決戦(ティサ・ユージュ)8


『このお花の花言葉、知ってる? 「あなたに手を差し伸べる」って言うんだって』


 ――静かで、優しくて。

 いつか、とても遠い、とても、温かくて古い、もはや夢の中のような、そんな出来事の、記憶の断片――

 もう、いなくなってしまったあの人が教えてくれた、真っ赤な花弁を持った小さな花の、そんな、勇気を持った花言葉。


 ――どこかで嗅いだことのあるような、懐かしい、そんな匂いがした――



「…………!」

 ――俺は、まどろみの中から覚醒する。

 目を覚まして、そして首だけを起こそうとする……が、ほとんど動けない。

 恐らくそれほど時間は経っていない、未だあの、俺が繰り出した最大攻撃――『会えば終わり(フュラノーラ)』の影響で魔礎が振動……不安定さが増し熱を帯びているのか、冷気を帯びているのか、周囲の外気がそれぞれ混ざり合って、通常森の中では感じられないような不自然な風の流れを形作っている。

 この空間が、小さく揺らめいている。

「ふ、ふう……が、はあ……」

 喉から込みあがってきた血反吐を吐く。

 生きている、とりあえず、俺はまだ生きている。

『会えば終わり(フュラノーラ)』……俺の最大、最後の攻撃は、俺の魔力を枯渇寸前にまで消費させた……、そしてまた、周囲を巻き込む、自分自身をも巻き込む距離での大攻撃。

 死んでもおかしくなかった。

 普通なら死んでいる。今こうして命を繋げているのは、ただの――

「………………?」

 そして、俺は気づく。

 今、自分がいるこの場所が、見覚えのある、どこかで確実にかつて見た事のある、そんな光景だということに――

「あ…………」

 そして、それに気づくまでに、さして時間はかからなかった。


 ――ここは、だ。

 最初に、ヤユに連れられて来て、そして辺りを闊歩した、優しい赤で埋め尽くされる、『偉大なる赤(エンセンドフュー)』の視界一面に広がった花畑。

 この森において、もっともインパクトのある幻想的な情景のひとつ。

 太陽は……太陽の位置は、もう既に傾きを収束させつつあり、もはやその図体の半分以上を森の彼方の陰に隠し、身を落としかけている。

 夕刻、逢魔が時、残照、偉大なる赤(エンセンドフュー)……消えかけた陽光と揺れるエンセンドフューが、色が溶け合い混ざり合い、曖昧模糊な帯域を生み出し、そして俺はおそらくその中心付近で、仰向けに大の字になって、倒れ込んでいる。

(こんなところまで、飛ばされて、きたのか…………)

 ここから俺と怪物が戦闘を行っていた場所まで、相当どころではない距離があるはずだ。

(怪、物は…………)

 怪物は、どうなった。

 あの瞬間――

 俺の『会えば終わり(フュラノーラ)』と怪物の『亡者の手』がぶつかり合った瞬間、起きた衝撃――と同時に、俺の意識はもうブラックアウトしてしまっていた。

 それからどうなったのか……怪物は生きているのか死んでいるのか。今、どこにいるのか。何一つも分からない――見当もつかない。

 もし。

 もしもまだ五体満足で生きているのならば、俺にはもう打つ手が一切ない――誇張でも何でもなく、なにひとつも出来ない。完全なる終息。〝詰み〟だ。


(頼、む…………)


 ごふ、と、またもや鼻から、口から血反吐が、鮮血が流れ出る。俺の体の状態は――もはや、満身創痍を超えていた。

 左腕は焼失、右腕は動く……辛うじて動くが、肩の部分がひしゃげて抉れており、骨と筋線維がちらちらと、頭を起こした視界の隅に見え隠れするような、そんな状態。

 足は……足は見ていないが、もはや痛覚も麻痺してきていたが、この感じだと、右足は足首のあたりからどうやら無くなってしまっているらしい。そこからも、どくどくと心臓の鼓動音と同時にぴちゃぴちゃと血が流れ出ているような、そんな気配をひしひしと感じる。

 左足はあるにはあるが、恐らく砂利レベルにまで粉砕されていて骨は粉々になっている……とにかく、四肢を止血しないと本当にまずい。

 そして内臓……俺自身の内臓は、満遍なく損傷を受けているようで、さっきからどんどんどんどん熱を持ってきていて、もはやそれは熱苦しいほどで、心臓の鼓動音がうるさくて怒鳴りたくなるくらいのものだった。

 あばら骨も、他の骨も、折れているものより折れていないもののほうが少ない状態……体中から上げられている悲鳴、軋む音、それらが俺の命が未だどっちつかずの状態にあることをご丁寧に教えてくれる。

 視界は暗くなったり明るくなったり判然とせず、呼吸はただ乱れ続けるだけ。

「………………はあ、ぜっ…………」

 会えば終わり(フュラノーラ)…………、

 俺の持つ攻撃系の魔法の中でも、敵を屠るということに関しては唯一無二、絶対の威力を持つ最大の呪言。

 もしもアレを正面から受けて、今もなお残存人数が残っているならば、あの怪物は――、もう、もはや、俺のような非才の呪言遣いの手に負える段階をとっくに越えて――、

 そう。

 そう、敗北の二文字をわずかな希望的観測で打ち消そうとしていた、そんな、そんな現実逃避に身を任せて享受しようとしていた、そんな時だった――


「く、つ………………」

「………………、

「くつ、くつ…………」


 笑い声が。

 嗤い声が。

 哂い声が。

 笑い声が、嘲り笑うような、誹り笑うような、揺蕩い笑うような、そんな何度も何度も何度も聞いた、聞いてきた、聞き飽きた――

 そんな、黒き獣の笑い声が。

「――――」

 俺の真横からゆっくりと粘着質にこだましてくる。

「…………」

 俺は。

 視線をゆっくりとそちらに移し――そして、確かに、見た。また見たのだった。

 怪物が、そこにいて。

 そしてヤツもまた、捻じり飛んだ満身創痍の五体を抱えて、こちらの方にじりじりと這い寄ってくるのを。


「かい、ぶつ……………………」

「ふ、ふふ、ふ…………」


 怪物は。

 俺のあの技を喰らってなお、生存していた。

 そして俺は一歩も動けない、ヤツは這い寄ってくるほどの力を、体力を、残存人数

を、まだ、残している――


「あと、ひと、り………………………………」


 怪物が呟いた。

 また、呟いた。

 ひと、り……ひとり。

 一人だ。

 独りだ――残る、怪物の持ちうる人数ストック――残存人数は、あと、たったの一人、それだけ――

 あらゆる生物が通常そうであるように、命は一人、一体、一匹につき、ひとつだけ。その土俵へと、ここにきて、怪物はその領域、通常の状態へと引っ張り込まれた、そんな状態――だが――。

「…………く、そが…………」

 俺の方は。

 その、自身の持つたった一つの命を、もうすでに極限まですり減らしている。俺が出来る事は、もう、この状況においては、ただ座してその時を、ただ怪物に己の臓腑を食われ、食いちぎられ、舐られ、皮までをしゃぶりつくされるのを、ただ待つだけなのか――

「く、くつ…………」

 そして、怪物は。

 狂喜のような笑みを浮かべて、そしてゴキ、と何かを砕くような音――そんな奇妙な音を、その口元でさせた。

 ごきり、くちゃり、ごきり、こきり、と。

 ――見れば、怪物のボロ雑巾のようになっていた左手は、もはや完全に失われていて。

(……ああ、そういうこと、か…………)

 怪物は、まだ警戒している。

 あの一撃――俺が放った『会えば終わり(フュラノーラ)』を正面から受けたことで削られた奴の人数は、疑いようもなく甚大だ。

 たとえ『亡者の手』で相殺していたとしても――それでもなお、怪物の喉元に届く程度の余波を、それだけのダメージを与える事には、あの術は、とりあえず、どうやら成功していたらしい。

 そうして俺は当然として、ヤツもまた、あと一歩で己の命が潰えるという、恐らくヤツにとってはほとんど未知の領域だろう、そんな決死の水域へと足を踏み入れた、今はそういった段階――

 その死に際という状態を、死線上にいるという感覚を、俺は怪物よりも、より体験として経験値として経験則として、他にも実体験として知っている――

 ゆえに、それ自体に、知っているということがアドバンテージになり、初めてこの状態を体験する怪物は、その点で一歩、俺に後れを取っていて、不利になりうる、それがここでは勝敗を分ける重大な因子になりうるかもしれない――というヤツの直観か、憶測か。

 だから。

 ゆえに。

 この期に及んで、俺がまだ何か奥の手を隠している……たとえそうは見えなくても、そうでなかったとしても、万全を期す。

 

 そんな、これまでの戦いの中でも怪物が見せた知性――秩序なき暴力の中に見える、殺すことに対する冷徹さやその中に灯る暗い喜び……に近い感情を、ここにきてまたもやこいつは発揮してきたわけだ。

 怪物は、楽しんでいる。

 戦いを、争いを、しつこいほどに楽しんでいる。

 だから、強い。

 これほどまでに、規格外に、強い。

 バキ、バキ、バキ……と。そして怪物の口元から鳴っていた異音は止んだ。準備が、どうやら奴にとっても俺にとってもまた、本当に、真の意味で最終最期になる攻撃――あるいは攻防の、準備が、出来てしまったらしい。


「は、はははふふはは………………」


 ――――そう、『指』だ。

 怪物がしていたことは――自分自身の指を、鋭く尖ったその強靭な指を、口内にてかみ砕く作業――、そして選び抜かれた一本の人差し指――だろうか、中でも最も先鋭化して硬質化しているであろう、一指を。

「あふふ、ふ…………」

 奴は子供のように無邪気に、舌の上で転がし――さながら、飴でも舐めているかのように、こちらに見せつけてくる。

 そしてその指は、巻き取るように、舌をバネのように渾身の力を入れて引き込まれるように、また、怪物の口内へと消えて、ころころと、見えなくなる――、

「て、め、え……………………」

 成すすべはない。

 俺はただ――その成り行きを、自分のことでありながらこれから行われる怪物の、その攻撃を――ただ、無抵抗に俯瞰、傍観するように、ただ受け入れる事しかできない。


 もう、終わり、だ。

 終結。

 終末。


 ――怪物の口元が歪んで、油断で、そして真横に際限なく開かれて開かれて。

 怪物は声を発しない。

 音を発しない。

 俺も――、俺も、なにも、何を言う事も、口を動かすことも、呪言を扱う事も、もはや、一言も、出来は……。

 世界が静寂に包まれて、エンセンドフューの花びらすらも、完全に静止、何もかもが色を失い停滞していくように思えた、そんな濃厚な灰色の時の中で。

半身を起こして向かい合う、俺と怪物。

 ひゅ、と。

 そうして――、その、確実な死を運んでくる極黒の指牙は、俺の方を――正確に、その心臓部分をめがけて、直線――直線、平行に平行に、加速をして、こちらへと、こちらへと――

 不可逆に、ただまっすぐに。


 身じろぎすら出来ない俺の、鼓動を止めるべく、胸部分に達して、そして皮膚を、骨を、肉を貫いて――貫いて――




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