決戦(ティサ・ユージュ)1
風音。
――例えばの話だ。
今ここ、この空間にいる人間が俺ではなく『
あの目にも止まらないほどの恐るべき一撃でさえ、さほど労せず受け流して次の動きへと切り返していたことだろう。
あるいは俺ではなく『
『
『
『
『
『
『
『
……あの『世界最強』ならば。
反応して対処出来ていたかも知れない。
あの体勢から、限りなく濃縮された一刻の、微かにまばたきをする時間さえも許されないような、そんな理不尽をも通り越した暴力的で暴虐的とさえ言えるほどの、怪物の不可逆的な膂力による、破滅的な一撃。
それを、俺は―――
『破かれど砕けぬ線上の塵(アクレクト・ヴェラオーラ)』
先了詠唱(クリットラーダ)。
まずは戦いが始まる直前に、前もって、呪言が発動する状態の、微かに一歩手前――魔法が魔法として顕現する、成立する、その刹那の環境を作り出す。
呪言というものは、それが生まれる文字列を唱え終えたその瞬間に現象が起き始め、そしてそれが過ぎた後はまるで何も無かったかのように間を置くことなく霧散していく……そういったたぐいの一瞬一瞬に本来は成立するものではあるが。
呪言によっては、つまり相性によっては……、あらかじめ、文字列を唱えておき、発動直前の状態に留め、そしてあとは一言を唱えるだけで術が発動する……さながら、グラスに注がれた液体の、あと一滴でも水滴を落とせばそれはなみなみと溢れ出すような。
表面張力の、その限界まで魔礎を場に充満させ切ったような。
そういった一種の省略化のような真似をして、一定以上の威力を持つ大魔法を起こすことも、最低限のタイムコストで実現させることが出来る。
この魔法は俺が先了詠唱で唱えられる呪言の中で、掛け値のない最大威力――これ以上の攻撃をしたいのならば、戦闘の中で徐々に、徐々に文字列を練り上げていくしかない――とにかく、考えられる限りの相手に最大ダメージを最速で与えうる、そういった呪言だったわけだが。
「あ、は……」
「…………⁉」
思考が加速する。
先了詠唱の有効性、それを俺が確信し、放つまでと放つあとに思い描いていた心の声の羅列は、その、『破かれど砕けぬ線上の塵(アクレクト・ヴェラオーラ)』によって舞い上げられた土の弾丸と殺傷力を持った砂煙をもまるで当たっていないかのように直線的にこちらに向かってきた怪物の、その耳に障る笑い声と伸ばしてきた腕……背中の後ろから前へと突き出されてきた毛むくじゃらの大腕によって――完全に、かき消された。
「な………………‼」
直後のことだ。
拳だ。
俺は怪物にとてつもない、恐るべき腕力で殴られた――殴られて、空中に、空高く、空高く、吹き飛ばされた――そう気づくのに、一秒の半分ほどの時間を要する。
「…………が、……!」
オープニング・ヒット。
先了詠唱による土と砂の攻撃は無効。避けられたわけではない、間違いなく怪物の全身に直撃してはいたが――、あの程度の攻撃では怪物の硬い皮膚はおろか、鋼の体毛すらも貫くことは出来なかった、とそういうこと――を俺は錐揉み状に空へ上昇していきながら、情報を己の中で整理する。
「なんて、やつだ……」
今の怪物によるたった一撃の物理的な殴打。
あの攻撃で〝空気の鎧〟……オオカミの魔獣との近接戦闘においても使用した「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」が破かれた……
万全を期す、どころではない。怪物の攻撃速度、攻撃威力を高く高く見積もって、どんな方向からどんな性質の一撃が無意識にやってきたとしても問題なく対応できる、という状態にまで固めておいた、「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」の六枚掛けだ――
この空気の鎧は自身の体に重ねて唱える事が出来、それは回数を増やすごとに単純な強度が指数関数的に上昇していく――それの六枚掛けがたったの一撃で壊されてしまったということは、この怪物の力、その強さは――単純な破壊力だけならば、俺がこれまでに見てきた中でも疑いようもなく最上位の――
「はは………………」
「!」
刹那、だった。
背後だ。
ほんの、ついさっき、あの一瞬前まで俺がこの目で確かに目視していた――俺は空中に放り投げられてなおも上昇を続けている、そして怪物は俺の眼下、未だ地面にいて俺をいやに楽し気に下からねめつけている――その、間違いなくその状態、位置関係だったにも関わらず。
まぶたを閉じて、まぶたを開く。そしてその『怪物が視線の先からいなくなった』という状態を正しく脳が認識するまでの、そんなありえないほどに収縮した時間において。
俺の後ろには怪物が、その巨体を苦も無く跳躍させて、回り込んでいた。
(は、や―――――)
俺は気配察知が苦手だ。広範囲の探知系魔法もほとんど遣えない。だから、ではない。
だから怪物の動きを追えなかったのではなく、単純な速度――単純な疾さによって、怪物を見失ってしまった――のでもなく。
いや、もちろん怪物がその巨体に見合わずあまりにも素早かったのも勿論あるが、同時に人には意識の隙間のような、脳を回転させていく上でどうしても生じる、たとえ決死の戦闘中においても生まれてしまうような極小単位の、脳が無意識に思考を次へと切り替えるための空白時間が存在していて――それはどれほど訓練した人間であろうと、人間が人間である以上、本能と理性が同居する人間だからこそ、次へ移るまでの〝隙間〟が生まれてしまうものだが、そこを狙われた――
「…………‼」
怪物が拳を振り上げる気配が背後からする。無論、すでに俺は次の呪言を唱え始めている。
もう、すでに嫌というほどに体感した、もう、分かってしまった。
この怪物は、強い。
吐き気がするほどに、強すぎる。
俺を天高く吹き飛ばすほどの、そして「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」六枚掛けを難なく打ち破る程の規格外の馬鹿げた腕力。
そしてこの、意識の隙間、空白時間をついた、正確無比で疾風を越えるような迅速な背後へと回る立ち回り。
正攻法ではとても勝ち目はない、ということが、よく分かった。
正面から殴り合えば、十秒もしないうちに俺の全身は粉々にされてゴミクズのように屠られるだろう。
ならば。
「『続きうる平定(ウェラレス)』」
瞬間、パキン、という軽快な音とともに、俺の背後にひび割れが走る。
「………………?」
怪物のいぶかしがる気配。
俺は当然見なくてもよく分かっている。そのひび割れからは徐々に徐々に光の筋が漏れ出して――、そして光は際限なく拡散していき――
パン、という音とともにそれはスパーク。まるで閃光弾のように、それは怪物の目を焼いて、そしてバシンバシンとひび割れが元通り、何もないただの虚空へと立ち返っていく。
「ただの、目つぶしだ」
「う、が………………」
そして、落下。
俺を見失った怪物は何もない中空へと執拗に腕を振るが、すでに俺は地面へと凄まじい速度で接近している。
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」
小声で、静かに。そして、
「遠大たる堅牢(キュレエント)」
風の流れがさながら巨大な両腕のような透明な動きを形作り――俺をゼロ衝撃で抱き留めた。
俺は地面に降り、そして――
「は、はあっ………………! はっ……」
どっと噴き出してくる汗をまずは拭う。
絶命帯域からの脱出はひとまず功を奏した。しかし、すべてが紙一重、判断がもう少しでも遅れていれば俺の命取りになったことに疑いはない――、
「…………くそ……」
目線をやれば、怪物はもう既に遥か空中からの自由落下を始めていて――、その視線はブレることなくたおやかに、俺のほうを見つめて口角は上げられてまるで喜んでいるかのように見えるのが、ここからでも優に確認できた。
「空を飛べるわけではない……、目つぶしは有効だがさして時間稼ぎにはならない……、超膂力と意識の隙間を動くような野性を超えた鋭敏な感覚……」
厄介だな、と俺は呟く。
非常に、非常に、危ういどころの騒ぎではない、ここまでも、そしてこれからも、あの怪物との戦いは命の綱渡りの連続になるだろう。
まずは、情報を可能な限り戦いの中で集める。何はともあれそこからだ。
「さて、第二回戦といこうか……」
またもや。俺は一歩を踏み出す。
怪物の元へと、歩みを進める。すでに森の中に落下した怪物もまた、恐らく執拗な笑い声を上げながらこちらの方へと差し迫ってきているはずだ。
「…………」
最初から、俺の出来る事は一つとして変わらない。
怪物を倒し、少女を助ける。
俺とヤユはいわゆるそんな関係にはなり得ないが、お伽話のお姫様と王子様みたいな、そう茶化されても仕方のないような、今はそんな、少し芝居がかかったシチュエーションであることを思えば、俺はそれがなんだか馬鹿らしく滑稽に感じて鼻で笑ってしまう。
「怪物……」
そんな下らないことを考えながら、同時に次に出す呪言はもう決めている。
「お前を殺す」
俺がそう呟いた、直後のことだった。
森の分け目から、巨大な土塊――否、根を張る木がまだへばりついている様な、大きな大きな大岩が――俺の目の前視界一杯を、まんべんなく覆ったのは――
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