決戦(ティサ・ユージュ)2
――「〝遠く〟じゃなくて〝近く〟という意識を常に持つべきだね君は」
「戦争屋が語るところの〝呪言遣い〟というのは確かに安全地帯のど真ん中から敵陣奥深くへと遠大距離を直接攻撃してくるような……そんな駒としてこれ以上なく便利で都合のいい存在とされるようなものだけど」
「君は兵士でもなければ狂人でもない。なんで強くなりたいのか知らないけど、君が学ぶべきことは、遠くの相手を無傷で殺すことじゃなくて、近くの敵に対処して、隣の誰かを守るような、そんな体と頭と……心の使い方なんじゃないかな……」
「君が本当に知りたいのは、知るべきなのは、〝遠く〟ではなく、〝近く〟……」
「……どう、間違ってる? というか、何が言いたいか分かる? ごめんね、ワタシ、口で説明するのが、あんまり上手い方じゃないんだけど……」
「ふふ、……まあ、あれだね。一番大切なものは、案外一番近くにあったりする……みたいな。そんな使い古されたお話と思ってくれて、今はよろしいのだけど――」
「いずれは、ね……」
*
「ッ……………………」
唐突に、師の言葉を思い出す。
ずっと昔、持たざる者だった俺にとぼけた笑顔で助言を与えてくれた、そんなたくさんのこの状況を打開するためのヒントのひとつ。
迫りくる大岩を目の前にして、悠長にそんなことを思い出す俺は、相も変わらず俺極まりない。
(これ、は………………)
デカすぎる。
以前森で見つけた、蛍の洞窟に繋がる大岩――それの数百倍以上の質量は簡単に凌駕してくるだろう、そんな規格外の巨岩。
ただ、それだけならば。
その程度だけならば、「弾ける撥ねる大小の羽虫(オオキュージュ)」を最大出力で使用することによって難なく回避あるいははじき返すことも可能だっただろうが――
「……ふ、は…………………………」
「……………………!」
同時、大岩の後方下部からまるで上下二段の連携攻撃とでも言わんばかりに迫ってくる黒い巨影。どんどんどんどん加速して、そしてぴったりで大岩の真下を並走するように疾駆してくるそれは、言うまでもなく喜色満面血みどろの戦いが待ち遠しいと言わんばかりの様子の怪物のそれだった。
(同時、か……………………!)
まずい、かなりまずい。
こういった戦闘方法を相手が、特にこのタイプの反知性的に見える敵が取ってくることは想定していなかった――わけではないが、こんな戦闘初期の段階で、いわゆる、老獪といってもいいかもしれない、そんな底知れない面を遺憾なく発揮してくることは、完全に想定の外にある事態だった。
(どうする…………)
しかしながら、呪言を発動すること自体は間に合う。この距離なら大魔法を遣い、大岩と怪物双方を正面から叩き潰す、押し流すような大技を食らわせてやることも出来なくはないことだったが――
問題は、怪物の耐久力と攻撃力だ。
岩は問題ないとしても、俺の大魔法を正面から受けてなおその前進の勢いが留まることはないレベルの硬さをこいつが持っているとするならば、それは、非常に危機的な死線へと直結する。
最悪、ここで俺が死に至る……空気の鎧は現在五枚掛け、それをぶち抜いてくる一撃を、大魔法を遣った直後のミリ単位の俺のクールタイムにおいて、この未だ強さの限界が見えてこない怪物が放ってくる可能性は、それなりに高いように思える。
「…………やる、か…………」
だったら。
俺が出来る事は、大技を遣ってイチかバチかに賭けるなどという愚行ではない、堅実に、懸命に、この状況でできる最善手を最高速で打ち出すこと、ただその一言のみだ。
「っふふふふふふふっふふふふふふ」
『塞がれた不知の亡国(コガクトス・フラインデイン)』
「……ふ……………………?」
俺がその文字列を唱えると同時に。
そこはかとなく、辺りから――俺の背後からゆるりと回り込むように、明らかに自然発生したものではないことが自明、そんな温もり、温度をもった不快な風が吹き抜けてくる。
それを目視することは遣った俺自身にもかなわないが――明らかな質量を持った、不自然な風、空気圧の固まりのようなもの。それが周囲を――俺の体から半径数人分ほどの距離を覆い、覆い、覆いつくして、そして停滞した。それは時間にしてわずか大岩と怪物が俺の体に届きうるまでにあと数歩に迫る程度のタイミングでのこと――
「…………? …………?」
怪物はその不自然な帯域を感じ取った様子だったが、ここにきて止まる、あるいは警戒して距離を置くという選択肢は存在しないようだった。
その判断は間違っていない。
この帯域は入ってきた者に何らかの危害を加えるものではなく、あくまで、俺自身の感覚の手助けをするための近接戦闘用の呪言に過ぎないのだから。
そして、岩が落ちてきて、俺の頭部に接触する、その寸刻――
怪物がその片腕の、あらゆるものを容易く千切るであろう、凄まじい先端速度に達しつつあるだろう、剛と靭性を兼ね備えた大爪で俺の腹部を薙ぎ払おうとした、その、今まさにその一瞬――
に、俺は更にもう一つ、質量の方向を変えるべく最適解となる魔法を発動した。
それは対怪物ではなく対大岩。
あくまで生身で戦っていて、視界を塞がれていて、たとえ「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」で防御力を強化していたとしてもそのまま食らえば危ういし、怪物の機転、使い方によってはより俺にとって弊害となってくるであろうこの岩を――
まずは、後方へと受け流す。
「………ッ」
姿勢を低くして右拳を天空に突き上げて。
そして拳と岩が触れ合う、まさにその瞬間に「静謐なる倒錯(フォネスト)」と唱える間隙を縫って怪物の攻撃が俺の腹に今まさに接触しようとして――
「ふ、へ……………………」
そうはならなかった。
「静謐なる倒錯(フォネスト)」により右拳を加速するべく発生した超速の気流は岩をギリギリ、すんでのところで俺の後方へと受け流すことに成功、背後で体全身に響くような轟音がしたかと思うと、岩はそのままバキバキと音を立てて木々をなぎ倒しながら転がっていき――
そして怪物の剛爪。
それにおいては俺の「塞がれた不知の亡国(コガクトス・フラインデイン)」――この呪言は、この俺の半径数人分の射程範囲内に入ったあらゆる動くもの――
それが無機物であれ生物であれ、の行動の始点から終点までを余さずアバウトに感覚的に風の流れで体感する、というもの。俺が唯一まともに扱うことができる、探知系の魔法――、
つまり。
怪物の動きは。
怪物の盛り上がった左腕が存在ごと刈り取るような軌道を描いて俺に接近する――その軌道自体を俺は空気の流れから読み取る。
そして爪の切っ先が俺の腹を掻っ捌こうと加速している――その始まりから終わりまでの攻撃の軌道の流れを、俺は空気の塊、そのたゆみを媒介しておおよそこう動くだろうと予想をして――そして。
かわしきった。
俺は腹の前に左拳を置いて、当然こちらにも同様に「静謐なる倒錯(フォネスト)」が発動している。
そして怪物の攻撃とそれがぶつかり合い、当然のごとく気流は引き裂かれるわけだが――、
俺が腹の前に拳を置いたのは、怪物の直接攻撃を防ぐためではない。
このまま「静謐なる倒錯(フォネスト)」の霧散に合わせて自身の体を右側へと回転させるように引っ張って、運動エネルギーの流れを直線から捻転へと変え、怪物の甚大な破壊力を分散させるためだ。
結果として。
俺はその場で数回転、そして怪物は攻撃を完全にいなされ、受け流されて――体勢を崩した。
岩と怪物の攻撃を同時に受け、そして流す唯一のタイミング。
それをすんでのところで掴み取り、しかしながらまだ俺の防御から攻撃への移行の流れは途切れていない――
「ぐはあ………………」
怪物が崩された不自然な体勢の状態から吐息を吐く。そのほぼ完全にガラ空きの胴体――もし相手が人間ならば腎臓に当たる部分に俺がこれから繰り出すのは、最初に先了詠唱で当てに行った、範囲系の攻撃ではなく、もっと鋭く、鋭く尖らせて極限まで先鋭化させた――面ではなく点。
槍のような一閃である。
「王闊歩する紫紺色の偏在(レオクラット)」
くらえ、と呟いたと同時、俺の腹の辺りからそれは特に前触れもなく出現して怪物の胴体に狙いを定める。
射出方向確定。
破壊力、効果範囲、造形、速度、ありとあらゆる必要な情報を確定。
それは一本の洗練された針のような――、そんな黒々とした螺旋状の投擲物である。といっても投げるのは俺ではなくこれまた呪言によって作られた風の噴出口だが。
そして針は発射され――、そして深々と。
鋼の剛毛を貫いて、初めて怪物にダメージを与えたらしきことが、そのわずかに歪んだ表情と「ぐ……げ……」とうめくような叫び声によって俺に確信を与えた。
(この怪物に効くのは、面ではなく一点集中の点……!)
そして怪物は崩れ落ち―――
そして、数瞬を経て、何事もなかったようにまた立ち上がった。
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