16話 「ここだよ、お疲れさま。お兄さん」


「お兄さん、今日はお兄さんを連れていきたい場所があるんだけど……えっと、わたしに付いてきてくれないかな……?」

「? 別にかまわないが……」


 山菜をとりに出かけている最中だった。

 ヤユが振り返り、抑揚のない声でささやくようにそう言った。俺は、この時点でなんとなく違和感……というか、普段の彼女とは違った、その溌溂な気配を押し殺したような雰囲気に、なにかしらの異常を覚えていた。

「すぐ……ってわけじゃないけど、15分くらいかな……歩いたら着くからさ。けっこう入り組んでて、わかりにくい場所にあるんだ、その場所」

「……? ああ……」

 俺の前を歩くヤユはそう言って、もうこちらを振り返らない。いつもはこっちが喋らなくても、一方的に話しかけてくるくらいなのに、今日はやけに……不自然なほどに大人しいというか、静かだった。

 森が風に巻かれ、静かにざわめいている……。



「ここだよ、お疲れさま。お兄さん」

「……どういうことだ、これは……」


 そしてヤユに案内された場所。

 そこははたして、森の切れ目……と言ってもいいかもしれない。

 いびつに折れて朽ち果て腐り墜ちた木々の残骸があたりにぽつりぽつりと痕跡を残し、しかしながら雑草のようなものは周囲と比べてもやけに短く……まるで誰かに定期的に刈り取られたかのように、しっかりと整備されていた。

 視界は拓け、よく見通せる。深緑にして時に昼でも暗い森の中において、しかしこの空間だけは、陽光が降り注いで眩しいほどに、目が痛いほどに明るい空間だった。

 そして何より目を引くのは――

「……これは、もしかして……墓か……?」

「うん、そーだよ……一目で分かるんだね、お兄さん」

 墓、だ。

 この広場のような空間にびっしりと……敷き詰められているのは、である。

 粗末な、鉄の柱で作られたような墓標。しかしそれらはよく磨かれているのか、鈍色に輝いている。

 1、2、3、4、5、6……十や二十では利かない。もしかしたら百くらいはあるかもしれない。おびただしい数の、死体がその下に埋まっていることを示す印が、所狭しとたち並んでいる……。

 それは、この場所にはとても似つかわしくない、言ってしまえば強烈なほどの不気味さを醸し出しながら、そびえたっている、死の切っ先だった。

 死体の山が、ここには埋まっているのか。

「どういうことだこれは、ヤユ」

「……お兄さんには、わたしがここ……この森にきてあったこと、全部全部、知っておいてもらいたいな、って思ったんだ。隠しておきたくないって……」

 心の底から思ったんだ、とヤユは言う。

 見ると。

 ……彼女の体が小さく震えていた。

 拳はつよく握りしめられ、血がにじむほどだった。

 まるで瞼の裏に何かを思い出し、そして決してそれを忘れまいとする覚悟を持っているかのような、そんな痛々しい話し方。

 それはヤユ・ヒミサキという少女にとって、もっとも似合わない、何よりもそれらしくない話し方で、俺は静かに息を吸い込む。

 ヤユの覚悟が伝わってきた。

「……お兄さんはわたしに色んなことを教えてくれた、自分のこと、自分が見てきたことやってきたこと……体験してきたこと。そんなことを色々と話してくれて、わたしはすっごく楽しかったんだよね、わたしも……お兄さんの体験を、一緒に隣で見てるような、そんな気持ちになれたんだよ」

「…………」

「だから、だからこそ、わたしも……わたしだけが黙っているわけにはいかないんだ、って強く思うの。わたしが見てきたことやってきたこと……体験してきたこと。わたしだけが隠すのは、すごくすごく情けなくてずるくて……卑怯なことだと思うから。絶対にそれだけは……したらいけないことだって、そう思うから」

「…………ヤユ」

「だからお願い、お兄さん、わたしのこと……わたしが殺した……殺してしまった人たちのこと、少しだけでいいから聞いてほしい。……話すね」

「…………」

 そうして。

 ヤユがうつむき気味に語りだす。

 それは、彼女が初めて呪いをその小さな身に受けて、そして紆余曲折を経て、この森にたどり着いて……それから後に起こった話。

 俺が彼女の舘に来訪者として来るまでにあった、何度も何度も繰り返された、遭遇と死のサイクルの話だった。

 彼女が語りだしたそれは、きっと墓標の数だけ彼女が目の前でみてきた光景の、何一つも誇張されたところのない、ただの事実の羅列だ。

 だからこそ。

 俺はただ、一字一句聞き逃すまいと、耳をしんと傾けて、彼女の言葉の続きを待った。

 ただ、待った。



「まさか、こんなところにこんな家があるなんてなあ……」

「ははは、どうせ金持ちの道楽だろ? くだらねえ……それよりこっちのガキの方だ。お前かよ、呪い持ちのくそったれ、ってのは……」

「なんでもたくさんの人間を殺したんだって? お尋ね者になってるらしいじゃねえか……しかもけっこういい額がかけられてるとくる」

「……しかし信じられないな、こんなちっぽけな子供がそんなことをしでかすなんて……」

「お、お願い……早く、ここから帰ったほうがいいよ。この紐を解くか……わたしをいっかい殺してよ! じゃないと……」

「あー? 殺す……? うるせえオレたちに命令すんじゃねえ、クソチビが……どうせ殺ってもすぐ生き返るんだろ……きんもち悪い呪いだなあ、ほんとおい……」

「刺しても切っても潰しても、次の瞬間にはぎゅるぎゅる肉が動いて元通りっていうんだから、くそめんどくせえ……」

「『死のみ有効』だからな……懸賞金はよお。どうにかこいつを殺す方法を……ってその前にこいつの言ってる物珍しーもの見せてもらうけどなあ! うわははは……‼」

「ま、とりあえず放置だな、放置……こいつがその怪物になってくれるまでよお~……なーにが怪物だ。おれたちプロには及びもつかない癖してつまらねえ……」

「あーめんどくせえ、早くなれよおい、クソガキがよ……!」

「は、はあ、お、お願い、し、死んじゃうよ、あなたたちが……」

「うるせえ、死ぬのはお前だっつーの‼」



「……それでね、次に気づいたら辺りは血だらけになってた。わたしの口からぽろって何かが落ちてきて……それは人の指だったんだ」

「…………」

 ヤユは淀みなく、ただしか細い声で言葉を紡ぎ続ける。彼女がそれを話すことから逃げないのならば、この俺が自身の耳をふさぐ道理は一切ないだろう。

「それからもね、何度も何度も、色んな人がやってきて、わたしを捕まえて、それから……それから、怪物になるのを待ったんだ。みんな、私を殺したかったんだよ」

「…………」

「そして、わたしも、自分を殺したくて……その時は、死にたくて仕方がなかった」



「……ふむ。お前が『億死の女王』と言われている女か。まだまだほんのガキじゃないか……」

「隊長、油断はやめてくださいよ。これまでだって、こいつを殺そうと何人もこの森に立ち入って……それで人っ子一人、帰ってこなかったじゃないですか」

「そうっすよ、仮にも呪い持ちっす。なにが起こるか分かんないんすから……」

「……ふん、何を恐れているのやら。ただの不死身じゃないか。それに不死身と言っても元が人間である以上、それは不完全だ。必ず何かしらの殺し切る方法が存在する。いくつか思いついたのから試してみようじゃないか、え?」

「う、うっへー……エグイっすね……」

「でたよ隊長の悪い癖が。ぶっちゃけやりたいだけでしょ、拷問……」

「黙れ下っ端どもが!」


「――これは驚愕だな、たまげた。水没させても焼いても、寸刻みに下から刻んでゆっくりと絶命させても、窒息させても。剣で目玉をくりぬいて、脳をかき回しても、出血をさせて血を出し切らせても、すべてがもとの状態に回帰していくとはな。ぜひとも戦場で役立ってもらいたいタイプの呪いだな……もちろん盾としてな」

「……う、……」

「隊長、容赦ねえ~……」

「見た目がちっこいガキだから、余計ひどさが際立つんすよね、さすがのボクも感情移入しちゃいそうになるっす、見てて悲惨ですもん」

「ははは、このまま痛みを与え続けて気でも狂わせるかとも思ったが……会話が出来なくなっては余計抹殺から遠ざかる気もする。面倒だが……増援の到着を待って、それから怪物化とやらをまずは見物してみる手段にでるか」

「うはあ……! 結局戦闘っすか。いやだなあ、呪い持ちと戦うのなんて……」

「すっげえ面倒くさいです。隊長……」

「……お前らこの私を舐めてないか? お前らをこいつと同じ目に――」

「う……だ、だ、め……」

「……あ?」

「怪物と、た、戦ったら、だめだよ……みんな、みんな殺されちゃう。お願いだから、わたしのことは放って、おいて……私は人間のままちゃんと死に続ければ、怪物にならなくてすむ、から……誰にも、迷惑は、かけないから……」

「もうすでにかけてるんだよこの虫けらが」

「…………っ」

「呪い持ちの分際で人間を何人殺した? 放っておいてだと? ふざけたことを抜かすのも大概にしろ、薄汚い小童が。正義がお前を許すと思うな」

「……おお、隊長が割かしちゃんとしたことを言っている……」

「はあ、しかし、まったく……こんな場末の極みみたいな場所にこの私を派遣しやがって。上の連中めが……」

「やっぱりちゃんとしてないっす、悪っす」

「お、おね、がいします……うっ」

「おい、いいか、ガキ。これから増援に来るのはわが国でも最高の戦力の一角、第二軍とその指揮長様だ。本来ならお前ごときが謁見できる相手では決してないんだが……いい加減、ここら一帯を警戒地区に指定していると不便も出るんでな、わざわざ確実に処分するために出向いてくださることになったのだ。感謝して、死ぬ間際には靴でも舐めるといいぞ、あっはっはー‼」

「威を借りまくってるっす……」

「……まあ、それが隊長の持ち味だからね……」

「覚悟しろ、この●●●●●●●●●めが――‼」

 


「……この時も、そう。次に目が覚めたら全員がバラバラで、ぐちゃぐちゃになってて……わたしの周りにはもう、生きてる人は一人もいなくなってた。わたし、わたしは……この時、お墓をつくることに決めたんだ。わたしのせいで、また人が死んで……わたしが殺して、それで、だからってなにも出来ないのは分かってる、分かってるけど、何かしたかった……だから、今の、この場所を作ったんだ……」

「…………」

 ヤユは、言葉を止めない。

 それは懺悔して、自分の罪を許してもらうための行いではなく、より自分の悪を際立たせようとする、あまりにもやるせない自戒の行為だった。

 俺は頷きもせず、身じろぎもせず、彼女が話を続けるのを、ただ待っていた。

 待っていた。



「こんにちは、お嬢さん。僕たちはね、見ての通り武芸者っていうんだ」

「こうやって、強い者がいる……という噂があれば、迅速に我先にと向かっていってね、そしてそれを打ち倒し勇名を上げる。まあ、そういう誉れ高いことを仕事にしている、といった具合の者なんだがね……しかし……」

「お、お願い! 話を聞いて! 駄目なの、私はちゃんと死なないと――」

「期待外れ、とでも言えばいいのかな……いや、相手を容姿で判断してはいけない、それは分かっているんだけど……」

「とはいえ、僕たちはまだ呪い持ちの相手に出会ったことがない。この子が初めてだからね。警戒してし過ぎるということはないはずさ」

「そうだね……まあ、怪物になるっていう話だし。その怪物があり得ないほどに強いっていうんだろう? にわかには信じがたいけど……楽しみといえば楽しみなのかな?」

「そうだね、人の形をしているものがどうやって化け物に成り代わっていくのか、その変遷はまじまじと観察したい所ではあるしね……後学のために」

「はははっ、そうだね……なんにせよ」

「「僕たち兄弟は無敵さ」」

「だ……駄目なの‼ あなたたちは怪物のこと、何もわかってないよ……あいつは、あいつは、違うの‼ 倒せるはずがないの、あんな破壊をしたやつを、人が……」

「おやおや、自信過剰はいいけれど、自分で言ってて恥ずかしくならないのかい? 君」

「まったく……それを言うなら、レディー、君だって僕たちの実力を知らないだろう? この剣技、その身をもって知るといいよ、君には後学は残念ながら意味がないことだけれど」

「や……やめて! ほどいて……ほどいて……‼」



「……その人たちも、次の日に死んでた。二人とも、怪物が……わたしが五体を引きちぎって、食べたんだよ……、わたしは覚えてないんだけど、そのことも、とても悔しかった」

「…………」

「……えっとね……わたしを捕まえた人はね、わたしが普通には殺せないって事を知ると、縛ったりして身動きを取れなくして、怪物になるのを待ったんだ。それで……みんな、死んじゃった。わたしが殺しちゃったんだ。何回も、何回も、ここのお墓の数だけ同じことがあってね……わたし、もうどうしようもないなって、海に溺れて、できし……水死っていうのかな? それをずっと永遠に繰り返し続けて、暮らしていこうと思った。それが、暮らしっていっていいのかは分かんないけど……」

「…………」

「……でもね、ある日、それは急にぱったりと止まった。誰もわたしを……怪物を、殺そうと森の中にやってこなくなった。たぶん……わたしを殺したがるような人がたくさん死んじゃったのと……お兄さんが前にも言ってたよね。この森は、かなり重い立ち入り禁止、が行われてたって……それで、誰も、ここにはやってこなくなったんだろうね」

「…………」

「それで。それで……すっごく長い時間が経って、ね。わたし、もう大丈夫って思ったんだ。もう、誰も……もうだれ一人も、人を、殺さなくて済むって」

「…………」

「そしたら、お兄さんがやってきた。すごく、すごーく久しぶりに、人がわたしのところにやってきたんだ、わたし、今でもそれが時々信じられなくなることがあるよ、お兄さんが幻なんじゃないかって……本当は、どこにもいないんじゃないか、って……」

 そんなわけないんだけどね、と。

 ここで少しだけ、ようやく少しだけ、ヤユが相好を崩した。


「…………お兄さん。お兄さんは、私を殺そうとしにきた人じゃなかった。そんな人、初めてだったから、わたし、どうしていいのか、どうしようってなっちゃって……それで、あんなことをついとっさに言っちゃったんだね。もう少し、お兄さんにここにいてほしいって……」

「…………」

「ううん、ごめん、違うね。わたし、やっぱり寂しかったんだ。とても、言葉で言いきれないくらい……寂しかったんだ、だから、お兄さんを、引き留めたんだ。自分勝手で、ごめんね……こんな、こんな人殺しのわたしなのに……」

「……ヤユ」

「お兄さん、ありがとう。わたしと一緒にいてくれて……お兄さんといた時間は、わたしのなかで、人生で故郷での時間と一緒のくらい、えへへ、大事な、大事な時間になってるんだ」

 だから、とヤユは言葉を紡ぐ。

「だから、言っておきたかったんだ。わたしにとって最高の時間でも、お兄さんにとっては……人をたくさん殺した呪い持ちとの時間だから。それって、すごく、不公平なことだって思うから……だから! 謝りたくて……‼」

 ヤユは全身の力を振り絞るように、そういった。

 それは俺がまだ見た事のなかった、哀しくて切なくて、うちに全てを押しとどめてきた一人の人間の、葛藤と、その他あらゆる苦し気なものが詰まったような、そんな表情だったのだ。

 それは。

 俺が見たいヤユの表情とは、もっともかけ離れている、いっそ不快とさえ断言してもいい、そんなたぐいのものだった。

 だから。

 俺は彼女の謝罪――あまりにも無意味で意味不明なその言葉を真に受けて、それを租借し、喉から胃に飲み下して、それを消化して……

 そしてヤユの前に立ち、堂々と、目をそらすことなく俺の想うところを全力でぶつけてやることにしたのだ。

 そのたった一言の返答は、飾り気のない本心からの、ヤユに負けず劣らない、俺が彼女に伝えたかったことなのだ。

「何言ってんだヤユ、お前との時間は俺の人生で、最高に最高過ぎる最高の時間だぞ、まったくもって――」


 あの日々と同じくらいにな。






**


・剣境 凪ぎ果てるブラッサ

俺がこれまで出会った人間の中で最も剣に愛されている……そして指折りの変わり者と言える剣士だ。彼女の前では乞食も野盗も聖者も国王も等しく『学ぶべき師』でしかない。

彼女は人間が大好きだし、そのすべてを知りたいと思っている。理解できなくとも、想像したいと思っている。他人すべてを、自分にないものを持っている賢人であり強者とみなしている。

……だからこそ、非常に危ういのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る