38.壊すのは勿体ない――SIDEシル

 レオンティーヌが、俺の大切なヒメミだと知っていたら……もっと早く婚約して縛り、この手に収めていただろう。知らずに過ごした俺は、物語の通りに動かなかった。ヒメミが見つかるまで、婚約者は要らないと言い続けた。


 偶然裏路地で出会わなかったら、俺は彼女を他の男に取られていたかも知れない。想像するだけでゾッとする。見つけた時点で、邪魔な男は排除すればいい。もしレティがその男を庇うなら、目を奪おうか。耳を塞ごうか。逃げる足も必要ない。


 見えず聞こえぬレティを閉じ込め、優しく触れる。頼る者が俺しかいなくなれば、心を開いてくれるはずだった。ここまでして拒まれたら、仕方ないから壊してしまおう。美しい姿のまま、老いることなく俺の腕の中にいればいい。


 妄想だけで達しそうになった。腕の中ですやすやと寝息を立てるレティの柔らかさ、温もり、匂い。その全てが失われたとしても、誰かに渡す気はなかった。


 壊れている? そんなの、とっくに自覚していた。壊れていて何が悪い。ただレティを愛し、愛されたいだけだ。他の誰も触れられないよう隔離したい。だが彼女が望まぬなら、譲歩はする。俺の隣に自ら留まる間は、ひたすらに愛そう。


 美しい絹糸のような髪に口付ける。神聖な気分になった。まるで神に誓いを立てる神官のようだ。レティの匂いを胸いっぱいに吸い込み、起こさないように柔らかな首筋へ顔を埋めた。


 今夜は眠れそうにない。僅かな時間でも惜しかった。眠るレティの肌の温もりを堪能し、柔らかな肌を愛でる。時間はいくらあっても足りなかった。


「ヒメミ」


 唇の動きで名を呼ぶ。前世から愛してる。君が俺を拒まない限り、俺は命懸けで君を愛し守ろう。だから俺を捨てないでくれ。置いていかないで欲しい。その美しい瞳に俺が映り、愛らしい声で名を呼ばれたかった。


 彼女が恐れるのは、俺に惨殺されるゲームの不吉なスチルらしい。聞いた時は愚かな行為に思えた。だが君が逃げたり、俺を嫌うなら。躊躇いなくその命を刈り取るだろう。歩けなくして繋ぎ、罵る言葉を吐く喉を潰して、睨む瞳を抉り出す。想像だけで昂った。


 愛するレティ、君から何かを奪うたび、君は俺を認識して憎むはずだ。それは愛情と紙一重の強い感情を、俺だけに固定する行為だった。その激情が欲しい、だが傷つけたくない。相反する感情の間で揺れながら、彼女がくれた言葉を思い出す。


 ――逃げ出したい気持ちが消えるくらい、私を愛してごらんなさい。


 傲慢に響くレティの声が蘇る。俺が君を愛することを許した。夫婦であることを認められ、レティの中で認識されている。うん、壊してしまうのは勿体ないな。まだ早い。


 柔らかな金髪をくるりと指に絡めて口元へ運ぶ。風呂に用意させた石鹸や洗髪材は、同じ香りを選んだ。なのに、君はほんのり甘い香りを纏っていた。吸い込めば気持ちが華やぐ。


 お願いだよ、レティ。俺の手で君を壊させるような言動は慎んでくれ。夜明けまで遠い闇の中で、ひたすらに俺は信じてもいない神に祈り続けた。

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