怪盗紳士小池が盗む

「うん。完璧だ。これなら蟻一匹這い出る隙もない」

「主任、そりゃ入るのは簡単って事ですか?」

「ははは。そうだな。でもそれでいいんじゃないか? 簡単に入れて逃がさず一網打尽。そっちの方がいいだろう」

 そうですねぇ、と若い警備員は上司に笑って答える。

 ここは都内美術館。世界有数の財閥が運営する世界屈指の警備体制を持つ施設だ。

 この度外国から貴重な宝石を借り受け、展示する運びとなった。この宝石が他国で展示される事など稀な事だ。

 無論何かあれば国際問題になりかねない。

 だからこそ、ここに展示されている。

 ここならば問題ない。ここは日本で一番安全な場所なのだ。

 と新入りの警備員はホール中央のケースに収められた宝石『砂漠のバラ』を眺める。

「それにしてもよく出来てますねぇ……」

「一部では、今の技術で出来るわけない、あんな物は偽物だとか騒がれているがな」

「でも自然にできたものなんでしょう?」

「そうだ。発見時は表面がザラザラしていたが、今の3Dカッティング技術によって輝く宝石にカットされたんだ」

 へぇ、と若い警備員は嘆息する。

 難しい事は分からないが、目の前にある宝石がただのガラスではない事くらいは素人目にも分かる。

 そのくらい見る者を引き付けるだけの美しさがあった。

 若い警備員はしばし職務を忘れて魅入っていた。

「け、け、け、警備主任! た、た、た、大変です!」

 年配の警備員が血相を変えてホールに飛び込んで来た。

 何を慌てている、と差し出した紙切れを見て、主任の顔色も変わる。

「か、か、か、怪盗紳士!?」

 怪盗紳士? と若い警備員は首を傾げる。

「よりによってこの美術館に……。他にも美術館はあるだろうに」

「仕方ありません。テレビでも大々的に喧伝しましたからね……」

「くそぉ。ここ暫く大人しかったから油断していた」

「あ、あの……。その怪盗紳士ってのは?」

「ああ。お前は新入りだから知らないんだな。少し前にウチを騒がした怪盗だよ。どんな警備をもくぐり抜け、狙った獲物は必ず盗む。だが決して人を傷付けず、盗んだ物もきっちり返す事を信条としているふざけた野郎だ」

 若い警備員の疑問に声を荒らげて答える主任を、年配の警備員が声が大きいですと窘める。

「じゃあ警察に……」

「「それはダメだ!!」」

 新入りの言葉に主任達は声を揃えた。

「我々は警備のプロだぞ。警察に応援など頼めるか。それにまだ何も盗まれてないんだ」

「でも有名な怪盗なんでしょ? 指名手配されてるんじゃ……」

「言ったろう。奴は盗んだ物を後で返すんだよ」

 いや、それでも罪状はありそうな……と納得いかない素振りを見せるも、警備主任がそう言う以上引き下がるしかなかった。

「仕方ない。明日までに警備システムを総入れ替えだ」

「ええ!? ここの警備システムは世界屈指なのでは!?」

「それじゃあダメなんだよ怪盗紳士は……、下手をすれば俺の首が飛ぶ」

 一体どんな……、と若い警備員の顔が強張る。




 良い子が寝静まる頃、つまりそれほど深夜でもない時間。

 怪盗紳士の予告状に記された時間に後三十分ほどという頃。

 美術館の前を伸びる通りに人影が姿を現す。

 黒いマントに黒いシルクハット。

 ステッキを手にしたその人影は格好に似合わない四角い眼鏡をしている。

「さあ警備員の諸君。仕事ぶりを見せてもらおうかね」

 と呟くと大胆不適にも堂々と正面入り口へと向かって行く。

 入り口には物凄い数の警備員が配置されていた。

 正に蟻の這い出る隙間もない。

 シルクハットの男、怪盗紳士は散歩でもしているような何気ない足取りで警備員に近づく。

「やあ、こんばんは。随分物々しい警備だが、怪盗からの予告でもあったのかね?」

 警備員達は軒並み緊張を走らせ、素知らぬように言う。

「怪盗? さ、さあ何の事です? 我々はいつも通り警備をしているだけです」

 うむ、ご苦労さん、とシルクハットに軽く手をかけて挨拶を交わすと怪盗紳士は美術館の塀に沿って歩く。

「やれやれ。あんなに入り口に人を集中させるのは、それ以外が疎かになっていると言う事」

 怪盗紳士はマントの下から鉤爪の付いたロープを取り出す。

 それを振り回すと上に向かって放り、塀に引っ掻けた。

 ぐっ、とロープを握って塀を上る。

 だが足が滑り、手が滑り、なかなかうまくいかない。

 しばらくの間パントマイムのようにその場でクライミングを繰り返した。

 怪盗紳士は汗だくになりながら息を切らせる。

「こんな塀、昔は何でもなかったのに……もう歳かな」

 不意に下から持ち上げられるように体が軽くなると怪盗紳士は塀の上によじ登った。

 怪盗紳士はガサガサと影が動く塀の下を訝しげに振り返ったが、まあいいかと気にせず敷地内に飛び下りる。

 ズデン! と派手に着地に失敗すると見事に腰を打ち付けた。

 しばらく何も言わずにうずくまる。

 ようやく動けるようになると怪盗紳士は、何事なかったようにさっそうと建物に向かった。

 獲物は一階の大ホールにある。

 一階の窓をこじ開ければ早い。だが急がば回れという言葉もある。

 怪盗紳士は窓に歩み寄るとカタカタと窓を揺する。

 やはりしっかりと施錠してある。最短経路はガッチリ守るものだ。

 ダイヤモンドカッターで切るなんて事はしない。怪盗紳士は人を傷付けないだけではない。物も壊さず極めてスマートに獲物をさらうのだ。

 しかしどうしたものか……と周囲を窺うと横に足場が組んであるのが見えた。梯子は三階まで届いているようだ。

 工事中か、と怪盗紳士は梯子に手をかける。

 足場には関係者以外絶対登るな! と書かれていた。

 それで登らないとでも思ったのだろうか、と少し呆れ顔で梯子を登る。

 三階の窓の前に立つと、窓に手をかけた。

 怪盗紳士はニヤリと笑う。

 窓はいとも簡単に横にスライド。

 三階から人が入るはずはないという先入観からこういう隙が生まれるのだ。

 施錠係は毎日工事があるかどうかなど気にしない。運が悪かったな。だから常日頃から注意を怠ってはいかんのだ、と呟くと中に入る。

 中は当然明かりは点いていない。だが今夜は月明かりで明るい。

 月の光にしては少し明るすぎる廊下を怪盗紳士は歩く。

 だが突然、バツンという音と共に辺りが真っ暗になった。

 月が雲に隠れたか? と怪盗紳士は周囲を窺う。

 階下から怒鳴り声のようなものが聞こえた。警備の連中も月明かりを頼りに警備をしていたから慌てたのか?

 全く不甲斐ない、とぼやくと怪盗紳士はさっそうと歩き出す。

 怪盗紳士にも周りは見えていないが彼はプロフェッショナルなのだ。美術館の間取りは完璧に頭に入っている。こんなもの目をつむっていても……、

「ぐぎゃ~!!」

 怪盗紳士は階段を転がって落ちた。

 下まで落ちた所でぼふっと柔らかい感触に救われる。

 いつの間にかまた月明かりで照らされた踊り場を見ると布団が敷かれていた。

 壁には「床が割れているので保護してあります」と書いた紙が貼られている。

 階段にも転倒時に衝撃を緩和する緩衝材が設置されていた。

「やや。これは運が良かったな」

 バリアフリーがしっかりしている。

 さて、大ホールは二階吹き抜けだ。一階まで降りる必要はない。このままホールまで行こう、と二階の廊下を歩き出すと赤い線が走っているのが見えた。

 赤外線防犯装置か? と縦横無尽に走るレーザーを見る。

 くぐり抜ける隙間はなさそうだ。

 なかなかしっかりしているじゃないか、と少し感心して周囲をうろつく。

 大回りすればホールに行けない事もない。だがそっちにも防犯設備くらいはあるだろうし、この程度の仕掛に畏れをなしていたのでは怪盗紳士の名が廃る、と辺りを見渡す。

 すると廊下の天井近い所に小さな赤いランプが見えた。

 ほらやっぱり、と怪盗紳士はほくそ笑む。

 この手の仕掛には必ず電源がある。それを落としてしまえば近代設備もただのガラクタだ。

「文明に頼り過ぎなのだ」

 しかし手が届かないな。何かないか、と周囲を見回すと清掃箱が見えた。

 清掃箱を置いておく場所としては限りなく不自然なのだが怪盗紳士は気にせず中を開け、モップを取り出す。

 電源らしきボックスに向かってモップの先を伸ばした。

 どの辺にボタンがあるなどの当たりもなさそうに黒い箱をガチャガチャとつつく。

 うーん、と低めの身長の怪盗紳士は汗だくになって体を引きつらせた。

 うわっ!

 ガターンと派手な音立てて怪盗紳士は転倒した。

 木製のモップが転がる軽い音が廊下を反響する。

 しまった! 防犯装置の方へ倒れてしまった! と慌てて起き上がるが、赤いレーザーは全て消えていた。

 どうやら電源を切る事には成功していたらしい。

 ホッと息をついて立ち上がる。

 それにしてもあれだけ音を出したのに警備員の一人も駆け付けて来ないとは……。

 弛んどるなぁとぼやきつつ、そのお陰で助かったのも事実なのでそのまま歩を進める。

 ホールに近い廊下には非常灯の薄い明かりが点いていた。

 怪盗紳士はその中を来客者のようにステッキを振りながら歩く。


 薄暗い廊下の上に監視カメラが見える。

 一応ちゃんと警備体制を整えているようだと感心しつつ、怪盗紳士は壁に張り付き、カニ歩きで移動を始める。

「ふふふ。監視カメラというものは真下が死角なのだよ。こうしてカメラの下を移動すれば見つからない」

 そうしてカメラの下を通り過ぎるも、対岸に位置する天井にもカメラが設置されているのが見える。

「むむ。反対側にもカメラがあったか。互いに死角を補い合っているというわけだな」

 少し感心した様子を見せたが、怪盗紳士は落ち着いて懐から何かを取り出す。

 それをばさっと広げると目の前に掲げる。

 それは壁と同じ色をした布だった。

「明るい場所ならばお粗末だが、暗い場所では以外にも見えないものだよ」

 と得意げに監視カメラの仕掛けられた廊下を通り過ぎた。


 怪盗紳士は腕時計を見る。

 もたついてしまった為に予告時間を十分も過ぎてしまった。

 予告時間に遅刻するなど、怪盗紳士の名に恥ずべき行為……。

 しかしここまで来て止めるわけにもいかない、とホールに続く扉の前に立つ。

 鉄の扉を開けると、そこは広い空間。怪盗紳士は大ホールの二階の連絡通路から一階に並ぶ警備員達を見下ろした。

 警備員が現れた怪盗紳士を歓迎する。

「来やがったな、怪盗紳士! 今度こそ宝石は絶対に渡さんぞ!!」

 並ぶ警備員の中で一番偉い主任が叫んだ。

「それにしても毎回時間通りに現れるなんて、なんて大胆不適なんだ」

 警備員の一人の声に怪盗紳士は眉を上げ、ホールに設置された時計を見る。

 予告時間ピッタリだ。

 どうやら腕時計が進んでいたようだ。

 ラッキー、幸先がいいぞと怪盗紳士はマントをひらめかせる。

「はっはっは。警備員の諸君。お勤めごくろうさん。だがまだまだ警備が甘いな。私の足止めにもならなかったぞ」

「うぬぅ~、あれだけ厳重に警備をしたのに、おのれ怪盗紳士!」

 主任は大袈裟に悔しがり、皆「恐ろしい奴」と口々にこぼす。

 若い警備員は皆の様子に戸惑ったが、「とにかく捕まえなきゃ」と二階連絡通路へと続く階段へ走る。

 その足が何かに引っ掛かって躓いた。

「こら統率を見出すな。大人数が集まってるんだ。勝手に動くと互いにぶつかり合ってしまうぞ」

 なら始めから分散させれば……と納得のいかない様子だが、確かに人も多いので大人しく従った。

「ははははは。だが怪盗紳士! この人数が警備する中をどうやって盗むつもりかな?」

 確かにそうだ。見たところ怪盗紳士は小さな中年男。これだけの人数を倒せるとも思えない。一体どうするつもりなのか、と新入りも少し興味あり気に見守る。

 怪盗紳士はマントからオモチャのバズーカみたいな物を取り出した。

 あれを撃つのか!? と新入りを始め警備員達が動揺する。

 だが怪盗紳士は階下ではなく対面の壁に向かってバズーカを発射した。

 火薬ではなくスプリングのような音を立てて発射されたそれは対岸の壁に張り付く。

 張り付いたのは吸盤。そしてその間にはワイヤーが張られていた。

 怪盗紳士はバズーカを手摺りに固定。

 要は砂漠のバラの上に綱渡りのように綱が張られた。

 あれを渡るつもりか!? と地上は騒然となる。

 怪盗紳士はどよめくギャラリーに構わず綱を渡り始めた。

 両手でバランスを取りながらフラフラと覚束おぼつかない歩みで綱を渡る。

「あ、あぶない! 止めなさい!」

 主任は大慌てで怒鳴る。

 確かに落下して地面に血の花を咲かされては掃除が大変だ。警察も来て騒ぎになるだろう。

 公開も延期しなくてはならない。主任が慌てるのも当然だ、と若い警備員も続く。

 警備員達は一斉に喚きながら怪盗紳士の下に集まった。

「今の内に砂漠のバラを移動させて起きましょうか? ガラスケースの上に落ちても大変だし」

 新入りが気を利かせて進言する。

「バカモン! 獲物を移動させるなんてもっての外だ! お前には警備員としてのプライドがないのか。万一その上に落ちて来たらお前が体を張って守れ!」

 何を言ってるんだ? この人は……と新入りは呆れながらも少し離れて動向を見守った。

「ああっ!」

 一斉に上げられた声に上を見ると怪盗紳士が大きくバランスを崩している。

 右へ傾いては左手を回し、左へ傾いては右手を回し、を繰り返している。

 ありゃ落ちるな、と新入りは眺めていたが、漫画のように動く怪盗紳士は中々落ちない。結構粘っている。

 お? 落ちるか? ……堪えた。

 もうダメか? いや頑張るな。

 お? お? お? 頑張れ頑張れ、といつの間にか新入りは心の中で応援していた。

 しばらく綱の上で踊っていた怪盗紳士だが、やがて全員の「ああーっ」と言う声と共にゆっくりと傾いた。

 約五メートルの高さをゆっくりと落ちてくる小さな怪盗に、警備員達が下から亡者のように手を伸ばす。

 スローモーションのように見えるその光景を見ながら新入りは「なんだろうこれは」という顔をするしかなかった。

 怪盗紳士は群がる警備員に受け止められ、そのまま警備員達を押し潰す。

 警備員達は一斉に膝を折り、その場で崩れ落ち、互いにぶつかり合う。群がっていた警備員は全員衝撃波に弾かれるように押し倒された。

 ただ一人、遠巻きに眺めていた若い警備官はその光景を呆然と眺める。

 怪我人は? と常識的な事を考えていると一人立ち上がる者がいた。

 怪盗紳士である。

 ふーっ、と息を付いて汗を拭うと体の埃を払ってシルクハットを被り直した。

「うん。計画通りだ。うまくいった」

 その言葉に若い警備員は言葉を失う。

 怪盗紳士はそのまま倒れている警備員を踏み付けて、砂漠のバラが保管されるケースへと歩く。

 そしてケースに手をかけた。

 唖然としていた若い警備員も自分の職務を思い出す。

 しかし今怪盗紳士を捕まえる為には先輩達を踏み越えていかなくてはならない。どの道逃げられるとも思えないので出てくる所を押さえよう、と出口を塞ぐように移動した。

 それにしてもこんなキレイに全員気絶するものなのだろうか……、と倒れたまま動かない先輩達を見下ろす。

「うん。お宝ゲット!」

 と怪盗紳士は砂漠のバラを高く掲げ、ポーズを決める。

 出口に向かおうとした所で一斉に地面が動く。

「おのれ怪盗紳士め! よくも砂漠のバラを盗んだな! だがここからは逃がさんぞ!」

 おお、と若い警備員は嘆息する。やはり気絶したフリをして機会を窺っていたのか。そして自分も援護に回ろうと動く。

 怪盗紳士は大勢の警備員に取り囲まれる形になった。正に絶体絶命だ。

「はっはっは。甘いぞ警備員の諸君。この程度で私を捕まえたつもりか?」

 まだ何かやるつもりなのか? と警備員達が一斉に身構えると、怪盗紳士は懐から野球ボールくらいの玉を取り出した。

 それを地面目掛けて叩きつける。

 ぼふっ、と辺りに粉が舞った。

 煙玉!? と思ったが明らかにメリケン粉を袋に詰めただけの物だ。少し粉は舞ったが視界を塞ぐわけでもなければ呼吸に支障もない。

 だが警備員達は一斉にもがき苦しみ始めた。

「ぐわぁ~。苦しい~」

「目がぁ~。目がぁぁ、ああぁぁぁ!!」

 なんだ? と若い警備員は動揺する。

 一瞬自分も苦しんだ方がいいのかな? という気になったが、おそらく皆小麦粉アレルギーか何かなのだろう。

 怪盗紳士はそれを調べ上げて作戦を練ったのか。自分は新入りだからそれに漏れたんだな。ならばここは自分が何とかせねば、と果敢に怪盗紳士に挑む。

 だが突然横からしがみ付かれた。

「怪盗紳士め! ついに捕まえたぞぉ!」

 警備主任が若い警備員を抱くようにしがみ付いている。目を閉じている所を見ると誰だか分からず近くの者にしがみ付いたようだ。

 若い警備員は「僕です。しっかりしてください」と振りほどこうとするが放さない。軽く錯乱しているのか?

 その中を怪盗紳士は悠々と出口に向かって歩いていった。

 このままでは本当に盗まれてしまう。まるで茶番だった為にイマイチ危機感のなかった若い警備員にも焦りが見えた。

 こういう事なのか? ワザと馬鹿馬鹿しい手順を踏んで油断を誘っておいて盗みを成功させる。それが怪盗紳士の手口なのか?

 怪盗紳士は出口の前まで歩くと、ホール内を振り返る。

「これで私のミッションは終了だ。この砂漠のバラは他に類を見ない人類の宝。かような警備体制では簡単に盗まれてしまうぞ。皆もっと精進するように。もっともこの美術館から盗める者など私くらいのものだかな。では諸君ごきげんよう」

 と黒いマントを翻す。

「返すよ。これは皆の物だ。私はただ君達の怠慢を認識させる為にやっているのだからね。そら、受け取りたまえ」

 と言って怪盗紳士は砂漠のバラを高く放り投げた。

「わぁ~っ!!」

 っと一斉に警備員が砂漠のバラを受け止めようと殺到する。

 キズでもついたら大変だ。若い警備員もさすがにそれに習う。

 まるでラグビーの試合のように落ちてくる宝石に皆が手を伸ばした。

 スライディングするようにジャンプし、宝石に触れるがキャッチには至らずバウンドさせてまた空中へ。その後ろからまた手が伸び、同じように後ろへと流す。さながら砂浜を打つ波のように、伸ばされる手が次から次へと繰り出された。

 そして若い警備員の番となり、力一杯ジャンプする。手が届くか? という距離まで近づき、指が砂漠のバラに触れる。

 だが、同じようにキャッチできずに砂漠のバラは若い警備員の頭上を通り過ぎていった。

 若い警備員はそれを振り向くように目で追いながら、自分の後ろにはもう人はいなかったのではないか? という考えが脳裏をよぎった。

 だが後ろから人影か飛び出す。

 必死の形相をしたその人影は警備主任。

 警備主任は、しっかりと砂漠のバラをキャッチした。

 若い警備員は体を反転させ、先に落ちた先輩達の上に背中から落下しながら、警備主任の体を受け止める。

 警備員が全員一丸となって警備主任を、主任の持つ砂漠のバラを受け止めた。

 どどさっ、と折り重なった音が響き、時間が止まったような静寂が訪れる。

 沢山の警備員に支えられ、高く掲げた片手に砂漠のバラを持った警備主任は、まるで絵画のようだった。

 日本屈指の美術館の大ホールに人によって形作られた美術品を尻目に、怪盗紳士は高らかな笑い声を残して去って行く。

 警備員達は、しばらくそのままの形で固まっていた。

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