いもよらなかった。時間もなかったのでそのままで来たし、こんな山間では人目もないし、そもそも誰も彼もが今そんな状況ではないだろう。


「どうなってしまうんですかね、この国」

「いよいよアレか?ニッポンチンボツって奴。映画で見たぜ。原作?小説だぜアレ、人間サマの読み物だ」


 のほほんと呟くクォーターにげらげら笑うパンク女に向かって、スーツの男は頭痛を感じながら今しがた無線機越しに得た情報を告げることにした。


「何馬鹿なこと言ってる。―――世界中で起こってるんだよ、この現象」


 すると二人は顔を見合わせ。


『ノストラダムスの大予言なんざ、鼻で笑ってたんだけどなァ………』


 そんな状況でも呑気になれる二人を頼もしいと思うべきなのか呆れるべきなのか判断に迷いながら、スーツの男は指示を下した。


「全くお前らと来たら………さぁ、撤収するぞ。奴等に喰われるのは御免だからな」

「了ォ解、三上の旦那」

「了解です、ボス」


 ゆるゆるとバンが動き出す。


(意図せず世界は転がり始めた、か。―――おそらくは、最悪な方へ)


 流れていく景色を何処か遠く眺めながら、スーツの男は世界が変わる瞬間に立ち会っていた。




 時に西暦1999年8月16日。


 この日、世界は滅亡の危機に瀕した。

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