第1話
喉が渇く。もう何日も食べ物も水も口に入れていない。おかげで自分で動けるほどの体力も残っておらず、天井を見上げたまま口呼吸をするのがやっとだ。
もうとっくに猛暑続きの夏は過ぎ去り、季節は秋。乾燥が酷く、ずっと開ききったままの口内はボロボロである。唇も舌も歯茎ですら老人のもののように劣化して出血している。その血液でさえ乾燥し醜い塊となっていた。
どうして生きている?
普通の人間は水を一滴も飲まなければ5日程で死に至る。だが、この男は最低でも1ヶ月は水分を体に含んでいない。食事はそれ以前に止めている。
その答えは明白で、普通の人間ではないからだ。
時の流れに逆らえず弱っていく身体。しかし、同時に少しずつ回復も行われている。死を許されないその男は、言わば節電モードで生命を繋いでいるのであった。
正確には〝繋がれている〟と表現する方が妥当だろう。
その男、名は〝アルバ〟
生への執着を完全に失い、何度も死を望んだ。しかし、幾ら自分の体を傷つけても死は訪れなかった。ただ、苦しく、痛みがアルバを蝕むだけで。
…
事の発端は約1年前。
「勇者様!どうか奴らを根絶やしにしてくだされ!」
「分かりました。必ず私が皆さんを安心して暮らせるようにしてみせます。」
アルバは強かった。元々彼に備わっている身体能力がずば抜けて優れていて、剣術の才能も圧倒的だった。それゆえ、幼少の頃から大衆に祭り上げられる事が多かった。彼が勇者になった理由も他者の願いによるものでそこに彼の目的は存在していない。
「勇者様が完全な勝利を手にできるよう、私どもで魔法を施しました」
「は?」
思わず素で聞き返してしまうほどアルバは呆気に取られてしまった。
「私たちが望む限り、貴方は不死の存在になります」
大衆の祈りとは恐ろしく盲目的であった。彼らは既に贄として何百もの命を魔法の代償として捧げていたのである。
「貴方たち...な、何を...」
「私達に頼れるのはもう、勇者様しか居らぬのです...」
長老をはじめ、神妙な面持ちの村人たちを目の当たりにしてアルバはもう引き下がれなくなっていた。今まで対峙したどんな生物よりも恐怖を感じ、困惑により足場が今にも崩れ落ちそうな感覚に陥っていた。しかし、目的を持たないアルバにとって彼らに反論する事は無意味。望まれるまま、例の生物の住処の洞窟へと足を運ぶのであった。
村人たちが悪魔と恐れる生物も人間と同じく群れを成して生存していた。奴らにも知性があり、同じ言葉を喋っていたのだ。
「悪いが、君達を切らなければならない」
「私達は、何も彼らに危害は加えていません...どうか、お許しを...」
「そうはいかない。彼らは怯えている...君達が居る限り安心して過ごせないんだ」
その生物達は皆ボロボロの布切れに身を包んでおり顔はおろか、足先まで確認することは出来ない。
彼らは一生を洞窟の中で過ごすと、だから見逃して欲しいと頭を下げた。
「勇者様、奴らは嘘をつきます。言葉に耳を貸さないでください。惑わされますぞ」
アルバにとって、無抵抗の者を殺すというのはとても果たし難い行為であった。
「長老、もう少し様子を見ては...」
剣を下ろし後ろを振り向いたその時、洞窟に木霊する呪文。
耳を塞いだ頃にはもう間に合わなかった。
「っ、ぐ...!」
ひどい頭痛に襲われ、手足の痙攣が止まらない。視線はぐるぐると螺旋を描き始め、錯乱状態に。
「アル...バ...!...しっか、り...!」
途切れ途切れに聞こえる仲間達の声すらもゆっくりと遠のいていった。
...
「っ...アルバ!止めろ!止めてくれ...!」
聞き慣れた仲間の声ではっと我に返った。剣を持った右手を振りかざそうとした所を止められたのだ。足元にはボロボロの小さい子供が怯えた顔で震えていた。
「この子は...」
辺りを見回して絶望した。そこら中に飛び散る赤い液体。そして埋め尽くされた死体。皆絶命しているという事実は明らかでぴくりとも動かない。噎せ返るような血の匂いが何よりもの証拠だった。
アルバは、操られたのだった。
村人達によって。
そして村人たちが恐れた生物は、
同じ人間だったのだ。
洞窟で生活していた人間達は元々、村の住人だったそうだ。しかし、突然変異で強い魔法の力を持つ赤子が生まれてくるようになった。その子たちは体に大きな痣が刻まれていてひと目で分かるようになっていたらしい。
その力に怯え、村を乗っ取られる事を恐れた長老一族が洞窟へ彼らを追いやったのだ。
「彼らは強大な力を持っているがゆえ、根絶やしにしたのならば、呪いの反動が恐ろしい...」
つまり、よそ者ならばどうなってもいいと。
長老の狙い通り、アルバには強い呪いが残った。
彼に幾つもの災難が訪れ、もがき苦しむ未来。
不死という祝福と不運という呪いをただ一身に受けたのであった。
...
そうして死体も同然の今に至る。利用されたアルバは人間不信になり、仲間達との関係も自ら断ち切り旅を止めた。ふらふらと辿り着いた何の変哲もない町でただ息をしている。
結局彼は現在も自分の意思を持たず、今日もこうして天井を眺めているだけの...
ドン!ドン!ドン!
「すみませんー!どなたかいませんかー!」
ノックというには迫力の有り余る音だ。扉を叩く振動が壁を伝って体に響いてくる程の。
「こんにちはー!」
久しぶりに他人の声を聞いたせいか、アルバにはやけにうるさく聞こえた。しかし何ヶ月も人と関わってないせいか、夢のようにも思えた。
シーン...
いきなり静まり返り、やっぱり夢だったか...と心の中でどこか虚しくなっていた次の瞬間。
ガシャン!!!!!!!
キッチンの方からガラスの割れる大きな音が響き、小さい足音が近づいてくる。
「こんにちは、アルバさん」
寝室の扉が勝手に開き、目線を向けるとそこには小さな少女が顔を出していた。
金髪のショートボブに蒼色の綺麗な目をした見知らぬ子だった。
「お休み中、すみません!今日から私をこの家に置いてください!お願いします!」
タタタ、と彼に駆け寄り顔を覗いている。
反応したくても口も満足に動かせず小さな呻き声が精一杯だ。
「私はステラっていいます!よろしく!」
屈託なく笑うステラと名乗る少女。
何よりも替え難く、尊い存在となることをまだ彼は知らない。
引きこもりの出戻り勇者に隠し子疑惑!?〜ワンナイトの奇跡〜 ぴぴぴちーず @pppcheese
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