渡る世間はバカばかり

一布

渡る世間はバカばかり


 カーネル・サンダースの、恰幅のいい姿が目に映った。


 白いスーツに温和な笑顔。

 両手には何も持っていないけど、いつでもフライドチキンのバケットを抱えられるポーズ。


 ケンタッキー・フライドチキン。

 国道沿いにあるその店舗の前で、俺は足を止めた。


 四月下旬の昼間。

 気温は高くなってきていて、すっかり春の陽気を感じさせる。


 土曜日。今日は休日だ。


 カーネル・サンダースの像に、俺はそっと手を触れた。両手で抱えるように。大きなコンクリートブロックの上に立つ彼を、持ち上げようとする。


 サンダース自身は、実は軽い。中身が空洞なのだ。

 けれど、持ち上がらない。

 コンクリートブロックに、チェーンロックで固定されている。

 ガチャン、とチェーンが金属音を鳴らした。


 昔は、サンダース像の盗難が多かったそうだ。だからだろう。今では、どこの店舗でも、サンダースが盗まれないように対応されている。


 サンダースから手を離すと、俺は再び店舗に目を向けた。フライドチキンのいい匂いが鼻孔をくすぐる。口の中で、涎が出そうな匂いだ。


 店舗から、一組のカップルが出てきた。クリスマスでもないのに、大量に買い込んでいた。


 男は片手に、袋に入ったフライドチキンのバケットを持っている。もう片方の腕には、彼女がしがみついていた。胸が押し付けられている。割と大きいな。Fカップくらいか。でも、羨ましくなんかないぞ、バカップルめ。


 俺にだって、家で待っている人くらいいるんだからな。お前の彼女に負けないくらいに大きいんだからな。いや、小さくもあるけど。


 妙な対抗心が生まれて、俺は店舗に入った。久し振りに、大量にフライドチキンを買っていこう。


 あの仏のような店長がこの店から異動になって、もう五年ほどか。


 すっかりこの店から遠ざかっていたことを、俺は思い出した。最後に来たのは、以前の店長が異動になる頃。俺が三十歳のときか。


 あれから五年。俺ももう、三十五になった。すっかりおっさんだな。


 そんなことを思いつつ、店の自動ドアの前に立つ。ドアが開く。


「いらっしゃいませー」


 スタッフが、元気な声を上げた。


 店内に入ると、一層、食欲をそそる匂いが強くなる。肉と油の匂い。

 

 腹が鳴りそうな感覚に包まれながら。

 俺は、昔を思い出して、ちょっとだけ笑ってしまった。


  ◇  ◇  ◇


「私は勝ち組! イエーイ!」


 夜の大衆居酒屋。週末。


 周囲の席には、仕事帰りのサラリーマンや大学生が大勢居る。


 そんな居酒屋の二人席。


 俺の目の前にいる女は勝ち誇ったように言い、ジョッキのビールを口にした。


 宮村千香みやむらちか。二十一歳。俺の大学の同期だ。二人ともワンルームに一人暮らしで、自由気ままな生活を満喫している。


 ちなみに俺は、法学部。


 季節は秋。十月。クリスマスまで、あと二ヶ月ほど。


 はしゃぐ千香に苦笑しながら、俺は、手元の枝豆をポリポリと食べていた。手元のグラスに入っているのは、カシスオレンジ。酒はそんなに強くないのだ。


 千香は美人だ。スレンダーでウエストが引き締まっている。身長はそれほど高くないものの、頭が小さくスタイルがいい。ロングでストレートの髪の毛は綺麗であり、色っぽくもある。


 反面、性格はサバサバしていて、付き合い易い。大学に入ってからできた友人だが、妙に気が合って、こうして二人で呑むことも多かった。


 前に千香と二人で呑んだのは、一ヶ月前。彼女が、前の彼氏にフラれたときだ。


 あのときの千香は今とはまるで正反対で、泣きじゃくっていた。


 それまで何度か、千香の失恋のやけ酒に付き合わされたことがあった。彼女が男にフラれる理由は、いつも同じだった。


「そんなに重いとは思わなかった。付き合ってると、疲れる」


 だが、俺は、千香から「重い」などという印象を受けたことはなかった。むしろ、性の欲求すら端的に口にし、性格も頭も軽いという印象を持っていた。


 もちろんこれは、悪口じゃない。それだけ付き合い易いんだ。俺にとっては親友と言っていい。


 あまりに俺と千香の仲がいいので、周囲の奴等には付き合ってると勘違いされることがある。


 でも、俺と千香が付き合うことは絶対にない。間違いなく。


 確かに千香は美人だし、スタイルもいい。でも、俺の好みには合わないのだ。友人としての好みではなく、恋人としての好み。


 俺は巨乳派だ。最低でもEカップは欲しい。できれば、Gカップくらいほしい。


 千香は、本人曰く、Bカップらしい。

 足りないのだ。絶対的に。どうしようもなく。物理的に。


「──と、言うわけで」


 ジョッキのビールを飲み干し、饒舌に千香は続けた。


「私は彼氏と、熱いクリスマスを過ごしまーす! 勝ち組イエーイ!」

「ああ、はいはい。おめでと」


 俺なんか、一ヶ月前に彼女と別れたばかりなのに。


 あいつはよかったなあ。可愛かったし、そこそこ料理も上手かったし。


 何より、Gカップだった。


 やっぱり、Gカップのおっぱいを愛ですぎたのが駄目だったのか。顔を埋めたり、揉みまくったり、吸い付きまくったのが駄目だったのか。


 でも、仕方ないじゃないか。男ってのは「見たい」「揉みたい」「吸い付きたい」という呪われた三大欲求に支配される生き物なんだから。


「ん、で」


 千香の頬が赤い。もう酔ってるな、こいつ。綺麗な顔に、からかうような笑いを張り付けていやがる。


智高ともたかはどうなの? 巨乳の彼女とは、いい感じ?」

「別れたよ」

「え? 嘘、聞いてない」

「まあ、言ってないしな。ちょうど、お前が前の彼氏と別れた頃に、俺も別れたんだよ」

「マジで?」

「マジで」


 千香は少しだけ神妙な顔になって、俺の顔を覗き込んできた。


「あの、もしかしてだけど」

「何だ?」

「もしかして、私が前の彼氏と別れたから? 私と付き合うために別れたとか?」


 アホか。


「酒で脳ミソやられたのか? それとも、胸と同じで、脳ミソも小さいのか?」

「ちょっ……あんた」

「はっきり言おう。俺は巨乳派だ。Bカップじゃ役者不足だ」

「ふん!」


 千香は店員を呼び、急によそ行きの顔になってビールの追加を頼んだ。


 注文を取る男の店員。その鼻の下が、伸びている。


 おいおい、お兄さん。こいつの顔立ちに騙されるな。そいつは、俺の前では堂々と「ムラムラする。彼氏に会いたい」とか言う女だぞ。


 店員が去って行くと、千香の表情は元に戻った。つまり、遠慮のない発言をする顔。


「まあ、あんたは、そうやって、妄想の巨乳を追い求めてなさい。その間に、私は、彼氏と熱い夜を過ごすんだから。クリスマスには、キャンドルどころかキャンプファイヤー並に燃え上がるんだから。熱い聖夜を過ごすんだから」

「そうかよ。せいぜい、揺れない胸を晒して頑張ってろ」


 悪態を返しつつ、さらに心の中で毒突いた。


 お前が過ごすのは聖夜じゃなく、性夜だろ。


  ◇


 結局、巨乳の彼女ができないまま、クリスマスを迎えてしまった。


 十二月二十四日。その夜。


 街はクリスマス一色。配色豊かな光で飾り付けられたクリスマスツリーが、夜の街を明るくしている。

 

 そこら中にあるクリスマスツリー。赤や青やオレンジの光の中を、カップルが歩き回っている。どこを見てもカップルだらけだ。


 いや、カップルじゃない。バカップルだ。見渡す限りバカばかりだ。ポケットの中で手を繋いだり、肩を抱きながら歩いたり。


 あ。こんな街中で、堂々とキスしていやがる。しかもあの女、コートの上からでも分かるくらい巨乳じゃねぇか。くそ。羨ましい……。


 そういえば、最後に彼女とクリスマスを過ごしたのは、いつだったっけ。


 そうだ。あれはもう、二年も前か。告白されて付き合ったんだっけな。


 あいつ、告白してくるとき、声が震えてたよな。切なそうだったな。OKしたら、喜んでたな。


 いい女だったな。Fカップだったし。

 そういえば、どうして別れたんだっけ。


 あ、そうだ。千香との仲を疑われて、ギクシャクして。そのうち、あいつに、他に好きな男ができたんだったか。


 くそ。


 千香は、今頃、彼氏と一緒なんだろうか。一緒なんだろうな。別れたなんて話も聞かないし。彼氏とデートとか言って、しばらく呑みにも行ってないし。


 ちくしょう。千香は今頃、彼氏とフィーバーか。年末大放出か。パチンコ店の大解放みたいに、ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ。まあ、放出するのは玉じゃないけど。いや、ある意味では玉か。


 あーあ。寂しいクリスマス・イヴを過ごすのは、俺だけかよ。


 ──いやいやいやいや! 違うぞ!


 俺は寂しくなんかない。寂しいクリスマスにしないために、こんな日にわざわざ街まで繰り出したんじゃないか。


 俺は、街中にある大型のディスカウントショップの帰りだった。クリスマス・イヴを彩るアイテムを購入しに来たんだ。鞄の中には、それがいっぱいに詰められている。


 七本のAVだ。


 七本とも、厳選した巨乳モノだ。七人の巨乳だ。ジャンルにだってこだわった。女教師、女子校生、OL、看護士、ギャル、金髪の姉ちゃん、スチュワーデス。まさにハーレムだ。


 世の中のバカップル共。せいぜい、二人だけの夜を過ごせばいい。


 俺は、俺と七人の巨乳で、最高に熱い夜を過ごしてやる。全方向巨乳で埋め尽くした夜を過ごしてやる。燃えて、燃えて、朝まで燃え上がって、明け方には燃え尽きて眠りにつくんだ。


 もちろん、七人の巨乳(のAV)と一緒に。


 そんなことを思いつつ、俺は早足で帰路を進んだ。


  ◇


 自宅のベッドの中で、目が覚めた。

 枕元には、七人の巨乳(のAV)。


 もう、すでに夕方だった。


 時計を見ると、午後六時半。


 あれ? 午後六時半って、夕方じゃなくて夜なのか。


 まあ、どっちでもいい。

 

 クリスマス当日。十二月二十五日。


 目論み通り、俺は熱い夜を過ごした。七人中五人がGカップ。他の二人はHカップとIカップ。


 まあ、Iカップに愛はなかったけど。


 それでも俺は、熱い夜を過ごした。


 断言しよう。千香よりも熱い夜を過ごしたと。


 それはもう、凄い夜だった。千香はBカップ。こちらの戦力──もといおっぱいは、一人だけでも、あいつの何倍もの重量がある。戦闘力は段違いだ。それが七人もいたんだ。


 あいつがキャンプファイヤー並の熱い夜を過ごしたというなら、俺は、太陽のように燃え盛る夜を過ごしたはずだ。間違いなく。


 さて、と。


 俺はベッドの上で体を起こした。


 ああ、疲労感が尋常じゃない。


 そりゃそうか。七人の巨乳を相手にしたんだから。しかも、中には二回戦まで突入した巨乳もいたんだから。疲れて当然だよな。むしろこれは、誇るべき疲れだ。俺はやり切った。


 頑張り過ぎたせいか、寝起きだからか、喉が渇いたな。


 俺はベッドから降りると、冷蔵庫まで足を運んだ。開ける。開封済みのペットボトルに手を伸ばす。中には、スポーツドリンク。運動の後はこれだよな。


 ラッパ飲みしたペットボトルから口を離し、ふう、と息をついた。


 丁度、そのタイミングだった。電話が鳴ったのは。


 誰だよ。俺が虚しい──。いやいや、違う違う。心地いい疲労感に包まれてるときに。


 電話を手に取る。


 出てみると、架けてきたのは千香だった。


「もしもし? 智高?」


 千香の声は、どこか暗かった。


「ああ」

「今、いい?」

「どうした?」

「ちょっと、お願いがあって」


 千香の声は、明かにいつもと違っていた。どこか暗い声。


 いや、暗い、とは違う。声色が違うんだ。

 震える声。切なそうな声。


 こんな千香の声は、聞いたことがなかった。

 けれど、こんな声に、聞き覚えはあった。

 千香の声じゃない。

 でも、似た雰囲気の声。


 そうだ。


 俺の脳裏に、記憶が蘇った。二年前の、元彼女の記憶。元彼女の、告白のときの声。口調。


 あいつも、告白してくるとき、こんな感じだった。声を震わせて、切なそうで。一生懸命、勇気を絞り出しているようで。


 いや。でも。まさか。

 今話してるのは、千香だぞ。


 おいおい、嘘だろ。そんなはずないよな? だって、こいつには彼氏がいて、昨日だってお楽しみだったはずなんだ。


 いや。でも。もしかして。


 また、俺の脳裏に記憶が蘇った。


 二年前に彼女と別れた理由。

 彼女に、千香との仲を疑われたから。


 断言する。あのときの俺は、千香に対して、そんな気持ちなんか微塵も抱いていなかった。ただ美人でスタイルがいいだけの、気の合う男友達のような、女友達。


 それだけだった。

 少なくとも、俺は。


 でも、もし。

 もし、千香が、俺にそういう感情を抱いていたのだとしたら。

 それに、元彼女が感付いていたのだとしたら。


「あのね、智高」


 電話越しの、千香の声。

 耳元で囁かれる、千香の声。


 今まで想像もしていなかったことを考えたせいだろう。俺の頭の中は、千香のことでいっぱいになってきていた。千香の、いいところ。


 千香は美人だ。スタイルもいい。長いストレートの髪の毛が、綺麗で色っぽい。一緒にいると楽しいし、本音で語り合える。


 感情表現がストレートで、情が深い。フラれて悲しいときは大泣きし、嬉しいときは顔いっぱいに笑みを浮かべる。泣顔も、笑った顔も、お世辞抜きで綺麗だ。


 小さな胸だって、全体として見ればバランスが取れている。美人だけど、いやらしさがない。


 そういえば、大学には、いつも自作の弁当を持ってきていたな。意外に料理上手なんだよな。


「お願いがあるの。いい?」


 千香の躊躇うような声が、俺の心臓を高鳴らせた。


 俺は巨乳派なのに。

 千香は好みじゃないのに。

 それなのに、心臓が高鳴った。


「なんだよ?」

「言いにくいんだけど……」


 千香は言いよどむ。

 俺は、その先が聞きたくなった。


「いいから言えよ」

「うん。あの──」


 覚悟を決めるように、千香は少しだけ間を置いた。


 そして──


「カーネル・サンダース運ぶの、手伝って」

「……は?」


 カーネル・サンダース?


「カーネル・サンダースって、あの、ケンタッキーの?」

「うん」

「なに言ってんの、お前」

「実は──」


 昨晩、千香は、ひとりで、完全に記憶がなくなるまで呑んだらしい。


 記憶がないまま家に帰り、化粧も落とさず着替えもせずに眠り、気が付いたら今日の夕方だった。


 なぜか、ベッドの傍らには、カーネル・サンダースがいた。温和な笑顔で、千香を見守るかのように。


「まったく覚えてないんだけど……サンダースをお持ち帰りしちゃったみたいなの」


 アホか。いや、アホだろ。


「たぶん、あの国道沿いの店のサンダースだと思うんだけど」

「……」

 

 俺はつい、呆れて、大きな溜息をついた。電話を片手に、もう片方の手で額を押さえる。


 なんでクリスマスにサンダースなんだよ。そこはせめて、サンタクロースだろ。


 いや、そういう問題でもないか。これは立派な窃盗だ。曲がりなりにも法律をかじっているわけだから、俺はこういうことにはうるさいのだ。


「だからね、お願い。今日の夜中にでも、サンダース運ぶの、手伝って欲しいの」

「アホか。ふざけんな」


 こいつに少しでもドキドキした俺がアホだった。こいつもアホだが、俺もアホだ。


 というか、俺のときめきを返せ。


「そんなもん、彼氏に頼めよ。クリスマスにお前みたいなアホをひとりにした彼氏が悪い。全部悪い。責任取らせろ」


 容赦なく、切り捨てるように断ってやった。


 電話の向こうで、千香が沈黙した。なんだよ? もしかして、彼氏と喧嘩でもしたのか。


 十秒ほどだろうか。沈黙の後に、うっ、うっ、という声が聞こえてきた。それが何の声かは、すぐに分かった。


 泣き声だ。


 堰を切ったかのように、千香は泣き出した。


「あんたバカなの!? 彼氏がいたら、クリスマスにひとりで呑むわけないじゃん! 別れたの! 重いとか言われて、またフラれたの! 空気読んでよ! 察してよ!」


 涙声で怒鳴って、千香は、わあぁぁぁんと子供のように泣いていた。


 ……お、おう。確かに。彼氏がいたら、クリスマスにサンダースを持ち帰りなんてしないよな。サンダースと一夜を共にはしないよな。


 まあ、本物のサンダースが存命なら、年の差カップル誕生のチャンスだったかも知れないけど。残念ながら、彼は故人だし。


 泣き喚く千香に戸惑っているせいか、どこか的外れなことを考えつつ。


 俺は、二度目の大きな溜息をついた。


「わかったよ。でも、返却は明日の昼間な。店の人に事情を話して、ちゃんと謝罪するぞ。俺も一緒に行ってやるから」

「……う゛ん」


 電話の向こうで、千香は頷いたようだった。

 鼻をすすりながら。


  ◇


 十二月二十六日の昼間。


 俺は千香を連れて、国道沿いのケンタッキーに足を運んだ。もちろん、サンダースも一緒だった。


 店内に入り、スタッフに事情を話して。

 店長が出てきて。

 店長にも事情を話して、誠心誠意謝罪して。


 店長は、苦笑しながらも許してくれた。訴えるつもりはないという。盗難届を出していたそうだが、取り下げてくれるそうだ。仏のような人だ。


 せめてもの謝罪の意味も込めて、俺は、大量にフライドチキンを購入した。財布に残っていた金をほとんど使って。七人の巨乳やフライドチキンと引き替えに、俺の財布から諭吉が旅立っていった。


 今は、その帰り道。


 行き道で一緒だったサンダースは、当然ながらもういない。俺と千香のふたりっきりだ。


 とぼとぼと、二人で歩く。

 俺の両手には、フライドチキンのバケットを入れた袋。


 俺の横を、珍しく神妙な顔をした千香が歩いている。


「あの……ごめんね、智高」

「まあ、いいとは言わんけど。でも、今回は、どうしてフラれたことを俺に言わなかったんだよ?」

「だって」


 千香は唇を尖らせた。


「彼氏ができて、クリスマスは彼氏と過ごすって大見得切ったから。恥ずかしくて、フラれたなんて言えなかった」


 そういえば、キャンプファイヤー並に熱い夜を過ごすって宣言してたな。


「とりあえず、お前はもうひとりで呑むな。都合が悪くなけりゃ、俺が付き合ってやるから」

「本当に?」

「ああ」

「クリスマスでも?」

「彼女がいなけりゃな」


 七人の巨乳は、俺の彼女じゃない。


「そんな先のことより、まずはこのフライドチキンだ。今から消費するぞ。酒くらいはお前が奢ってくれよな。フライドチキンで、俺の財布はスッカラカンだ」


 財布がスッカラカンになった原因が七人の巨乳にもあることは、言わないでおく。


「わかった。いくらでも奢るよ」

「じゃあ、コンビニ寄るか」

「うん」


 結局、俺達は、千香の家で朝まで呑んだ。フライドチキンを貪った。


 次の日は、胃もたれした。


  ◇  ◇  ◇


 久し振りにケンタッキーでフライドチキンを買って、俺は家に帰ってきた。


 去年ローンで購入した、二LDKのマンション。三十四歳にして、人生で一番大きな買い物だった。


 鍵を開ける。家の中に入る。


「ただいまー」


 リビングに向かって声を掛けた。


 パタパタと足音がして、リビングと玄関の間のドアが開いた。


「おかえりー」


 言うが早いか、千香は、俺に抱き付いてきた。まるで、木にしがみつくコアラみたいだ。


 人懐っこい小型犬のように甘えてくる。ブンブンと振る尻尾が見えそうなくらいの甘え具合だ。


 ──サンダースお持ち帰りの、翌年のクリスマス。結局、二人とも独り身だったから、約束通りに俺は千香と呑んだ。彼女の家で。


 酔った勢いで、巨乳について語る俺。千香は、おっぱいに貴賎なんてないと反論。挙げ句の果てに、Bカップの素晴らしさを教えてやると言って、おっぱいを丸出しにして見せつけてきた。


 結論を言おう。

 小さいおっぱいも悪くなかった。むしろ、凄くよかった。


 そのままなし崩し的に一夜を共にし、なし崩し的に付き合い始めた。


 付き合い始めた途端に、千香は甘ったれになった。今までの彼女が嘘のように。


 歴代の彼氏に「重い」と言われ続けていた理由に、俺はようやく気付いた。


 でも、この重さを、俺は、不快とも面倒とも思わなかった。


「あれ? ケンタッキー買ってきたの?」


 俺に抱き付きながら、千香は、片手に持ったバケットに気付いたようだ。


「まあ、久し振りにな。なんだか食いたくなった」


 まさか、店から出てくるバカップルを見て、昔のことを思い出したなんて言えないし。


「じゃあ、さ」


 言葉を一旦途切れさせて、千香は、ついばむようなキスをしてきた。二度、三度。ちゅっ、ちゅっ、と音を鳴らして。


「美味しいケンタッキーとオイシイ私、まずはどっちにする?」


 店から出てきたカップルがバカップルなら、俺達はバカ夫婦だ。バカばかりだな。


 あのカップルの女よりも、千香のおっぱいは確かに小さい。でも、千香の愛は大きい。Gカップよりも、Hカップよりも、ずっと。


 俺はバケットが入った袋を下ろすと、そのまま、千香を寝室に運び込んだ。

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渡る世間はバカばかり 一布 @ixtsupu

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