第四話

[第四話]


 俺、柊透と友達の亘昇、濱彰、森静の四人は、桜杏高校(おうあんこうこう)から寮に帰ってきた。


 昨日は入学式と部活動体験会、今日は健康診断とVRゲーム部の集会で忙しかった。だがようやく、桜杏高校の校長兼、株式会社『チェリーアプリ』の社長である白峰桜が生んだVRゲーム、[AnotherWorld]を遊ぶことができる。


 オートロックの扉を後ろ手で閉め、履き慣れたスニーカーを脱ぎながら靴入れの上に置いてあるデジタル時計を確認する。


 時刻は、十五時ちょうどを表示していた。


 よし、これからキャラクリしても余るほどの時間があるな。


 心の中で小さくガッツポーズをした俺は、トートバッグをいったん寝室に置いてから、洗面所で手洗いうがいをする。歩いて帰ってきて少し暑くなったから、ひやりとした水が気持ちいい。


 クールダウンを終えて寝室に戻り、バッグの中からタブレットを取り出す。本体横の電源を入れて指紋認証をクリアした後、ホーム画面にある[AnotherWorld]のアイコンをタップした。


 このタブレットは、『チェリーアプリ」が提供するVRヘッドセットと片手に一つずつ持つコントローラから成るVRデバイス、『チェリーギア』と同期している。そのため、タブレット上で行ったVRソフトの設定は『チェリーギア』に反映される。


 [AnotherWorld]の場合は、ログイン方法の変更やフレンドのログイン情報の確認などの他に、初回ログイン時に限り、キャラクターメイキングとキャラクター名の設定も出来る。


 ソフトが起動すると画面が白く光り、中央に水色の文字で[AnotherWorld]と表示される。少ししてそれは上部に移動し、『設定』、『操作方法』、『チュートリアル』、『ヘルプ』、『お問い合わせ』などのアイコンたちが現れる。


 俺はそれらの中から、一番上にあった『キャラクターメイキング』を選択。すると画面が明転し、なんだか見覚えのあるアバターが姿を見せた。


――こんにちは。ヒイラギトオル様。


「しまった!」


 すっかり忘れてた。システム上のサポートをしてくれるナビゲートAIのアバターが、白峰校長そっくりの校長ロイドだったのを失念していた。


 やりづらいから変えようと思ってたんだ。何でデフォルトがこれなんだ。


 オンラインでも見張られている気分になるので、左下の『もどる』をタップして最初の画面に戻る。『設定』を開くと、細分化された項目ごとにいくつかのアイコンが出てきた。さらに操作し、『AI』の中の『アバター外見変更』を選択する。


 『チェリーアプリ』が提供するナビゲートAIのアバターは、様々な種類が配布されている。


 そういえば、好みのキャラクターを自作できるソフトが昨年度のVR開発部での作品発表会で紹介され話題になっていたな。アイデアを形にできるのがクリエイターのすごいところであり、大変なところでもあると思う。


 今からお気に入りのモデルを探してくるのは時間がかかるので、初めからインストールされているモデルにした。


 ドラゴンの赤ちゃんのような淡い赤色をした二頭身ほどのキャラクターだ。後ろに生えた一対の小さな翼をパタパタとさせて電脳空間を浮いている。


 再びメニュー画面に戻り、『キャラクターメイキング』をタップする。今度は、校長ロイドの代わりにちびドラゴンが現れた。


――おう、トオル!もうおやつの時間だぞ!我はマカロンを所望するぞ!


 なんか、あざといな。だが校長ロイドみたいな無機質ではなく、ハスキーで愛嬌のある声で挨拶をくれるので、こちらの方が良い。


 続けて、『キャラクターメイキングを始める』『もどる』のアイコンが下部に出てくる。


 『始める』の方を選択すると、ちびドラゴンは「――キャラクターメイキングは、VRデバイスか同期したデバイスでの[AnotherWorld]の初回ログイン時に一回しか行えないが、それでもいいか?途中でセーブすればメイキングを中断できるが、一度完成させるとやり直せなくなるぞ?」と舌っ足らずな声で教えてくれた。それと同時に、『はい』『いいえ』という選択肢が出てくる。


 もちろん了承しているので、『はい』を押す。すると、ちびドラゴンは画面から徐々にフェードアウトし、左側に顔のパーツと体の部位が縦に並んだウインドウ、右側に全身を正面から映した男性アバターが表示された。


 アバターは肌着を身に着け、真顔でこちらを見ている。ウインドウで各パラメータを調整して自分好みのキャラを作る、ゲームの始めによくあるキャラ設定の画面だな。


 ちなみに、このゲームのアカウントは学生用なので、キャラクターの性別を変えることはできない。もっとも、一般的に売られている製品版ではできるらしいが。


 俺は、大勢の人が時間をかけて悩むであろうキャラメイクの工程は、早く済ませて遊びたい派だ。だから、深く考えずにパッパと指を滑らせて仕上げていく。


 顔のパーツは位置や大きさ、色を自由に決められる。この手のゲームでおなじみの、奇抜な外見に走ってもよいが、三年間遊ぶことを考えると後悔しそうなので、俺の元の顔からほとんどいじらなかった。


 体の部位は、部位ごとに大きさや太さ、長さ、筋肉量などをいじれる。極端に太い腕やくびれたウエストにもできる。遊んでいるときに視界に入る腕や足が丸太や枯れ枝のような太さだったら気持ち悪いので、こちらも冒険することはしなかった。


 結局できたアバターは、現実の自分と大差ない目鼻立ちと中肉中背のパッとしないものだった。まあ、いつもキャラメイクをするときはこんな感じに落ち着くから、特に何も思わない。


 遊ぶのは桜杏高校の専用サーバーだから、本人と顔が似てても問題ないと部の集会で言ってたし、一人称視点でのプレイだから外見はあまり気にならないだろう。


 一つだけ変えたところは、髪の色だ。髪の付け根から中ほどにかけては黒のままだが、先端に向かうにつれて徐々に青色になるようにした。グラデーションの髪って中々おしゃれじゃないか?


――本当にこの見た目でいいか!?後から変更できないぞ!


 全ての項目を設定してウインドウの一番下にあった『決定』アイコンを押すと、キャラクターのアバターが中央に移動し、ちびドラゴンの声が返ってきた。加えて『はい』『いいえ』が出たので、一瞬思案してから『はい』を選択。


――わかった!このキャラクターの見た目はこれで決定だ!


 元気よくちびドラゴンが言う。少しするとアバターが残ったままウインドウが消え、画面下部にキーボードを模したウインドウが現れた。


――最後に、このキャラクターの名前を決めてくれ!我が主にふさわしい堂々たる名前にするのだぞ!


 俺って、ちびドラゴンの主だったのか。


 これも、プライバシーを気にすることなく名前をもじっても構わないらしい。俺は一文字ずつアルファベットを入力していき、キャラクター名を『トール』にした。我ながら、結構安直だな。


――本当にその名前でいいか!?後から変更できないぞ!


 『はい』を選択する。


――わかった!このキャラクターの名前はこれで決定だ!


 先ほどと同じ文言で、ちびドラゴンが確認してくれる。


 [AnotherWorld]において、キャラクターの外見や名前を後から変更できるようにするか否かは、開発陣の中でも議論が繰り広げられていた。


 最終的には、白峰社長の「簡単に見た目や名前を変えられるようになると、後で変更すればいいやと、皆真剣にキャラクターを作らなくなる。そうなると、自分のキャラクターに満足しないままゲームを始めることになり、意欲的にプレイし続けてくれる人、いわゆるアクティブプレイヤーの人口減少につながる。だからだめだ」という鶴の一言で、変更できないことに決定した。


 このエピソードは、[AnotherWorld]発売直後のインタビューで社長が暴露していたが、当時はプレイヤーの中でも賛否両論だった。俺はいいと思ったけどな。


――以上で[AnotherWorld] のキャラクターメイキングは終わりだ!メインメニューに戻るぞ!ゲームの方もよろしくな!


 ちびドラゴンがそう言うと同時に、画面が明転した。


 メニュー画面の『キャラクターメイキング』のアイコンがあった場所は、『マイキャラクター確認』という文字に代わっていた。


 タップしてみると、先ほど作ったアバターの全身と『トール』という名前が表示された。なるほど、タブレット上のアプリからキャラクターの出来を確認できるようになるのか。


 俺は『もどる』を押してメニュー画面に戻ってから、[AnotherWorld]のアプリを落とし、タブレットをスリープモードにした。


 いよいよ、[AnotherWorld]を遊ぶぞ!


 机の上のVRヘッドセットとコントローラを両手に持って、ベッドへと移動した。マットレスの上に腰掛け、ヘッドセットを頭に被る。


――さっきぶりだな、トオル!もう夕方だけど、我と一緒に一息つくのはどうだ!?マカロンでも食べながら!


 瞬時に網膜認証が終わり、白い空間にさっきのちびドラゴンが出現する。当たり前だが、タブレットでは2Dモデル、VR上では3Dモデルだった。偉そうながらもかわいいボイスがヘッドホンから流れ込む。ちゃんとこっちも変わっていて良かった。


 『チェリーギア』の初期設定のときとは異なり、空間上にいくつかの四角い箱が浮かんでいる。これが、VRデバイス上のアプリか?


――わからないことがあったら、我に聞いてくれ!


 何も操作せずにしばし逡巡していると、ちびドラゴンはそうのたまった。せっかくなので、聞いてみることにする。


「この浮かんでる四角いものは、アプリでいいのか?」


――その通り!左から順に、『設定』、『コミュニケーション』、『VRラーニング』、『VRデベロップメントα』、[AnotherWorld]の五つだ!それぞれのアプリケーションの説明をした方がいいか?


「ああ、頼む」


 ちびドラゴンは、俺の言葉に的確にレスポンスしてくれる。なんて優秀でかわいらしいのだろうか。


 もっと声を聴いていたいので、俺は解説をお願いする。さっきまではゲームを遊んでみたくて仕方がなかったが、現在はちびドラゴンに対する好奇心の方が勝っている。


――わかった!途中で寝るなよっ!一番左の、スパナとドライバーが交差したようなアイコンの『設定』は、その名の通り、今いるこのメニュー空間や我のようなAIアバターの編集を行うことができるぞ!初期設定で決めたセキュリティ関係もここで変更可能だ!


 まさか、集会で居眠りしたのがばれていたのか!?


 いや、そんなはずは……ないよな?


――左から二つ目の便箋のようなアイコンの『コミュニケーション』もその名の通りで、友達にメールを送ったり、遠く離れた人とVR空間上で触れ合うことができるぞ!誰かと連絡を取りたいならこれだな!


 なるほどなるほど。


――真ん中の教科書のようなアイコンの『VRラーニング』もそのまんまで、今社会で活躍している様々なVR技術を体験できるぞ!例えば、高度な撮影技術と360度の景色をリアルタイムで反映する投影技術がもたらした、世界中の観光地を部屋にいながらにして楽しめる『VRサイトシーイング』や、数百万人の患者の同意を得て収集したデータを基に、誰でも執刀医の目線になって外科的手術のシミュレーションができる『VRオペ』などだな。本来有料であったり、一部の人しか利用できないVRソフトをたくさん体験できるぞ!


 それは結構面白そうだ。ただ、『VRオペ』は絶対にやらないが。これは将来外科医になる医学生や研修医が練習のために使われるソフトだと思うが、なんで『VRラーニング』に盛り込んだんだ?


――その右の『VRデベロップメントα』は、VRソフトを開発できるソフトだな!といっても入門用で、まずは触ってみて開発に興味を持ってもらおうという意図で作られたものだ!数百種類の素材を使って、背景や登場するキャラクターのモデルを自由に作り、自分だけのVRソフトが作れるぞ!VR開発部が愛用する、もっと高度なβバージョンもあるぞ!


 少し概要を聞いただけだが、これは難しそうだ。興味はあるんだけどな。『VRデベロップメントα』は、授業で使うと学校からのお知らせで聞いていた。


――最後に、一番右にあるへんてこなマークの水色のアイコンが、[AnotherWorld]だ!今巷でホットなVRMMOのゲームだな!なんでも、我も登場しているとかいないとか……。トオルが通う桜杏高校の、学生用アカウントになっているぞ!


 なに!?ちびドラゴンが出ているのか!絶対に見つけ出して撫で回してやる。


――アプリケーションの説明は以上だぞ!新しくダウンロードしたソフトは右側にアイコンが追加されるから、忘れずにチェックしてくれよ!


 ちびドラゴンはそう締めくくると口をつぐんだ。


 大変勉強になりました。


 魅惑のボイスで英気を養った俺は、コントローラを持ち上げて空間上の[AnotherWorld]のアイコンに触れる。


 そのとき、ベージュの手と白いワイシャツの袖が視界に入る。


 ふと思ったが、この空間でのアバターのメイキングはできないのか?そしてなぜ、俺はワイシャツを着せられているんだ?


 ま、まあいいか。


 とりあえず、俺はそのままの体勢で右コントローラのAボタンを押した。こうすることでソフトを起動できる。


 タブレットのときのように、空間が白い光に包まれると、水色の[AnotherWorld]というタイトルが浮かび上がる。


 眩しさに目を塞いでいると、液体が滴り、流れる音がふと聞こえてきた。


 ログイン、できたのか?


 恐る恐る目を開けてみる。


 すると、俺は幾人かの人が往来する広場の中心に立っていた。


 俺の”もう一つの世界”での物語は、こうして幕を開けたのだった。

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