第五話
[第五話]
[AnotherWorld]に初めてログインしてみると、俺は噴水の前に立っていた。目の前には、こちらから奥へと続く石畳の道路と、その左右に大きな建物が並んでいる。剣と魔法の世界にありがちな、中世のヨーロッパ”風”の街並みだ。
広場は人の往来が少ない。時々歩調が一定な、古めかしい洋風の服を着た人が横切っている。あれがいわゆる、NPCだろう。
NPCとは、ノンプレイヤーキャラクターの略称で、コンピュータが操作している無人のキャラクターのことを指す。現在ではAI技術の向上により、人間と話しているのと遜色ない程度のコミュニケーションをとることができる。
[AnotherWorld]では『チェリーアプリ』が独自に開発している人工知能を導入しており、反復して動作を行ったり、物事を記憶したりすることはもちろん、NPC同士やプレイヤーとの関係や趣向の変化、好感や嫌悪感といった感情の機微をランダムに変化させることができる。
シンギュラリティへの一歩とも称されたこの人工知能によって、ゲームと感じさせないようなプレイヤーとNPCの交流が実現し、[AnotherWorld]は多くのプレイヤーの間で高い評価を得るに至った。
「それにしても、何から手を付ければいいものか……」
ますます進歩が続くAIへ思いを馳せるのはこれくらいにして、俺は最初に取るべき行動を考える。とりあえず広場を一周してみるか、目の前の道を進んでみるか、それとも建物に入ってみるか。
そうだ、こういうゲームにはもっと大事なアレがあったな。
俺はその場で突っ立ったまま、メニューを開いた。このゲームでは、体力を表すバーや周辺のミニマップといったユーザーインターフェース(UI)が表示されない。そのため、周辺の地理や自分の装備を確認したいときなどは、いちいちメニューを開かなければならない。
何かと不便と不評だが、現実と変わらないクリアな視界で遊ぶことができるし、俺は好きだな。
メニューは、視界の四分の一くらいの大きさで右上に表示された。ウインドウの上端にはメニューバーがあり、手で触れることで切り替えられる。
デフォルトの画面は『トピックス』になっており、上部に『挑戦中のクエスト・依頼』、中央あたりに『開催中のイベント』と書かれている。二つともタイトルの下が空白になっているので、おそらくクエスト、依頼を受注したら上半分のスペースに、何かイベントが開催されれば下半分のスペースに記載されるのだろう。
とりあえず、メニューバーの『ステータス』を選択すると、さっきやったキャラメイクのような構成の画面が現れた。左側にウインドウ、右側に『トール』のアバターが表示されている。
ウインドウにはキャラクターのレベルと職業名、職業レベル、体力、魔力を表す欄と、頭、首、胸、腹、上腕、前腕、手、腰、大腿、脛、足の部位の装備欄がある。普通のゲームと違って、細かく部位が分かれているんだな。
アバターは、真顔の俺のキャラクターが繊維質の粗末な服を着た格好だ。これは、体験版で着ていた服か?
キャラクターレベルは『1』、職業は『なし』、職業レベルは『 - 』、体力、魔力はどちらも『100 / 100』 となっている。
キャラクターレベルは魔物を倒したり装備を作ったり、クエストや依頼をこなしたりすることで上がっていく。ちなみに、クエストはゲームシステムの中で設定されるもので、依頼はギルドで受注できるもの、という違いがある。
職業はその名の通りだが、剣と魔法の世界なので、現実にはない生産職や戦闘職がほとんどだ。職業に就くと、その職に対応するスキルや魔法を覚えることができる。
職業レベルは、その職業に関する行動をすると獲得できる経験値によって上昇する。職業レベルが上がると、新しくスキルや魔法を覚えられるという仕組みだな。
体力は、ゲームによってはHPとも表記されるが、単純に言うとキャラクターの命を数値化したものだ。ゼロになると死に戻りしてしまう。
魔力は、魔法やスキルを行使する際に支払うコストを数値化したもので、ゼロになると気絶して、めのまえがまっくらになる。
装備欄は、頭、首、手が『なし』、胸、腹、上腕、前腕が『初心者のシャツ』、腰が『初心者のベルト』、大腿、脛が『初心者のズボン』、足が『初心者の靴下』『初心者の靴』と表示されている。シャツ、ズボンはわかるけど、ベルト、靴下にも初心者用なんてあるのか?
装備欄の下には目立つ文字で、『セットボーナス:取得経験値増加・微』とある。これはゲームでお馴染みの、同系統の装備を身に着けることで発動する特殊な効果だ。『初心者シリーズ』では、一式を装備していると得られる経験値がわずかに増加する。
さて、ここまでの説明で気になった人がいるかもしれないが、[AnotherWorld]には他のゲームにあるような、『攻撃力』、『防御力』といったパラメータはない。
これに関して社長は、「UIの簡素化もそうだが、[AnotherWorld]は”もう一つの世界”をスローガンに掲げて作られたゲームなので、現実世界にはない、抽象的で相対的なパラメータの表記は極力なくした。体力、魔力は仕方がないが」と説明した。
正直に言うと、俺はこの仕様を気に入っている。数値があると、その数値を導き出す計算式を求めようとする人たちが生まれ、[AnotherWorld]のリアリティが損なわれると思う。
少し脱線したが、装備を確認し終えた俺は、次に『マップ』を開いた。
マップには[AnotherWorld]の世界全体を表示する『ワールドマップ』と、中程度の範囲を示す『エリアマップ』、自分のいる位置の周辺を映す『ミニマップ』の三種類がある。デフォルトではミニマップになっている。
ミニマップには自身を表す赤い点のすぐそばに、『噴水広場』という文字があった。噴水がある広場だから噴水広場。安直な名前だな。
広場からは90°の角度を成して東西南北に道が伸びている。さらに広場を囲むように、北東、南東、南西、北西にバームクーヘンを四分の一にカットしたような形の店がある。名前はそれぞれ、『エクリプス装備店』、『チルマ雑貨店』、『冒険者ギルド』、『ホテルハミングバード 王都店』となっている。
では、次はどうしようか。事前に確認した攻略サイトの情報によると、初ログインのときはまず冒険者ギルドで冒険者登録をして、なりたい職業に就くのがおすすめらしい。
そんなことを考えながら俺は足を踏み出すと、視界の中央にウインドウが出現した。
―― [クエスト]:冒険者ギルドに行ってみよう!
―― [クエスト]:エクリプス装備店に行ってみよう!
―― [クエスト]:チルマ雑貨店に行ってみよう!
―― [クエスト]:ホテルハミングバード 王都店に行ってみよう!
―― [クエスト]:王立図書館に行ってみよう!
―― [クエスト]:王立博物館に行ってみよう!
―― [クエスト]:……
……
次々と下から現れては消える文章を眺めながら、慌てて立ち止まった。
なんだなんだ?
……
―― [クエスト]:職業に就いてみよう!
最後の通知が流れると、ふっとウインドウが閉じた。
把握しきれなかったので、メニューのトピックスを開いてみる。すると、『挑戦中のクエスト・依頼』のスペースが先ほど流れてきた文章で埋め尽くされていた。
どうやらログインすることで、この街、王都の主要な建物、お店に訪れるクエストが発生したらしい。にしても、達成報酬なんかは書いてないんだな。
まあ、今見る必要もないだろう。クエストとかミッションなどは、ある程度遊んでから確認した方が効率がいい。
俺はメニューを閉じ、当初の目的である冒険者ギルドに行くことにした。といっても目と鼻の距離であるがな。
早速、キョロキョロしながら広場を歩き回る。
こうして見ていると、俺のようなログインほやほやのプレイヤーが何人かいるのが分かる。噴水の近くに棒立ちで、虚空を見つめてメニューを操作している人や、下を向いて自身のキャラクターをしげしげと眺めている人たちがそうだろう。彼ら彼女らが我に返って冒険者ギルドに殺到すれば、十中八九混雑する。
なので、俺は歩く足を速める。
「ここか……冒険者ギルド」
俺は古めかしい一軒の建物を見上げ、ぽつりと呟いた。
しかし、噴水広場のすぐ近くにあるから、街の中を歩いた感じがしないな。
冒険者ギルドの外観は西部劇の酒場のようで、入り口には小さな両開きのドアがついている。
俺はドアの前に立って右手を前に押すと、軋んだ音を立てて開いた。
中は思ったより広く、入って左側にはバーカウンターとテーブル席が十個ほどあり、右側には受付窓口が五つ並んでいた。壁には等間隔で薄明りのランタンがかけられている。さらに、同じものが各テーブルとカウンター、窓口に置かれている。
バーカウンターにはマスターが詰めている。客の来ない夕方の時間帯ということもあり、暇そうにグラスを磨いていた。テーブル席にはNPCだろうか、飲みすぎで突っ伏している男が座っているだけだ。彼の周りには空になった酒瓶がいくつも転がっていた。
窓口にはギルドの職員らしき人がいる。五つのうち、冒険者の対応をしている二つがすでに埋まっていた。
全体的に、西部劇の映画を見て作ったんだろうな、と思わせるような内装だった。
そんなことを思いながらも、俺は空いている窓口の一つに向かった。
すると受付の女性は無表情のまま、こちらを向いてきた。
「こんにちは。冒険者登録と職業の設定はこちらでできますよ」
「こ、こんにちは。どうしてわかったんですか?」
「だって初めて見る顔ですし、キョロキョロして挙動不審でしたから。冒険者登録に来られた方々は、皆あなたみたいな感じですよ」
「そうだったんですか……」
おのぼりさんは丸分かりということか。
俺はいたたまれなくなって返答に窮する。
「私の名前はクリステア・ノーザンライトです。クリステアとお呼びください。あなたのお名前を教えてください」
「はい、トールといいます」
変な緊張感を覚え、さっきから丁寧な口調になっているな。
クリステアさんは濃紺の髪をお団子にして後ろでまとめており、銀縁の細い眼鏡ときりりとした目に理知的な印象を感じる、そんな女性だ。
俺の名前を聞いた彼女はこちらを向いたまま、手を動かして何やら書いている。
「まずは職業の設定をします。次に挙げる中から、なりたい職業を選択してください」
少し間を置いてクリステアさんがそう言うと、目の前にウインドウが出現する。一番上には『現在選択可能な職業一覧』とある。
スクロールしきれないほど多数ある項目の中から、俺は『魔法使い』を選択する。
そう、俺が[AnotherWorld]で遊んでみたいのは、魔法使いだった。見た目の派手さもあるが、離れた距離から一方的に攻撃ができるのは強いと思ったからだ。それにこのゲームでは、魔法は戦闘のみに使えるものではなく、一部の生産活動にも応用できるので、面白そうだと感じた。
「ありがとうございます。トール様の職業は、魔法使いで決定してよろしいですか?」
「はい。お願いします」
「分かりました。ただいまより、トール様の職業は、魔法使いです」
俺がウインドウを閉じたのを皮切りに、彼女が手元の紙にさらさらと書き込んだ。
思ったよりあっという間だな。てっきり、もっと仰々しい手順があるのかと。
「続いて冒険者登録です。といっても、お名前とご職業を記録するだけですので、トール様に何かして頂くことはありません。少々お待ちください」
クリステアさんは、淡々とした口調で手続きを進めていく。
「確認になりますが、お名前がトール様、ご職業が魔法使いということで冒険者登録をしても構いませんか?」
「はい。大丈夫です」
「かしこまりました。ただいまよりトール様は、Eランクの冒険者として登録されました」
多くのゲームや創作物の中にあるように、[AnotherWorld]にも『冒険者ランク』というものがある。一番下がEランク、一番上がSSランクだが、これはその人の単純な強さを表しているのではなく、ギルドが発注する依頼への貢献率を示す階級になっている。
「これで手続きは終了です。何かご質問はありますか?」
「いえ、特にありません」
システムに関することはあらかた下調べしていたので、分からない点は特にない。
冒険者ギルドの窓口では冒険者登録の他に、依頼の受注やアイテムの買い取りを受け付けている。詳しいことは、依頼を受けてみてから振り返ろうか。
「それでは、ご利用ありがとうございました。道中、お気をつけて」
「こちらこそありがとうございました、クリステアさん」
クリステアさんの事務的な挨拶に応えながら、俺は冒険者ギルドを後にした。
少し話していただけだが、俺のような新米プレイヤーや、素材を売却しに来た先輩冒険者が増えてきており、どの窓口にも列ができ始めている。人波に揉まれる前に、さっさと退散しよう。
広場に戻ると、再びウインドウが出現した。
邪魔にならないように建物の壁際に移動する。
―― [クエスト]:冒険者ギルドに行ってみよう! ― CLEAR ― [報酬]:キャラクター経験値
―― [クエスト]:職業に就いてみよう! ― CLEAR ― [報酬]:職業経験値
どうやら、冒険者ギルドに行って職業に就いたことでクエストを達成したようだ。
報酬のキャラクター経験値と職業経験値はそれぞれ、キャラクターレベルと職業レベルの成長に関わる経験値になっている。
俺は中空のウインドウをタップして閉じると、新たなウインドウが出現した。
―― [クエスト]:魔法使いギルドに行ってみよう!
このタイミングで発生したことを見るに、今目の前に現れたクエストは、俺が魔法使いになったことで追加されたようだ。
大きな街には各職業に対応するギルドが存在し、そこで職業の登録を行うことで先輩のNPCに師事したり、その職業専用の依頼を受けたりすることができる。
立ち止まったついでに、メニューのステータスを開いてみる。
職業が『魔法使い』に変わっていたが、キャラクターレベル、職業レベルはどちらも1のままだった。
流石に、一つクエストをこなしただけでレベルが上がったりはしないな。
それじゃあ、次は魔法使いギルドに行くか。
俺はメニューバーをタッチし、エリアマップを開く。
魔法使いギルドは広場の北西側にあるようだ。リアリティ重視のためマップ上にピンを指すことはできない。
そのため、ギルドの位置をしっかり記憶してからマップを閉じた。
噴水広場を出て、北の大通りを歩きながら左右に並ぶ店を観察する。
レストランや雑貨店、宿屋や服飾店など、バラエティに富んだ店が連なっている。どの店も広場にある四つの建物よりかは小さいが、日が暮れてきたこともあり活気に満ちている。いくつか冷やかしに行きたい気分だが、あまり時間をかけるとログアウトが遅れてしまう。
俺は誘惑を振り払うようにして、歩くペースを上げた。
大通りの両側からは、不規則な間隔で脇道が伸びている。
いくらか進んだところにあった、そのうちの一つに入る。
途端に大通りの喧騒はなりを潜め、静かな裏路地の雰囲気が漂う。この通りにも点々と店があるが、古本屋や杖の販売店など、魔法関係のものばかりだ。行き交う人々も、いかにも魔法使いです、といった風貌をしている。
そういえば、エリアマップには『魔法使い通り』と書いてあったな。魔法使いギルドは、この通りをもう少し進んだところにあるようだ。
魔力が込められた美しい宝石を取り扱っている魔石店や、封を開けることで中に込められた魔法が発動する、魔法の巻物の店などのユニークな店を見ながら歩くこと数分、目的地の魔法使いギルドに到着した。
『魔法使いギルド』とネオンのように光る文字が書かれた看板が掲げられており、その下にある古めかしい木製の扉は固く閉じられている。
「ここ、だよな……」
俺は扉の取っ手に手をかけ、力を込めて手前に引く。だが、扉は開かず後ろにのけぞってしまう。
やばい!
思わず転びそうになる。
「大丈夫?」
あわや後頭部が石畳に激突する寸前、いつの間にか後ろにいた女性が肩を抱き止めてくれた。
え?背後に誰かいたのか?全然気づかなかったが……。
「気配を消すのは魔法使いの嗜み。魔物に近づかれると不利な場合が多いから」
俺の表情を読み取ったのか、心の中を見透かしたのか、彼女はそう続けた。
「この扉は、内開き」
そう言った彼女は、すっと扉を開けてみせた。
扉を開けることもできないなんて、恥ずかしい。まさに、穴があったら入りたい状況だ。
ま、まあ、間違えたのは薄暗くて分かりづらかっただけだからと、俺は心の中で平静を装った。
「そう恥じらわなくてもいい。私も去年、初めて来たときはこけた」
やっぱりマインドスキャンされてるな。
ん?去年、初めて来たときってことは……?
「そう。私は二年生。水魔法使いのシズクという。あなたは、新しく魔法使いになった一年生でいい?」
「………」
「ねえ?」
「………」
「黙ってたら分からない。あなたの名前は?」
「もしかしたら、俺の名前もテレパシーで分かってくれるかもしれない」と思って、胸の内で『トール』という言葉を連呼していたが、どうも彼女にそんな能力はないようだ。
「すいません、一年生のトールです。助けて頂き、ありがとうございました」
「なんてことはない。それより、中に入ろう」
「はい」
気安く話しかけてくれた先輩に対して失礼なことを試した俺はこうして、ゲーム内で初めて、プレイヤーと言葉を交わしたのであった。
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