第六話

[第六話]


「ようこそ、魔法使いギルドへ」


 転びそうになった俺に手を貸してくれた先輩プレイヤー、シズクさんがおどけた感じで言った。


 魔法使いと言っていたが、薄い水色のブラウスにくるぶし丈の白いパンツ、青のローファーというスタイリッシュな出で立ちをしている。髪型はうなじが見えるくらいのウルフカットで、全身から活動的なイメージを感じられるが、言葉を発する口調と表情が平坦だ。


 魔法使いギルドの中は、お金持ちの別荘のようだった。焦げ茶色の板張りの床とレンガで敷き詰められた壁が渋い雰囲気を醸し出している。


 正面には冒険者ギルドにもあったカウンターが五つあり、職員であろう人たちが詰めている。今は窓口を訪ねる人がいないので、暇そうにあくびをしている人もいる。


 左手には大きな暖炉があり、薪がくべられていないのにもかかわらず、炎が煌々と揺れている。あれも何かの魔法だろうか。暖炉の側にはテーブルと椅子が数セット。三席ほど埋まっているが、どの人も分厚い本を読んでいる。


 そして右手には、茶色のドアがあるのみだ。


 室内は薄暗く、暖炉の火と、冒険者ギルドのものとは違った見た目をした明かりが照らしている。


「まずは魔法使いの登録をした方がいい。その後、私がギルド内の設備について説明する」


「分かりました」


 シズクさんに、最初の手続きは一番右の窓口で受け付けていると教えて頂き、早速そちらに向かう。


 窓口には一人のおじいさんが座っていた。俺はカウンター前の椅子に座って彼に対面する。


「こんにちは」


「ああ」


 見た目通りのしわがれた声だった。一言相槌を打つなり、カウンターに頬杖をつき、ため息を一つこぼす。


「わしは、ローレンツ・シュバルトハイツという。土魔法使いをやっているが、人手不足のため、こうして受付を手伝っておる。全く、年寄りをこき使いおって」


「た、大変ですね。トールっていいます」


 またすごい人だな。


 ローレンツさんはいかにも面倒臭い、といった感じで説明を続ける。


「トールだな。見ない顔だが、魔法使いの新規登録ということでよいな?」


「はい、お願いします」


「では、まずは扱う属性を決めてくれ。後から変更するのは手間じゃから、後悔のない選択をしろ」


 年老いた受付はそう言うと同時に、「ただし、二属性を扱えるような才能が有れば杞憂じゃがな」と茶化すように付け足す。


 どうも、俺はこの人と反りが合わなそうだ。


 その直後、職業を決めたときに出てきたようなウインドウが現れた。だが、表示される選択肢は前より多くない。


「その中から好きな属性を選べ。もう決まっておると思うが」


 もちろん。


 俺は『火』、『水』、『風』、『土』の四つの属性の中から、水属性を選択した。偶然にも、シズクさんと同じ属性だ。


 ここで、属性について説明したいと思う。


 魔法には、基本的な属性として火、水、風、土の四つがある。

 

 火属性は燃え上がる炎で相手を攻撃する。火に触れた相手には一定確率で『火傷』の状態異常を与えることができ、また威力が高いものがほとんどなので、魔法の中で一番人気のある属性だ。生産活動では、鍛冶や料理に応用できる。


 ただ難点があり、火属性魔法を使うと周囲の気温が上がり、暑くなるらしい。そのため、熱い地域での冒険では、火魔法使いは文字通り煙たがられるとか。


 水属性は、生み出した水を勢いをつけて相手にぶつけて攻撃する。ダメージは他の属性よりも低いが、様々な生産活動に応用することができる。


 また、状態異常の中には、長時間に渡り水分を摂取しないことで起きる『脱水』がある。無論、ゲーム内で現実のように飲食はできないから、食糧アイテムを消費するという形で回避できるんだが、水属性魔法は飲み水を生み出せるため、喉の渇きを心配することなく冒険できるという利点もある。


 風属性は鋭い風で切りつけたり、強風で吹き飛ばして攻撃する。前者では相手に『出血』状態を負わせられ、後者では相手を地面やオブジェクトにぶつけることで『気絶』状態を誘発できる。


 さらに、切断や乾燥といった工程を簡略化できるため、生産活動への利用にも重宝される。あとは空を飛んだりもできる。体験者曰く、旅客機で揺られるような酔いがひどくて、二度と使いたくないらしいが。


 土属性は土塊、石、岩を生み出して切りつけたり、ぶつけたりして攻撃する。こちらも魔法の種類によって『出血』『気絶』といった状態異常の発動が見込める。


 他の属性と違って物理的なものを出現させるので、土の柱を足場にしたり、地形を変化させたりといったトリッキーな使い方も可能だ。加えて、やせ細った土地に栄養をもたらしたり、宝石を生み出したりと、生産活動もお手の物だ。


 まだまだ言い足りないことがあるが、魔法の属性についてはこれくらいだな。


 さて、ではなぜ俺が水魔法使いを選んだかというと、『調薬』をやってみたいと思ったからだ。


 『調薬』は体力や魔力の回復、各種バフや状態異常を付与する飲み薬や塗り薬、錠剤を調合する生産活動のことを言う。『調薬師』という調薬に特化した生産職があり、そちらの方が品質の高い薬を作れる。


 しかし、水属性魔法を使えば、一般的なゲームで言うところのポーションに必要な純水を魔力がある限り生み出すことができる。これにより飲み薬をたくさん作れるため、お金には困らないだろうという思惑があるわけだ。


 少し長くなったな。説明は以上にしよう。


 俺は属性の選択を終えウインドウを閉じると、ローレンツさんは胡乱な目を向けてきた。


「ほお、水か、珍しい。物好きもいたもんだ」


「好きな属性を選べと言われたので」


「ふん」


 物好きで結構。それにしても、水属性ってそんなに人気ないのか。


 俺の態度が気に食わなかったのか、彼は俺をにらみつけたまま、しわしわの口元を動かす。


「これで、魔法使いの登録は終わりだ。後はここの設備の紹介だが、わしもそう暇ではない。そこの嬢ちゃんに手取り足取り教えてもらいな」


「そうします。ありがとうございました」


「ふんっ、礼を言われるようなことはしていない」


 ローレンツさんは不躾に会話を切ると、扉を開け、奥の部屋に消えていった。


 ちらっと隙間から見た感じ、奥の部屋は職員の事務室になっているようだ。


 しかし、こちらも苦手な人だと思っていたが、俺との会話はそんなに不快だったのだろうか。


 俺は訝しみながら、暖炉近くの椅子に座っていたシズクの下に向かう。俺とローレンツさんのやり取りをぼうっと眺めていた彼女は、すぐさま立ち上がった。


「トール、あの人のことは気にしなくていい。プレイヤーの中でも、ぶっちぎりで不人気だから。あと、彼は午後五時までの勤務で、定時になるとさっさと帰りたがる」


 曰く、攻略サイトの掲示板でもローレンツさんは叩かれているらしい。まあ、現実でも性格の良い人ばかりではないから、俺としてはそこまでしなくても、とは思うが。仕事を早く終わらせたいというのも、現代社会の人間より人間らしいのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、俺はメニューを開いて時間を確認してみると、確かに十七時ちょうどだった。


 接客をする人として間違っていると思うから理解はできないが、なるほどそういう人かと納得はできたので、ローレンツさんに対する嫌悪感が少し和らいだ。


 少しだけ、な。


「じゃあ、設備の説明に入る。そんなにかからないけど、時間は大丈夫?」


 メニューを開いていた俺を見て、シズクさんが平坦な声で聞いてくる。


 そうか。この状態だと、他の人からは時間を気にしているように見えるのか。


「はい、大丈夫です。ぜひよろしくお願いします」


「それなら良かった。始める」


 彼女は淡々と、魔法使いギルドの各種設備についての説明を始めた。


「まずは受付窓口。新しく魔法使いになる人の登録や、聞きたいことがあるときに行くところ」


 シズクさんはそう言いながら、さっきまで俺がいた、一番右側の窓口を示した。


 つられて見ると、カウンターにはローレンツさんと交代した職員が席に着くところだった。


「でも、分からないことがあっても他の窓口で聞くから、実質初めて来たときにしか使わない。それなのにローレンツに当たったトールは、本当にかわいそう」


 言いながら、何故か憐みの視線を送られた。


 無表情なのに、視線からは憐憫の情を感じるという不思議。せっかく忘れようと思ったのに。


 どうやら、受付窓口はインフォメーションカウンターとしての役割もあるらしいが、あまりに人が来ないため、あのおじいさんにも務まるのだろう。


「次は、一番左端の窓口。あそこには魔道具商人がいて、魔法や魔力に関するアイテム、素材の売買ができる」


 続いてシズクさんは、受付窓口とは反対側のカウンターを指した。


 その指の先には、いかにもあくどい笑顔で揉み手をしてそうなしたり顔の男が座っている。


 商人は魔法使い然の女性と向かい合っており、現在取り込み中だ。なにやら電卓のような機械を手に持ってせっせと打ち込んでいる。また、カウンターの上にはキラキラした宝石が転がっている。


 ここで、魔道具とは何かについて話そう。魔道具とは、魔力が込められた人工のアイテムや装備のことを言う。魔法の巻物や魔剣、呪いの装備などがその類いだ。


 勘違いされやすいが、魔物の素材や魔石は天然由来のものなので、魔道具の定義からは外れる。だが、あの窓口では買い取ってくれるらしいな。


「真ん中の三つの窓口が依頼の受注、達成報告をするところ。冒険者ギルドと違って、人工魔石の納品や魔法使いに対してのパーティへの募集、魔法を使った生産活動の手伝いなどが多い」


 ふむ。冒険者ギルドでは特定の魔物の討伐、素材の納品、期間の限られる即席パーティへの勧誘が主だが、ここではより魔法使いに特化した依頼が受けられるということか。


 ちなみに、人工魔石というのは土属性魔法で作った魔石のことだ。詳しくは知らないが、ある程度土魔法使いの職業レベルを上げると、人工で魔石を生み出す魔法を覚えるらしい。


「左の暖炉の辺りはフリースペース。待ち合わせぐらいしか用途がない」


 シズクさんの説明が急に適当になったが、俺たちもさっき似たような使い方をしたので、口を挟むのはやめておく。


「最後に、右の扉。これは入った方がはやい」


 そう言うなり、シズクさんはすたすたと歩いて扉の前に移動した。そして金色のノブを捻り、扉を一気に開けた。今度も内開きだった。


 扉の向こうは、真っ白だった。どこまでも続く透明な空間が広がっている。


 シズクさんは臆することなく、体を滑りこませるようにして室内に入った。俺も急いで後に続く。


 扉を閉めると、ギルドのフロアからもたらされていた漆黒が潰え、部屋は純白で満たされた。同時に、目の前にウインドウが出現する。今までのものとは違うタイプだ。


「ここは練習場。魔法使いだけでなく、全ての職業ギルドにある設備。チュートリアルを受けたり、魔法やスキルを試したりする部屋。このウインドウで、色々設定できる」


 彼女は慣れた手つきでウインドウをいじり始めた。途端に、周囲が見たことのある景色に変わる。


「これがその一例。フィールドを自由に設定できる。体験版のステージは、この草原をモチーフにしている」


 確かに、昨日体験会で見た光景にそっくりだ。


 俺が感心していると、シズクさんはさらに手元を操作する。


 すると、俺たちの前に一頭のオオカミが現れた。


 獰猛な目、鋭利な牙。体験版で戦ったファングウルフだ。


「このように、魔物を出すこともできる。ただし、一度倒したことがあるモンスター限定で、倒しても経験値と素材はもらえない」


 よくできてるな。ここで素材と経験値を稼げてしまうと、フィールドに行く意味が無くなる。あくまで、練習ができるだけという認識を持っておかないと。 


「他にも機能はあるから、時間があるときにやってみるといい」


 シズクさんはウインドウを閉じ、俺の方を振り向いて締めくくった。


 え?魔物がまだ残ってるんだが……。


 彼女の背後では、生み出されたウルフが涎を滴らせて唸りを上げている。


「あの、シズクさん……」


「実は……」


 俺は慌ててウインドウを閉じ、シズクさんに呼びかけるが、先輩は俺の言葉を遮って言葉を紡いでいく。


 その右手にはいつの間にか、深い青の宝玉を乗せた黄金の杖が握られていた。


「結構嬉しかった……」


 猛獣が体を反らした。


 間違いない。以前見たことがある、あの飛び掛かり攻撃を繰り出そうとしている。目と鼻の先にいるシズクさんに向かって。


「目立たない水魔法を選んでくれて」


 ウルフは全身をバネのようにして、大きく跳躍する。目を剥き出し、口を裂けんばかりに開かれる。


 一方、シズクさんは腕を上げ、地面と平行になるように杖を寝かせた。


 次の瞬間、宝玉の数センチ先から一滴の水滴が生じる。その雫は宝玉と同じく、深い青をたたえていた。


「去年は、私しかいなかった…」


 一粒の雫は、重力に従ってゆっくりと落ちていく。


 何かの魔法を使おうとしているのか?いくら先輩といえども、そんな小さな水滴でモンスターを倒すことができるのだろうか。


 今まさに、シズクさんの背中めがけて、鋭い牙と爪が突き立てられようとしていた。


「分からないことがあったら何でも聞いてほしい…」


 狼の恐ろしい形相が飛び込んでくる。


 俺は先輩の気迫に圧倒されて、声をかけることも、駆け出して彼女をかばうこともできなかった。


「奥義、[タイカイノシズク]」


 シズクさんがそう呟くと同時に、放たれた雫が草地の地面に着地した。


 そこから瞬く間に、水があふれ出してくる。海の流れが、うねりが、雫の着地点から湧いてくる。潮の香りと共に、膨大な海水が全方位に向かって暴れ出す。


 突然発生した激流に、俺は思わず顔を手で覆って目を閉じる。いつの間にか、滝のような轟音が鼓膜を揺らし続けていた。



 ※※※



 音が止み、目を開けると、周囲の光景は一変していた。


 地平線まで広がる、緑色の草たちが根こそぎ抉り取られたのか、茶色い土が露出している。ウルフの姿は影も形もなく、さっきと同じ場所であろう位置にシズクさんが立っているだけだった。


「これが、奥義。一部の人が使える、特別な技」


 何事もなかったかのように、相変わらずの無表情でシズクさんが話を再開した。


 あまりの出来事に、俺は言葉を失っていた。


「私の場合、奥義は魔法で、全方位の相手に特大威力の水属性攻撃を与えるというもの。人によってスキルだったり、匠の職人技だったりする」


「………」


「トール。質問があったら、遠慮なく聞いてほしい。それと、できれば、フレンドになってほしい」


 途中まではスラスラと話していたシズクさんだったが、最後の言葉は、いつも無感情な目を向けて話す彼女にしては珍しく、俯きがちに発せられた。


 その気持ち、よく分かります。かしこまって友達になってほしいって言うのは、恥ずかしいですよね。


「すいません。さっきの奥義、に圧倒されてました。フレンドについては、お願いしようと思っていたので俺でよければ。質問は数えきれないほどあるので、少し魔法を触ってみてからでもいいですか?」


「分かった、ありがとう。これから、よろしく」


「はい、よろしくお願いします」


 俺たちは改まって挨拶を交換すると、メニューの『フレンド』タブからフレンド登録をした。


 記念すべき、フレンド第一号だ。


「この後時間ありますか?魔法を使ってみようと思ってて。色々教えて頂ければ、なんて」


「ある!!!なんでも聞いてみて」


 薄々感じていたが、先輩は人に教えるのが好きなんだな。


 今日一番の大きな声で提案に応じてくれたシズクさんと共に、俺は摩訶不思議な魔法の世界への扉を叩くのであった。

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