第九話:強くなれと言われても、いつ一人前になるかは分からない
第九話:強くなれと言われても、いつ一人前になるかは分からない
前回に引き続き、今回も単なる杞憂に過ぎなかった。
……なんてことはなく。
「これが、ゼアーストで広く知られている、汎用魔法の使い方だよ」
「はあ、はあ、はあ………」
「こんなに……難しいの……?」
僕と京月さんは、先生役のハロートワさんに返事ができないほどに、息が上がっていた。
まさか、イメージして魔法を撃つことが、これほど難しいとは思わなかった。
魔法に慣れるための訓練が始まり、数時間ほど経った。日が傾き始め、辺りが暗くなっていくのを感じながら、僕たち八人は汎用魔法を使う練習に勤しんでいる。
ここで、軽くおさらいをしておこう。
汎用魔法とは、大衆向けに広く普及した魔法の種類を言い、イメージが簡単な自然現象である、火、水、風、土、光、闇の六つの属性に分かれている。
いわば、魔法の一般教養のようなものだ。使いこなすには練習が必要だけど、一度身に着けてしまえば忘れることはない。
「がああっ、ぶっ続けで定期テストをやった後みたいだわ……」
「はあ、はあ………バカにしては、良い例えするじゃない……はあ…」
右の二人は疲れ切っている。主に、精神的にね。
高坂くんは頭を押さえながらフラフラしてるし、蝶野さんはうつむいたまま激しく息をついている。
ハロートワさんが課した魔法の練習方法は、とってもシンプルなものだった。
頭の中で現象をイメージし、武器に魔力を込め、遠くに向かって魔法を発動する。それだけだ。
ここで言う現象とは、先の六属性にまつわるものが望ましい。
けれど、現象ではなく何か特定の物質であってもいい。土属性なんかは、決まった数の石や岩を生み出すことをイメージした方がとっつきやすいからね。
今日は初歩的な練習ということで、小規模の現象、物質に限定して実践することになった。
たき火の火だったり、桶に汲んだ水をぶちまける光景だったり、びゅうびゅうと鳴る突風だったり、日本庭園に置いてある大きめの石だったり、色々なものをイメージし、魔法に落とし込んだ。
家一軒を飲み込む火事や、川の激流なんかをイメージしてしまうと、消費魔力の多い大規模な魔法が発動してしまい、収拾がつかなくなってしまう。
「ふう、俺は、重いハンマーを持ち続けるのが骨だ……。重量武器の悪いところだな……」
「俺はそれを気にしなくていいからマシだけど、イメージがキチいわ……。頭しぼらねえと無理だもん…」
僕の少し後ろにいる男子二人も、弱々しく感想を漏らした。
長谷屋くんはハンマーの重い方を地面に落とし、寄りかかるようにして休んでいる。渡会くんは尻餅をついて、左手で頭を押さえている状態だ。
僕の、僕自身に対する練習の出来は、初日にしてはよくやれた方なんじゃないかと思う。
僕は、火はたき火、水は桶の水まき、風は突風、土は大きな石、光は僕たちが泊まっている部屋の明かり、闇は地球の夜の街並みをイメージして魔法にチャレンジしてみた。
でも……。
イメージは良い線いってたと思ったんだけど、魔力の扱いがてんで駄目だった。はいやってみて、と言われて、すぐに自分の体の中に渦巻く魔力をコントロールできるはずがなかった。
「大丈夫………。岩本…さん?」
「刹羅でいいよ、私も奏手って呼ばせて?」
意外なことに、右後ろの林崎さんはそれほど疲れた様子がない。彼女のそばにいた岩本さんもスタミナがあるのか、息が上がっていないけれどつらそうにしているのに。
結果として、僕は魔法を発動することができなかった。一つもね。
やはり、魔力をどう捉えるか。それが問題だった。
他の皆も、僕とどっこいどっこい。イメージの練り方に差があったけど、全員に魔力の問題が立ち塞がっているようだった。
「はは、僕も魔法を初めて使ったときは大変だったけど、皆くらいひどくはなかったな。やっぱり、地球の人だとイメージの仕方が違うんだ」
「そうですね。多分、ゼアースト出身の方よりは苦労すると思います」
「ちょっと……!特殊魔法を使えるくらい想像力があるなら……火とか水とかも簡単に出せるんじゃないの?」
多少回復した僕がハロートワさんと話していると、額の汗をぬぐいながら顔を上げた蝶野さんが聞いてきた。
その顔はいつの間にか、訓練前のすまし顔に戻っている。
彼女はひょっとして、あまり人に苦労を見せたくないタイプなのか?
「おそらく、それは道理が違うからじゃないかな。僕たちは特殊魔法が使えるからといって、火や水を繰り出す想像をしたことなんてないし、これまでする必要もなかった。地球では魔法を使えないから」
「それは、そうね…」
「推測だけど、僕たちの頭の中にはイメージの偏りがあるんだよ。突出した分野にだけ想像力が研ぎ澄まされているから、ゼアーストの人には使えない特殊魔法が使える、と僕は思う」
「ふうん」
珍しくしおらしい。暴言を吐く気力がないんだろう。
先ほど、汎用魔法は一般教養のようなものと言ったけど、これにはもう一つの意味がある。
それは、決まった魔法の型がない、という意味だ。
ゲームの中では、魔法の欄に主人公が使える魔法の名前が並んでおり、その中から一つを選ぶことで、魔法を発動できる。そんな仕組みが大多数だ。
けれど、ゼアーストではそう簡単にはいかない。
全ての魔法は、術者のイメージにより形作られる。
それはつまり、イメージの仕方により、魔法の威力、規模、消費魔力量といったパラメータが一撃ごとに異なるということを意味する。
また、魔法を発動するときの集中力や残りの魔力量なども影響し、同じ術者であっても、魔法の中身が一撃ごとに変わってくる。
例えるなら、そう、おにぎりの握り方だ。
もちろん、握り方自体は握る人によって違うし、そのときの残りのご飯の量とか、入れる具材の種類とか、ご飯粒が何粒含まれているかなんていうのは、同じ作り手でもその時々によって違う。
こんな感じで、人と場合とイメージによって左右されるため、二つとして同じ魔法を撃つことはできないってことだ。
あ、おにぎりで例えたから、お腹が空いてきちゃったよ。
「なるほど、偏りね。そんなこと考えたこともなかった。参考になったよ、トーミくん」
「いえ、あくまで僕の立てた仮説ですから…。間違っているかもしれません」
僕が考えを話し終えると、何故かハロートワさんから驚きの声が上がった。
ゼアーストでは、あまり特殊魔法に対する理解が進んでいないのかな?とりあえず、魔法が使えればいいやという精神で片付けている可能性があるのかも。
「もう…きついんすけど、まだありますか……?」
だれてしまい、もう一度練習モードに切り替えるのが嫌なんだろう。
高坂くんがめちゃくちゃめんどくさそうに声を上げた。
「いや、僕が教えるのはここまでだよ。訓練が終わった後は、僕たちよそ者の冒険者たちは城を出て、君たちだけで特殊魔法の練習をしてもらう決まりになってるんだ」
「それも、特殊魔法の秘匿のためですか?」
「そう!それに、ショウダイくんたちが特殊魔法を上手く扱えるためにも、練習が必要だからね」
復活した長谷屋くんが聞いてきたことを、あらかじめ答えを考えてきたかのごとく、さらっと受け答えたハロートワさん。
確かに、汎用魔法ですらかなりの練度がいるとなると、自分のイメージに重きを置く特殊魔法を発動するのは、より大変だろう。個々人の特殊魔法にもよるけど、簡単に使えました、なんて人は出てこないと思う。
「でも、特殊魔法を使うのにも武器が要りますよね?監督役がいないと、危ないんじゃないですか?」
ここで京月さんが鋭い質問をした。
彼女の質問は、冒険者たちがこの場を離れた後、残された勇者たちが武器を持ったまま魔法の練習をするのは危険じゃないのか、というものだ。
言われてみればそうだね。ここまでの練習にはハロートワさんが付いてくれたけど、特殊魔法の撃ち方の練習には、一体誰が付くんだろう?
「それはね、お……来たみたい」
しかし、肝心なところで会話は中断されてしまった。
ハロートワさんは言葉を切り、僕たちの後ろ、正面玄関の方へ視線を飛ばした。
誰が来たんだ?
僕たちは一斉に振り返る。
「皆、実りある訓練ができただろうか!?次は特殊魔法の訓練を行う!一度、私の下へ集まってくれ!」
それと同時に、凛とした声が演習場に響き渡った。
ティアーナ様だ。
彼女なら安心だね。姫様の側近だから、僕たちの特殊魔法を知っても、漏洩の心配はない。
というか、知っておかないと僕たちの運用に困るだろうから、知っておかなければならない、というのが正しい言い方か。
「じゃ、僕の出番はこれで終わり。武器は持ったままでいいけど、今は自由に使えるのは訓練の時間だけだよ。終わったら倉庫に戻してね。倉庫は、武器を選んだところにある小屋だから」
ハロートワさんはそう言いながら、僕たちの後ろ、小屋の方を指さした。
あそこは倉庫という名前なのか。まあ一つしかないし、特徴のない名前になるのも変ではないね。
「はい、今日はありがとうございました」
「うん、お疲れ様。そうそう、筋トレや走り込みみたいな武器を使わなくてもできるトレーニングは、できれば空き時間にやっておいてほしい。少しでも時間が惜しいからね」
「分かりました」
これも仕方がない。ごく基本的なことを教わるのに時間を使うのは非効率だ。
運動はそれほど得意ではないけど、無理しない程度には頑張ろう。
「それではハロートワさん、ありがとうございました!」
「じゃあ、また明日ね!」
僕たちは全員でお礼を言い、正門へと向かうハロートワさんの姿を見送った。
「行きましょう、一村くん」
「うん」
京月さんに言われ、僕は彼女と一緒にティアーナ様の方へ歩き始める。
「あの、さ………一村くん」
「なに?」
「一村くんってさ、不安じゃないの……?」
ぽつり、と。
人だかりから距離を置くように立ち止まった彼女が、ふとそんなことを口にした。
「不安って?ここに召喚されたこと?それとも、二組で召喚されたのが僕だけってこと?」
「どっちも、かな。仲が良い人とじゃなくて…知り合い程度の気まずい人たちと、常識が通用しない世界に放り出されて!一村くんは不安じゃないの!?」
まずい、徐々に語気が強くなってきた。昨日の高坂くんのように感情が暴走している。練習の疲労がたまって、過敏になっているのかな。
さっきまで皆と笑い合っていた京月さんが、涙をこらえるような表情をして僕を見つめていた。
「そうだなあ。僕は、不安じゃないよ?」
「うそっ!そんなのうそっ!私は、不安でたまらないよっ!真衣がいたって、刹羅がいたって、萌香がいたって、菜摘がいたって香夏子がいたって……!」
自分の思いを言葉にすることは、なにも良いことばかりじゃない。
頭の中でぐちゃぐちゃになっていた思いが、言語化されることですっきりと表現できてしまうから。
「不安で………押しつぶされそうなのに……!」
ばっと、彼女は自分の顔に手を当てる。
その指の隙間から一筋の涙がこぼれ、一滴、地面に垂れた。
「私が……弱いのかな?……私が…甘えてる……だけなのかな………?」
多分、面識の少ない僕と二人っきりになったせいもある。
共通の話題がないに等しいから、何としてでも話題を探そうと、記憶の中を探ってしまった。
そして、自分の気持ちに気付いてしまった。
「私、怖い……。勇者とか魔王とか、分かんない……。そんなの分かんないよ……」
雫が落ちる間隔が、だんだんと縮まっていく。
対して、普段は高く元気な声は、どんどん小さく、低く、嗚咽を含んだものになっていった。
「私…。私、どうしたら………」
気付けば、ティアーナ様も東先生や一組の生徒たちも、僕と京月さんを見ていた。おそらく、背後の高坂くんたちも同じだろう。
皆、深刻な面持ちをしている。
京月さんが患っているのは、一言で言えばホームシックだ。
それも、望まずやってきたゼアーストという世界から地球という別の世界へ帰りたいという、世界単位のホームシック。
異世界に連れてこられてから遅かれ早かれ、生徒か先生かによらず、誰もが発症のリスクを持つ深刻な病。
『なに泣いてんだよ、気持ち悪い』なんて、バカにすることなど誰にもできない。
自分も、いつ発症するか分からないから。いつ地球が恋しくなって、それでも戻ることはできないと気づき、絶望するか分からないから。
「どうしたらいいかって?そんなの、簡単だよ」
「え?」
「分からないなら、分かればいいんだよ」
「分か……え?」
だからこそ僕は、胸を張って言おう。
たとえ目の前で女の子が泣いていたとしても、落ち着いて。いつもと変わらない声で彼女に伝えなくちゃいけない。
どうやって前に進んでいけばいいか、を。
「人は、分からないから怖いんだよ。分かろうとしないから、不安になるんだよ。京月さんもそう」
「そう……なの…?」
「そうだよ」
これは、僕の思い。というか、信念。
特殊魔法にもなるくらいの、僕だけが持つであろう特殊な考え方。
「それじゃあ……どうすれば……?」
「簡単だよ。分からないことを、ちゃんと分かるようにする。そうすればいい」
「……」
「地球では、大抵のことはネットで調べればよかった。本を開いても、キャラクターの心情や作者の言いたいこととか、全部が丁寧に描写されている」
「………」
「でも、それに満足しちゃいけない。自分の頭がこの部分を分からないと認識したんだから、ありきたりな正解だけじゃなく自分が完璧に分かるまで、分かろうと努力しないといけないんだ!」
「…………?」
駄目だ。京月さんを置いてけぼりにして、一人で熱くなってしまった。
これじゃあ、公衆の面前で意味の分からないことを叫んだ高坂くんのことをバカにできないね。
「つまり、頑張り続けないといけないってこと。どんなに怖くて、不安だったとしてもね」
「それは……そうだけど……」
彼女は納得がいってないようだ。
いや、気持ちに整理がついていないって言う方が正しいか。
「大丈夫。怖かったら皆を頼ればいい。何も、一人で全部やれってわけじゃないんだから、いくらでも頼っていいんだよ」
きっと京月さんは、クラスでは頼られることが多いポジションだったんだろう。
誰かを頼ることをしてこなかったがために、いざという時にどうしたらいいか分からなくなる。
そしてそれが分からなくなると、自分の中で不安が広がって、もっと不安になっていく。
そういえば昨日、先生についても同じことを考えていたような。まあ、精神の発展途上である十代の問題だから、こっちの方が深刻であると言えるね。
「蝶野さんでも岩本さんでも林崎さんでも、先生でも男子でもティアーナ様でもいい。何なら、僕でもいい」
「………」
「『分かろう』という信念をもって、手を取り合って歩み続ければいいんだよ」
「………ふっ」
ここまで黙って聞いていた京月さんが、急に顔を上げた。そして、こらえきれないという風に小さく笑う。
え?何かおかしいところあった?僕なりに、真剣に話したと思うんだけどな。
「いや、『分かろう』って、ちょっと語呂が悪いなって思って。そこはせめて『知ろう』じゃない?」
「それは……『知ろう』だと堅苦しいというか、知識を得るみたいな感じがして…ってなにっ!?」
僕が言い訳している間に、京月さんはぐいと身を乗り出してきた。
目元から頬、顎にかけてのラインがほっそりとしていて、誰が見てもかわいいと評するような、魅力的な顔が迫ってくる。
涙はもう流れていない。軌跡を示す、数条の痕があるだけだ。
なんて、冷静に分析している暇はない。
「でも、ありがとう。十海くんと話して、自分の気持ちが分かったよ」
軽やかにしゃべりながらも、どんどん顔が近づいてくる。
これは、あれだ。
吊り橋効果。
心理的に追い込まれたとき、近くにいる異性に対し、恋心と錯覚したようなかんかくを………。
「ちょ、ちょっと待って!気の迷いかもしれないし、ていうか絶対に気の迷いだし、まずは冷静に……」
僕は慌てて説得を試みる。
いつの間にか、彼女の両腕が僕の両肩を押さえつけていた。
力が強く、一歩も動くことができない。
しかし、京月さんの小さな顔はなおも近づいてくる。
お願い!
止まって!止まってくれ!
「待たない。私は、私の気持ちに正直になるって決めたの」
音はしなかった。
ただ、唇どうしが重なっただけ。
僕の口と、京月さんの口が、触れ合っただけだ。
「………っ!」
「私、決めた」
演習場はすっかり静まり返っていた。誰も何も話さず、音も発さない。
僕と彼女の行く末を、まさしく十人十色の様相で見守っているのみだった。
「私は、ひたむきに『分かろう』とする十海くんを分かりたいって決めたの。十海くんと一緒に、これからを生きていきたい」
「………」
そ、そそ。
それは、いわゆる……。
「私、足を引っ張らないように頑張る。前を見続ける。たまにつまづいたら、皆の肩を借りる。一人で抱え込みすぎない」
「………」
「だから……」
黙る僕と流暢に話す京月さん。一瞬で立ち位置が逆転してしまった。
こんなときは、一体どうしたらいい?
こういうのは、頭の中で答えを出せないから苦手なんだ。
「だから、十海くんも私と生きてほしい」
「………」
時間をかけて自分の思いを告白した京月さん。
彼女の曇りのない瞳に見つめられ、僕は思わず目が泳いでしまう。
不思議なことに、周りの人も僕の回答を待っているように感じる。
参った。彼女が吊り橋効果の影響下にあることは明白だけど、今それはどうでもいい。
問題なのは、彼女のプロポーズに『はい』か『いいえ』で答えなければならないことだ。
「………」
「あれ、聞こえてなかったかな?……うぅん。だから、十海くんも私と生きてほしい」
いや、聞こえていなかったわけじゃない。
こういった経験がないから、どうしたものかと考えているわけで………。
「大丈夫。聞こえてるから」
「そう?……なら……どうかな?」
「えっと、僕は……」
「十海くんは?」
「僕は……」
「僕は?」
「………ともだちっ!」
「え?」
「友達からでっ!良かったらっ!お願いしますっ!!それじゃっ!」
「あれ?ちょっと、十海くん!?これから訓練が……」
もう限界!
頭がパンクしそうになった僕は、はいでもいいえでもない、第三の選択肢を選んだ。
そして間髪入れずに、持っていたショートスピアをほっぽりだし、逃げるようにして王城の中に駆け込んだ。
※※※
やあやあ皆、こんばんは。一村十海だよ……。
僕は今、ちょっと衝撃的なことがあって、ふて寝の真っ最中だ……。
「………」
部屋はかなり明るい。
僕が、ベッド近くの明かりだけをつけたままうずくまっているから。
今は、午後八時くらいかな。
王城に逃げ帰ってきた僕は、適当な使用人さんを捕まえて、僕の分の夕食をキャンセルしてもらうようにお願いした。
その後、今度は適当な魔法使いの人を捕まえて、早めにお風呂に入らせてもらえるようにお願いした。
そんなわけで、今晩の夕食はなしとなり、早めの入浴を済ませたというわけだ。
「はあ……」
なぜ僕は今、部屋に引きこもっているのか。
それは、さっきの出来事について考える時間が必要だからだ。
脳裏に焼き付いて頭から離れない、さっきの出来事。
常識的に考えて、今日知り合ったばかりの男と、き、キスと称されるような行為をするなんて、どうかしてるよ。
普通そういうのは、きちんとした段階を踏んでから行われないといけないことだし。
「はあ……」
そりゃあ僕も恋愛小説やラブコメアニメ、生々しい人間関係を描いた大人のドラマなんかも好きだけど、それはあくまで、それが作品として存在しているから好きであるにすぎない。
現実の男女間のそういったことに関心があるわけではなく、ましてや僕が当事者になるなんて、滅相もない。
むしろ、僕は現実の恋愛に否定的な立場だ。
男女の関係は難しい。予定調和のシナリオ通りに事が運ぶことなんて、絶対にない。
恋愛なんてしたことがない僕が言うのも筋違いかもしれないけど、男女の付き合いの中で、喜びにあふれ、心からこの人に出会えてよかったと思える時間よりも、すれちがい、傷つき、悲嘆に暮れる時間の方が多いと思うね。
僕の両親もそうだった。
二人とも出版関係の仕事に就いているから、休日は本にまつわる話を楽しそうにしていた。
でも、これも高校生の僕が言うのはおかしいけど、共働きというのは大変だ。
仕事の関係で、両親が一緒に過ごす時間が作れなかったり、僕や姉の誕生日パーティに参加できなかったり、全員で旅行に行く予定がキャンセルになってしまったり。
お金と引き換えに、何か大切なものがじわじわと削られていく。
まあ、僕の家庭はそこまで険悪じゃなかったから、離婚とか一家離散なんて心配はなかった。
けれど、それは過去の話。
僕が地球から姿を消した今、我が家の人間関係がどう変化したかは、僕には知る由もない。
………。
やめだ、やめ。
京月さんのことを考えていたのに、いつの間にか僕の家族の話になっていた。
「あ、あれ」
邪念を振り払い、シーツをぼんやりと見つめようと目の前に焦点を合わせた瞬間。
白い光で満ちた視界が淡く、溶けていく。
なんだ。
僕も、東先生や京月さんと一緒だったみたい。
「………」
急に家族が恋しくなって、過去に思いを馳せるなんて。
もう今更、意味のないことだって分かっていたはずなのに。
「………」
まだまだだね、僕は。
自分の気持ちさえ制御できずに、何が『分かるようになればいい』だ。
数時間前の自分が恥ずかしくなってきた。
「………っ!」
廊下が騒がしくなる。
きっと、夕食を食べ終えた高坂くんたちが戻ってきたんだろう。
「………」
こんなところは見せられないね。
ちょっと汚いけど、ティッシュやタオルが近くにないから仕方ない。
僕はごわごわした袖口で顔をこすり、何でもないような顔をして三人を出迎える。
「おーすっ!一村、腹減ってないか~」
「ぺこぺこだよ。でも、ちょっと一人になりたくてね」
「そう言うと思った!だからよ、無理言って持ってきたんだぜ」
「これ、マジで美味いからな。異世界版ハンバーグだ。パンもあるから、ソース付けて食べてみろ」
どの世界にも、どうしようもない事実というのはある。
どうしても、個人の力では変えられない宿命がある。
「ありがとう。高坂くん、渡会くん、長谷屋くん」
でも、僕たちは一人じゃない。
「困ったときはお互い様だろ」
「腹減ったままだと寝れねーから!ちゃんと食ってから寝ないとな!」
「どうということはない。それより、冷めないうちに早く。下手をすれば、地球のハンバーグより美味いぞ」
今はもう会えない、母さん、父さん、姉さん。
僕は強くなるよ。
倒れそうになったときは誰かに支えてもらって。くじけそうになったときは誰かに癒してもらって。
強くなる。
一人前に成長するのはいつになるのか分からないけど、絶対、僕は皆と強くなってやる!
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