2話 「えっと……ほんとうに、もう、帰っちゃうの? お、お兄さん……」

「……へー、おじさ……お兄さんって呪言遣いなんだ。すごいね。水とか火とかいっぱい出し放題なんでしょ? ぶわーって」

「ああ、俺の魔力が持つ限りは……」

「へー……はー……。ふーん……かっこいいなあ、やるなあ、すごいなあ。わたし、才能ないから魔法とか使えないんだよねー……」

「そうなのか」

「うわー、それにしてもびっくりしたー……もう人の顔見る事なんて二度とないと思ってたよ! わたし……ちゃんと喋れてるよね? 言葉とか……だいじょうぶかな……」

「…………」


 ――あれから。

 彼女がおっかなびっくりと案内してきた場所は、いやに広すぎる客間のような部屋だった。

 俺が簡単に自己紹介をすると、少女は「ヤユ・ヒミサキ」と自分のことを名乗った。

 彼女は名前しか、自身の身の上を証明する方法はないようだった。

「えへへー、はいどうぞ……ただの水だよ。そこで汲んできたお水……毒とかははいってないですよ。わたしが先に飲んだほうがいいかな?」

「いや、別にそんな事一切疑ってないが……キミはここで、ずっと一人で暮らしてるのか?」

「うん」

「いつからだ?」

「えっと……それは……覚えてないかな。かなり前から……になるのかな」

「…………」

 コップに口をつける。

 古ぼけた木の味がする。樹齢三百年くらいは経っていそうな味の水だ。

「…………」

「…………」

「あの、お兄さん。えっと……さっきのさ……『あれ』の事なんだけど……」

「……ん?」

 おどおどと。

 そんな擬音がつきそうな様子で、ヤユがなにやら目を泳がせている。

 人さし指と人さし指をくっつけて、なぜか彼女の足元はわずかに震えていた。

 別に唐突な素性の知れない訪問者――この俺が怖い、というわけでもなさそうだ。

 だとすると。

 ――あれ。

 あれ、というのは、先ほど彼女の首が俺の足元にゴロゴロと転がってきた件しかない。

「お兄さん……。まさかお兄さんも、わたしと『戦いたい』とか、言いださないよね……?」

「…………」

 

 恐る恐るといった彼女の口から出てきたのは、俺にとっていささか予想外の言葉だった。

 飛躍している、とさえ言ってもいいが……。

 そういえば、兵隊や武芸者が何度も何度もこの森に向かった、という話を酒場で聞いた気がする。

 それはあくまでお伽話での、というではあったが。

 つまり、これはそういうことだろう。

 彼女……一見ただの少女にしか見えないヤユと兵隊やら武芸者やらが戦いたがる理由は、一つしか思い当たらない。

「やっぱり……。キミが、あの『死なない』……怪物なのか」

「……うん、そうだよ……」

 億死。

 女王。

 怪物。死に続ける少女。

 その単語が己自身を表すものだと彼女は知っているようだった。

 酒場の与太話は真実だった。

 本当に、死に続ける少女は存在していたらしい。

「……いや、俺は戦わない。わざわざここまで戦いにきたんじゃない。ただキミのその状態……『呪い』について少しばかり興味があるだけなんだ。よかったら、俺に色々と教えてくれないか? 頼む」

「…………」

 俺の言葉にヤユは訝しげな、その他複雑な感情のこもった、何とも言えない瞳を向けてくる。

 当然の反応だ。

 好奇心だけで動く暇人は実際のところ、それほど多くはない。

「本当? 本当の本当にわたしと戦わない……?」

「本当だ。俺はそういうのが好きじゃない。ただ、キミから話を聞きたいだけだ」

「…………」

 そう、憮然と言い切る俺の表情に何を見たのか。

 ヤユはそれでも迷っていたが、やがて観念したのか、ぽつりぽつりとそれを語りだした。

 それは我が身にいつからか発現した、どうしようもない呪いのお話だった。



現象1

 一日一度は死なないとヤユは『大きな怪物』になってしまう。

 自分を殺す。命を己で絶つことによって、彼女は怪物にならないで済む。

 だから彼女は日課に≪断頭≫の時間を設けている。

 自身の首を落として自殺することで、肉体の状態はリセットされ、怪物化を避けられる。


現象2

 怪物になると、ヤユは自我を失う。

 怪物になっている間、行動の制御は一切効かず、心身の支配権はその怪物に塗りつぶされる。


現象3

 怪物の行動原理は、目につく生き物すべてを蹂躙して、それから死体を適当に貪る。それだけである。

 怪物は殺戮衝動と死肉喰らいしか目立った特性はない。しかし、信じがたいほどに強い。


現象4

 殺しつくしたら変身は解除する。

 以上、繰り返し。



「…………」

 ――ヤユが話した内容を簡単に要約すると、こんなところだった。

 言葉を選んでいるのか、それとも何かを思い出しているのか。彼女の一言一言は噛みしめるように紡がれて、しかしその表情にこれといった感情はない。

 淡々としているようにも見えたし、苦悶を吐き出しているようにも見える。

「……こんな感じかな。わたしの『呪い』……ある日、朝起きたら、急にこんな体になってたんだ。それだけ……ただ、それだけのお話だよ……」

「……ふむ、なるほどな……」

 ヤユは顔を伏せて、緊張したように小さく息をはいた。

 無駄に広い部屋に、その空間にあるべき静寂が落ちる。

 すきま風か、机の隅に置かれたろうそくの火だけがゆらゆらと揺れている。

 ……彼女の話はだいたいこれで終わったらしい。

 ――俺はゆっくりと腰をはたいて立ち上がり、ヤユに事もなげに目を向けると、

「……キミの話はだいたい分かった。俺の興味はほとんど満たされてしまったから、もうそろそろ帰るとするよ。ありがとう」

「え……えっ……⁉」

 帰路につく準備をする。

 といっても、別に大きな荷物があるわけでもなく、俺がすることはこの場を片すことだけだ。

 だから、コップの水を一気に飲み干して、それを台所に持っていく。

 どうやら水は井戸の方から引いてあるらしいが、俺にはそれを使う必要はない。


「弾ける撥ねる大小の羽虫(オオキュージュ)」


 一言、それを唱える。

 すると、無から有――空間そのものから水が突然に発生し、次々と溢れだす。

 俺はゴシゴシとコップを洗って、そいつを食器棚に置いた。

 その間、ヤユは一言も発さずにこちらをじっと見つめている……のが、背中越しから気配で感じられた。

「……じゃあ、俺はこれで――」

「あ、あのッ……」

「?」

 簡単に礼を言って、ドアに手を掛ける。

 立ち去ろうとする俺に、なぜかしどろもどろ、妙に慌てた様子でヤユが話しかけてきた。

「えっと……ほんとうに、もう、帰っちゃうの? お、お兄さん……」

「? ああ、そうだが……」

「いッ、いや、あのね……」

「?」

 わざわざ席を立ち、俺の方に駆け寄ってくるヤユ。

 どうかしたのだろうか。

「お兄さんは……も、もうちょっと、ここでゆっくりして行けばいいと思うよ。うん、それがいい、それがいい……」

「……?」

「だ、だから! まだ帰らないで‼」

「!」

 ――ヤユに腕をつかまれる。

 その小さな体躯からは予想外なほどの俊敏さで、まるで縋りつくように。

「……えっと……わたしと戦いたい人とかは、今の話を聞くと、わたしを捕まえて無理やり『怪物』になるのを待つんだよね……だから説明は出来ればしたくなかったんだけど……。お兄さんは嘘つきじゃなかったし、うん……別に……そんなに、急ぐことないよ……ね?」

「…………」

 無言で佇む俺に、ハッと我に返ったような表情をするヤユ。慌てて手を離し、気まずそうに俯いた。

 震える手、落ち着きのない足元。

 それはさながら、孤独を恐れる老人のようでもあるし、寂しがりな子供のような態度にも思える。

 いずれにせよ、ただの変哲もない少女がしていい顔ではない。

「……わかった。なら、そうさせて貰おうか」

「…………!」

 正直、かなり驚くべき提案だった。

 だが……人生は無闇に長い出口なき檻。行く当ても特にない俺にとって、それを断るほどの理由の持ち合わせは見当たらない。

「しばらく、世話になる」

 唐突に。あまりにも唐突に。

 ――こうして俺と彼女、ヤユ・ヒミサキとの奇妙な共同生活が始まってしまったのだった。






**


・魔法

この世界が編まれた時から存在する、制御しうる力の奔流だ。

人が歴史の中で見つけてきた法則の中でも、特に人が理解出来るものだけを希釈して集めていった……それが魔法であり呪言だ。

しかしそれでも、人の手には余りすぎる様だが……

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