決戦(ティサ・ユージュ)6

 

 ヤユ――ヤユ・ヒミサキという孤独な少女は、ずっと苦しんでいた。

 呪い――『万死の呪い』に罹ってしまったその日から。

 殺したくないものを殺し続け、死なせたくないものを死なせ続け。

 そして、もっとも死にたがっている自分自身は、何をどうしても、決して死ぬことは叶わない。そんな、永遠の責め苦の中で――ずっと、苦しんでいた。

 永劫にも等しい檻の中で、ずっと一人、たった独りで……。

 何人も、何人も、何人も、数えきれないほどの死をその身にまとって、なお、正気を保ったまま、そのままの姿で。

「はあ、はあ………………ぐっ…………」

 この怪物は、この強大な敵は、その悪意の根源――まさにその死という特質を体現した、俺が今ここで倒さなくてはならない、絶対に終わらせなくてはならない、そんな存在。

 でなければ。

 ――。


「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」


 魔力、体力の残量を鑑みて、この時点で唯一張れる防御機構は、一枚掛けの空気の鎧のみ。俺は木漏れ日が幻想的な情景を描く、そんな牧歌的な森の中を走る、走る、走る、走る――全力で駆け抜けていく。

 そして背後からはいくつかの笑い声、その先頭に位置するのは以前俺がこの森の中で遭遇、そして叩きのめした――

「うふはあはははっははは」

 オオカミのような魔獣だ。

 ただし、すでに事切れていて命はないが。


(これも、怪物の魔術か………………!)

 上、

下、  左、

右、右下、     下


 魔獣が飛び掛かってくる、そして暴風のような連続攻撃を仕掛けてくるところを、すんでのところで躱して、俺は疾走を続ける。

 恐らく、『暗黒』解除直後、俺が怪物を見失ったしばらくの、あの空白の時間――

 そのわずかな時間で怪物はこの魔獣を縊り殺し頭部がねじ切れる直前のような状態にまでして、そして己の魔術――(推定、死体を己の意のままに自由に動かして操るという能力)を遣って死体人形を作って見せた。

 そして。

「ひとり、ふたり、ろくにん…………」

 はるか後方から怪物の声が響き渡ってくる。

 そう、俺を追走しているのはこの魔獣だけではない、

 鹿、野鳥、大型の猫科、霊長類その他……この森に住む魔獣でも魔物でもない、そんなただの変哲もない動物らまでもを俺を追う道すがら殺戮し、そして魔術……死体で遊ぶ魔術『死遊』によって、本来の性質とはまったく別の、ただ俺に致命傷を与えるべく行動原理だけを設定された非生物へと変貌を遂げさせ、怪物は楽し気に俺を追いかけている。

 まるで子供の、追いかけっこのようなつもりなのだろうか。

 楽しげな、そんな奇声が時折怪物のものとも動物のものとも分からず、響き渡る。

 響き渡ってくる。


(すべて、分かったぞ…………)


 怪物の本質。

 この怪物の振るう力は、すべて死の延長線上にあり、すべて生死という概念と紐づけられていて、そしてヤツの扱う魔術もまた、その領分の外を出るものではなく、これらの現象と密接に絡み合っている。

 上、左、

右下

 すさまじい速度で鳥の嘴が俺の頭があった場所を通り過ぎていった――、そして寸分完璧なタイミングでどこからか小石――怪物の投げたものではない、投擲力の高い霊長類の投げたものだろう、それが俺の右脇をかすめて押し倒された古木に突き刺さった。

 そして魔獣の振り下ろした左腕が、俺の右足のほんの指二本分あたり後ろを深々と抉る。

「く、そ…………!」

 恐らく、元々の膂力よりも『死遊』によって更に強化されている――かなり厄介だ。数という点で、もしかしたら怪物の直接攻撃よりもよけづらいかも知れない。これに怪物が加わってきたら、俺は詰む。

 ヤツがその殺戮の隊列をただ愚直にふざけて増やし続けているのは、やはり――、ことなのだろうか――。

 左上、右、         下、

、右

(まずい、まずい、まずい…………‼)

 怪物は。

 怪物の本質は。


 ――そうだ、。それがこの怪物の魔術の根源であり、力の源流そのもの、それ自体はもう間違いないと見ていい。

 ヤユの体に憑りつき、この怪物はこれまで数多の――それこそ、数えきれない数の人間を殺し続けてきた。

 そしてヤユ自身にも死を強制することで――、彼女の命をも数えきれないほどに奪って、踏みつけ、蹂躙を繰り返してきた。

 それが、この怪物の、力。

 殺してきた者たち、その残留思念? あるいは食いつくしてきた命そのものか――それを、魔法でいう魔力のような、術を扱うための〝力〟として、その人柱として、〝人数〟として消費して、使用している――。

 俺の攻撃威力によって、絶命からの復帰時にその人数の多寡が変わったのも。

 奴がさきほどの『暗黒』中に常時〝ひとり〟をカウントし続けていたのも。

 そして今この追走劇の最中、背後から断続的に〝人数〟が笑い声と共に歌われ続けているのも。

 すべて。

 この怪物の――救いようのない特性、呪いによるもの。


「ふざ、けるな………………」


 大きな攻撃を受けて死ねば当然修復には同等の〝人数〟を消費する必要があり、大きな魔術を遣うのもそれを維持するのも同様、それを発動させるためにはそれ相応の〝人数〟を常に使い捨て、消費し続ける必要がある……

 これが答え。

 そしてこの怪物の正体。

 右、左、下

、右上、下

「…………ごぼっ」

 まずい、とてつもなくまずい。

 俺の左腕から容赦なく流れ落ちる鮮血、呪言による補助もほとんどない状態での足場の絶望的に悪いこの獣道の全力疾走、そして返す返す、代わる代わる波状攻撃のように仕掛けられる『死遊』による魔獣と動物らの、命を奪うためだけに先鋭化した無駄のない連携。

「くすくすくすくす…………」

 そして怪物の笑い声が響き渡ってくる。つい数刻前よりも明らかに大きく、そして明白に距離を詰めてきているのだろう、そんな抑揚を伴って。

「……………………」

 体力は、ほとんどない。

 魔力は……まだ、ある。

 激痛で昏倒しそうになるところを、今一度、今度は傷口に右手の指を突っ込んでかき回すことで正気を保つ。

 俺は半ば叫びながら森の中を疾走していた。


「――――」


 怪物の、くそったれな異能。

 

 俺が取れる選択肢は、この能力を攻略して、そして怪物を完全に終わらせることを目的とした、それだけを考えたものに集約される。

 やっぱり、無限ではなかった。

 怪物は、終わらせることが出来る――その残存人数……これまでに殺してきた死なせてきたぶんの全ての人数を怪物に使い切らせれば。

 そのストックを完全にゼロにしてやれば。

 怪物は終わる、怪物を倒せる、怪物は死ぬ。

 しかし――、

は、どれほどのものだ…………?)


 左、

右、下、右 下、上


 怪物はいつか死ぬ。このままヤツの持っている人数を消費させ続ければ、いつかはそれが潰えて――しかしそれが。

 俺の及びもつかないような莫大な人数だった場合、どうする?

 その場合、少しずつ敵の体力を削っていくようなヒットアンドアウェイ……の戦法では、俺の体力の方が先に持たない。

 ――はっきり言って、瀕死だ。

 俺は今生死の境目、その綱の上――、ただの一手誤れば、俺は地面に倒れ伏し、魔獣、動物、そして怪物に食い荒らされる運命にあることは、火を見るよりも明らかなのだ。

 限界が近い。

 加えて大量の出血も、その制限時間をさらに短く、短く、無慈悲に縮めていってくれる――よもや、熟考している猶予すらも許されない段階に、既に片足どころか全身どっぷりと呼吸の出来ないまでに浸かっている状態。

 戦闘継続可能時間は、あと、ほんの少し。

「ああ……ぐ、くそ……‼」

 ――それならば。

 結局どれだけ戦っても、どれだけ戦略を練っても、最後の最後は賭けに近い形になってしまった、が――

 ゲームのテーブルには必ず着かせてやる。


 、だ。


 俺の全身全霊を込めた、俺の持ちうる全ての魔力を込めた、俺が放てる呪言の中で、敵を屠るということに関してならば、他に比肩するもののない、絶対的で不可逆的な、他の持ちうるあらゆる呪言を持ってして、それを全て足したとしても単純な威力としては届かない――唯一無二の。そんな攻撃を、俺は怪物に直接当ててやる。

 そして、それだけですべてを終わらせる。

 怪物の残存人数が、俺の最大攻撃を上回るか――、それとも、俺のすべてを賭けた全霊の大魔法はヤツのすべてを貫いて見せるか。

 これは、賭けだ。

 もし俺が〝あれ〟を放って、それでもなお怪物が立っていたらその時は――、

 俺の旅はここで終わる。

 ヤユの、人としての人生も。

 何もかも、すべて。

 最初からそこには何もなかったかのように、跡形もなく。

 霧散する。

 そんな。

 そんな。

 ――

 これは、耐える戦いだ。

 華麗じゃなくてもいい、玲瓏でなくてもいい。

 どれだけ醜くても、どれだけ情けなくても、どれだけ弱弱しくても。

 それでも、絶対に屈しない戦い。

 耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐え続けて。

 その先にある一筋の光を仰ぎ見るような、そんな、あまりにも苦しくて切ない、そんな戦いだ。

 ――「……支配、見えざる王、双頭の夜、欠損した遺恨(ユオアード・レプオルス・ニドリッド・ラキシス)……」

 俺は走りながら、敵の攻撃をすんでのところで避けながら、その呪言を練り始める。

 これは本来、瀕死の状態で練っていける種類の呪言ではなく、そもそも尋常の相手に使う事を前提として作ったものですらなかった。

 だが。

 今の相手もまた、尋常のものではない――その確証は、もう既に飽きつくすほどに味わい尽くした。

 だから、躊躇はない、必ずこの攻撃を、あの怪物に余すことなく喰らわせつくして見せる。

 それだけが、死中の活路――

「…………⁉」

 そして、その最大攻撃を内包する呪言がその成立まで半分に差し掛かってきただろう、まさにその時――怪物が俺に追いついた。

「あ、は…………」

 ヤツが放ったのは。


 別種の――また、新たに見せる、死にまつわる魔術。




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