決戦(ティサ・ユージュ)4
――魔法の力、すなわち魔力の量には限界がある。
呪言遣いの放つ呪言というものは、世界に、見えるもの見えないもの関係なく呪いに関わるもの以外の、ありとあらゆるものに内在しているとされている魔礎、それに言葉を放ち、訴えかけ、頼み事――あるいは命令のように、自身の望む意思を下すことで、それが実体を伴い現実に形として顕現して、世界に影響を及ぼす現象そのものとなる。
それが、炎や水……風の流れや大地をも動かす呪言の源であり、最小の単位だ。
魔力総量。
魔法を起こすための魔力は、元々己自身の体の中に含まれる魔力――才能と言い換えてもいいかもしれない。
そして、後天的なもの。魔礎というものに恒常的に触れてそれを術として使用し続ける事、もしくは継続的な鍛錬によって徐々に徐々に膨れ上がっていく、才能以外の要素での増大値。もっともこちらも――、いつかはこれ以上その体に入りきらない魔力量に限界は訪れるわけで、最後はその人間の生まれ持つ許容範囲、結局は才覚に委ねられてしまう、それが如何に魔法を何度放てるか、どれほどの規模の魔法を扱えるかの基準となる魔力の量、という概念になるわけだが――。
――例えば。
この国、長い歴史を持つウェオン王国における大英雄の一人。
かつて人と魔物との大戦において『盲魔 ジェンデルド・エフォバンダー』を打倒した『蒼き雲海のボンボルト』ならば。
彼の魔力総量は底知れないものだったという。
『天をも下ろす』とさえ異名を取ったボンボルトの最大攻撃は、空一面に形作った雲海から叩き落される規格外の氷塊。
その氷塊は大地を穿ち、今は他国で彼の名を冠した広大な湖になっているらしいが――それを頭上から叩き落とされ、同時に『老雷のフォーゼン』『泥越えのベイジャル』から挟撃を受けたエフォバンダーは、とうとうその身を打ち崩したそうだが。
彼ほどの――彼の小指程度の魔力総量が、せめて俺にあれば。
この状況を打開する大技を放つ手段は三つほど残されていた。そのうちの二つは恐らく無傷で怪物からの猛攻を回避できる、そういうたぐいのもの――しかし、それはどうやら叶いそうになかった。
俺の魔力総量は、彼ら伝説の中の住人には遠く遠く及ばない。
だから、知恵を振り絞るしかないのだ。
ありとあらゆる、これまでに得てきた全ての知識と技術と魔法を総動員して、今この場でもっとも最適解に近い選択肢を取り続けるしか、この先に活路はない。
この状況を打破して――なおも戦い続けるためには。
己の限界は、俺がよく分かっている。
あとどれほど全力で戦い続けられるのかも、嫌というほどひしひしと感じ取っている――、つまるところ。
例えこの肢体が――すべて四散しようとも、頭が付いていれば、まだ俺は生きているし、反撃の余地は、口撃の余地は残されている。
どうやら、それくらいの覚悟が必要な局面だった。
「ひと、り……………………」
「…………」
「ひとり、ひとり「ひとり…………「ひとり「ひと、り……ひ、とり「ひとりひとりひとり……「ひと「ひ、とり……ひ「ひとひとひと「ひとり…………「ひ……と「とひ、ひとりひとと……「ひと、ひととり…………「ひ、ひ、ひとと……」
四面楚歌。
そのような錯覚を覚えるほど、四方八方から怪物の不快な声がこだまして、反響して、流れて、辺りをぐるりと回って、強まって、弱まって、いつまでもいつまでも続いているかのような、恐らく周囲の世界が完全に『暗黒』に閉ざされているからだろう、それも相まって時間そのものがひどく引き伸ばされていくかのような――そんな味わったことのないような違和感が、俺の五感を支配していく。
ひとり。
一人、だ。
今度は途切れなく、途切れなく、怪物の声が一人、という人数を執拗に言い続け、俺の思考を逆撫でしていく。
間断なく、執拗に。
「…………」
意味はある。考えるんだ、絶対に思考を止めるな、そしてその間――
怪物にやられるわけにはいかない。
そう思った瞬間、俺の眼前に生温い風――と考えるよりも俺の反応が早かった。身を思い切り低くすると同時、俺の頭上を通り過ぎていくのは死を体現した恐らくは爪先だろう、風切り音が耳元で絡み着くように響き渡る。
「くす、くすくすくす……ひと、り………………」
「塞がれた不知の亡国(コガクトス・フラインデイン)」
そして同時に俺は呪言を発動、周囲に己の知覚を助ける空気の流れを張り巡らせる。
そして。
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
防御を最小限に抑えた「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」の三枚掛けだ。
もちろん可能ならば限界の十枚掛けをしたいところ――戦闘当初ならそれも出来なくはなかったが。この呪言は魔力をふんだんに使う。空気の鎧を維持し続けるのは、この極限状態ではかなり危うい、しんどい消費の仕方である。
残念だが。
この視界が閉ざされた状況において、なおかつ防御を弱めざるをえない事態、自身の魔力総量の低さに辟易――、したいところだが。
収穫もある。
この『暗黒』は、俺の呪言自体を制限するものでは恐らくない、ということ。
怪物の放ったこの〝魔術〟は視覚の完全阻止や、周囲から響き渡ってくる無数の反響する声から判断して、聴覚の指向性を狂わせて、自身の位置を相手に悟らせず、一方的に攻撃を放ってくるような、そういう種類の能力ではないかと推測が立てられたこと。
となると。
魔法は通常通りに使用可能……このわずか指先ほども先が一切見えない空間において、怪物が正確無比極まりなく俺を狙い撃ちにできるのは、怪物自体の感覚器官が並外れて優れているから、と。
あるいは自身の魔術だから例えば怪物にはこの暗闇は無効で、ヤツの方は通常通りにこちらが見えている、と、そういうことなのだろうか。
そんな単純なことなのだろうか――と疑問を持てた事。
これが大きな収穫だった。
ゆえに。
暗闇の中で一点、浮かび上がるその白い点…………ふらふらと頼りなく揺れるそれが何なのか、俺はすんでのところで気づき、その不意打ちの頂点のような攻撃を、辛うじてまたもや躱すことが出来たのだから。
「ひとり…………」
「ぐ…………⁉」
それは。
その宙に浮かぶ白い点は、怪物の〝目〟だった――時々まばたきをして、そしてこちらを見つめてはまた閉じて、そして今度は違う場所に現れてを繰り返している――
怪物の攻撃が来るのは、その白い目が開眼している時だけだ。
(そういう、ことか…………!)
体重を乗せて、破壊力を完膚なく底上げした一撃を放つには、怪物よりはるかに小さい俺の体の位置を正確に把握していなくてはならない。この『暗黒』は確かに手ごわいが、本来なら不利に働くであろう体格差は、今は俺の有利に働いている。
(とりあえず、これで即死はない…………!)
怪物とて、この暗闇の中では視界はまったくない、ということが分かった。
怪物は、これほどの闇の中でならば、確実に俺の居場所を掴める感覚器官を持っているわけではない事が分かった。
そして『暗黒』――それすらも貫通して唯一見通せるのが、その第三の――真っ白い瞳だけ、ということも。
それゆえにその白い瞳は怪物の位置を俺に知らせてくれる厄除けになるということ。
そして怪物はまだ、俺がその白い目に気づいたということに、十中八九気づいていない事―――そして。
左、右、下、
左上、 右上、
上、 右
俺は避ける。怪物の猛攻を避ける。
「塞がれた不知の亡国(コガクトス・フラインデイン)」の補助を受けながら、四方から来る刃のような一閃を辛うじて捌ききる。
瞳は閉じて開いてを繰り返し、常に高速で動き回っているが。
これだけの条件が揃っているならば、相手の動きを捉えて最大のカウンターを合わせる事も、それほど難しいことではない。
「…………!」
怪物がやってきた。左斜め前から直線的な動き。俺はそれを視界の端に捉えつつ、顔は別方向を向いて油断を誘う。
足音が辺り一面から無数に響き、そこに笑い声、そして先ほどからもずっと語り掛けられている「ひとり」という言葉の不協和音。
そして怪物は高く飛び……俺の頭上から恐らく振り落ろすような飛び掛かるような攻撃を仕掛けてくる、それが白目の軌道からも分かった――
ここで。
「睥睨する直射の鐘(ロートデクト・ツォルト)」
両手を交差して、白目すなわち顔面部分に狙いを定め、浴びせるのは炎を練り上げた光の一筋――
が。
「………………‼ な………………」
その瞬間、俺は吹き飛ばされていた――上からではない。真正面からの攻撃によって。
「ぐう、が、は……………………」
まともに。
まともに怪物の攻撃を、真正面から、ほとんどノーガードで食らった。
それは当然のように「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」三枚掛けをすべて貫通し、俺自身の肉体に届き――、
もし、手を交差する技を使用していなかったら。
胴体に届き、内臓に達していただろう、その程度の威力は優にある一撃が、俺の両手のひらに穴を開け、腹の肉を少しばかり掘り進んだ――打突だ。
怪物は俺にその大きな爪を突き刺してきて――そして、それをすぐに抜いて。高らかに笑った。
「あははははははははははははっはははあはは」
「が、は…………‼」
衝撃。
後方に吹き飛ばされ、そのままゴロゴロと転がり、想像を絶する痛覚にのたうち回る……それも刹那のこと、俺は辛うじて立ち上がり、まずは最速で現状把握に努める。
(なにが、起こった…………⁉)
どういうことだこれは。
血がボタボタと俺の足元で音を立て、信じがたいほどの痛みが両手の平からじわじわと腕へと広がっていく。腕を上げているのもつらいほどのとてつもないダメージ。
確かに、俺は。
怪物の動きを完璧にとらえていたはずだ。
この暗闇の中で、怪物の白い眼を追って、追って、追って……そして、上空、飛び掛かってきたところに狙いを定めて、文句なしの直撃のタイミングで…………
「な…………‼」
その疑問の答えは。
問うまでもなく、さも楽し気な、『暗黒』の中でも伝わってくるような怪物の気配、その方向に目をやる事で、いとも簡単に解消される。
目だ。
そう、白目だ。
ぽーん、ぽーん、と。
そう、擬音がついてしまいそうな、軽やかな軌道を描きながら、怪物の白目が。俺の視線の先、恐らく今度こそは本当にそこに怪物本体がいるのだろう、その空間で、規則的に上下、上へ下へと、まるでその場で飛び跳ねて遊ぶ小さな子供のように、跳ねている。
まるで。
誰かがその目玉を持って、放り投げては手のひらで受け止めて、を繰り返しているかのように。
「そ………………」
そういう、それだけの、ことか。
つまりは。
あまりにも単純で、簡単すぎて、考えが及ばなかった、それこそ盲点のような戦略。
怪物は、ただその場で――
自身の目玉を取り出して、俺のいる方向に放り投げて、そして怪物本体はただまっすぐに俺に向かって直進してきていた。
そして俺が対処したのは放り投げられた空中の目玉の方で、怪物には一切気づかずに、そのままヤツの攻撃を何の対抗手段もとることなく直撃してしまった――と、
それだけの、それだけの話だった。
全ては怪物がこの『暗黒』を張った当初から張り巡らしていた謀略、その一見単純な伏線に、俺が気づかなかった、それだけのこと。
怪物は戦いの最中でブラフを張り続けていた。俺が比較的安易に目玉の存在に気付けたのもすべて、こいつが戦いの場をコントロールして然るべきタイミングで攻勢を仕掛けてきた結果だろう。
あの一撃で例えば俺の頭部を狙って決着を着けなかったのは、やはり怪物の感覚器官が、この暗闇の中で存在を知覚するということにおいては条件を満たしておらずそこは真の意味で白目だよりということなのか、あるいは、怪物が戦い自体をもしくは楽しんでおちょくっているのか。
それは判然としないが。
とりあえず、よく分かった。嫌というほどによく分かった。この怪物は本当に――
強かだ。
吐き気がするほどに、嫌というほどに。
「あは、うふふふふふふ…………ひとり」
怪物が嬌声を上げている。
そして手に持っていた目玉をぐりぐりと、自身の顔があるだろう位置にはめ込んでもとに戻そうとしている。
「…………? うへ…………」
――しかし。
それがうまく行かないのか、何度もはめ込んではまぶたを閉じて開いて、恐らくは首をかしげて、そしてまた目玉を取り出して…………
「うふ…………」
そして――今度は。
めき……と嫌な音がしたかと思うと、どう、と崩れ落ちるような音がして、目玉が地面に転がった――世界が暗闇に満ち満ちているので、それが地面だとしても、俺には空中に浮いている白い眼玉のようにしか見えないが。
そしてそうして、間を置かずにコロコロと、今度は眼玉が可逆……恐らく怪物の顔面があるであろう位置にコロコロコロコロと転がっていき、そしてうじゅる、とそれが自然にはめこまれれて修復され、バキバキと骨と筋肉が紡がれていくような、どこかで聞いたような音がまたあたり一面に響き渡る。
(なるほどな……)
怪物が自殺をしたらしい。そしてそれは奴の呪い――魔術的な効果で元に戻り、その取り出された目玉含めて、ありとあらゆる肉体の傷が元に戻り、身体機能が完全回復した、と。
そういうことだろう。
「よく分かった」
その様子を鑑みて、改めて俺は、一人ため息をついて呟く。
さっきからとめどなく両の手から流れてくる鮮血は生暖かく生臭く、俺がまだ生きていて呼吸をしているということを、この暗転の世界においてもこれでもかとご教授してくれて、それだけが、とりあえず今は精神的な柱だった。
やるしかない。
「よ、よにん……………………」
復活と同時、怪物もまた呟く。今度は四人。それが意味するところは果たして――、
その確証を得るために、俺はこれから呪言を放つ。
それなりのリスクと、そのあとのリスクを天秤にかけて。
何はともあれ、早急にこの『暗黒』から脱出する必要があることが、たった今明確に分かった。この空間においては、俺と怪物、怪物に軍配が上がる。上がりすぎる。
このままここで戦闘を続けていてもいずれじり貧――俺の魔力がゆっくりとゆっくりと削られていくだけだ。
そうなったら、その後『暗黒』が解除されたとしても、もう死による全快能力を持つ怪物への勝ち目は一切なくなってしまう。
その前に。
気は進まないが、まずはこの場を塗り替えて、元の森に帰還するべく、大技を遣わざるを得ない。
怪物がさっきからとめどなく喋っている謎の〝人数〟――その正体、本質も、俺はぼんやりと掴み始めている、この予想が正しいのかどうか、確証を得るために。
こいつは強い、本当にバカげた、無茶苦茶な強さだ。
だから、それが最善だ。
「ふ、ふふっふふふふう……」
俺から何かを感じ取ったのか、怪物が迅速な動きで俺へと距離を詰めてくる。
だがもう遅い、余裕をこきすぎたゆえの傷を、油断ゆえのダメージを、今度はこいつが受けるべき番だ。
俺は可能な限り、力の流れ……その方向を調整して、俺へと被害がこないようにする。ただし、この『暗黒』の性質上、そして俺がこれから放つ呪言の性質上、拡散型の攻撃になるのは避けられないし、巻き込まれることは確定的だし、それくらいの覚悟を負わないと、この空間からの脱出も叶わないだろう。
だから俺はやる。
もう、既に躊躇いはなく。
その比較的長い呪言は後半に差し掛かり――そして、言い終わった。
「…………漂い遷ろう走狗の軋み(イザルカス・ユヴォレーテ)」
直後、俺を中心として膨張するように高熱を持った魔礎が拡散していき――
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