第二話

[第二話]


「しっかし、驚いたよな。校長そっくりのAIアバターなんてな」


「ほんとだよ。びっくりして椅子から転げ落ちそうになったもん」


「全くだ。次ログインしたら速攻でアバター変えてやる」


 食堂にやってきた俺、昇、彰は、昼食を楽しみながら雑談に勤しんでいた。


 桜杏高校の食堂は講堂と同じくらい広く、ゆうに百人は入るだろう。


 入口正面の奥側に厨房があり、その脇の券売機で買った食券を厨房の方に渡して料理を待つ。料理を受け取ったら、いずれかのテーブルについて、美味しく料理を頂く、という流れだ。


 食堂には四人掛けのこじゃれたイスとテーブルがいくつも並べられており、今はそのほとんどが埋まっている。


 俺はカレーライスのご飯とルーをバランスよくスプーンに乗せていると、横で昇がズルズルと音を立ててラーメンをすする。


 彰はカツ丼のラストスパートに差し掛かり、どんぶりを傾けてかっこんでいる。


 二人とも食べるのが早いな。


「この席、座ってもよろしくて?」


 そう思っていると、一人の女子生徒が空いている席を指さして話しかけてきた。


 二人の口は塞がっているので、俺が応対する。


「ああ、どうぞ」


 スプーンを持ったまま、俺は承諾した。


 左の昇も無言で頷く。彰はどんぶりに顔を突っ込んでいるので、彼女の到来に気づいていない。


 「ありがとう」と小さく言った彼女は、片手で持っていた生姜焼き定食をテーブルの上に置くと、俺の正面の席に腰かけた。


「えっ?」


 やや間を置いて、空になったどんぶりを下ろして視界を確保した彰が、隣に座った彼女を見て、素っ頓狂な声を上げた。


「初めまして。皆様と同じクラスの、森静もりしずかですわ。気軽に静と呼んでくださいまし。亘さんの前、濱さんの左隣の席だったと記憶しています」


 第一声はスルーしておいたが、中々インパクトのある口調だ。いわゆる、お嬢様なのだろうか。


 森静と名乗った彼女は端正な顔立ちをしており、肌は色白。顔にはうっすらとメイクをしているようだ。


 茶色がかった黒髪を後ろで結ってポニーテールにしている。


 パーカーにジーンズのズボンというラフな格好をしているが、お嬢様だとしたら、俺の知らないブランドものなのかもしれない。


「僭越ながら、ホームルームで皆様のお話を聞かせて頂いておりました。私も[AnotherWorld]に大変興味があるので、是非ご一緒させてほしいと思っていたのですが、お三方の話が盛り上がっていたようでしたから、お話に加わるタイミングを失っておりましたわ」


「そんなの、気にせず話しかけてくれればよかったのに」


 スープまで飲み干してどんぶりを空にした昇が、あっけらかんと言う。彰も、俺の隣でうんうんと頷いている。


 まさか、彰に続いて友達希望者が現れるとは。けれど、嬉しい誤算というやつだ。


 俺たち三人は静に自己紹介をする。


「よし、これで二組の四分の一は友達だな。この後のVRゲーム体験が楽しみだ」


 俺はカレーを食べる手を止め、お冷を飲みつつそう言った。


「でも、体験版はそれ用のソフトがあると姉から聞きましたし、基本個人でプレイするらしいですわよ」


「えっ、そうなのか。……まあ、考えてみればそうだよな、体験版だし」


 てっきり既存の家庭用ゲームのように、体験プレイでもマルチで遊べると思っていた。


 …それにしても、静ってお姉さんがいるのか。


「静ってお姉さんいるのか?その口ぶりだと、二年生か?」


 昇が俺の思ったことを質問してくれた。彼女は小さく頷き、


「そうですわ。ゲーマーの姉が一人おります。以前から[AnotherWorld]の魅力について色々聞かされていましたから、私も遊んでみようと思ったのですわ」


 と答えた。


 なるほど、同じ学校にきょうだいがいると心強くていいな。そう一人で思っていると、


「そろそろお開きに致しませんこと?結構混み合って参りましたし」


 と静が締めくくった。


 いつの間にか、彼女の皿も空になっていた。


 皆、食べるの速すぎだろ。


「悪い、少し待っててもらえるか?」


「あんま無理して食うなよ」


「入り口で待ってるよ」


「ごめんなさい。透がまだ食べていたのに……」


「いい。俺がゆっくりしすぎてた。


 俺は三人に、食堂の外で待ってもらえるようにお願いした。


 彼らがテーブルを離れると、俺は急いでカレーの残りを頬張り、何とか完食する。


「待たせた」


 食器を片付け、食堂の入口に向かった俺は、三人と合流した。そのまま、階段を上って教室へと戻る。


 教室にはぽつぽつと席に座っている生徒がいるが、アロハ短パンの姿はない。


 さて、これからどうするか。


 今は十二時半だから、部活動体験会が始まる十三時まで教室で話すか。


「まだ時間あるし、もっと話さないか?」


「ああ、いいぜ」


「中途半端な時間だもんね、いいよ」


「私も賛成ですわ」


 三人も話し足りなかったみたいだ。


 早速、全員が自分の席に向かい、彰と静は椅子を移動させて雑談の陣形を組む。


「お昼ごはん、おいしかったですわね」


「ああ、学食も侮れないな」


「カレーはちょっと甘かったけどな」


 大衆向けのカレーは甘いと相場が決まっている。仕方がない。


 こんな感じで会話に華を咲かせていると、静のこともだいぶ分かった。


 静は俺たちと同様に、VRゲームに興味を惹かれてこの高校に決めたこと、部活はVRゲーム部の他に園芸部を考えていること、このお嬢様口調は、昔やっていたアニメのヒロインのものが移っただけで、実家は普通の家庭であることなど、色々語ってくれた。


「そろそろ、時間になりましてよ」


 気づけば十二時五十分。二十分あまり話し込んでいたか。


 俺たちはぞろぞろと教室を後にし、廊下でいったん解散してそれぞれの部活の活動場所に向かった。


 まず初めに体験する部活は、読書部だ。


 読書部は図書室で活動している。だから、これから図書室に向かう。


 俺は階段で一階に降りて廊下を進み、講堂の入口を通り過ぎて校舎の反対側を目指す。


 位置関係としては、東西に長い直方体の校舎の西側に講堂、東側に図書室があるという感じだ。


 校舎の東西の端には階段があり、校舎の出入り口は南側に面する講堂前と図書館前、北側の校庭に出る中央の計三か所に存在する。


 図書室の前まで来ると、扉が開いている。


 隣の壁の掲示スペースには”部活動体験会開催中!入ってすぐ左:受付、手前側:読書部、奥側:執筆部”と画用紙にマジックで書かれている。


 執筆部は、文章の執筆をメインに据えて活動している部活で、部員は自分の作品を引っ提げて新人賞などにエントリーしているらしい。


「ふぁ~あ~」


 図書室の中に入ると、左のカウンターに頬杖をついている女子生徒があくびをしたところだった。


 俺の存在に気付いた彼女は、自身の振る舞いに恥ずかしがることなく、こちらを見てくる。


「いらっしゃい。初めて見る顔だし、一年生だよねえ。読書部と執筆部、どちらの部に興味がありますかあ」


 さっきまで居眠りをしていたのか、声がふにゃふにゃだ。中々に肝が据わっている。


 俺は読書部の体験会に参加したい旨を彼女に伝えた。


「始まって一番に来るなんて、大した熱意だねえ。おおい、本多。お客さんだぞお」


 間延びした声で彼女がそう言うと、カウンターの正面のテーブルで本を読んでいた一人の男子生徒が、顔を上げてこちらを見た。


 そして、本をテーブルに置いてすっくと立ち上がり、大股でこちらに歩み寄ってくる。


 本多と呼ばれた生徒は背が高く、角刈りの頭に細い縁の眼鏡をかけている。スポーツ好きの青年にも、頭の良い真面目な学生にも見える。


 少しして彼が俺たちの前に到着すると、受付のおっとり女子が紹介を始めた。


「こちら、読書部副部長の本多だ。去年のビブリオコンで銅賞を獲得した本の虫だ」


「お前に言われると嫌味に聞こえるから、その紹介はやめろ。最優秀賞受賞者で部長のお前が言うな」


 え、最優秀賞受賞者?


 じゃあ、この人が……。


「どうせ、お前のことだからめんどくさがって自己紹介してないんだろ。全く……」


「あはは。いいじゃん別に。今は受付やらされてるだけなんだから」


「いいわけないだろ。しかも、時間ギリギリまで寝てたよな。せっかく来てくれた新入生を寝ぼけ顔で迎えるなんて、それじゃあ上級生としての威厳が……」


「本多はいつも細かいんだよ。今から説明すればいいじゃん。読書部希望ということだし」


「お前はいつもいつも…」


 本多先輩は額に手を当ててうなだれてしまった。


 見てて飽きないお似合いのコンビだな。


 読書部部長と紹介された受付の彼女は仰々しく姿勢を正すと、曇りのない瞳でこちらを見つめてくる。


 セミロングの黒髪がふわりと揺れる。


「改めて、読書部の体験会へようこそ。部長の吾妻だ。もしかしたら知っているかもしれないが、昨年のビブリオコンでは運よく最優秀賞を頂いた。使い物にならない副部長に代わって歓迎するよ」


「二組の柊透と言います」


 吾妻先輩の最後の一言で、俯いていた本多先輩の肩がわなわなと震え始めたが、見なかったことにする。


 彼を差し置いてカウンターを回り込み、こちらにやってきた吾妻部長は、俺をテーブルに促す。


 俺と吾妻部長は、向き合う形で椅子に座った。


 肩まで伸ばした黒い髪が、さらさらと肩口に広がる。静よりも肌が白い。黒目はキラキラと輝き、まるで幼い猫のようだ。


「まずは、これを受け取ってほしい」


 彼女はテーブルの上にあったプリントの束から一枚を手に取り、俺に渡してくる。


 受け取った俺はざっと中身を眺める。読書部の概要を記されているようだ。


「それは部屋に戻った後にでもゆっくり見てみてくれ。活動内容、活動日時、入部するにあたって必要なことなんかが書いてある」


 それなら、後でいいか。


 俺は顔を上げ、部長に向き直る。


「ぶっちゃけ、それを読んでくれれば事足りるんだけどね。部員の口からも説明しろって言われててね」


 それは何ともめんどくさいものだ。でも、必要なことだと思う。


 メールやビデオ会議などのオンラインコミュニケーションを使えば便利だが、顔を突き合わせる機会が減ってしまう。それに、一度会えば先輩の顔と名前を覚えられるし、先輩方もそうだろう。


 こんなことを話していると、ようやく我に返った本多先輩が戻ってきて、吾妻部長の左隣の椅子に腰かけた。


「おい、まだ説明することが残っているだろ。そのプリントに書いてある通り、読書部は基本的に水曜日の放課後に活動している。明後日のミーティングでは今日いないメンバーも含め全員が集まって、二~三のグループ分けを行う予定だ。来週以降は、各自読んできた本の内容や良かった点、感想などをまとめたプレゼンを一日一グループやってもらう。明後日の放課後は空いてるか?」


 彼は早口で説明し、俺に尋ねてきた。


 ようは、毎週水曜の放課後に集まって読んだ本の紹介をするってことだな。それで、初回の明後日は顔合わせをするから、予定を聞いてきたと。


「はい、水曜日は大丈夫です」


「それは良かった。特に必要なものはないから、授業が終わったらここに来てくれ」


「はい!」


 本多先輩は結構几帳面な性格に思える。渡されたプリントには、明後日にやることは詳しく書かれていないし。


 すると、吾妻部長から横槍が入る。


「ちょっと、勝手に話を進めちゃってるけど、彼の最終的な意志を聞いていないだろ。柊君は読書部に入部という形でいいのかい?」


「はい、ぜひよろしくお願いします!」


 俺も忘れてたが、しっかりと入部の意志を伝えた。


 読書部というと真面目で堅いイメージがあったが、二人とも面白い人だし、これからの活動が楽しくなりそうだ。


「それなら良かった。これからよろしく」


「よろしく頼む」


「よろしくお願いします」


 俺と先輩方の三人は改まって礼を交わす。


 こうして、俺は読書部に入部することが決まった。



 ※※※



 その後、今日は何をするんですかと二人に聞いてみたが、体験会といってもうちは本を読むだけだから、特にやることはない、と言われあっさり解放された。


 約束の時間が迫っていることもあり、俺は図書室を後にした。


 部屋を出るとき、入部希望者とみられる女子生徒とすれ違った。


 執筆部希望かもしれないが、今年の読書部の新入部員が俺一人だった、という事態は避けられるかもしれない。


 スマホを確認すると、時刻は十三時二十五分。いい時間だが、皆いるだろうか。


 図書室と、VRゲーム部の集合場所であるレクリエーション室1は目と鼻の距離であり、すぐに到着した。


 閉められた扉の向こうから賑やかな声が聞こえる。体験会は大盛況のようだ。


 扉のそばにはすでに先客がいた。俺は近づいて声をかける。


「お疲れ、静。早かったな」


「あら、透。まずは一つ目の部活動体験会、お疲れ様でしてよ」


「園芸部はどうだった?読書部はプリントを渡されて先輩と少し話しただけだったが。何も体験することが無かった」


「こちらも似たようなものでしたわ。中庭に集まって軽く自己紹介、ぐるっと花壇を見て回ってから、連絡事項と入部するかどうかの決定、という風な感じでしてよ」


「俺らの部活は集まってすぐ何かできるような活動じゃないしな。そんなもんか」


「そんなもんでしてよ」


「それで、園芸部はどんなことするんだ?」


「まずは、それぞれ割り振られた曜日に朝夕の花壇の花の水やりと土の管理、雑草の処理を行いますわ。さらに月に何度か、日曜の午前中に駅や道路上の花壇の整備をするみたいですわ。読書部はどうですの?」


「読書部はな……」


 こんな感じで静と雑談していると、廊下の向こうから昇と彰がやってきた。


「悪いな。遅れた」


「ごめん。校長の話が長くて」


 昇が体験した陸上部は体験会の名の通り、先輩と一緒に校庭を走るという体験だったとか。


 一方、彰が体験したVR開発部は、顧問の白峰校長が暴走し、いかにVR技術が画期的で素晴らしいものかを延々と説明していたため、終了予定時間をオーバーしたらしい。


「別に問題ないぞ。五分も待ってないし」


「全く気にしておりませんわ。……ちょうど空いたみたいですし。私たちの番のようですわね」


 静が扉を少し開け、中を覗き込みながら言う。


 ややあって、体験プレイが終わった一年生のグループが反対側の出口から出てきた。


 続いて、部員らしき生徒がこちらの入口から出てきた。


「こんにちは!皆さん、部活体験希望ですか!?体験機に空きができたのでご案内しますよ!」


 ショートカットで、活発そうな女子生徒の先輩だろう。ヘアピンで横の髪を止めている。


 全ての語尾に「!」がつくんじゃないか、というくらい快活に話す先輩だな。


 俺たちは彼女に先導され、レクリエーション室1へと入った。


 室内の大部分は、均等な間隔で椅子とサイドテーブルが置かれた空間になっている。


 入ってすぐの受付で、部活動の内容が説明されたプリントを受け取った後、一人に一席ずつ、空いている席を案内してもらった。


 席は十ほどあり、一席につきV先輩が一人配置されているらしい。


 どうやら、先ほどのショートカットの先輩が俺の担当らしい。


「私は陽野明美ひのあけみって言います!VRゲーム部の部員です!君はなんていうの!?」


「一組の柊透って言います。今日はよろしくお願いします」


「そんなにかしこまらなくていいよっ!よろしくね」


 自己紹介もそこそこに、陽野先輩が説明を始める。


「今から君に遊んでもらうのは、去年発売された大人気ゲーム、[AnotherWorld]の体験版だよ!……といってもチュートリアルみたいなものだから、五分くらいで終わっちゃうけど!これを機に、ぜひ興味を持ってもらって、入部してくれると嬉しいな!」


 彼女はそう言ってにっこりとほほ笑む。その屈託のない笑顔に、この人なかなかモテそうだな、と思ってしまう。


 俺は陽野先輩に言われるがままに、サイドテーブルの上にあったVRヘッドセットを頭に着け、コントローラを握りしめる。


 途端に、青い空と緑の草原が視界いっぱいに広がる。


  ▼[AnotherWorld]体験版へようこそ!▼


 目の前に、ドットで描かれたウインドウメッセージが表示された。


 今の時代にドットのグラフィックは珍しいが、これはこれで味があっていいな。体験版とはいえ、凝った作りのようだ。


  ▼まずは歩いてみよう!コントローラの左スティックキーを動かしてみて!▼


 続いて、表示された文章に従ってキーを操作してみる。


 おお、左スティックに連動して自分が移動した。一人称視点なので、慣れるのが大変そうだ。


 遊んでいるうちに、スティックを小さく傾けると歩き、大きく傾けると走れることに気が付いた。ちゃんと教えてくれよ。


 こんな感じで適当にうろうろしてると、次のウインドウが現れた。


  ▼次に視界を動かそう!コントローラの右スティックだよ!▼


 言われた通りにやってみると、視界がぐるぐると回る。顔を動かして雲一つない空を眺めたり、地平線の彼方を見つめたりしていた。


  ▼次はモンスターと戦ってみよう!今から出現するファングウルフを倒せるかな!?▼


 続いてこんなウインドウが出現すると、近くの空間が歪んで狼が現れた。


 大型犬くらいの大きさで、茶色と白の毛並みをしている。剥き出した牙が並んだ口からは涎と低いうなり声が出ている。


 こいつはファングウルフというのか。


 一体のファングウルフがこちらに向かって飛び掛かってくる。


 それと同時に、ウインドウが切り替わる。


  ▼回避:Bボタン▼


 Bボタンは右コントローラにあるボタンの一つだ。


 俺はウルフの迫力に驚きながらも、ボタンを入力する。


 すると、体を丸めながら右側に転がり、ウルフの牙をかわした。


 自分のお腹や下半身が視界に飛び込んでくるが、どうやら俺は植物か何かの繊維でできた粗末な服を身に着けているようだ。


 体勢を立て直してウルフの方を振り返ると、攻撃の反動か、頭を左右に振って隙を見せていた。


 今がチャンスだな。


  ▼攻撃は、右のコントローラを振ってできるよ!チャンスを見きわめて攻撃してみよう!▼


 俺は素早くウルフの前に走り寄り、右腕を振るう。


 すると、いつの間にか右手に持っていた剣で、ウルフの胴体めがけて斜めに切りかかっていた。


 剣は刃渡り一メートルもないくらいの長さで、くすんだ銀白色をしている。


 刃が胴に直撃すると、エフェクトと共にウルフは大きくのけぞり、数歩ほど後ずさった。効いているようだ。


 傷を負ったウルフは、こちらの様子を窺うようにその場をうろつき始めた。警戒しているな。


 俺は細かい操作でフェイントを混ぜつつ、相手に対抗する。


 とても生身の人間ではできないカクカクとしたステップは、めちゃくちゃ酔う。


 数十秒間、不毛な駆け引きを続けていると、間合いに入ったのか、ウルフは俺が近づいた瞬間に大ぶりの噛み付き攻撃を仕掛けてきた。


 二、三歩詰めながら顎をこちらに突き出し、大きく発達した牙で俺の肉を引き裂かんとする。


 駆け引きに焦らされていた俺は、もはや適当に移動していたため、ウルフに飛び込んでいくような姿勢になった。


 目の前に反り返った牙たちが迫る。口内の舌はくたびれたように曲がっており、濃いピンク色が先端に向かうにつれて白みがかっている。


 すごいリアルだな。口の中までしっかり獣っぽい。


 そう思いながらも、俺は回避を入力する。噛み付きを半身でよけながら、ウルフとすれ違う形で攻撃をいなす。


 次の瞬間、ウルフの顎が勢いよく閉じられ、「バクンッ!!」という音が響いた。


 この攻撃を食らってたらどうなってたか。ゲームの中だから痛いってことはないと思うが。


 現れた再びのチャンス。スタミナを絞りつくしたのか、ウルフは顎を閉じたままうずくまっていた。だがその目は未だ俺の様子を警戒する、鋭い目だ。


 好機とみていいだろう。やつはスタミナ切れだ。


 俺は駆け出してウルフの前に躍り出ると、攻撃を行う。


 剣の柄を持ち直し、切っ先を天に向け目の前の相手を切り裂く構えをとる。


 これで、トドメだっ!


 勝者の優越感に浸りながら剣を振り下ろそうとした瞬間、急に俺のキャラクターが持ち上げていた腕をだらりと落とした。


 どういうことだ?あと少しだったのに……。


 するとウインドウが新しくポップした。


  ▼このように、一定時間内にダッシュ移動や攻撃、回避を複数回行うと、スタミナが枯渇し疲労状態と呼ばれる状態異常になります!▼


 は?


 先に言えよ!


 俺の異常は、疲労状態のペナルティらしい。数秒間歩くことも攻撃することも回避することもできず、じっとしてスタミナの回復を待つという行動をとらないといけないとのことだ。


 ということで俺は情けなくも、瀕死のウルフの前で立ちすくみ、スタミナが復活するのを待つ。


 ウルフも俺のように疲労状態に陥っていたと考えると、やつの方が先に回復する姿勢を取っていたことになる。


 とすると、先に疲労状態から回復するのはウルフの方。まずい。


 こうなることを予測していたのか、疲労から回復したウルフは、こちらをあざ笑うかのように顎を開いて牙をのぞかせてくる。


 距離を取ろうにも、俺は動けないし、逃げられない。


 ウルフは悠然と、こちらににじり寄ってくる。だが、俺の一撃を受けているためか、その足取りは重い。


 予想できる未来は二つに一つだ。『ウルフの攻撃をもらってでも疲労状態を回復し、ウルフを倒す』か、『攻撃の前に疲労状態が回復した俺が手負いのウルフを倒す』か。


 一発で倒されることはないかもしれないが、一つ目の展開だとリスクが大きい。よって除外。


 二つ目が理想的だが、疲労回復が間に合う保証がない。


 ならば俺がとるべき行動は……


「こうだ!」


 俺は再び剣を握りなおすと、両手をだらりと下げたまま疲労が癒えるのを待つ。ウルフは先ほどと同じ体勢で、噛み付き攻撃の構えを取っている。


 まだだ。まだ回復しない。


 もう少し、もうちょっと……。


 今だ!


 ウルフは、先ほどと全く同じモーションで大口を開けて飛び込んでくる。俺は感覚が戻った右腕を前に突き出し、剣の切っ先を相手の頭に向けた。


 やった。


 ウルフの口が剣の刀身に突っ込む形で、カウンターに成功した。


 先ほどよりも大きなエフェクトを散らして大ダメージを受けたウルフは、全身を光の粒子に変えて消滅した。


 これで、倒せたのか?


  ▼おめでとう!見事モンスターを倒すことができたね!▼


 倒せたみたいだな。


 それにしてもこの体験版、説明も無しに戦闘させて、プレイヤーを疲労状態にさせるなんてえげつないことするな。


  ▼モンスターを倒すとアイテムをドロップするよ!Cボタンで武器をしまって拾ってみよう!▼


 ウインドウに従ってCボタンを押すと、左の腰に着けていた鞘に剣を収めた。


 ふと、ウルフが消えた場所を見てみると、白い光のマーカーに包まれた牙と皮が落ちていた。


 [ファングウルフの牙×1]


 [ファングウルフの皮×1]


 アイテムの近くでCボタンを二回押すと、サウンドと共にアイテムが消えた。代わりにアイテムがあった場所に名前と個数が小さく表示される。


 これがアイテムドロップというわけか。


  ▼以上で[AnotherWorld]体験版は終わりだよ!お疲れ様!製品版ではスキルとか魔法とか色んな要素があるから、お楽しみに!▼


 メッセージが一方的に締めくくると、ヘッドセットを外すよう促すテキストが視界の真ん中に出現する。


 俺は内なる興奮を抑えながら、ヘッドセットを脱いだ。


「お疲れ様!体験版はどうだった!?」


「とっても面白かったです。ウルフもリアルで」


「でしょ!実はこの体験版、去年VR開発部で私が作ったんだ!」


 陽野先輩はそう言うと、えっへん、と言わんばかりに胸を張る。


 ということは、初心者泣かせのあの疲労トラップも……


 意外と悪戯心が旺盛な陽野先輩の一面に、俺は顔をひきつらせたのだった。

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