第2話ナッシング

 故郷に住む母の面影を思い出す。

 僕は、鋼鉄の世界で、炭鉱夫として働いている。

 空には、鞭を討つ操縦士が、中空馬車を操り、さかんに行ったり来たりしている。

 虹色の曲線を描く、やけに耽美な乙女が紛れ込む。羽を生やしている。銀色だ。

 それから、仕事を終え、夕暮れ時、火星の空を眺める一人の少年がいた。

 口笛を吹いている。

 僕は、耳を澄ます。

「電光、機械の、夢の音。さらば、先にある思い出の母よ」

 というフレーズに、僕の心は揺れる。

 少年は、軍服を着ている。

 中空馬車が、舞い降りた。

 その中から、麗しげな夫人が出てきた。従者の年老いた髭のある男が、恭しく、頭を下げた。帽子を被っていた。七色鳩の羽根を差し、ダークレディのような怪しげな所作で、帽子を取ると、少年が走り寄る。

 僕は、過労で、体が、まいっていた。

 少年は、ポケットを探る。そして夫人に向かって、すさまじい勢いで、何かを突きつけた。宝石だった。従者の男は、さっと夫人の前に出て、遮る。

 宝石は赤い、火星の空を映しこむ。

 すると、夫人が笑った。

 僕は、速足で、その場を離れた。

 直後、悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、少年は、絶命したらしい。

 火星の空を映しこんだ宝石は、「悪魔の祈りのスペースデッドボム」だった。

 所有者の憧れを食い物にする悪性魔法具だ。

 ダークレディの夫人は、すまし顔で、再び馬車に乗り込んだ。

 中空馬車は、発車する。虹色乙女が、馬車の後についていく。

 あっけにとられて、空を見上げる僕は、こうつぶやいた。

「虹の乙女が、きっと、願いをかなえてくれる」

 絶命した少年に恐る恐る近づいて、宝石を覗き込む。

 宝石からは、鉄さびのようなにおいがする。

 あまりのその美しさに、僕の手は宝石に伸びる。

 震える。

 絶死した少年は、口から泡を吹き、パクパクと何かを言っている。

「母さん、母さん……」

 僕の手はピタッと宝石に触れることをやめた。大きく息を吐き、その場を立ち去る。

 しばらく、道を行っていつも通り、「トリドリ畑の居酒屋」に入り、カウンターに座ると注文をした。

「マウルスレザロのビールを」

 特別、高いわけではない、単なる酒だ。

 店内には、曲が流れている。

 聞いたことがある。

 あれは、母の歌う子守歌。

「ビューティフルドリーマー」

 フォスター。

 それとは、全く違うけれど、僕は思わず、哀しみが込み上げる。

 絶死した少年。

 僕は、少年時代に、母に手を引かれていた地球にいる日々に思いをはせた。

 ビールが届く。

 そっと口をつけ、今日が終わった。

 さあ、明日も仕事だと呟いた。

 

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