15話 「……じゃあ、言うね。わたしのこと……」


「お兄さん、ちょっとお話がしたいんだけど……いいかな……? えへへ……」

「なんだどうした、改まって」

「えーと、ね……」


 ……その日。

 その日の俺たちはどちらともなく、家で何もしない日にしようと決めていた。だから俺は地下の図書室に籠って、古い本を時代ごとに整理したり立ち読みしたりで、なんとなく知識を詰め込むことに時間を使っている最中だった。

 そんなところにふと、ヤユがもじもじとした様子で降りてきたのが、この話の始まりだった。

「急に、ごめんなんだけど……お兄さん、お兄さんにはやっぱり話しておかなくちゃって……そう思っちゃって。だから聞いてほしいんだ、わたしの話を……」

「話……ヤユの話? それはどういう……」

「わたしの生まれ故郷とか、家族のこととか……かな。わたし、呪いにかかってから、こんな風に……家族みたいに、誰かと一緒に暮らして、話すことなんて一度もなかったから、だからどうしたらいいのか分からなかったんだけど……でも、ようやく決心がついたんだ。色々と」

「…………」

 いつになく、ヤユは真剣な顔つきだった。俺は本をぱたんと閉じて、それを元の棚にしまう。

「わかった、聞かせてくれ」

「う……うん! ありがとう、お兄さん」

 俺が席につくと、ヤユも後に続いて俺の正面に座った。しばらくはウロウロとしていた目線だったが、やがて一点……俺の顔にそれを固定して、彼女の動きは止まった。

「……じゃあ、言うね。わたしのこと……」

 もし、とヤユは言う。

「もし、聞きたくなくなったら、すぐに話をやめるから。だからお兄さん――」

「そんな心配はするな。どんな話でもちゃんと聞くよ」

「…………」

 俺の反応に、お兄さんならそう言ってくれるよね、と少しだけヤユがはにかむ。

 ……そして彼女は話し始めた。

 己自身の過去――

 普通に、当たり前のように続いていた日常が、ある日ふりかかった1つの呪いによって、すべて打ち砕かれ、霧散した……

 そんな、どうしようもない過去。

 そんな、彼女の物語の始まりの出発地のことを。

『万死の呪い』

 それは――まさしく、呪いというものの本質を体現するかのような、そんな、唾棄すべき……とてもつまらない、とても救えない……、とても度し難い、昔話だ。



「ヤユちゃん、あーそぼー!」

「ヤユ、明日は父さんと釣りにいくぞ。今度こそ、今日こそ釣ってやるんだあの『ヌシ』を……!」

「や、ヤユー……ごめん、お母さん動けそうにないから……ちょっと柑橘系の果物とってきてくれない……? ってかお父さんどこ行ったの? 帰ってきたらぶん殴ってやるんだから……」

「あららあ、ヤユちゃんは泣き虫だねえ、お父さんもお母さんとも正反対の性格だねえ……ふふふ」

「ヤユちん、あんたはお姉ちゃんになるんだからシャンとしなさいよね! 私が教えてあげるよ、年下の兄弟姉妹の扱い方ってやつを!」

「おー、きたんかいヤユ……。今日はたくさん採れたから安くしてやるよ。いっぱい買っていきい」

「ヤユさんは手先が器用ですね。先生はそういうの全然だめで……うらやましいです。今度裁縫とか教えてくれませんか……? も、もちろん他の生徒には秘密で……恥ずかしいので!」

「今度の首都のお祭り、建国祭と生誕祭、どっちか行けたらいいんだけどね……ヤユヤユもお父さんたち説得したら? あたしも頑張ってみるから! 一緒に行こうよ!」



「……わたし、キュロイナの東のほうで生まれたんだ。ここからだと半島の反対側ってことになるのかな……そこはね」

 ヤユは言う。

 一口一口、過去を噛みしめて辛うじて先を紡ぐかのように。

 それはとても辛そうで、それでも、自分の生まれた故郷にいた人々……彼らのことを話すとき、その瞬間だけは、どこか彼女の表情は緩んでいるように見えた。

「小さい村で……田んぼと畑ばっかりで……でもけっこうたくさん人が住んでたんだよ。毎年、小さなお祭りなんかもあって……そのお祭りではお店がいつもの10倍くらいの数になるんだ。村のみんなが、それぞれ自分の得意なこととかで品物を作ったり……催し物をひらいて出し物を出したりね。わたしも、毎年、お母さんと一緒に編み物とか出したりして……」

「…………」

「えと……ね……わたし……わたしの家族のことなんだけどね。わたし、お父さんとお母さんと、妹と……それから今度赤ちゃんが生まれるってことでね……すっごく楽しみだったんだ。だから五人暮らしの五人家族だったんだ、あの日までは……」

「………………」

「それでね、えっと……わたし……の周りにはたくさんの友達がいてね……それで、毎日、すごく楽しかった。たまに喧嘩してたりもしてたけど、小さい村だからみーんな顔見知りなの、小さい時からお互いをすごくよく知ってて……いいところも悪いところもいっぱい……だから、友達も家族みたいなものだったのかもしれないね……」

 


「やゆちゃん、はやく行こうぜーめっちゃ面白い秘密の隠れ家っぽいとこ見つけたんだー! 変な生き物とかも取り放題なんだぜー」

「どーせまた滝壺のところでしょ、あそこらへんは危ないって言ってるのに馬鹿なんじゃないの?」

「う、うるせーなーお前には言ってないだろー」

「もう、二人とも喧嘩しちゃだめなんだよ。ね? ヤユちゃん」


「よーし、今日こそはあたしの魔法をお披露目してあげるわよ! ヤユちん、とくと見てなさいよあたしの呪言を……!」

「あ、あぶないよ~ツッキー……」

「あぶなくないわよ! 雨を降らせてあげるわ、いくわよ~」

「…………」

「…………」

「……ツッキー……何も出ないけど……?」

「……ちょ、ちょっと今日はあんまり……あれね。調子がよくない感じみたいね……へ、うふふふふ」

「そ、そうなんだ……」

「…………な、なによ‼ 文句あるなら……かかってきなさいよ!」

「む、無茶苦茶だよ~……逃げよ、ヤユちゃん!」


「ヤユ……今日はあなたに面白いものの作り方を教えてあげるわ。これが出来るようになったら……まあ、割と一人前くさいと思うけど?」

「なーにお母さん? なにするの?」

「人形よ。人形作りの極意を教えてあげる。まあ、私も私のお母さんから習ったものなんだけどね……厄除けの力があるって……これ家に飾ったらすごく縁起がいいのよほんと」

「へえ~‼」


「ヤユ、オレの考えなんだが釣りってのはむしろ獲物を釣る事じたいが目的じゃなくて、糸を垂らす……そしてそれがかかるのを待つ、その緩やかな時間にこそ真の意味があると思うんだよな。つまり、休息は人間にとって大事って事だ」

「釣れないいいわけ? お父さん最近いっつもダラダラしてるもんねえー」

「い……いや、そんなことはないだろ! ただお母さんも身重だし、心配だからオレはなあ……っていってええええええええ‼??」

「お母さん!」

「まったく……いいから早く魚でもなんでも釣ってきなさいよ、二人の父親になるっていうんだから自覚をもって! じゃないと振り下ろすわよ」

「もう振り下ろしてるじゃねえか‼」



「うん……そうだね、楽しかった。あの、わたしの村での毎日は、お兄さんとのここでの生活と同じくらい、すごく、すごく、一日一日いろんなことがあって、すっごく楽しかったんだよ、それだけしか言える言葉がないくらいに……」

「…………ああ」

「でも、ね……」

 ヤユはすうと息を吸い込んで、そして吐く。

 自身の胸を押さえて、それを握りつぶすかのように、自分の身体を痛めつけるかのように、苦し気な表情で、次の言葉を発する。

「……私が呪いにかかったあの日……私が目を覚まして、朝、田んぼの真ん中で目を覚ました時……」

「…………」

「村はね、一人もいなくなってた。誰も……わたし以外、一人も、生きてはいなかった。どこもかしこも血まみれで……む、むちゃくちゃに、人がバラバラに、なって……」

 嗚咽を呑み込むようなヤユ。

 こみあげる吐き気を、どうにか吐くまいとこらえているようだった。

「それで、私は吐いたんだ……怖くて、泣き叫びたかったのに、それすらも出来ないくらい気分が悪くなった。吐いたのは、よくわからない塊と、真っ赤な血だった……」

「…………」

「わたし、村を出た。みんなのお墓を……一年くらいかな。それくらいで全員作って、誰もいなくなった村を出たんだ。それから、それから、ずっと遠いところにいきたいと思って、海沿いにずっと進んだ。朽ちかけた船をみつけて、こいでみたり……でも、海流っていうのかな。そのせいで、キュロイナから出られなかったから、それにどこにもいくあてはないし、わたし……とにかく、ずっと歩き続けた。それでね、いくつかの村とか町に泊まったりもしたんだよ。でも……」

「…………」

「わたし、呪いのこと、まだよくわかってなかった。死なないと怪物になる……これをちゃんと分かるまでに、すっごく時間がかかった。わたし、怪物になってるあいだは眠ってるみたいな感じで……なにも、覚えてないんだ。ただ……」

「…………」

「怪物はたくさん人を殺したら、たぶん呪いが満足して人間の姿に戻れる。そうしたら、私がその夢から覚めるから、ほら……そのとき、周りにいた人は……もう……死ん、じゃってて……」

「…………」

「わたしのせいで、たくさんの人が死んだの。死んだの。私がころしたんだ、わたし、わたし……」

 震えるヤユの両手。

 俺はその手をさすったり、握ってやることはしなかった。それを彼女が望んでいないことくらいは分かる。

 だから黙って、俺はヤユが話の続きを語りだすのを待つ。

 それだけしか、今の俺には出来ない。

 なぜか、今のヤユの言葉にかすかな違和感のようなものを覚えたが、今はそれはどうでもいいものだと判断し、迅速に押し殺す。

「……わたし、それからね……一人で生きるようになった。ちゃんと死ねば安全だって、ようやく分かったから……怪物にはならないって分かったから。でも、呪いのことなんてよく分からないから、もしかしたら何かのきっかけで呪いがぼうはつしちゃうこともあるかもしれない……怪物がでてきて、またわたしの周りの人を襲うかもしれない。それが怖くて、出来るだけ人から離れて生きる事になったんだ。結局、そんなぼうはつ、なんてことはなかったんだけどね……」

「…………」

「それでね……ずっと人がいないところ。静かに……誰にも関わらずに生きていけそうな場所。そんなところを探して探して、探して探し歩いて。ようやく見つけたのがこの森の、その一番奥のこの家だった。わたしの旅……なんて言っていいのかな。その終わりにたどり着いたのは、こんな辺鄙で……でも、ちょっとだけわたしの故郷と雰囲気が似てる、こんなところだったんだよ」

「…………」

「それで……それからも。色々あったんだけど……お兄さんがくるまで、わたしはここで、こうやって……ずっと生きてたんだ。だからお兄さんが……お兄さんみたいな人が来たときはほんとうにびっくりした。ちょっと、どうやって話したらいいのか分かんなくて……」

 えへへ、と虚勢を張るヤユ。

「……でも、でも嬉しかった。来てくれて……わたしの相手をしてくれて……すごく、すごく、わたしは……お兄さんに助けられたんだよ。な、なんだか長い事話しちゃってごめんね、ただこれだけは言いたくて……どうしても、今、言っておきたくて……」

「…………」

「ありがとう、お兄さん。ありがとう……」

 ヤユが目をこすりながら、鼻声になりながらも、ただ、その一言だけは透き通るように聞き取りやすく、俺の耳にまっすぐに届く。

 ヤユの――彼女の、これまでの人生の嘘偽りのない、なんの脚色もない純粋な告白。その重みを受けて、俺は、すぐにヤユにかけてやる言葉を、見つけることは出来ない。

 呪い……呪いは、この世界における莫大な悪意の発露だ。

 誰彼構わず降りかかり、その人間の背負っているもの、触れているもの、見てきたもの、進んできたもの、それらすべてを紙クズのように破壊し、なおもそれは止まることなく、どこまでもどこまでも深化し続ける。

 明日、俺が呪いにかからないという保証はどこにもない。

 明日、俺とすれ違ったいつかの誰かが呪われないという保証はこの世のどこにもない。

 そして、たとえそうだろうと、今この時点で呪い持ちでない俺が発する言葉は、究極的にはただの戯言で、なんの説得力も伴わない、それこそ紙のように述べれば破けるような浅いものなのかもしれない。

 ……だけど。

 だけど、それでも俺も、ヤユと同じように感情を振り絞って、たった一言の言葉を返す。それは、それがどんな響きをもって彼女に伝わったのか確かめる術はないが、それでも俺にとっての精いっぱいの誠意のつもりだった。


「こちらこそ、ヤユ。俺だってお前に救われたんだ」






**


・魔女

魔物や魔獣は、長く生きれば生きるほどその力を増していくとされる。

その最たるものが『魔女』である。

起源は不明だが『始まりの魔物』とも称される彼女らは、魔物の中でも特に強大な力を持った存在であり、ある時には歴史の影で遊び、ある時には国々を蹂躙し、人間史に甚大な災禍をもたらし続けてきた。


歴史上確認されたのは十一体、うち、人類が討伐せしめたのは四体のみ(いずれも大戦期。そして魔女との戦いのみで人類は全人口の二十五分の一を喪失した)である。

無数の塵を全てに変える事が出来る『辺幽の魔女』

夜を拡大させる事が出来る『流暗の魔女』

虚ろすら弄び、無すら無に帰す『巨弄の魔女』

そして世界を希釈し、すべてをもとに戻らなくする『不遠の魔女』……


内、封印に成功したもの一体、追放に成功したもの二体。

〝根絶〟に至ったものは『不遠の魔女』のみである。





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