19話 「……わたし、わたしの言ったこと、ちゃんと、聞いて、くれてたんだよね……?」
――『万死の呪い』
きわめて強力極まる呪いと考えていいだろう。
俺がこれまで見た呪いの中には因果に干渉するものであったり、思考を一部現実化するものであったり、あるいは何かよく分からないモノに半永久的に追われ続けるものであったり……宗教家にして呪いに魅入られてしまった人間なんかもいた。
とにかく、意味不明でこれまでの既存概念、法則の秩序を軽々しく粉々にしてくるようなふざけた呪いが多かったわけだが。
このヤユを蝕むそれも御多分に漏れず、理不尽極まりない悪趣味な悪意そのもの、といった性質を持つ呪いだ。
この呪いは、呪いの持ち主に死を強制する。
死ななければ怪物になり、周囲のものを全て食らいつくすまで止まらない。
計り知れない力を持った化け物が、ヤユの中に巣くっている。
このままでは、あとほんの少しでヤユは全てを奪われて、そしてヤユの自我は死に、それは怪物そのものに置き換わってしまう。
そして、怪物をこれまで倒せたものも、たった一人も、誰一人として今までに存在していない。
賞金首狩り、王国軍、武芸者……ありとあらゆる討伐をもくろむ連中は、それらすべてが土に還されてしまった。
ヤユの家族、友達、ヤユが呪いの事象を把握するまでに居合わせてしまった、数々の人々も……呪いによって、完膚なきまで食らいつくされた。
つまり。
つまり。
――そう、怪物に殺されてしまった人間はいても、ヤユ自身が数えきれないほど殺されたり自殺によって死を経験してはいても。
怪物を、怪物のままに殺した――死なせたりしたことは、これまでに、ただの一度もなかった、そのはずである。
――だったら。
それならば。
ヤユではなく、怪物を殺す。
これまでにその強さゆえに打ち倒すことができなかった怪物を、もしも俺が討伐することができたとしたなら。
それを成し遂げたとしたら、はたしてどうなる?
――呪い、というものは。
まるで怪我や病気を治す回復魔法のように、体系立てて理論化された、絶対に解呪するというような攻略方は、これまでに発見されていないし、恐らくこれからも存在しない。
それを解く方法は――宿主の終焉、つまりその呪いにかかった人間の完全なる死(しかしヤユは絶対に死に切らない呪いである)。
あるいは極めて稀な特例中の特例ではあるが、呪いそのもの自体を完全に理解し、呪いを人の身にて打ち負かす……この二つしかない。
呪いごとの性質を知り、見極めて……それを凌駕する。
呪いの持つ法則を知り、それに対する最適解を見出し、そしてその条件を完全にこなしてみせること。
その手段は、これまでのヤユが見てきたもの感じてきたもの……すべての話を聞いた上で、なおかつ俺自身の己の体験、経験則を照らしあわせた上で、総合的に見えてくるもの。
それが、『怪物を、怪物のままに殺すこと――』なのではないか。
俺は、直感的にそう思った。
そう、感じてしまった。
これが正解かどうかは分からない、もちろん何の保証もないことではあるが、しかし、俺と彼女に残された短く不確かな時間で取れる方法は、唯一この一つしかもう、ない。
ないのだ。
だから。
「俺が怪物を倒してやる」
「――――!」
そんな俺の言葉を聞いた瞬間のヤユの表情は、驚愕と失意にあふれていて、これもまた俺が初めて見るたぐいの彼女の表情であった。
「……お、お兄、さん……」
ヤユが、わなわなと、己の左腕を右腕で押さえつける。小刻みに震えていて、それを力づくで宥めようとしているらしかった。
「…………」
「……わたし、わたしの言ったこと、ちゃんと、聞いて、くれてたんだよね……?」
「…………ああ」
「だったら……」
ヤユが言う。深々と息を吸い込んで、これまでに溜め込んでいた己の感情を、机の上に全てぶちまけるかの様に。
「馬鹿! 分からず屋! やっぱりお兄さんも、あの人たちと同じなんだ‼ 自分から『死にたがる』人なんだ……‼」
「…………」
「怪物には……怪物には、誰も勝てないのに‼ なんで分からないの⁉ なんで、分かってくれないの⁉ どうして……どうして、いなくなってくれないの⁉ わたしの前からいなくなってよ! 早く! お兄さんなんて……わたし、すっごく大嫌いだから‼ 顔も、見たくないんだから……‼」
「…………」
「お願い……お願いだよ‼ わたしの言うこと聞いてよ! ねえ……もう、見たくないの……誰も、誰も……う、うううっ……ううううううう」
「……………」
「ひっ……ぐす……えっ……わたし……わたし、は……っ‼」
「…………」
「……お兄さんが、強いのは分かってる、よく分かってるよ……でも! 怪物は……、あの、怪物は――」
「安心しろ、ヤユ」
「‼」
俺は、また彼女の話を遮って、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。
駆け巡るのは、生易しいものじゃない、やっぱり言語化することはできない、そんな感情の奔流。
彼女の眼には、今の俺はどう映っているんだろう? 自信なさげにふらふらと身を起こす、いい年をこいた見すぼらしいただの呪言遣いか。
それとも――、少なからずの時間を共に過ごした、よくお互いのことを知っている、そんな友達としての、呪言遣いの『お兄さん』か。
それとも、それとも――
「……安心しろヤユ。俺は強い。とてつもなく強い」
「…………‼」
そんな、ちょっとした事が気になった。
それはきっと、俺がヤユを助けたいと思っている、それだけは間違いなく、嘘偽りのない気持ち……本心だからかもしれない。
――だからこそ、俺は『この役割』を演じようと思う。
ヤユをここから先、一片たりとも不安にさせないように。
ヤユがこれから、俺を信頼して、その身全てを賭けてくれることを信じて。
「怪物として生きるのをお前が望まないのは分かる……だったら、任せろ」
「え……?」
――瞬間、森が強くざわめいた。
風が巻く。ギャアギャアとカラスの鳴き声が空気をつんざき、他の鳥も一斉に飛び立ったのだろう、辺りに無数の羽音が響く。
部屋はまるで空気が膨張したかのように張りつめて、ミシミシと、悲鳴のような軋みが両の鼓膜を強烈に撫でていった。
――安心しろ、俺は強い。
とてつもなく、強い。
ただそれだけを、もう一度、目の前のたった一人の少女に伝える。
「…………お、お兄、さん……」
「………………」
「……お兄さんは、何者……なの?」
「…………」
目を見開いて、上目遣いで、胸中に沸いたそんな疑問をぶつけてくるヤユに、俺は事もなさげに、さも当たり前のように、自信満々で、それを言い放ってやった。
それがたった今から俺が、彼女の前で演じる役割だ。
「…………ただの」
「…………?」
「〝世界最強〟だ」
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