第27話 雷鳴が急き立てるのも無視して

 妹の有能な一面のおかげで、僕は自然に一泊することが決定した。楓と一緒にタクシーを見送ったあと、先ずお風呂に案内されたので日本酒をもって入ろうとしたが、危ないのでおやめくださいと止められてしまった。古い建物を改修しただけあって、つくり自体は昔のものであったが設備は新しく、建築とは別にアンティークを意識した内装はこれだけで入浴の価値があるものだ。シャンプーやリンスもやたら高級そうに見えるボトルに詰め替えられていて、拘りが感じられた。髪をいつものようにまとめ上げると、中身も高級なのだろうということが容易に察せられる。慣れない香りに包まれた自分の素肌を撫でつつ、高い天井をぼぅっと見ていると、なるほど、酔っていたら溺れたかもなと思ってしまう自分がいた。


 事前に教えられていた化粧水や乳液をつけ、湯上りの髪から優しく水分を拭き取り、オイルでケアしドライヤーの音を響かせた時点でそれが意識に上った。

「静かだな」

 暮れなずむ夕景が不気味な洋館を包んでいる。物音ひとつしない、静寂の館。ディナーはここでと教えられた部屋に入ると、確かに絢爛豪華な洋食が湯気を立てていた。チェック柄のタイルのモノトーンの上、磨かれたシルバーが反射する白い水分、ゆれ立ち上る音が聞こえてくるようだ。

「戻られたとき私どもがいなければ、どうぞお先にお食べ下さい。すぐ戻ります。か」

 置手紙を読み上げる。僕は条から連絡は来ているか確認しようとして、スマートフォンがないことに気が付いた。確か脱衣所にもって入ったと記憶している。さては置いたままだったかと廊下を歩いて取りに戻るも、見当たらなかった。

しらみつぶしに化粧室や応接間を見て回り、すっかり困り果てていると、静寂に紛れて雨音が聞こえ始めた。隠れていた遠雷が響く、薄暗いカーペットを踏んで、何気なくインターホンを通り過ぎようとしたとき――。


 激しくドアが叩かれ、次いでインターホンが悲鳴を上げた。



 お姉ちゃんと楓に見送られて、タクシーに乗り込む。しかし、何か納得いかないものがある。教えられた墓地に向かう車中で、揺られながら、何気ない会話を聞き流しながら、何がおかしいか考える。もちろん、違和感の核にあるのは襲撃者だ。誰かが楓を殺そうとしていたのだ。でも、そう誰なの。橘さんによれば、楓を知っていたのは、父母と入谷礼華、使用人の橘さんと、昔いたらしい執事一人。筒井靖も山王楓は死んでいる。入谷礼華と老執事も亡くなっていた。現在、彼女の存在を知るのは橘さんだけのはずだ。でも、彼女が楓を殺す理由なんてないはずだ。むしろ、愛しているように見えた。

「誰なの――」

 そうだ、もう一人いたじゃないか。山王楓の存在を知っていた、もう一人。秩父のマスター、叔母、筒井海里。彼女が? そうだ。ビアパブ「泡時計」はSNSをやっていた。

「あった。この日だ。……まあ、違うよね」

 運よく、と云うべきか、襲われた日付に投稿された写真にはばっちり本人が写っていた。

 そもそも、彼女が元軍人というのは無理がありすぎるだろう。

(軍人――?)

 待って。

「運転手さん、ここで一度止めてください。私は降ります」

 騒ぎ出す周囲なんて構ってられない。今ならまだ間に合う。

「ちょっと条!」

 私は戸惑う運転手に怒鳴ってまでタクシーを降りた。

「母さんたちはお墓に行って!」

 云い残して、来た道を走って引き返す。タクシー会社に電話しても、すぐには行けないと云われて切った。走った方がよさそうだ。でももう一度電話をしなければ。

「――あ、もしもしわたくし、三崎と申します。そちらの、妙見霊園に入谷礼華、という名前の男性のお墓はありますか。わたくしは入谷先生の教え子でして、お墓参りに行こうと思っているのですが、うっかり霊園の名前を忘れてしまいまして……ええ、お願いします」

 端末をスピーカーモードにして、全力で走る。随分スピードが落ちてきたころ、返答があった。

「お調べ致しましたが、当霊園にそのような名前の方はいらっしゃらないようです」

「――! ありがとうございます」

 これはつまり、容易に暴かれる嘘を、墓に着いたとたんに暴かれる嘘をつく橘は、私たちが墓に着く前に、何もかも終わらせるつもりだ。何をするつもりか知らないけど、二人が危険な状況にあることは確かだ。

 姉に送ったメッセージには既読がつかないし、電話にも出る気配がない。

 雨に濡れるのも雷鳴が急き立てるのも無視して、私は入谷邸のドアを殴るように叩いた。


「お姉ちゃん! 入谷礼華の墓は存在しない! やつは生きているんだ!」

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