決戦(ティサ・ユージュ)5


 ――人が、最もその奥底に眠る力を発揮するのは、はたしてどんな時だろう。

 先の大戦――270年前の人間と魔物とのかつてない規模の戦いにおいて、最も戦果を上げたと言われる一人の人間は、そんな他愛のない、陳腐な疑問に対しての一考以上の答えをただ、その身をもって提示してみせた、そんな事例の代行者である。


『魔導 ロージロージャー』。


 彼は突如歴史の表舞台に現れて、そして大戦を最終盤まで戦い抜き、そして最後の魔物――魔女を打ち倒したところで――誰にも看取られることなく、その仇敵の亡骸と共に絶命した。

 後の戦史研究家は口を揃えて語る。

「もしロージャーがいなければ大戦の結果は違っていただろう」と。

 ――記録によればロージャーは決して裕福ではない村に生を受け、日々農耕にいそしみ、そして故郷の文学をたしなむ、ごく普通の青年だった。

 しかしその安穏とした日常は、異常発生した魔獣、それを率いる魔物の戯れによって終わりを告げる。村は一晩にしてその面影すらなく、老若男女問わず犯され、殺され、蹂躙され、全ては朽ち、壊れ、崩れ……その日ロージャーはたまたま村を出ていて生き残った。

 

 そこからの数十年間の彼の足跡は分からない。次に彼が現れた時は大戦が本格化し、いよいよ全てを終わらせる戦いが始まる前夜のことだったのだから。

 ……ロージャーは特別な血統や天啓、天から与えられた才覚があったのではない。それは後の歴史家の調べで、完全に判明していることだ。

 しかし大戦に現れた彼は、その凄まじい、当代の英雄たちに並び立つであろうと推定される研ぎ澄まされた魔力と、ありとあらゆる呪言を理解し、的確に遣いこなす練度と、そして鬼気迫る精神力を持って、数々の名を持つ魔物の討伐戦に参加し、そして最後の戦いでは単騎において――大戦の根源、『不遠の魔女 フォルナサ・タクトビナ』を打ち倒して見せた。

 かつて、なにも持たなかった普通の青年が、である。

 ロージャーが消えていた数十年、彼が何を考え、何を体験し、何を得てきたのか。その変遷は今となっては誰にも分からないことではあるが――ひとつだけ言える事は。

 当時ありふれたような、そんな不幸が、彼を変えた。

 故郷を想う気持ちが。その故郷を滅ぼした魔物を、魔獣を強く強く憎む気持ちが。そんなことを二度と繰り返させないという強い意志が。

 大切なものを失ったことが――彼を世界を救うに至らしめた。

 人は、大切ななにかのために戦う時、もっとも強くなれるのではないだろうか。

 そんなが、現実味を持って今、この俺の脳裏をかすめ、どこかへと吹き飛んでいき――、


「……………………!」


 俺は片腕を完全に――した。

 左腕を跡形もなく失った。

 ブスブスと焦げ臭い、形容しがたい最低の匂いがあたりに充満し――、

 ドッ、と。

 とてつもない爆音がして、周囲が黒から白――まばゆさを超えた無数の閃光に包まれていく。そして衝撃波の塊が俺の全身を強かに打ち付け、俺は上空へと上昇、上昇――そして『暗黒』のカーテンを突き破り、視界は緑と青、天井知らずの空と果てなく続く森へと舞い戻る――


「が、ああ…………‼」


 両手に穴が開いたどころの痛さではない、生涯でも数番手に位置するほどの、ありえないほどの甚大な痛み。

 意識が即座に墜ちそうになるのを、思い切り舌を噛んで血を吐きだしながら正気を取り戻す。

 バタバタと焼け焦げた服をはためかせながら、俺は中空――本日二度目だ、空を高く高く飛ばされて、着地点を探している。怪物は――怪物は見当たらない。恐らく俺のように縦ではなく横に吹き飛んだのだろう。俺の視界の半径のどこかにそれなりのダメージを受けた上で存在しているはずだ。


「………………」


 眼下には巨大な陥没穴、火山の噴火口のような大穴が出来ている。

 俺がさきほど大量の魔力を消費して使用した呪言「漂い遷ろう走狗の軋み(イザルカス・ユヴォレーテ)」は巨大な爆発を――空気中に漂う塵に加え、魔礎そのものを加速させ膨張させ、その威力を上乗せして底上げして火力最大の火系統の呪言を着火剤として暴発させる――、そんな秩序のない、俺が昔、ある呪言遣いの呪言を参考にして練り上げたオリジナルのものだ。俺が遣える呪言の中で、五本指に入る威力を持つ。

 そして最も短い時間で詠唱できる。

 しかし俺もこのように――特に俺を中心に使ったなら甚大な被害を被る、諸刃の剣どころではない、もはや捨て身に近い大技だった。

 こうでもしなければ、あの暗闇――怪物の『暗黒』を脱出することは出来なかっただろう。

 なぜなら。


「…………似てる、な…………」


 眼下で怪物の『暗黒』が崩壊し、解除されていく。

 それは俺がつい先刻、怪物の周りを覆うように膜のように球状に放ってそして死角なしで全身を突き刺した土系統応用の呪言に近似していた。

 ただし、その射程範囲は馬鹿馬鹿しいほどに広い。俺はずっと、このドーム状の暗闇の具現化のような膜に囲まれて、その中で怪物と戦っていたということか。

 とてつもなく厄介な魔術だった。次もし同じ技を仕掛けてくるようなら、もっと効率的な対処方法を今からでもフル回転でシミュレートしておかなくてはならない――

 と。

 怪物を見つけた。

 怪物は俺からさして離れていない、地面に倒れ伏してしかし顔だけはこちらを向いて心底おかしそうに笑っている――不快な表情だった。

 ダメージは、五体がボロボロになる程度には受けてくれていたようだが――それも、今まさに超速で修復中といった様子で、ウジュウジュと結合音を響かせながら、もはやその大半は完治しているように目視できる。


「あは……、はち、じゅう…………に……」


 はちじゅう。

 八十。

 これまでにない大きな数字――それを聞いて、俺の疑念は微かなものから、不確かだったものから、少しずつ、少しずつ実体を伴って明確なアンサーとしてその像を明らかにしていく。

「こいつ、…………はあ、はあ……ごほっ…………」

 俺は怪物から、お互いをお互いに視認できる、そしてその気になって加速すれば近接に一秒もかからないだろう、その程度の距離に降り立ち、そして怪物の様子を今一度観察する。

 ここから先は、本当の意味での一挙手一投足が勝敗を分ける。その直感が、かつてないほどの高まりを見せて、自覚として俺の脳内に警告を発し続ける。

「ふ、ふふふふふ……は……」

 もう〝ひとり〟というしつこいまでの人数カウントは止んでいる。怪物の『暗黒』解除と同時にそれが止んだことを、俺は爆発の刹那の時に確かに聞いていた。


(落ち着け……考えろ…………)


 思考がまとまりにくい。血を失い過ぎている。俺が継続して戦える時間は間違いなく、それほどもう多くはない。

 だからこそ、次の一手を絶対に誤らないように、怪物が気まぐれで自身の状態に満足し、こちらに向かってくるまでの貴重な時間を、すべて、これまでのヒントから、この怪物の本質を見極めるための思考に費やせ。

 俺なら出来るはずだ。


「……………………」


 そうだ――そうだ。

 やっぱり、最初から違和感はあった。

 思えば、この怪物の呪いは、「死」を連想させるものが多い。ヤユに強制的に命を絶たせるということ、その意味。

 怪物になったあと、周囲を殺しつくすまで止まらない、その行動原理。

 徐々にヤユを、彼女に対して己を殺す行為に差し向ける――死という事象を強制する頻度が上がっていき、同時に呪いの力もまた、強まっていったというそのメカニズム、理屈。

 億死の女王。

「………………………………」

 例えばだ。

 俺が今こうして――、魔力を遣い続けることによって、魔力はどんどん目減りしていき、そしてやがてあらゆる呪言を遣えなくなる瞬間は必ずくるわけで。

 それが魔力総量という概念だし、そうなると俺は気を失って戦闘不能――魔力をすべて使いつくすということは、己の中にある使用可能なエネルギーを全て出し切るということだから、生命維持にギリギリの範囲で、それはもうじき訪れる。

 つまり消費だ。

 呪言遣いは魔法を遣う時、常に魔力を消費し続ける――それはあらゆる事象の前面に立つ、絶対不変の大原則。

 この世に無限は、存在しないし存在してはいけない。

 かの『蒼き雲海のボンボルト』だって、それは一見無数に思えても、魔力総量の底自体は、確かにあったはずなのだ。

 それが真理。

 だったら。

 ――魔術という力を遣う、魔物や魔獣、そして一部の呪い持ちは、果たして、その強大な能力をふるっているのか。

 呪いは魔法とは違う。

 その理屈に不明なところがあまりにも多く、上位の存在になればなるほど、その根底は隠されて、どのような仕組みでそれが起こるのか、それは判然とせず理解不能の領域へと陥っていく。だが、魔法と呪いは違っていたとしても、その根源に流れる流れは同様の、奇怪なるものということに変わりはない。

 必ず答えはあるはずなのだ、例えば呪いにしたって、それを終わらせる方法が宿主の死以外にも、呪いそのものを凌駕する、という一手が存在しているように、

 つまり。

 この怪物も、何らかの――それが魔法のように、魔力という概念ではなかったとしても。

 その死からの回生能力、そして先ほどに見せた『暗黒』の力のように……


「やっぱり、か」


 思えば。

 俺の攻撃が大きければ大きいほど、その威力が高まれば高まるほど、怪物に与える外傷が大きければ大きいほど。

 怪物の呟く〝人数〟はその数値を比例して大きくしていった――

 思えば。

『暗黒』の力を遣っている最中、常に怪物が「ひとり」と呟き続けていたのは、それはまさにあの時、現在進行形で、「それ」を消費し続けていたから、だからじゃないのか――

 それならば。

 もはや思考を継続するまでもなく、この謎はようやく解き明かされる。

 それがこの怪物の、呪いの本質――そして。

 言葉を濁すのはやめるべきだ。

 俺はそれを正面から受け止めて、その上でこいつを掛け値なしに上回らなければならない。

 凌駕して、打倒しなくては――

 それが、せめてもの、この終わらないお伽話を終わらせるための、正しさだと信じたいから。

 この怪物の、その力の本質は。

「あは、はははははははっははくくくくくく…………………………」

 俺は張り巡らした思考に決着を着け、怪物を今一度睨みつける。

 対し、怪物は呆けたような顔で、静かに、静かに、これまでになく静かに、可笑しいのをこらえているかのような笑い方で、ヤツもまた、こちらを見つめ返してきた。

 俺は。

 俺は――

「あは…………………………」

 刹那の時だった。

 俺の正面からではない、背後からだ。背後からまた、今度は聞き覚えのない――しかし怪物によく似た抑揚の、笑い声がかすかに聞こえたのは。

「な………………‼」

 振り向くと同時、俺の視界に飛び込んできたのは。

 真っ赤な真っ赤な――、


 全てを呑み込む魔獣の大口だった。

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