第四十三話
[第四十三話]
「ふぁあああ…」
俺はあくびを漏らして起き上がり、ベッドサイドに立ち上がる。
たっぷり寝た。
日時は、四月十三日土曜日の朝八時。
今日は朝から昼にかけて[AnotherWorld]を遊び、その後昼番でバイトする予定になっている。
「よし」
そうと決まれば、まずは朝食だな。
浴室の洗面台で顔を洗った俺はキッチンに向かう。
朝ご飯はトースターできつね色になるまで焼き上げたトーストに、スープの素をお湯で溶いたクラムチャウダー。
今日は登校日ではないが、朝にご飯を作る元気はどうも出ない。
朝は弱い方ではないんだけどな。
やはり、前日の夜に作り置きしておいた方がいいのだろうか?
「いただきます」
まあ、それは追々考えることにしよう。
新鮮なレタスとミニトマトを使ったサラダも併せて、一緒に食べる。
「…うん」
朝はあったかいスープに限る。
神経がシャキッとするというか、眠気が冷めていい。
それに、寝ている間に体内から水分が抜けていくと聞いたことがあるし、手軽な水分補給は大事だ。
「…ごちそうさまでした」
いくら食べるのが遅めの俺でも、これくらいの量ならすらっといけるぞ。
俺はあっという間に食べ終わり、食器をキッチンに持っていって洗い物に移る。
「ぱぱっといくぞ」
浸け置きで汚れを浮かせる方法もあるが、急ぎで終わらせたいのですぐに取りかかる。
食器を流水で濯ぎ、可能な限り汚れを落としてから洗剤をしみこませたスポンジで擦っていく。
しかし…。
「洗い物が面倒だよな」
紙皿や割り箸で済ませる人もいるが、それはそれでゴミが多くなって大変だ。
ただ、今朝はお皿にこびりつかないメニューだったから、洗い物はすぐに終わった。
そうしたら、次は歯磨きだ。
手を軽く洗って拭いてから、右手に歯ブラシ、左手に歯磨き粉を装備する。
小学生の頃にひどい虫歯になって以来、歯磨きはちゃんとするようにしている。
歯医者のあの『キイイィーンッ!』って音は、もう二度と聞きたくない。
「よし…」
磨き残しがあるといけないので、三分くらいかけてしっかり磨いたら、二、三回うがいしてフィニッシュ。
これで、朝のやることは終了だ。
時刻は九時。
早速、[AnotherWorld]にログインするとしますか。
※※※
工房の中にログインする。
…と、目の前にフクキチの顔があった。
「わあっ!?」
「えへへ、びっくりした?ちゃんとログアウトした場所にログインされるんだね」
「…次やったらひっぱたくからな」
まんまといたずらにひっかかった。
ポーションの密造を考えているくらいだ、なにをしでかすか分かったもんじゃないな。
「冗談だって!…で、トールさんや。昨日は一体どんな大冒険をしてきたんだい?」
胡散臭い口調でフクキチが尋ねてくる。
なんだ、そのロールプレイは?
「やめろそれ。まあ、話せば長くなるが…」
俺はフクキチに、ことの顛末を大雑把に伝える。
「…なるほどね!メカトニカって壊れてたんじゃなくて、悪霊に憑依されないためにわざと壊されてたんだね。それを僕たちが直しちゃって、さらにトールが解放させちゃったと…」
彼もまた、一回聞いただけで全てを理解してまとめてくれる。
ただ、嫌らしい言い方だ。
全部事実だからぐうの音も出ないが。
「そうだ。全く、大変だったよ」
「大変『だった』?トールが大変なのはこれからだよ?」
「ん?それはどういう…?」
ちょっと待ってくれ。
すでにポーションの原料と砂、メカトニカの残骸は集めたぞ?
まだ、俺がやることがあるのか?
「昨日集めてくれた砂をもとに、空の試験管が今朝、できあがりました」
「もう!?昨日の今日というか、ボックスに入れたのは昨夜だと思うんだが、もしかしてフクキチが作ったのか?」
「まさか。闇ルートのガラス工房に大至急で頼んだ」
闇ルート?
[AnotherWorld]にもそんなのがあるのか。
「その数、なんと一千本!」
「そんなに?」
「トールにはそれらの試験管全てに回復効果:中のポーションを詰めてもらいます!」
「は?」
一千本。
ヨクナレ草を使った一回の調薬でできる回復薬は、十本分だ。
1000を10で割ると、100回。
は?
百回も同じことするの?
「そうです!」
当たり前のように俺の心を読んだフクキチが、大きくうなずく。
いや、『そうです!』と言われても…。
「勘弁してくれよ。気が狂いそうだ」
「大丈夫!もし、狂いそうになったときや、眠くなったときはこれがあるから!」
そう言って、フクキチが背中の槌を指す。
まさか、それでぶん殴って、無理やりリフレッシュさせるつもりじゃないだろうな?
「これでぶん殴って、リフレッシュさせてあげる」
そのまさかだった。
生憎、それはリフレッシュとは言えない。
むしろVRゲーム中に眠気はこないし、体力が減るだけで逆効果だろ。
「とにかく、こっちも色々差し迫っていてね。月曜日までに頼むよ!」
「は?」
「だめ?…だめならちょっと、リフレッシュさせてもらうけど?」
断るのが駄目そうだだった。
フクキチの目は据わっており、借金で首が回らないギャンブラーのようなギラギラした光を放っている。
『フライ・センチピード』の緊急依頼の支払いや”秘密の工房”の賃貸のために、どれくらいお金を使ったのだろうか。
怖くて聞けるはずもない。
「分かった、やります。やらせていただきます」
俺は思わず敬語になりながら、いそいそと『野外調薬キッド』を取り出すのだった。
※※※
それから、”工房”にこもって数時間ポーションを作った後、バイトがあるのでフクキチに断って一度ログアウトした。
で、今はまんてん書店であくせく働いている最中だ。
「…っていうことがあったんですよ。あ、このことは他言無用でお願いします」
「あんたがべらべら喋ってどうすんのよ。…でも大丈夫よ、口は固いから」
本当ですか?
なんて疑いつつ、俺は本の入った段ボールを抱え上げる。
「それはそっちにお願い。…っていうかその、フクキチって子には感謝した方がいいわよ?専用の工房なんて、下手したら百万タメルもするリッチな物件なんだから」
ひゃ、百万っ!俺には当分拝めそうにない額面だ。
一括かローンかは分からないが、それでなるべく早くタメルが欲しいんだな。
合点がいったと内心満足しながら、俺は段ボールを所定の位置に運んで下ろす。
「ありがと。…とにかく、その子に『ありがとう』くらいは言っておきなさいよ、いい?」
「はい!紅絹先輩も教えてくれて、ありがとうございます」
「当然よ。私も工房を買うのに一苦労したからね」
「あれ、紅絹先輩も生産職なんですか?」
「……。あー、だめだめ、労働中にこれ以上の私語は厳禁。作業に集中!」
紅絹先輩がもし調薬師なら協力してもらおうかと思ったが、聞けずじまいとなってしまった。
厳しい先輩におしゃべりを咎められ、俺はバイトに没頭するしかなくなるのであった。
※※※
つつがなくバイトも終わり帰ってきて、時刻は十八時半。
「ただいま」
誰もいない部屋に、俺の小さな声が響く。
一人暮らしというのは自由で楽しい反面、寂しくもあるな。
そんなことを考えながら、蛇口を捻って手を洗う。
「さて…」
ちょっと早いけど、夕食にしよう。
今日の晩ご飯は、昨日の残りのピーマンの肉詰め。
ある程度時間が経ってもおいしく食べられるのが、この料理のいいところだ。あんまり日にちを置きすぎると硬くなってしまうが。
「これぞ文明の利器」
電子レンジで温め直して、ご飯とお味噌汁と一緒に食べる。
それでは、いただきます。
スマホもそうだが、電化製品を発明した人、極限まで便利なものにした人には最大級の賛辞を送りたいな。
※※※
「また作るか、ピーマンの肉詰め」
おいしいご飯も食べ終わり、再びログイン。
すると、目の前にフクキチの顔があった。
「うわっ!」
ブウンッ!
思わず出てしまった右ビンタを、状態を後ろに反らせて間一髪でかわすフクキチ。
「危ないじゃないかっ!」
「次やったらひっぱたくって言ったろ。…それより、今何本目だっけ?」
「まだ120本だよ。あと780本分、ファイト!」
「マジかよ…。…そういえば、ありがとな」
「え?」
急に感謝の言葉を投げかけられて、フクキチは照れた様子を見せる。
「いや、この工房のこと。ずいぶん高くついたんじゃないか?それをポンと俺に使わせてくれて、どうもありがとう」
「なんだ、そのことか」
イスを取り出し、腰かけながら俺が説明すると合点がいったようだ。
フクキチもイスに体を預け、テーブルの上に肘を置いて話し始める。
「きみと僕との仲じゃないか。それに、トールには期待しているんだから。文字通りの『無限の可能性』が、トールにはあると考えているよ」
「無限の可能性?」
なんだか不穏な単語に、俺は思わず聞き返してしまう。
「そう!『フライ・センチピード』に『エンシェント・メカトニカ』の襲来、さらには『ゴースト・メカトニカ』の撃破。まだ二週間も足っていないのに、トールの周りでこんなに重大な事件が起こってる。まさにトールは、悪運の女神に憑かれた存在なんだ」
正確には、フォクシーヌとの戦いもあるけどな。
…っていうか、これは褒められてるのか?
「つまり、きみの周りにはお金が生まれる、『無限の可能性』があるってことさ!」
めちゃくちゃ元気な声で、めちゃくちゃ下世話な話をするな。
誰が金づるじゃ!
「ま、というわけで商人としてもフクキチとしてもワクワクさせられてるから、これからも仲良くしてね!」
「もちろん」
熱弁が一段落したところで、俺とフクキチは熱い男の握手を交わす。
[AnotherWorld]を通じて、プレイヤーである俺は彰たちと親交を深められている。
なんていい話なんだ。
感動したから、もう今日はお開きってことでいいか?
工房は欲しかったので感謝しかないんだが、機械のように調薬するのは地獄だぞ。
「ところで…」
「うん?」
「手が止まっているよ、トール」
「は、はい…」
駄目でした。
誰か助けてくれ。
「ほら、急いだ急いだ!明日も休みなんだし、できる分まで今日やってもらうからねっ!」
「…了解です」
こうして、フクキチに軟禁されたまま、俺は徹夜で体力回復ポーション1000本を完成させるのであった。
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