第十話:魔物を狩れと言われても、戦う決心がつくか分からない

第十話:魔物を狩れと言われても、戦う決心がつくか分からない

 

「ふぁあ、おはよう。……って、僕が一番か」


 ベッドから体を起こした僕は、けだるげに首を動かして左右を見る。


 でも、三つの布団は膨らんだままだ。


 僕はあまり早起きな方ではないけど、皆疲れてるんだね。


「はあ。水でも飲むか」


 小さくあくびをして、まとわりつくかけ布団を剥がす。


 僕たちがゼアーストにやってきて、一週間が経った。今日が八日目だ。


 異世界にやってきたという実感が湧いたのか、最初の三日ほどでクラスのほぼ全員が落ち着きを取り戻した。


 もちろん京月さんのように、地球を懐かしむあまりホームシックに陥る人もいたけど、周りの人が支えになったおかげで、今では克服している。


 僕もだいぶ、王城での生活に慣れてきた。


「うっす、おはよう」


「ああ、もっと寝てえ」


「また、筋肉痛だ。全身が痛い」


 僕が流しで水を飲みながら考え事をしていると、同室の三人が起きてきたようだ。


 高坂くんは相変わらずのローテンション、渡会くんは目覚めが悪そう、長谷屋くんは昨日の無理が祟ったみたいだね。


 三人の腑抜けた顔を見ていると、今日もまた、何の変哲もない一日が始まるんだなっていう気持ちで胸がいっぱいになるよ。


 そうだ!


 せっかくだし、今日は僕たちの一日を順に追っていこうか。


 まず初めは、起床。だいたい、毎日朝の六時から六時半くらいかな。


 少し早いと思う人がいるかもしれないけど、僕たち全員は病気やけがの場合を除いて、これくらいの時間に起きるようにしている。


 というのも、僕たちはほぼ毎日、異世界の教養を学ぶ座学で頭を使うし、体を動かす訓練に励む。


 生活リズムを崩すと、これらの遂行に支障が出る。


 できるならそれは避けたい。勇者は、無理をしない程度に強くならないといけないから。


 そして強くならないと、この世界では生きていけないから。


「さ、早く目を覚まして!朝ご飯にいくよ」


 僕は早速、高坂くん、渡会くん、長谷屋くんを急かし、流しの方へと追いやる。


 ちゃんと顔を洗ってもらわないと、リーダーの僕も恥ずかしいからね。


 数日ほど三人と過ごしてみて、分かったことがある。


 それは、この三人は起きてからというもの、いつまで経っても動こうとしないので、さっさと部屋から引っ張り出さないといけないということだ。


「え、ちょっと待てよ……」


「あと五分で、五分でいいから寝させて……」


「まずは軽くストレッチしてから眠気を覚ました方が……」


 うだうだ言ってるが、彼らを待っていると朝食を食べ損ねる。


 高坂くんは何度も「待ってくれ」と言って頑なにベッドから出ようとしないし。


 渡会くんは「あと五分!」を繰り返して、ひたすら睡眠時間を延長するし。


 長谷屋くんは他の二人よりマシだけど、準備が長い。「朝はストレッチとラジオ体操が欠かせない」とか言って、体のメンテナンスに長い時間をかけるし。


 ああ、いけないいけない。愚痴じゃなくて、一日の流れを説明するんだったね。


「おはよう、十海くん」


 なおもごねる三人の背中を押しながら、階段を二階分降りた先。


 別館一階のエントランスには、四人の女子がいた。


 その内の一人、京月さんが僕の姿を捉えると同時に、走り寄りながら挨拶してきた。


「あ、おはよう京月さん。蝶野さんに岩本さん、林崎さんも」


 すぐさま京月さんが僕の左を陣取り、少し遅れて蝶野さん、岩本さん、林崎さんの三人がやってきた。


「おはよう。朝だっていうのにあんたら、揃いも揃ってしけた顔してるわね」


 蝶野さんはいつもこうだ。朝でも昼でも晩でも、常にこの態度。


 なんなら、目上の人であってもこの言動をやめようとしない。


 おかげで彼女と一緒にいると、いつ喧嘩になるかヒヤヒヤしっぱなしだ。というか、いつか絶対喧嘩になるよ。


「ひどいこと言っちゃ駄目だよ真衣。……おはよう。長谷屋くん、昨日はありがとうね」


 岩本さんは、すごい真面目だ。


 昨日は日曜日で、座学も訓練も休みだったんだけど、彼女は長谷屋くんと一日中、近接戦闘の練習をしていた。


 昔から体つきがしっかりしてたらしいから、なまらないように体を動かしているんだろう。


 僕としては、長谷屋くんがボロ雑巾みたいになって帰ってくるのが気がかりなんだけどね。


「……おはよう」


 林崎さんは意外と、オールラウンダーだった。


 ゼアーストにやってきたというのに大して動じた様子もないし、すらすらと異世界の知識と教養をものにしている。


 運動ができないわけでもない。持久力があるようで、暇な時間には渡会くんや岩本さんとランニングをしていることもある。


 それに、吹き矢に使い方なんてあってないようなものだけど、武器の扱いも器用だ。


 小学生の頃から吹奏楽をやってたそうだから、肺活量があるんだろうね。


「それじゃ、いこっか」


「うん、今日もがんばろ」


「おう。ちょっと、ゆっくりで頼むぜ……」


「少しは慣れなさいよ。もう一週間経ったんだから」


「飯!今日の飯はっ!?」


「……大丈夫。…ご飯は逃げない」


「あはは。皆いつも変わらないね」


「……痛い。体中が痛すぎる」


 確か三日目くらいからかな?エントランスで待ち合わせをしてから朝ご飯に行こう、って決めたのは。


 京月さんいわく、異性のメンバーとも親交を深めないと、この先やっていけないからぜひやろう、とのことだった。


 ………。


 もはや何も言うまい。


 願わくば、彼女が邪な思いを持っていませんように。


「十海くんどうしたの?怖い顔しちゃって」


「い、いや、なんでもないよ」


 僕の隣をキープし、にっこりとした笑顔で話しかけてくる京月さん。


 彼女は意外と強かだ。公衆の面前であ、あんなことをするくらいには度胸がある。


 座学は優秀で、サルゼアさんの授業を真面目に受けている。


 ただ、運動神経はそんなに良くない。どっこいどっこいの僕が言えたものでもないけど。


 完全な言い訳だけど、京月さんや僕みたいなのが一般的だと言いたい。


 地球出身だから、運動音痴なのも致し方ないってことだ。


 といっても、それは鍛えなくていい理由にはならない。悩ましい問題だね。


 あと、魔法の実践も割と手こずっていたね。でも僕が教え始めたから、全く心配いらない。


 人一倍の努力家だし、これから飛躍的に得意になっていくと思う。


「今日もよろしくね。私、絶対に強くなるから」


「うん、こちらこそよろしく」


 僕たちは渡り廊下を通り、本館に入る。


 やっぱり、京月さんは強い。


 あの後。 


 僕が奥の手である保留を宣告して、逃げ帰った次の日。


 魔法の練習で顔を合わせた僕に、彼女は言った。


『一晩考えてみたけど、私はやっぱり十海くんが好き。私に生きる道を教えてくれた十海くんが大好き。でも、十海くんの気持ちも分かる。だから、まずは友達から始めよう?女だからって変に気を遣わなくていい。私は、十海くんと一緒にいられるだけで幸せだから』


 あそこで逃げたのは間違いだった。


 彼女は、いたって真剣だったんだから。


「今日こそ魔法を使えるようになろう。京月さんなら、絶対にできるよ」


「うん。絶対にやってみせるから!」


 だから、僕も真剣に考えよう。


 京月さんとのこれからを。



 ※※※



 いけないいけない。また話が脱線しちゃったよ。


 次は朝食だ。大体いつも、七時から八時の間くらいかな。


 僕と京月さんを先頭にした八人組、グループ一村は食堂に到着した。


 あ、グループ一村っていうのは、僕をリーダーとしたこのグループの名前だ。


 そのまんまでセンスの欠片もない名前だけど、決めたのは僕じゃない。


 呼び名が必要ということで、東先生がいつの間にかそう呼んでいた。


 リーダーの名前を取ってグループ○○とした方が分かりやすいと、納得せざるを得ない論理を展開され、僕と野木島くんと井藤さんは首を縦に振るしかなかった。


 だから、僕は悪くない。


 どんなにダサくても、僕は悪くないんだ。


「お待ちしておりました。グループイチムラ、八名様ですね」


 こんなふうに、事あるごとに『グループ一村』呼びをされる。ま、いちいちとやかく言うほどのことでもないけど。


 僕たちの応対をしてくれたのは、初日の晩餐会で会った若い使用人の男性だ。


 名前はガナムトさん。主に料理を運ぶウェイターや食事の受付を担当しているらしい。


「ちょっと!そのダサい名前やめて!」


「申し訳ありません、マイ様。手続き上、必要なことなんですが……」


 ただ、僕のグループには、どんな小さなことでもとやかく言う人がいる。


 蝶野さんだ。


 今も、難癖をつけてガナムトさんに詰め寄っている。


「蝶野さん。他の人もいるし、無理を言うのはやめよう」


「何よ、注意しただけじゃない!騒ぐつもりはないわ。第一、ぼっちくんがちゃんと意見しないから……」


 口を挟んだ僕に標的が変わったみたい。


 相変わらず僕をぼっち呼ばわりする蝶野さんが小言を言おうとしたところで……。


「真衣」


「何よ!?……ゆ…な」


「真衣、分かってるよね?」


「……はい」


 京月さんが彼女の名前を呼んだ。


 たったそれだけで、蝶野さんは『はい』という、彼女にとっては綺麗すぎる一言を言って引っ込んだ。


 僕の目には、京月さんがいつもの笑顔を浮かべているようにしか見えないけど、これが『圧力』というものなんだろうか。


 やっぱり、女の人ってよく分からない。


「……お席の方をご案内しますが、よろしいでしょうか」


「はい、よろしくお願いします」


 京月さんの、少し違った意味の強さは置いておくとして。


 いい加減お腹がすいたので、ガナムトさんに案内をお願いする。


「こちらでございます」


 僕たちはいつものように彼についていくと、一分もかからずに見慣れた一角へと到着した。 


 というのも、食堂の机やイスの配置は毎日同じだから、僕たちは毎日同じ席で朝食を食べるのは分かっていた。


 けど、形式というものがある。


 ガナムトさんも他の使用人も、その形式に沿って仕事をして、対価として王国からお金をもらっている。


 つまり、めんどくさいからといって形式を軽んじてはならないということだ。そうしなければ、彼らの仕事を奪うことになっちゃうからね。 


「ありがとうございます、ガナムトさん」


「いえ、これも仕事のうちですので」


 代表して僕が礼を言うと、ガナムトさんは浅く頭を下げた後、入口の方へ引き返していった。


 彼もそうだけど、使用人の人たちは皆謙虚だ。


 僕たちが国賓並みの相手というのもあるんだけど、年上の人に敬わられるのは、どうも慣れない。


「早く食べよーぜ、今日のもめっちゃ美味そうじゃん!」


 全員が席に着いた後、渡会くんが待ちきれないとでも言わんばかりにそわそわし始めた。


 これもいつものことだけど、目覚めの悪い彼は、朝食を前にするとすぐに元気になる。


 なので、半分寝ててもいいから、食堂まで引っ張ってくるのが楽というわけだ。


「それじゃあ、頂きます」


 脇に置いてあった、濡れたタオルのようなもので手を拭いた後、僕たちは朝ご飯を食べ始める。


 今日の献立は、硬くて黒いパンと何の卵か分からない目玉焼き、何の肉か分からない焼かれたベーコンに、何の野菜が入っているのか分からない野菜スープだ。


 そしてドリンクは、よく分からない果物を絞ったジュース。 


 基本的に朝ご飯は、一人分の食事が各席に用意されている。


 日本のホテルにあるようなバイキングやビュッフェなんて形式は、到底無理だ。あれは大量に食材がないと成り立たないよ。


「………」


「………」


「………」


 食事中、僕も左隣の京月さんも右の席の高坂くんも、一言も発さない。


 別のグループの人たちの話し声がそこかしこから聞こえてくるけど、僕たちは黙って食べるようにしている。


 地球の味に慣れ切っているから、薄味のゼアーストの料理は意識して食べないと味を楽しめないんだよね。


「………」


「………」


「………」


「………」


「………」


 他のメンバーもだんまりだ。


 食リポは、自信がないのでカットでお願いします。



 ※※※



「これが眠いんだよな~!」


 背もたれに背中を預けながら、高坂くんが悲痛な声を漏らした。


 朝食を食べたら、次は座学の時間だ。八時半から十一時半まで、みっちりお勉強。


 談話室に集まり、いつもの席に腰を下ろした僕たち八人は、先生のサルゼアさんが来るまでおしゃべりをするのが恒例だ。


「ほんと。眠くて仕方がない」


「まあ、そう言わずにさ。頑張ろうよ」


 地球で過ごしてきた僕たちにとって、ゼアーストの教養と知識を得るのは必要なことだ。


 めんどくさく思う人はいるだろうけど、避けては通れない道。


 皆が早く一人前になれば、その分早く授業がおしまいになるだろうから、なおのこと真剣に受けた方がいい。


 サルゼアさんも忙しいだろうに、僕たちのために時間を取ってくれている。


 そのことにも感謝しないとね。


「まさか、異世界に来てまで授業を受けるなんて夢にも思わないよね」


 ここで、京月さんの鋭い指摘が飛ぶ。


 確かに。

 

 僕は違うけど、元一組の男子の多くはアニメとかゲーム感覚で、異世界では好き勝手にできると思っていたことだろう。


 その最たる例が、高坂くんだ。


 もう取り繕ってもしょうがないけど、彼はなんというか夢見がちな性格だから、たまに暴走してしまう。


 だから、僕たちがしっかり手綱を握っておかなくちゃいけない。


「意外な発見が多くて、俺は楽しいけどな。地球ではこうだったのに、ゼアーストではこうやって説明されてるのか、みたいな」


 長谷屋くんは好奇心が強い。いや、向上心というべきか。

 

 なんにでも興味を示すし、分からないことがあればすぐに聞いてくる。


 おかげで、僕も刺激を得られている。


「……それでは、今日の授業を始めます」


 なんて考えてると、ガチャと扉を開けてサルゼアさんが入室してきた。


 さあ、今日も頑張ろうか。

 

 相も変わらずにぎゅうぎゅう詰めの談話室の一席で、僕は気合を入れ直した。

 


 ※※※



 続いては、昼食の時間だ。十二時から十三時くらいまで。


「俺さ、だんだんこのパンが美味く感じてきたわ。何でだろうな、こんなに硬いのに」


「俺もそう思う。苦労の後の飯だからか?」


「きっとそうだよ」


 パンを噛みしめつつ、しみじみと感想を漏らす渡会くんと、彼に賛同する高坂くんと僕。


 そりゃそうだよね。慣れない食事でも、一週間にわたって毎食食べ続ければ、いやでも愛着が湧いてくるものだ。


「ほら、あんたたち!ボサッとしてる暇あるなら、私たちのサラダ取り分けてよ」


 恐い。


 僕たち三人が感傷に浸っている間に、蝶野さんが身を乗り出してきて命令してきた。同時に、両手にある四つの皿を押し付けてくる。


 昼食も食堂で食べるんだけど、朝食や夕食のときと机の種類が違っている。


 一つの超長い机に全員が座るんじゃなくて、大きめの円形の机が何個かあって、その内の一つに八人が座るという形だ。


「はい、直ちに!」


「やらせて頂きます…」


「ありがたき幸せ」


「なんで俺まで……」


 なぜか長谷屋くんも手伝わされた。ここは連帯責任ということにしておこう。


 昼食のメニューは、硬くて黒いパンと何の乳を発酵させたのか分からないチーズ、恐らく朝のジュースと同じ果物でできたジャムと、何の野菜が入ってるか分からないサラダ、何の果物か分からないジュースだ。


 お昼は一人分が用意されているわけではなく、テーブル中央に山のように置いてあるのを取り分けるという方式だ。


 そうなると、必要な分だけ取り分けるという行為が必要なわけで、必然的に僕たちがこき使われるのだ。


 バイキングみたいに大量にあるわけじゃないから、均等に分けないとすぐになくなる。正直、一人分を用意してくれと思ってる。


 まあ、今そんなことを思っても意味はない。頭よりも手をはたらかせないと、蝶野さんにどんなことを言われるか分からない。


 早速、僕たち四人はせっせと腕を動かしてサラダを盛りつけ、皿を女子に返した。


 悲しいかな。こんな感じでこき使われることが多くて、男子たちは彼女たちのサラダの好みを完全に把握してしまった。


「よくやったわ」


 蝶野さんは、美容のためとか言って大盛りのサラダを所望するんだけど、地球で言う紫玉ねぎみたいな野菜が苦手だから、上手く避けて取り分けるようにする。


「ありがとうね」


 一方、岩本さんは好き嫌いがないから、大盛りでなるべく全種類の野菜を入れてあげる。


「……ありがとう」


 林崎さんは少なめがいい。でもレタスのような野菜が好きらしいから、多めに入っているとなおよし。


「ありがとう、十海くん!」


 最後に京月さんは量、種類に関係なく、僕が取り分けてさえいればどんなサラダでも喜んでくれる。


 こんな感じ。


 やれやれ、一週間でずいぶんと慣れたものだ。


「やっと再開できる……」


 女子たちの機嫌を損ねずに済み、巻き込まれた長谷屋くんは思わず嘆いた。


 同感だよと思いながら、僕は改めて手元の料理に目をやる。


 お昼にパンとサラダとちょっとのスープだと、食べ盛りの僕たちには少なく感じるかもしれない。


 だけど案外、このくらいの量がちょうどいい。


 この後がハードだから、食べ過ぎると危険だからね。


「……本当においしい」


 林崎さんがパンを食べながら呟く。


 僕も、彼女や渡会くんの言うことが分かるかもしれない。


 朝食べたのと同じパンだけど、なんだかおいしく感じる。座学で頭を使ったからそう感じるのかな。


 ちなみに、特に味わうようなメニューでもないので、昼食の間は普通に喋っている。


「……一村くん。……ジャムとチーズを…のせて食べてみて」 


「えっ?…うん」


 僕が一人で感動していると、林崎さんがぽんとアドバイスを投げかけてくれた。


 でも、チーズのようなものはかなりもっさりとした食感で、パンよりも口内の水分を奪ってくるので敬遠してた。


 彼女を疑うつもりはないけど、本当においしいのかな?


「よいしょっと」


「………」 


 スライスされたパンの断面にチーズをのせ、ジャムのようなものを少々かけて、と。


 林崎さんはその様子をじっと見つめる。


「それじゃ、頂きます」


 ………。


 こ、これは!


「うまい!」


 ジャムのようなものに使われている果物が持つ強烈な酸味が、チーズのようなものによって中和されている!


 それでいて、チーズのようなもの特有の後に残るしつこい味は、ジャムのようなものが持つさっぱりとした清涼感でかき消されている!


 そしてなんといっても、どちらのトッピングも無味乾燥なだけのパンによく合う!


 さらに、一口ごとにチーズのようなものとジャムのようなもののバランスが微妙に変わるから、飽きが来ることもない!


 やはり林崎さん、目の付け所が違うね。


「……そうでしょ」


 僕がそう思うと同時に、彼女はエッヘンとばかりに胸を張った。


 あれ?


 僕、食リポもやれるんじゃないか?



 ※※※



 ところ変わって演習場。お次は十三時から十八時まで、訓練の時間だ。


 訓練は、大きく分けて二つのパートに分かれている。


 一つ目は通常訓練。十三時から十六時までやる。


 外部から派遣された冒険者の指導役がつき、汎用魔法の使い方や近接戦闘の立ち回りを学ぶ時間だ。


「皆こんにちは。昨日は充分に休めたかな?」

 

「まあ、ぼちぼちですね」


「体は休まりました」


 四人ずつ、二列に並んだ僕たちを見て、ハロートワさんが世間話を振ってきた。


 彼ともそれなりに打ち解けられたので、いつの間にか皆フランクに話すようになった。


 あと、さっきも言ったけど、昨日は日曜日。座学と訓練がお休みで、一日の自由時間が与えられた。


 といっても、今は僕たちの存在自体が秘密。王城の外を出ることができないから、できることは限られている。

 

 なので僕と京月さんと一緒に、本館にある書庫で色んな本を読んだ。


 それについては、またの機会に説明しよう。


「魔法が楽しくて、一日中練習してました」


「早く使いこなせるようになりたいし、暇だったもの」


 ほう。高坂くんと蝶野さんは魔法の練習をしていたらしい。


 魔法に関しては、個人によって成長の度合いが違う。


 どんぐりの背比べだけど、グループ一村の中では、僕と林崎さんがかろうじてリードしているくらいかな。


 魔力をどう捉えるかについて苦労させられたけど、地球で言うところの『気』のようなものとして考えてみた途端、僕はすんなりと魔法が使えるようになった。


 つまり、僕たち勇者には、魔法を発動して起きる現象をイメージするだけじゃなく、自分が分かりやすい捉え方で魔力そのものを認識することが必要なんだ。


「俺はバッチリです!外壁を何周も走ったんで、先週までの俺とは別人ですよ!」


「……でも壁ばっかりで景色が見れなかった。……ちょっと残念」


 渡会くんと林崎さんはランニングか。


 元々この二人は体力がある方だったけど、たとえ休日であっても鍛錬は欠かさないってことか?


 いや逆に考えて、普段これだけストイックだからこそ、優秀な基礎体力を維持できているってことかも?


 強いメンタルが先か、それとも粘り強い体力が先か。まさに、卵が先か鶏が先かだね。


「ハロートワさん。今日こそ、一本取りますよ!」


「俺はまたの機会にします。体が痛いので」


 そして、岩本さんと長谷屋くんが近接戦の練習、と。


 ある程度武器を使いこなし、それなりに動けるようになった二人は、先週の木曜日辺りからハロートワさんと一対一の模擬戦をするようになった。


 二人とも一度も勝てていないが、執念の炎は未だ燃えているようだ。


 でも、現職の冒険者は別格。


 体の置き方、足の踏み込む速度と勢い、自分と相手の武器の相性に応じた間合いの取り方。


 どれ一つとっても、僕たちは足元にも及ばない。


「おっ!楽しみにしてるよ、セラ。………それじゃあ、今日も始めようか!」


「「「はいっ!」」」


 ハロートワさんの号令に、皆が掛け声を上げた。


 さあ、気を引き締めていこう。



 ※※※



 僕を主観的に評価すると、戦闘面に難ありな魔法使いよりのタイプだ。


 ショートスピアは比較的扱いやすい武器だけど、少し癖がある。


 槍の先端が棘のように尖っているため、主な攻撃手段が刺突に限定されるからね。


 なので一般的には、攻撃の隙が少ない部類。だからこそ、その隙を見せないように気を付けなければならない。


 ハロートワさんからは、そう教わった。


「……ふう、疲れた」


 幸い、魔法の技能は順調に伸びている。


 イメージが洗練されてきて、発動が安定するようになった。


 でもコントロールが未熟で、狙った位置に飛ばすのが難しいけど、直に克服できるはず。


 もっと練習が必要だ。


「お疲れさま、十海くん」


「一村、お疲れ」


「お疲れ。京月さん、高坂くん」


 三時間に及ぶ通常訓練が終わり、今は休憩時間だ。


 この後、十六時半から十八時までは、特殊訓練の時間。


 僕たち勇者一人一人が自主的に練習することで、自分が持つ特殊魔法の理解と練度を深めていく。


 勇者の強さはなんといっても、特殊魔法にある。


 これは言い換えると、特殊魔法しかないということでもある。


 地球出身の僕たちはゼアースト人よりも情報に疎いし、魔法の腕もへなちょこと言っていい。


 だからこそ、座学も汎用魔法の練習も人一倍頑張らないといけないし、特殊魔法を伸ばさないといけない。


 ようは、一日一日が大事になってくる。これに尽きる。


「あっ!また考え事してるでしょ。あんまり、一人で抱え込みすぎないようにしてよ?」


「一村はすぐ顔に出るな」


 でも、時には休憩も必要か。


 何事も思い詰めすぎない程度に、ね。


「そう?何でもないよ。……そろそろやろっか」



 ※※※



 さあ、一日も終わりに近づいている。


 十九時から二十一時にかけて開かれるのは、晩餐会。


 無事、けがもなく特殊訓練を終えた僕たちは今、本館一階の食堂に集まっている。


 そろそろ、全員揃った頃じゃないかな?


「あれ?今日はシルミラ様がいるんだね」


「京月さんも気付いた?……きっと、何か発表があるんだと思う」


「俺もそう思う。一週間の節目を過ぎたし、俺たちに伝えたいことがあるのかもしれない」


 隣は、京月さんと長谷屋くんだ。


 グループ一村では特に席順を決めずに、その時々で適当な席に座るようにしている。


 けれど、京月さんがいつも僕にくっついているから、左右どちらかには彼女がいるようになった。


 これは、素直に喜んでいいことなの?


「………」


 僕は視線を落とし、僕の顔をいびつに反射するクロッシュを見つめながら考えてみる。


 一応、僕の中では夕食と晩餐会の区別をつけている。正しい定義なのか分からないけど、姫様と王様が出席するか否かで使い分けている。


 だから初日の夜は晩餐会で、二日目から七日目は夕食。


 これをあてはめると、今夜は晩餐会と呼ばなくてはならない。


 ご覧の通り、シルミラ様とシルバース様がいるからね。


 当然、なにか意味があってのことだろう。


「勇者様方!皆様の日々のご活躍、目を見張るものがありますな!」


 すると、初日のときと同じようにシルバース王が号令を上げた。


 力強く、低い声だ。


 話始めとして社交辞令を言ったけど、とてもお世辞のようには聞こえない。


 心から僕たちを労ってくれているのかな、多分。


「今夜は折り入って、勇者様方にお伝えすることがある!」


 ほら来た。


 嫌な予感ほどよく当たるとはこのことか。


 いや、凶報だと決めつけるのは早いか。嬉しいお知らせも思いつかないけど。


 地球に帰れるようになった、とかはありえないし、魔王が死んだ、も絶対にない。


 となると、何が考えられる……?


 ああ、僕たちに関することがあったね。


「実は本日、我がホワイトローズ王国が勇者様方を召喚したことを、正式に発表した」


 発表した。過去形。


 すでに発表した後だから、伝えることがあるって言い方をしたんだ。 


「なあ、今まで発表されてなかったのか?」


「バカ、当たり前でしょ。タイミングを見測らないと混乱するだけなんだから、今まで隠していたのよ」


 人目をはばからず、こそこそと話し始めた渡会くんと蝶野さん。


 あの、シルバース様のお話の途中なんだけど……。

 

「勇者様方の召喚から一週間が経ったため、機は熟したとわしらは判断し、発表させて頂いた!」


 なるほど?


 もう一週間が過ぎたとも言えるけど、まだ一週間しか経っていないとも言える。


 王様たちからしてみれば十分待ったのかもしれないけど、僕たちからしてみればまだまだ慣れないことも多い。


 個人的には、少し早すぎる気がする。


 そう思う大きな理由としては、未だ戦闘面に課題があるからだ。


 武器を使った近接戦も、魔法を使った遠距離戦も、完璧にはほど遠い。


「これに伴い明日以降、勇者様方の城外への外出を許可する!わしらにとっては見慣れた景色だが、皆様方にとっては珍しいようじゃから、存分に楽しんでくださいな!」


 シルバース様は意気揚々と話し続けている。


 ずいぶんと熱くなっているようだ。


 秘密の告白をするときは、どうしても開放的な気分になる。それは一国の王であっても逃れられない心理現象なんだろうね。


「………」


 衝撃の発表を聞いた僕は、王様の方を見ないでひたすら考え続ける。


 念願の外出許可が下った。


 これで、王都ホワイトローズの城下町を拝むことができる。


 だけど、浮かれてはいられない。


 僕は、王様が勇者の存在を明かしたのには、大きな狙いがあると踏んでいる。


「また、皆様方も吸収が速いようじゃから、王選魔法使い、サルゼアによる指導も隔日とする。指導がある日はこれまで通り、ない日は午前中に訓練を行い、午後を自由時間としよう」


 その狙いというのが、厄介払いだ。


 あっ、王選魔法使いは、簡単に言うと王城に勤めている魔法使いのことね。サルゼアさんのような人がそれに当たる。


 前も言ったけど、彼はやることが多すぎてめちゃくちゃ忙しいらしい。 


 生活を豊かにしてくれる魔道具の開発をしたり、王城中の魔道具を管理、修繕をしたり。王族の人に魔法を指導したり、滅多に無いことだけど、異世界からやってきた僕たちに授業をしたり。汎用魔法に関する研究を深めたり、汎用魔法の使い方を指南する本を出したり、などなど。あと、ほとんど成功例がないけど、新しい特殊魔法を開発したりもするみたい。 


 だから簡潔に言うと、僕たちに構っている時間がもったいない。


 勇者を大事に育てていきたいけど、そのために優秀な魔法使いを拘束するのも惜しい。


 そういった思惑があるんだと思う。


「さらに、指導が休みの日の昼食はなしとする!調理師の者にも暇を与えないとならんのでな。街にも美味しい食事がたくさんあるから、勇者様方はぜひ味わってみておくれ!」


 これも、厄介払いだ。


 僕たち三十二人の食事を三食。合計して九十六食分を毎日供給し続けるのは、はっきり言って無理。


 調理師たちの負担がものすごいし、すぐに食材が足りなくなるだろう。 


 そもそもとして僕たちの他にも賓客がいるわけだから、その人たちの食事のグレードを落とすわけにもいかない。


 もって一週間くらい。今くらいの時期で限界なんだろうね。


「そう案ずるでない。部屋についてはそのままでよい!今まで通り、別館の部屋で寝泊まりしておくれ。流石に、着の身着のまま放り出すわけにはいかんからのう!」 


 上機嫌のシルバース様はジョークのつもりで言ったんだろうけど、誰も笑わない。孫のシルミラ様でさえも。


 面白いというよりも、ホッとしたという気持ちが強いからかな。少なくとも僕はそう。


 間違いなく、僕たちは城下町で部屋を借りて住むなんてことはできない。


 理由は、一目見ただけで僕たちが勇者だと気付かれるから。  


 そう、特徴的な黒髪と顔つきのせいでね。


「わしからは以上じゃ!……シルミラは、なにかあるかのう?」


 今まで覇気に満ちた大声で演説していたのに、一転して猫なで声を出して孫に聞くシルバース王。


 これじゃあ、威厳も何もあったもんじゃない。


 それと、王様も姫様も騎士様もひそひそ声が大きすぎる。遠くにいる僕にすら聞こえちゃってるし。


「一つあるわ、おじいさま。………勇者様方!城下町に行くにあたって、くれぐれもお気をつけて頂きたいことが、二つあります」


 おじいさまに促されたシルミラ様はすっくと立ち上がると、淀みなく話し始めた。


 きっと初めて会ったときのように、あらかじめ言うことを決めてあるのだろう。


 それにしても、良い声だ。おじいさまにはつっけんどんとした態度だったけど。


「一つ目は、あまり無理をなさらないこと!街の外に出て魔物を狩って頂くのも自由ですが、死なれては困ります。くれぐれもお気をつけください」


 いきなり、死ぬ、という直接的な表現で僕たちを脅してきた姫様。


 これは多分、何百年か前の勇者が向こう見ずだったのかな。その反省を活かして、今回は強く言い聞かせるようにしたって予想だ。


「あと、王都の近くにいてくださらないといけないので、遠出をするのもご遠慮願います」


 これも当然だね。

 

 目の届く範囲にいてくれないと、勇者たちを管理することができないから。


 それに万が一、街の外で行方不明になってしまったら、その人の生死が分からずじまいになる。


 そうなると、王国にとっては不利益でしかない。


「二つ目は、人前で特殊魔法を使わないこと。皆様もお気づきでしょうが、特殊魔法は奥の手。おいそれと使ってしまうと、色々とまずいのです」


 そう一息に言うと、シルミラ様はすとんと席に座った。


 無理の禁止と特殊魔法の禁止か。遠出の禁止を合わせると、実質三つの約束ごとになる。


 勇者という猛獣を野に放つ以上、首輪が必要になるのは当然の帰結だ。 


 そのことについては、僕に異論はない。


 でも………。


「それでは、頂くとしようかの!」


 話は終わったとばかりに、シルバース様が号令を取った。


 残念、思考の時間切れだ。


 疑問が尽きないけど、まずは腹ごしらえの後にまた考えよう。


「やっと食べられるね」


「今日はなんだろうね?」


 緊張の糸が解け、僕はタオルのようなもので手を拭きながら京月さんと言葉を交わす。


「………」


 そして充分にリラックスできたら、銀の取っ手を掴む。


 緊張の瞬間。


 クロッシュを優しく持ち上げ、そっと横にずらす。


 さてさて、今日のメインディッシュは………。 



 ※※※



 しまった。


 ありのままの日常を紹介しようと思ったのに、晩餐会が開かれてしまったよ。


 もう今更だし、他に非日常な時間があってもいいよね。 


「やあ、済まないな三人とも。眠いだろうに」


「いえ、大丈夫です」


 眠いけど、ここは建前を優先しておく。


 時刻は二十一時半、別館のエントランス。


 僕と東先生、野木島くんと井藤さんの四人は、隅の方にあるテーブルを囲んでいた。


「それで、話って?夕食のときのあれですか?」


「ああ、そうだ」


 野木島くんも眠そうだ。明らかに頭が回っていない。


 彼を一言で表すと、ザ・好青年だ。


 清潔感のある短髪に、面長の顔。長谷屋くん並みのがっしりとした体格に、百七十センチ後半くらいの背丈。加えて学年トップクラスの頭脳に、抜群の運動神経。


 彼を構成する全てが嚙み合っており、彼をイケてる青年に仕立て上げている。


「率直に聞く。三人はどう思った?」


 頻度は多くないけれど、先生はこんな感じで僕たちを集めることがある。


 各グループのリーダーである三人を招集し、意見を聞く。 


 先生なりに、僕たちを頼ってくれているんだろうね。


「私は、意外でした」


 入浴を終えたばかりで髪が乾いていない井藤さんは、タオルのようなものを頭に当てつつも素直に答えた。


 彼女もまた、野木島くんと同じくらい頭が良い。


 運動ができるかどうかは分からないけど、リーダーを張れるくらいの才覚はある。


 すらっとした手足と、さらさらと流れる黒いロングヘア―。美しいというほど格式高くないけど、綺麗という言葉では足りないくらいの魅力にあふれる女子。


 井藤さんはそんな人だ。


「僕も同感です。外出できるなんて考えてもいなかったので、寝耳に水ってこんなことを言うんだなって思いました」


 野木島くんも、ちゃんと自分の考えを持っている。


 グループ一村の男子たちのように、目の前の料理に夢中で話を聞いていなかったなんて初歩的なミス、絶対に起こさないんだろうな。


 ちょっと羨ましくなってきた。この二人のいるグループどちらかに電撃移籍したいんだけど。


「なるほど。一村は?」 


「あ、ああ、はい。……僕は、早すぎると思いました」


「早すぎる、か。確かにそうだな」


「はっきり言って、実力不足です。現段階の僕たちは、外でやっていけるほど強くなっていません」


 僕はここで、自分が実際に感じたことを正直に言っておく。


 包み隠しても良いことはないからね。


「それもあるな。……私は、真っ先に不安になったよ。偏見かもしれないが、城下街は治安が悪いイメージがある」


「私もちょっと怖いです。他の女子も、やっとお城に慣れてきたって感じなので、不安がると思います」


 東先生の率直な感想に、井藤さんも女子高生目線に立って意見を述べた。


 そっか、治安かあ。


 ラノベであれこれ知っている僕にしてみたら、異世界の治安なんて悪くて当たり前だと思ってたから、全然気にしていなかった。 


「……もしかしたら、王様は僕たちを早く送り出したいのかもしれません」


 目だけを動かし、誰か聞いていないかを確かめながら、僕はささやいた。


 なるべく王国の人の耳には入れたくない。


「魔族の脅威が、それほど急を要する事態ということか?しかし、いくら食い扶持が増えたといっても、そんなに急ぐ必要はないと思うが……」


「では、何か隠しているとか?他国と緊張状態にあることを言わなかったのも、それが関係しているんじゃ……」


 野木島くんも鋭い。


 僕もそう思う。


「その説を考えるなら、一番に思いつくのは情報ですね」


「情報?」


 僕が横から口を出すと、先生がオウム返しで聞いてきた。


「はい。スパイに情報を抜き取られることを恐れているんだと思います」


「スパイか」


「確かに、城内には多くの人がいます。他国の間者が紛れ込んでいてもおかしくはありません」


 僕の提言に、井藤さんが補足情報を付け足した。


 まず警戒すべきなのは、周りの目だ。壁に耳あり障子に目ありの精神で、常日頃からスパイに気を付けなければならない。


 といっても、今から気にしても遅いかもしれないけど。


 またサルゼアさんの授業では、王国以外にも様々な国があることは教わったものの、王国との国交や、戦争の歴史などは触れられなかった。


 よって、教会でシルミラ様が戦争の件を言おうとしなかったのも、危機意識ゼロの僕たちから情報が漏れることを嫌ったからかもしれないと推測できる。 


 それに……。


「それに、特殊魔法があります。僕たちが思いもよらない方法で、僕たちが知らないうちに機密情報を盗むことも考えられます」


「そうだな。そうなると、もはや対策のしようがないが……」


「気を付ける、しかありませんね」


 僕と先生があーだこーだ言う中、野木島くんが結論を出した。


 二日目の夕方、緊急事態に逃亡した僕以外の三十一人は、『神託』で知った特殊魔法の概要をティアーナ様に

話している。


 三日目に僕も教えたから、彼女は勇者全員の特殊魔法を把握している。


 彼女一人が知っていても意味がないので、シルミラ様やシルバース様に伝えるなり、文書として記録するなりしただろう。


 なので、もし城の中にスパイがいれば、それらの情報が持ち出されることもあり得る。


「とにかく、私たちは王国の人を信頼するしかない。もう特殊魔法を使った生徒もいるから、いるかどうかも分からないスパイに気を配るのはよそう」


 東先生は少しの間、腕組みをして唸っていたけど、ついに結論を出した。


 先生が言う通り、僕たちは二日目から六日目、曜日に直すと火曜日から金曜日にかけて、特殊魔法を使った訓練を行っている。

 

 魔法の規模や仕様のせいで演習場では発動できなかった特殊魔法もあったけど、それは少数だ。


 人払いも万全じゃなかったし、スパイの目に晒されていた可能性は拭い切れない。


「そうですね。それよりも、強くなることが先決です」


「僕も同意見です。聞く限りでは、魔族未満の強さとされている魔物も手強そうですし、近接戦闘と魔法を伸ばさなければ生きていけませんから」


「私もそう思います。そもそも女子に限らず、クラス全員が戦うことへの抵抗を持っているんじゃないでしょうか。それを払拭するためにも、野外での戦闘訓練も視野に入れるべきです」


 先生の結論に、僕たちはそろって同意した。


 それだけでなく、野木島くんと井藤さんは貴重なアドバイスをくれた。


 野木島くんの言う通りだ。


 魔族や魔王の前に、魔物を倒せなければ話にならない。街の外にいるのは、ほとんどが魔物なんだから。


 いずれ来るであろう魔王国への遠征に向けても、息をするように魔物を倒すレベルにならないといけないよね。


 加えて、井藤さんの言うことももっともだ。


 地球で暮らしてきた僕たちは貧弱だ。


 血を見るのも怖い人が多いだろうし、猛獣と命のやり取りをしたことのある人なんていない。


 心理的な問題として、猛獣よりも強い魔物に立ち向かえるのか、という課題もある。


「やめだ、やめ!考えても埒が明かん。いい加減眠くなってきたし、これで終わりにしよう」


「「「はい」」」


 あ、先生も眠いんだ。


 地球での暮らしとは違って、かなり体を動かすことが多いから、大の大人でも限界なのかな。


 結局、今日も実用的なアイデアが出ないまま、会議はお開きとなった。


「それじゃあ、おやすみなさい。野木島、一村」


「先生もおやすみなさい」


「おやすみなさい」


 エントランスを後にし、のそのそと歩きながら三階にやってきた僕たちは、口々に就寝の挨拶を交わす。


 東先生と井藤さんはもう一階上の四階に部屋があるから、ここで別れることになる。


 そのまま、男二人で廊下をふらつく。


「ここか。一村くんもおやすみ」


「おやすみ、野木島くん」


 そして野木島くんの部屋の前まで来たところで、彼とも別れた。


「あ、ちょっと待って」


「なに?」


 ……と思ったけど、何か言い忘れていたみたい。


 室内に体を滑り込ませた彼は、ドアを閉める手を止めて僕を呼び止めた。


「京月さんとのこと、僕たちも応援してるからっ」


 薄明りの中、彼はそう小声で言いながら、両手でガッツポーズを作った。


「う、うん。…ありがとう」


「おやすみ」


「あ、おや……」


 無情にも、僕が二度目のおやすみを言う前に、ドアはぴしゃりと閉められた。


 なんだったんだ、今のは?



 ※※※



 これで最後の最後。就寝の時間。


 時間帯としては、二十二時前後かな。


 皆を起こさないようにそーっとベッドに潜り込んだ僕は、物思いにふける。


 今日も色々あった。


 早起きして、朝ご飯を食べて。


 授業の内容を頭に叩きこんで、昼食では意外な食べ合わせを教えてもらって。


 ハロートワさんにショートスピアのいろはを学んで……。


 そのあと、まほ……う…を………れ…ん……。


 

 ※※※



 翌、異世界生活九日目の火曜日。


 まだ日が高く、午後に差しかかったくらいの時間。


 場所は、王都ホワイトローズの外縁部。


 そして目の前には、大きな犬のような生き物が一体。


「それじゃあ、今日は魔物との戦い方を見せるよ」


 屈強な体から放たれる、ハロートワさんの渋い声。


「………」


 それを黙って聞く、僕たちグループ一村のメンバー。


 あの。


 そりゃあ、魔物と戦う練習をすることになるかもしれないって出てきたけどさ。


「危ないから離れててね」


「………」


 熟練の冒険者の言を受け、じりじりと後退する僕たち。


 まさか、昨日の今日でやるとは思わないじゃん?


 魔物と戦う決心なんて、そんなにすぐにつくわけがないよね?

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