11話 「盛り付け上手いな」


「キノコと~、果物と~、お花でしょー? うんうん、コンプリートだね、欲張りセットだねえ」

「ちょっと採りすぎたかもしれないな……三日分は余裕であるぞ」

「今日は記念日だから、少し奮発……森の仲間たちも許してくれる……はず‼」

 ヤユと俺は日が傾いてきた森の中を歩く。

 二人とも、両手には抱えきれないほどのベジタブルな食材を持って、舘への帰路を急いでいた。ここからだとあと数十分……呪言で道を照らすのも体力を使うし、暗くなる前には帰りたいところだ。

「それじゃあ流石に重いだろ……半分くらい持ってやろうか? ヤユ」

「だ……ダメダメ‼ お兄さんは今日こっちきて一か月めでしょ? その記念なんだから、むしろわたしが持ってあげてもいい勢いだよ‼」

 差し出した俺の一本指をヤユは華麗に拒否。そのまま歩幅が少し大きくなっていき、なぜか唐突に話題は明後日の方向に切り替わる。

「んー……それはそうとして……、お兄さん、前から気になってたんだけど……、お兄さんの服ってけっこうズタボロ……というか、使いこなされすぎて、ヨレヨレ……な気がするんだけど、その服ってそんなに気に入ってるの? 思い出の品とか……?」

 こちらの様子を窺うようにちらちらと視線を送ってくる。

「いや、全然そんなことはないぞ。これは俺が前に他の町で頑丈な布で……すさまじく頑丈な布で縫い合わせて作ってもらった、特注の羽織り……みたいなもんでな」

「そ、そうなんだ?」

「巨大な犬100匹に同時に噛まれても破れない、というのが売り文句だった。まあ、今はこんな有様になってきてるが……」

「着こなし過ぎでしょ! 旅の人って物持ちがいいって聞くけど、それがそんな風になるってけっこうハードなんだねえ……!」

「場合によるな。風雨とかにもよく晒されるってのはある。まあ、こういう見た目の方がらしいっちゃあらしいだろう?」

「らしいかなあ? お兄さんって服とか見た目とかあんまり気にしなそうなタイプに見えるもんなあ……でも……ふふふ、だったら……」

「…………?」

 ぼそぼそと何やら一人ごとを呟くヤユ。

 何を言ってるのかは聞き取れないが、してやってやった、みたいな表情で、納得したようにコクコクと頷いている。

 ――と、そこに。




 黒い影が俺たちの頭上を当たり前のように通り過ぎ、目の前に地鳴りのようなうなり声を伴って、立ちふさがる。

「…………」

 

 立ちふさがって――明確な意思を持って、まずは一人の少女をねめつける。

「あっ…………!」

 ヤユが驚愕し、叫び声を上げると同時、その巨大で鉄をも簡単にねじちぎるであろう歪な形をした長い爪は彼女の喉元を引き裂き――

 いや、引き裂けなかった。

 なぜなら俺がヤユの首根っこを掴み、十分の一秒程度の極めて凝縮された刹那の時間において、俺の背後へと放り投げ、その直撃すれば死は免れないであろう切っ先を回避したからだった。


「…………あぶな、すぎるだろ……」


 危なかった。

 本当に、危なかった。

 あとわずかでも、半身ほどでも俺とヤユに物理的な距離があったならば、その強引な回避は間に合わなかっただろう。ヤユは真っ二つに引き割かれて、今頃は死体が1つ転がっていたはずだ。

「グギュ、ルララララララララ……」

 ヤユと俺の立ち位置が入れ替わり、俺が正面を受けて前衛に立つ。

 あるいは確実に捉えたと思っていたヤユを後方の安全地帯へと逃がされて、そいつの興味が俺へと移ったようだった。

「…………でかいな……」

 それは、大きくて真っ白な体躯を持った、硬そうな毛質で覆われたオオカミ……

 に似ているが、口が2つと目が6つある、要するに魔獣だった。

「…………」

 確かに俺は気配察知が得意な方ではないし、探知系の魔法もほとんど遣えないし、勘も特段冴えているわけではないが、ここまで接近されるまで気づけなかった。というのは単純な驚きである。

 あまりにも自然体にここまで近づいてきて、頭上を追い越されるまで気づかなかった。

 強烈で濃厚で獰猛な力強さを野生の象徴とする考え方もあるが、これもまた野生の気配の真骨頂……静かでしなやかで強力。

 ……と言ったところだろうか。

「に……逃げてお兄さん‼ そいつはずっと前からこの森にすみ着く攻撃的なヤツで――私を何回か殺したら満足してどっかに帰っていくから‼ 戦っちゃだめ‼」

 背後でヤユが耳が痛くなるほどの大声で叫ぶ。

 そう言われてようやく、ヤユは呪いによって死んでも復活できるという事実を思い出す。きわめて短い時間だが、この魔獣が現れてからこっち、その呪いの特性など考える暇もなかった。

 反射で体が動いてしまった、というヤツだ。

「はやく……お兄さん‼ そいつお兄さんを初めて見たから、様子をうかがってる‼ 警戒してる……! ほら、ゆっくり後ずさって……私の後ろに!」

 そう言いながら、ゆるゆるとしたペースでヤユがこちらに近づいてくるのがその気配と息遣いでわかる。

 そうやってこの魔獣を刺激しないようにしつつ、俺とポジションを変えるつもりだろう。死んでも復活できるヤユは、俺をかばう盾になろうとしている、という事だ。

「…………」

「ラララララララ……」

 魔獣は目をカッと血走って見開いて、俺の瞳を見つめ下している。さて、どうしてやったものか……


「悪いがそうはいかない」

「え…………」


 俺の言葉に、一瞬聞き間違えたのでは、といった様子で言葉を呑み込むヤユ。

 かまわずに俺は言葉を続ける。

「ヤユ、お前は今『私を何回か殺したら満足してどっかに帰っていくから』と言った……つまりこの魔獣は、もはやお前を食料としてではなく、いたぶる対象としてみている……ということだ。だとしたら、このまま放っておいたらこれからもこいつに良いように嬲られ続けてしまうことになるぞ」

「お、お兄さん! それは……‼」

 ヤユが叫ぶ。

「だ、ダメだよ‼ そいつと戦うのは……! お兄さんは呪言遣いだけど、そいつはものすっごく力も強くて……牙も凄いし、爪も鋭いんだよ‼ た、戦ったら――」

「ヤユ、お前はこれまでに何度も何度も何度も、飽きるほどに死んでいて、でもそれでも、イヤなものはイヤだろう?」

「…………⁉」

 そうだ。

 彼女の呪い――『万死の呪い』は、不死であっても決して不痛ではない。

 不死身であり、命を落とした瞬間に時計の針が巻き戻るように時間が停滞、逆算され、身体は何事もなかったかのように元の状態へと帰結していく。

 一日一度は死なないと、怪物になってしまう。

 まるで宿主を自身にとって都合の良い風に動かし、死なせまいとする寄生虫のように……ヤユの体に巣くう薄汚い病巣、それがこの呪いの本質だ。

 ただ、それだけの下らない呪いである。

 ならば。

 この状況、ヤユどころか俺よりも数倍も大きいであろう、敵意をむき出しの魔獣を前にして、黙って逃げおおせるような真似を俺は一切するつもりはない。

 それはつまり、ヤユが苦しんでいるのを黙認し、無言で肯定するかのような非常につまらない行為だからだ。

 俺がここに来る前から、この魔獣に何度もヤユは殺されていた。

 ここらでひとつ、人の痛みを分からせる……「自分がされたらイヤなことは他人にしない」という当たり前の倫理観を叩きこむために、お仕置きをしてやる頃合いだろう。

「お、お兄さん……!」

 ヤユが背後で今一度叫ぶ。俺はそれを無視して、ひとつめの呪言を口に出して詠唱する。

「円卓に至る証なき道(レフォ・ミューロ)」

 空気の鎧を身にまとう魔法。これは単純に自分の身を守るための呪言であるのと同時、距離をとって戦わない……

 俺の主張するところを分からせてやるために、近接戦闘でお前を倒す、という意思表示でもある。

「ラ…………‼」

 呪言の気配を敏感に感じ取り、魔獣がこれでもかと深紅色に血走った目を見開く。

 ゼロタイムで臨戦態勢は整ったようだった。

「尻尾を巻いて逃げだすまで、ボコボコにぶん殴ってやるぞ、犬公」

 俺と魔獣の一騎打ちが始まった。






「あはは、ちょっとおかしかったね、あの犬の魔獣があんな声出すなんて……」

「傑作だったな。身体のデカさの割には愛嬌のある鳴き声だった」

「きゃっ、きゃっ、きゃうううん~って……ふふふ、飼いたくなっちゃったかも、わたし」

「いやそうはならないだろ」

「ええ⁉」

 ――それから数十分後。

 俺とヤユはたった今しがた舘にたどり着き、台所に今日採った山菜の数々を並べ立てているところだった。

「……よし! じゃあお兄さんはそこで座っててね! わたし、腕によりをかけて美味しいもの作っちゃうから! えへへ‼」

「俺も少し手伝ったほうが……」

「いいって! お兄さん戦って疲れちゃったでしょ! お礼も兼ねてまかせてまかせて! だよ!」

「……そうか、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな……」

 俺はゆたりと木製の椅子に着席する。そして何となく窓を見つめてさきほどの魔獣との戦いを思い返す。

 魔獣は一分ほども肉弾戦を続けると、徐々に己の分の悪さを悟ってきたのか、逃げの一手を打ち続けるようになった。そこを俺は、戒めも込めてややしつこめに殴って殴って蹴り飛ばしてやった、というのが大まかな戦闘の流れ……大体そんな感じだった。

 あえてとどめを刺さなかったのは――、ヤユがそれを喜ばないことを何となく悟ったからだ。

 しかしあれだけタコ殴りにしてやれば、もう二度とヤユに手を出すこともないだろう、それで十分ということにしておこう。

「……ふふっ、ふふふっ、ふららららん~♪」

「…………」

 さっきからヤユがまた歌詞のない鼻歌のようなものを披露している。

 その足取りはやたらと軽く、憑き物が落ちたかのようで、おそらく今の彼女はそれなりに上機嫌のようだった。

「はい、お兄さんできたよ!」

「盛り付け上手いな」

「ふふふっ」

 そうやってテーブルに並べられた色とりどりの山の幸たち。俺たちはそれを前に、手を合わせて感謝を述べる。

「あ、お兄さん、その服……」

「……ん?」

 ヤユが指さした先、俺の服には大きな切れ目が入っていた。どうやら、気づかないうちに魔獣からの攻撃を貰っていたらしい。

 あいつもただでは泣き叫ばなかった、と言ったところだろうか……

 魔獣の最後っ屁を見せられた気分だ。

「まあ、この程度ならまた縫い直せば……」

「お兄さん、それは……あれなんじゃないかな、実は買い替え時っていう神様からの啓示なんじゃないかな?」

「とはいってもなあ……まあ、町は遠いし当分は――」

「はいこれ‼」

 そうやって、ヤユはここぞとばかりに、待ってましたとばかりに俺の目の前で『それ』を広げてくる。

 俺の視界は紺色の小奇麗な『それ』に覆われて、一瞬世界が停電したのかと思ったが――


「……! これは……」

「ふふふ……新しい服、なのでした――‼」


 ヤユのはじけるような笑顔、そして明るい声がこのリビングに響きわたってこだまする。一瞬誰の――と思った俺は、つくづくこういう事と縁がない。

 いや、縁がなかった、というべきか……

「お兄さんがここにきてもう一か月だからね! わたし数えてたんだよ毎日一日……! でね、せっかくだから何かあげたいなって思って……ほら、この家服はたくさん、前に住んでた人のが残ってるから、お兄さんに合うように縫い直してたんだ‼」

 もちろんお兄さんにバレないように、秘密でね! とヤユがいたずらっぽくはにかむ。

「…………ヤユ、なんていうか……」

 俺はまじまじとその紺色の服を見つめる。見た目は今までに来ていた粗末な羽織と大差ないが、もちろん新調されたものなので小奇麗極まりないし、何より……

「ポケットがついてるじゃないか」

「宝物でも入れてよ! えっへん!」

 新機能、胸元にポケットがついていた。これは便利だ……旅の人間は割と手に持つモノを減らしたい傾向にあるので、こういうのは、なんというか、とても助かる。

「ヤユ……」

「……ん?」

 俺のリアクションをニヤニヤと見つめる彼女。俺はこの時自分が自分でどんな表情をしているのか皆目見当もつかなかったが、とりあえず、それは疑いようもなく本心から出た言葉だったのは間違いない。

「ありがとう、大事に着させてもらうよ」

「どーいたしまして!」

 いつの間にか外は明け方、朝を告げる鳥たちが無秩序に仲良く歌っていた。




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