10話 「え、ええ……す、すごいけど謎過ぎる……」
「……? あれ、お兄さん。川の中になにか光るものがあるよ――」
そういったと同時、ヤユが川の真ん中で倒れ伏したので、なにか毒魚にでもやられたかと思った。
「…………ごほっ、ごほっ……ごほっ……」
――そして。
次にヤユが意識を取り戻したのは倒れてからおよそ30分後のことである。
多少水を呑み込んだとはいえ、それが原因で呼吸困難になることはないだろう。俺がすぐに彼女を掬い上げて、そのあと更に回復体位を施して、身体の中の水は大体吐き出させたはずだ。気管にヘドロが詰まっていた、ということもない。
俺は回復系の呪言がほとんど遣えないので、それらを遣えたら多少はまだマシだったのかもしれないが――ともかく。
ヤユは、ついさっきまで呼吸が難しい状態だった。呼吸困難で息がほとんど吸えていない。
そうなると必然、脳に酸素がいかなくなって――人は死ぬ。
この日、ヤユは断頭以外で――初めて俺の前で、一度死んだ。
そして俺の前で呪い――時間がゆるりと停滞し、そしてぐるりと巻き戻るかのような現象により、生命を取り戻した。
その原因は川の中で彼女が見つけた光るもの……そう、つまり、たった一つの、ひと房から零れ落ちたのだろう、『小さな鎖』……である。
*
「はー、す、すっごいビックリしたー‼ 多分、わたしの人生でトップ十本指には入るくらい……、え、えへへ……」
「俺も驚いたぞ、何事かと思った」
川のほとりで俺たちは冷たい水を飲む。意識を取り戻し、現状把握がままならないヤユに、とりあえず俺がたった今簡単な説明をしてやっているところだった。
しかしながら、あんな事はこれからも、レアケース中のレアケース、だろうが……
「え、えーと……つまり、こういう事? お兄さん。私が急に意識がなくなっちゃったのは、何か変な生き物にやられちゃったとかじゃなくて、たった一つの、その……鎖を私がただ目で見てしまったせい、ということ……? なの、かな?」
「ああその通りだ。ちなみにその鎖は今俺のポケットの中に入れている、また見てしまってヤユに倒れられても敵わんからな。生の瞳で直視しない限りは、これは安全極まる類のものだ。触るとどうなるかは分からんが……」
「な……な、なんてこったいだよ……!」
俺はポケットに手を入れて、鎖の裏を指でなぞる。やはり思った通り、鎖には深々と一列の文字が刻まれていた
『見通したまえ、導きたまえ、我らに依るのは千の羊と十の賢人(アリアックド、フリアックド、チェリンラニア)』
これは――世界における四大宗教の1つ、『レサニア教』の聖典に書かれている主の言葉の一節だ。
レサニア教徒は宗教的なシンボルとして、彼らの神がかつて死の間際束縛された……『鎖』を身に纏うことを己が身の証明としている。それは赤ん坊だろうが老人だろうが男だろうが女だろうが例外なく、だ。
銀製の鎖……ということは、最低でも司教クラス……場合によってはそれ以上が身に着けていたものだと考えて間違いないだろう。
そんな代物が、なぜこんな辺鄙な場所の川底まで流れてきたのかの経緯には、個人的に興味を抱かないでもないが――
「お、お兄さん、でもよく分からないんだけど……なんで、わたしはその鎖? を見ただけでいきなり気絶しちゃったの? だって……そんなの、おかしいよね? もしかしてその鎖、何かのとんでもない魔法が込められてるとか、……えへへ、そういう感じなのかな……?」
「…………」
ヤユが恐れよりもむしろ好奇心といった様子で話しかけてくる。
俺は無宗教なので、レサニア教自体を深く理解しているわけではないが、
この現象――奇妙な現象が起こったこと自体、その理屈自体は以前にも何度かお目にかかったことがあるので、その仕組みは知っていた。
だから、ヤユに説明してやることにする。
この先これに気をつけておいた方がいい、という忠告の意味も込めて、だ。
「ヤユ、お前が倒れたのは、お前が『万死の呪い』……呪いにかかっているからだ」
「え……?」
キョトンとするヤユ。
「魔法と呪いの違いについては前にも少し話したかもしれないが……これら2つの力はそもそも一つの大きな同じ力、だという説が今は有力になっている」
「うん、言ってたね。おかしなコトが起こるって意味では2つとも同じだもん」
「そう、だから両種の決定的な違いは、人間に制御できるかどうか、人が理解できる範疇かどうか……ということになるんだな」
ヤユが頷く。
そう、魔法と呪いは力の流れが上か下か……前か後ろか……右か左か、みたいなものだ。立証はされていないが、感覚的には俺もそれが正しいように思う。
もっとも仮に元が同じでも、右手と左手では役割が違うように、その性質や特性はまったく異なってくることになるわけだが。
例えば、『呪い持ちは呪言を遣えない』……仮にそれまでに遣えていたとしても、呪いに魅入られたその瞬間から、一切遣えなくなってしまう……といった特質も、それを裏付ける根拠になりうる気はする。
「話を戻す。なぜ呪いを持っているヤユが、この鎖……レサニア教の鎖を見る事で卒倒してしまったか。それはだな、この鎖には人間の『想い』のようなものが集まっているからだ」
「…………! お、おも、い……?」
唐突な言葉に、ヤユが大きく首をかしげる。
かまわず俺は言葉を続ける。
「そう、想い……信仰の気持ち、と言い換えてもいいかもしれないな。レサニア教徒は世界中に数えきれないくらいの信者がいて、そのほとんどがギブラッド・レサニア……つまり教皇だな。その教皇と、その教皇の上に置かれる絶対神……という概念の存在を強く信じ、その正当性を偽りなく願っている」
「う、うん……ウェオン王国はあんまりレサニア教、盛んなほうじゃないけどね……」
「つまり、それら人間の……想いだ。心の結束のようなもの、願いだったり祈りだったりするもの。それらが形になった時、それは呪いに対する強力な毒となる。それを直接受けてしまったために、さっきヤユはあてられて倒れ込んでしまったんだ」
「………………」
……沈黙するヤユ。
「えええ……? ううう、よくわかんないなあ~……どういうことなのそれ~?」
そして頭をガシガシと掻く。
戸惑いはもっともだ、俺にもその理屈はまったく見当もつかない。
「特に宗教だ。いや、個人レベルの心が呪いに影響を与えたなんて話は聞いたことがないから、宗教だけ、と捉えても問題はないだろう。宗教は呪いを拒絶する。そして呪いと同じ……それどころか呪いそのもので体が出来ていると言っていい、魔物や魔獣には絶大な破壊力を発揮する。この鎖をそういった奴らに見せたら、よっぽど強力な相手でもない限り即座に制圧できるだろうな」
「え、ええ……す、すごいけど謎過ぎる……」
「俺が見た限りでは、ある魔物を討伐する際に聖歌隊や神職の人間が何人か戦力として組み込まれていた例を見た事がある。『世界に捧げる歌(コルコーナ)』を遣って敵の魔物の鼓膜を破いたりな……」
「こるこーな……聖歌で鼓膜を?」
「とはいっても彼らは基本的には呪言や武芸に長けるわけではない……戦闘職の人間ではないので、絶大な攻撃力を持っていたとしても、防御力には圧倒的に欠けていたわけだ。結果として、その作戦は失敗した。魔物もかなり手強かったしな」
「…………………………」
あ、でも! と突然ヤユが思いついたように言う。
「なんで魔法は……呪言遣いのお兄さんとかは影響を受けないの? 呪いと魔法が似た力だっていうなら、お兄さんもちょっとダメージ受けたりしそうじゃない? わたしほどじゃないにしてもさ……⁉」
純粋な疑問という感じだった。だがそれに対する答えは既に言っている。
「さっき言ったように、力の流れ……方向が違うんだろう。宗教と言うものはおそらく限りなく魔法に近い属性を持つ力なんじゃないか? 人に寄り添うもの……というか。対して呪いは人を襲うもの……そして呪いを受けた人間は――」
「…………」
「あ、いや……」
そこまで言いかけて口をつぐむ。今のは言い方が悪かった。続く言葉を俺は探すが、こういう時に限ってすぐには見つからない。
「そう、なんだ……」
ヤユは少しうつむいて、抑揚のない声でぽそりとつぶやく。
ショックを受けた――というほどなのかは分からないが、まるで呪いを持つ自分自身を、人が、宗教が、拒絶したように感じてしまっているのだろう。
「あのな……」
「お兄さん、私はね‼」
ヤユが突然に立ちあがって叫んだ。
「確かに呪いにかかっちゃって、色んなことがあったけど……でも、今はそんなの全然気にしてないし、別に辛いとも思ってないんだ。えへへ、これはこれでいいもんだよ、怪我しても一回死んだら全部治っちゃうしね……それにね」
「……それに?」
「お兄さんが、来てくれて、わたしとこんなに話してくれた。それだけで、もう寂しくなんかないんだよ!」
そう言って、ヤユは屈託なく笑った。
時刻はそろそろ夕刻に差し掛かる。
茜刺すそのヤユの表情に、俺はほんの少しだけ、あの時のあの少女のことを重ねてしまっていた。
「…………」
呪い。
呪いとは何なのか。
なぜ呪いは人にとりつき、人をむしばみ、人の傍に立ち蔑むのか。
それは分からない。だが……俺が見てきた呪い持ちの人間たちは、なぜこうもみな強いのか。
それだけが、いつも頭の片隅で気になっている。
ずっと答えが出ない疑問だ。
**
・レサニア教
世界四大宗教の一つ。
自由と慈愛の精神を掲げ、特に北方大陸ではこれを国教としている国が多くみられる。
建築、絵画、音楽、文学……この宗教が文明に及ぼした影響は計り知れないが、同時に成立過程においては数多の無為な戦争を生み出した、歴史的にはあまりに功罪の大きい宗教だ。
隣人以外をも愛してみせるのは、中々難しいことらしい。
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