VRMMO [AnotherWorld]
@LostAngel
第一話
柔らかな日差しの中、眠りから目覚める。ベッドから体を起こし、寝ぼけ眼で傍らに置いていたトレーナーに袖を通す。
俺の名前は
初めて聞く人は、桜杏高校という名前を奇妙に思うかもしれない。
このへんてこな名前は、現在のVR業界で最大手の企業、株式会社『チェリーアプリ』の名前を漢字におこしてつけられている。
この『チェリーアプリ』は二十年ほど前にゲームアプリの開発を行う小さな会社として設立され、これまでに多くのヒット作を輩出してきた。
ハイテクノロジー化が加速しているここ数年では、既存のアプリ事業に加え、業界の中でもいち早くVR技術に目をつけ、VRソフトやゲームの開発、製造に注力している。
そんな『チェリーアプリ』の社長、
「高度化するテクノロジーをけん引する新たな世代を育成するため、VR技術を教育に活用した全く新しい高校を設立する」
この女社長は、破天荒で型破りな性格としてメディアでも度々取り上げられていたが、まさか学校を作るなんて思わなかった。
当時は俺は小学生で、『チェリーアプリ』製のソシャゲにはまっていた。そのため、白峰社長のことを知っており、当時は画面にかじりついて会見を見ていた覚えがある。
あの瞬間から、彼女が作る次世代の学園に通ってみたいと思うようになった。
それから、時間は矢のように過ぎた。
VR熱、ゲーム熱をより一層胸の中で燃やし続けていた俺は、一昨年校舎が完成し、去年から生徒を受け入れ始めた、桜杏高校に入学することを諦めていなかった。
元々勉強はそこそこできる方だった。そのため進学先も色々あったが、俺は揺るぎない決意で桜杏高校を第一志望に据えた。
しかし、桜杏高校は倍率がめちゃくちゃ高く、油断すれば落ちてしまう可能性があった。だから、昨年から今年の冬にかけて、合格できるように最大限の努力をして受験に臨んだ。
その結果、無事入学への切符をつかむことができた。
入学にあたり、先月から隣町にある実家を離れ、校舎近くの寮に住むことになった。
一人暮らしは若干心細かったが、学校で友達を作れば孤独になることはないだろう、と前向きに考えている。友達ができないなんてことはないだろうしな。
そんなことを回想しながら、朝ご飯の支度をする。三月から一人暮らしを始めたが、なるべく自炊することを心掛けている。
桜杏高校と今住んでいる寮は、郊外にある山地の一角を切り拓いて設立されたため、近くにご飯屋さんはおろか、店というものがない。
そのため、高校とふもとの町をつなぐ無料のシャトルバスが頻繁に出ている。
ふもとには大型のショッピングモールがあるので、それほど社会から隔絶されているというわけではないが、少し不便である。
出前を頼もうにも、遠くから来てもらうことになり、気が引けてしまう。よって、生徒の多くが自炊、もしくは校舎一階にある食堂で食事を済ませるようにしている。
俺はパンもご飯も好きだ。基本は朝にパン、夜にご飯を食べる。いかにも日本人らしい食生活ではないだろうか。
今朝は、ブルーベリージャムを塗ったトーストに塩コショウを振ったベーコンエッグ、インスタントのコーンスープにトマトとレタスのサラダを頂く。
スマホでニュースを流し見しながら、よく噛んで食べる。あまり速く食べる方ではないので、いつも十五分くらいかかる。
食べ終わると、食器を流しにつけ、お米を研ぐ。お米と水を入れた内釜を炊飯器にセットし、ボタンを押した後、食器を洗う。
汚れた食器はすぐ綺麗にしないと落ち着かないタイプだ。最後のお箸の泡を洗い流し、シンクをよく吹き、歯磨きを始める。
今日は四月一日。入学式だが、ちゃんと友達を作れるだろうか、と思いながら口をゆすぎ終わり、寝室に戻って登校の準備をする。
今住んでいる寮は、学生寮にもかかわらず、1DK、浴室、トイレ付きという破格の広さを誇っている。このような部屋が一階につき八つ、四階分存在する。合計三十二人分だな。
このような寮が計四棟存在し、来年入学する生徒のためにもう二棟建設が進められているといえば、『チェリーアプリ』がどれだけの経済力を有しているかがお分かりであろう。
家賃も大して高くない。まさに、学生にとってのユートピアだ。
桜杏高校は制服が無く、今日は入学式だけということで、筆記用具くらいしか準備することが無い。
ペンケースやタブレットを入れたトートバッグを肩に提げ、玄関に向かう。履き慣れたスニーカーに両足を通し、かかとをトントンと突いて準備完了だ。
玄関の扉を閉めて、指紋認証でドアをロックする。セキュリティも最新鋭のものになっている。
俺の部屋は二階にあるため、エレベーターホールに着いたら階段を下りて一階に向かう。
まだ入学式開始の時刻よりだいぶ前で、他に高校を目指す同士はいない。
一階のエントランスを抜けると、朝の心地よい涼しさを感じる空気が広がっている。
寮棟が連なる区画を抜け、舗装された奇麗な道路の右側を進む。
道の両側は林が広がっており、豪快で力強い自然を感じられる。長年都会に住み続け、荒んだ心が洗われるような気持ちになる。
林の茂みの中からは時折、鳥のさえずるような声が聞こえる。今度の休みには森林浴でもしてみようか。
そんなことを考えながらゆっくりと十分ほど歩くと、大きくて広い校舎が見えてきた。
あれが、今日から俺が通うことになる、桜杏高校だ。
校舎は四階建て。一階は職員室や図書室などの設備が設けられたフロアで、二~四階が学生が利用する教室のフロアだ。今日の入学式は、一階にある講堂で行われる。
この高校は去年から学生を取り始めたので、一つ上の二学年しか上級生がいない。他の高校同様、三年制である。
俺たちの代と教職員を合わせてもこぢんまりとした人数だが、来年は後輩もできて賑やかな式になるだろう。
開け放たれた校門から校舎の敷地内に入る。敷地内には様々な花が植えられた花壇があり、今は色とりどりのチューリップが咲いている。彩りを感じながら、校舎の入口へと歩を進める。
入口の脇には、『第二回桜杏高校入学式』と書かれた立て看板が置かれている。
校舎内も靴のままで大丈夫なので、土足で玄関に足を踏み入れる。
玄関の正面、目の前には華々しい装飾が施された体育館のような部屋の入口がある。外開きのドアが開け放たれており、中の様子が見える。あそこが講堂だな。
ドア脇には受付があり、パイプ椅子に座った女の人がこちらを見つめている。
まだ少し早いが、中で待たせてもらえるか?ちょっと聞いてみよう。
「おはようございます。早いんですが、受付できますか」
「おはようございます。ええ。大丈夫ですよ。必要書類はお持ちですか?入場前にご提出をお願いいします」
「はい、持ってます。こちらでよろしいでしょうか」
今の時代、事務手続きなどはペーパーレスが主流だが、紙の書類が持つ良さもある。
こういった手渡しでの授受が簡便であり、一目で記入事項のチェックがしやすいのだ。従って、今後も全てのやり取りがオンライン上で済むことはないだろう。
書類は丁寧な字で書いたし、何度も見直したから大丈夫なはず。しかし、こういった成果物を他人に確認してもらうときは緊張する。
そんな不安をよそに、受付の女性は全ての書類に素早く目を通した後、そばにあった印鑑を押し、机の上の箱に置いた。
「講堂は土足禁止なので、内履きをご用意頂く必要があります。お持ちになっていますか」
「あ、すいません。忘れてきました…」
「結構です、こちらをご使用ください」
事前にメールで必要なものは連絡されていたが、すっかり頭から抜け落ちていた。
俺は一言謝り、受付の方からもらったスリッパを履いて講堂の中に入った。
講堂は体育館並みの広さがあり、パイプ椅子が正面の講壇を向くようにしてきっちりと並べられている。その中のいくつかは、すでに埋まっている。
席は特に指定されていない。俺は後から来る人のことを考え、前寄りの席に座った。
………。
手持ち無沙汰になったので、辺りをきょろきょろと見回して人間観察を開始する。
正面の講壇にはマイクがセッティングされており、上部には横文字で桜杏高校第二回入学式と書かれた横断幕がかかってある。今は誰もいない。
俺と同じように座っている周りの生徒たちは大人しく、私服も控えめな色合いだ。同級生であれ上級生であれ、仲良くやっていけそうな雰囲気をしている。
最も、年度初めの入学式に早く来るような、几帳面な人だろうし当然なのかもしれない。ヤンキーみたいな人が後から入ってきて、隣の席で一年を共にすることになったらどうしようか。
講壇の脇、壁際にもパイプ椅子が設置されており、そこには教職員らしき人たちが座っている。
彼らも服装の規定がないのか、各々バラバラの格好をしている。きっちりしたスーツに身を固めた女性もいれば、アロハシャツ、短パンで足を全開にして隣の先生と喋っている男性もいる。
話しかけられている先生は、静かにしていたいが隣の先生を無下に扱うことはできないという様子であり、彼の口撃に微妙な面持ちで受け答えしている。
明らかに空気が読めなさそうな人だ。どうか、あのアロハ短パンが担任ではありませんように。
教員たちの席の一番奥、講壇に一番近い位置にもスタンドマイクが立っている。定刻になれば、あそこで司会進行をするんだろうな。
こんな感じで周りを見ていたら、周囲の生徒から訝しげな視線を刺され始めたので、正面を向いて大人しくする。
もうすぐ式が始まる時間だ。席に着く生徒も徐々に増え始め、やがて満席になった。
開会時間になると、教員たちの席の端に座る、人のよさそうな顔をしたおばさ、お姉さん教師が司会用のマイクに近づく。
「ただ今より、第二回桜杏高校入学式を始めます。一同、ご起立ください」
講堂全体に響く声で、開式の合図が始まる。
まばらなタイミングで周囲の人が立ち上がり始める。俺も皆に倣って起立する。
「一同、礼」
お姉さん教師の声を皮切りに、皆が礼をし、好きなタイミングで頭を上げる。練習もリハーサルもしていないので、挙動が揃わずグダグダだ。といっても、これくらい適当な方が気楽でいいけどな。
「ご着席ください」
これまた各々自由に席をつく。全員が腰を下ろしたところで、司会のお姉さんが式を進める。
「まず初めに、桜杏高校学校長兼、株式会社『チェリーアプリ』社長、白峰桜よりお言葉を頂きます。白峰校長、よろしくお願いいたします」
教師陣から、司会のお姉さんよりも若そうな女性が飛び出してきた。そゆったりとした足取りで講壇へと向かい、マイクの音声を調整して口を開く。
「生徒の諸君、おはよう。桜杏高校校長、白峰桜だ。今日が新たな高校生活の一日目だが、新入生の諸君は緊張しているかな?二年生の諸君は春休み気分が抜けたかな?」
なんというか、ずいぶんとフランクな人だ。口調や言葉遣いからさばさばした印象を受ける。
「さて、今日この場を借りて諸君に伝えたいことは、マイペースでいい、ということだ。
ついさっきやった礼のように、人は小さな仕草の一つ一つにおいてもその人自身のペースがある。深々と腰を折る丁寧な人もいれば、せっかちですぐに頭を上げる人もいる。
君たちが今まで経験してきた学習やテストとは違い、こうした行動に正解なんてない。他人にとやかく言われる筋合いなんて無い、と私は思っている。
だから、うちではリハーサルとかで息を合わせてやってもらうことはないぞ。こっちも色々とめんどくさいからな」
「わっはっは!」
突如、アロハ短パンが大声で笑う。
講堂中の視線が彼に集まる。司会のお姉さんの眉間にしわが寄る。
本当にあの人は教師なのか?いつの間にか紛れ込んだ不審者ではないのか?
白峰校長は言葉を途切れさせたが、動じていなかった。咳ばらいをし、皆の注目を取り戻す。
「失礼。とにかく私が言いたいのは、物事を進めるときにはその人なりのペース、マイペースがあるということだ。
さらに話を広げると、その人の中でも、好きなこととやりたくないことではペースが違う。私もプログラムやVRに関することには没頭できるが、それ以外のことには全く集中できない。
だから、ここ、諸君も高校生活の中で好きなことを見つけて、マイペースを大事にして生きてほしい。私からは以上だ」
「白峰校長、ありがとうございました。続いて、祝辞の紹介です」
この後も粛々とプログラムが進んだ。正直特に面白いこともなかったのでぼーっとしていた。
「最後に、閉式の礼をいたします。一同、ご起立ください」
途中寝そうになったが、ようやく終わるみたいだ。
開式のときと同様のおざなりな礼を済ませ、着席する。
「この後はそれぞれのクラスでホームルームを行います。後ろの席の方から順番に移動してください」
俺のクラスは二組だ。所属クラスは、事前にメールで通達されていた。
また少しぼーっとしながら後ろの人がはけるのを待ち、しばらくしてから講堂を出た。スリッパは、きちんと受付に返しておいた。
一年生のクラスは二階にある。右手にある階段を通って二階に向かう。
教室のドアの上部には、廊下から見える位置にクラス名の記された板が着けられている。これで、どこがどのクラスの教室なのかが簡単に分かる。二組は手前から二つ目の教室だ。
俺は開いている後ろのドアから教室に入る。
教室は、中学の教室の半分ほどの広さだ。学習机は生徒の数と同じく十六脚あり、4×4の配列で並んでいる。
俺以外の十五人はすでに座っていた。そして教壇の前には、
「おお、やっと来たか、最後の一人だぞ」
入学式で悪目立ちしていた、アロハ短パンが立っていた。
「空いてる席は一つだけから、もうこれはいいな」
彼はそう言って、チョークで描いた教室を俯瞰した図を黒板消しで乱暴に消す。机を模した四角の中には生徒の名字が書かれている。
生徒が席を確認するためのもので、俺が最後だからもう用済みらしい。
「よし、全員集まったということで、このクラス、一年二組の初めてのホームルームを始めるぞ」
チョークで汚れた指を払いながら、アロハ短パンはぶっきらぼうに言う。
なんてこった。よりによって、一番苦手そうなタイプの人が担任だなんて。どこで運を落としてきたのか。
式の最中にあんな行動を取る人だ。いかにも空気が読めず、生徒にもグイグイ来そうな性根であるに違いない。
残った最後の席、窓際から二列目の一番後ろの席に着いた俺は、思わずため息をついた。
「本日から一年二組を担当する、立花だ、よろしくな。漢字は一文字で書く難しい方の橘じゃなく、立つ花と書くからな。一年間よろしくっ!相手が教師だからって気負わず、どしどし話しかけてくれよな!」
最悪。「よろしくっ!」って。いい年したおじさんが何を言ってるんだ。
アロハ短パンは低く見積もっても四十代くらい。ワックスで固めた黒髪をオールバックにし、まだ肌寒い日もあるというのに、パイナップルが描かれた黄色のアロハシャツを着ている。
どういう神経をしていたらこんな格好で生徒の前に顔を出せるんだ?まさか、この冬はハワイで過ごしており、まだバカンス気分が抜けきってないとかか?
四角く彫りが深い顔と、露わになっている腕が黒く日焼けしているのを見るに、あながち間違いではないかもしれない。
「ということで、俺の自己紹介は終わり。次に君たちの自己紹介をしてもらいたいが、一人ずつ立って話してもらうなんてめんどくさいことはしないぞ」
は?何を校長みたいなことを言ってるんだ。
「ここで会ったが一期一会。俺が良しと言うまで、周りの生徒同士で自由に自己紹介しな。好きに歩き回ってもいい」
アロハ短パンはそう言うと、手元のタブレットに視線を落とし、太い指で操作し始める。
え、説明、それだけ?
………。
教室に沈黙が訪れる。誰も何も話さないし、音も立たない。
これは、本当に好き勝手していいということか?俺たちを試しているとかじゃないよな?
俺は平静を装いながら、頭の中で思考を巡らせる。
アロハ短パンの性格は、誰がどう見てもおかしい。自己紹介がめんどくさいという発言も、空気が読めない故に発せられたものではないだろうか。
だが、白峰校長はマイペースでいいと言っていた。自己紹介を勝手にやれという指示は、校長の意図に沿ったものであるといえる。
なるほど。だから、”自由にマイペースに”ってわけか。
アロハ短パンは口で教えるよりも先に、実践させる形でマイペースとはどういうものかを教えようとしているのか。
だったら、自分から動かないとな。
彼の意志を汲み取った俺は、左を向いて同級生の顔を見る。
左隣には、呆然としている男子生徒が座っていた。
「ごめん、ちょっといいか?」
男子生徒は一瞬びくっとした動作をした後、首を曲げてこちらを向いた。
同時に、アロハ短パンが一瞥を投げたような気がした。
「えええと、俺?ええっと」
「先生が好きに話せって言ってるんだから、自由にしゃべってもいいんじゃないか?俺は柊透。柊は木へんに冬で、透は透明のとう。君の名前はなんて言うんだ?」
「あ、ああ。あれってそういうことか、そうだよな。よし、俺は
なるほど、わたりのぼる、か。
背は高くも低くもなさそうで、ややひょろりとした外見。少し伸びた黒髪を持て余すように後ろで結んでいる。声は少し高めで、溌剌とした印象を感じさせる。
「じゃあ昇って呼ぶことにする。昇は、午後の部活動見学はどこに行くか決めているか?」
まずは当たり障りのない、共通の話題から入った。
この後の流れは、タブレット、VRヘッドセット、コントローラを受け取り、担任から明日以降の連絡をもらう、という感じだ。
その後、一階の食堂で昼食を摂り、午後は二年生や先生たちから部活動を体験させてもらうことになっている。
「まずはVRゲーム部だな。あと走るのが好きだし、中学もやってたから陸上部に行く予定だ」
生徒の数が少ないので、部員の人数も少なく、どの部活も少人数で活動している。
昨年度は一部の文化部がコンクールに応募し、個人種目の運動部は大会に出場していた。だが、多くの人数が必要なチーム競技の部活は大会に出られなかった。
そういった経緯を踏まえると、陸上部は大会に出られそうだし、やりがいもあるだろう。
そして、なんといっても桜杏高校の目玉の部活が、VRゲーム部だ。
『VRゲームの活動を通じ、学生同士のコミュニケーションを活発にし、最先端技術に精通した人材を育成する部活動』という名目で活動しているが、要は学校公認でVRゲームが遊べる部活だ。
なぜこんな部活が存在できるのかというと、校長を始めとした開発陣が、学生をテスターとして引き込みたいという邪な思いがあるからだった。
自校の生徒にテストプレイをしてもらえば、外部の人員に割く経費や時間を減らすことができ、開発時点での情報をリークされる心配もない。そして、生徒側は最新のVRゲームを遊べる。
もちろん、学習面との両立を兼ねている。好きなだけプレイできるわけでは無かったらしいが、ゲームを楽しみたい、開発の裏側を知りたいという生徒たちには大好評だった。
このような生徒主導のベータテストを昨年の四月から六月に行った結果、八月に株式会社チェリーアプリから新作VRMMO、[AnotherWorld]がめでたくリリースされた。
専用のVRヘッドセットとコントローラ、それと落ち着いた広めの空間が必要なゲームだが、剣と魔法のリアルな世界が若い世代を中心に爆発的にヒットし、昨年末には売上百万本を達成した、とメディアが報じていた。
夏休み明けの昨年九月からは、VRゲーム部員は桜杏高校の専用サーバーで遊べるようになった。一つ上の代の生徒たちは、大変充実したゲームライフを送っていたことだろう。なんて羨ましい。もう一年早く生まれていればよかった。
そんなVRゲーム部だが、学生を受け入れ始めた昨年度の高校要綱では存在が明かされておらず、受験生には、”勢いのあるやり手の社長が新しく設立した高校”程度の認識しかされていなかった。
そのため、去年の受験者数はあまり多くなかった。しかし、人の口に戸は立てられぬ、だ。VRゲームをワイワイと遊べる夢のような部活がある、という噂は若い世代に瞬く間に広がった。それにより、桜杏高校を目指す受験生が激増し、今年の倍率がとんでもない数値を記録した。
これが、俺がゲームを遊ぶのと同じくらい、高校受験に心血を注いだ理由だ。
二年生と約半年遅れる形になるが、VRゲーム部の新入部員も専用サーバーでプレイできることが紹介されていたので、とても楽しみだ。
ゲームが欲しいのに、電機屋でも売り切れ、通販サイトでも品切れだった。[AnotherWorld]に向ける熱量は半端なものではない。
そんなどうでもいいことを振り返っていると、なにやら俺を呼ぶ声がする。
「おい、おいってば。透でいいよな。透!なに人に話しかけといてぼーっとしてるんだ?」
「あー、すまない。考え事してた」
「全く。で、透は何の部活に入るんだ?」
「そうだな、俺もVRゲーム部と、兼部は読書部かな」
[AnotherWorld]をプレイしたい生徒が多く、去年の九月時点で生徒全員がVRゲーム部に所属した。なので、双方の活動に支障を来さない範囲で、二つ以上の部活に入ることが認められたという経緯がある。
読書部は、読んできた本について発表し、話し合うことで、書籍と読書に関する理解を深める、という部活だ。去年の十一月に開かれた、おすすめの本のスピーチを決められた時間内に行う、ビブリオコンクールで最優秀賞を獲得した生徒がいるため、色々勉強させてもらえるだろう、ということで目を着けている。
「読書部も面白そうだな。俺だったら寝ちゃいそうだけど」
失礼だが、俺もそう思う。昇は集中力が短そうなタイプに見える。
「じゃ、午後一番でVRゲーム部を覗いてみないか。遊ばせてもらえるかもしれないし」
「いいな、それ!………いや、待ってくれ。皆も同じ考えなんじゃないか?どうせ、今年も全生徒が入部すると思うし。一度に大人数はプレイできないんじゃないか?」
確かに、[AnotherWorld]をプレイするには、この後配られるVRヘッドセットとコントローラ、広めの空間とソフトが必要だ。
入部希望者が殺到することが予想されるとはいえ、流石に全員がプレイできる空間とソフトを用意できているとは考えづらいか。
意外と、昇はひらめきが鋭いな。
「言われてみればそんな気がするな。だったら、先にもう片方の部活を体験した後に、集まってVRゲーム部に行くか」
「おっけー。俺はそれで大丈夫。何時にどこ集合にする?」
「どの部活もそんなに時間がかからないだろうから、十三時三十分にレクリエーション室1の前に集合はどうだ?」
十三時から体験会がスタートするので、妥当な時間といえる。
レクリエーション室1は一階にある広めの特別教室で、机と大きめの椅子が数十個置いてある。VR関係の授業で利用する他に、VRゲーム部の部室でもある、とホームページに写真付きで載っていた。
「了解した!今日からよろしくな」
「こちらこそよろしく」
予定を決めた俺と昇は、男の握手を交わす。
すると突然、前の席の男子がこちらを振り返った。
「あの、僕も一緒に行っていいかな?」
やや小さい声でそう呟いたその声は昇と対照的に低く、重厚感があった。黒髪で、短く刈った頭に黒縁の眼鏡をかけている。体型は少しぽっちゃりだ。
「もちろん。絶賛、友達募集中だからな」
「同好の士は大歓迎だ」
言わずもがな、この教室の皆はゲーム好きだろうからな。
「聞こえていたかもしれないが、俺は柊透」
「亘昇だ。昇って呼んでくれ」
「僕は
「よろしく」
「よろしく」
俺と昇は、彰と男の握手を交わす。
念のため、彰を交えてもう一度午後の予定を確認し、雑談タイムに入る。
聞くところによると、彰は引っ込み思案で、中学の頃はあまり友達ができず、さらに寮生活で親しみ慣れた町を離れてやってきたので、不安でしょうがなかったらしい。そんな中、後ろで和気あいあいとしている俺たちの話を聞いて、意を決して話しかけてみようと思った、ということだ。
「しかし、集まってしょっぱな、自由に自己紹介しろ、だもんな。俺も透に話しかけられるまで呆気に取られてたからな」
「ちょっと強引な気もするよね。他のクラスもそうなのかな」
彰はそう言って、教室の前のアロハ短パンを盗み見る。
「まあ、こうして自己紹介できたし、別にいいだろ。それに、一度話せれば、仲良くなれるしな。あの先生もこうなってほしくて、生徒の自主性に委ねているんじゃないか?」
俺もアロハ短パンに視線を移す。相変わらず下を覗き込み、タブレットをいじっている。かれこれ十分くらい経ったと思うが、一向に顔を上げる様子がない。
左右をきょろきょろして他の生徒を伺ってみると、そこかしこで顔を突き合わせて話している同級生たちが確認できる。
どうやら、アロハ短パンの目論みは成功しているようだ。
「彰はVRゲーム部と、他に何か兼部するのか?」
昇が右斜め前の彰に尋ねる。
「うん。VRゲームの開発の方にも興味があるから、VR開発部に入ろうと思ってる」
おお、VR開発部か。
VR開発部は、VRソフト、VRゲーム及びVRデバイスの研究開発を行う部活だ。白峰校長が顧問をしており、がっつり専門的な知識と技術が学べるらしい。、昨年の年度末に行われた発表会では、数多くの優秀なソフト、ハードが紹介された。
おそらく、VRゲーム部の次に人気な部活だと思う。
「開発部かあ、あそこも面白そうだけど、大変なイメージもあるんだよな。あの白峰校長に教わるとなると」
「あはは、そうだね。けど、得るものもたくさんあると思うから、頑張るよ」
そう決意する彰の瞳に、闘志が燃えているのを俺は見逃さなかった。
「頑張れ。ゲームができたら、俺にも遊ばせてくれよ?」
アピールは忘れない。俺は冗談めかすように、未来のゲームクリエイターに予約を申し込んでおく。
「よし、皆。自己紹介はできたかな?そろそろデバイスを配るぞ」
不意に、担任の野太い声が発せられる。
一瞬で教室の喧騒は収まり、視線が教壇のアロハ短パンに集中する。
「これから、授業でお世話になるタブレットとVRデバイスをみんなに配るぞ。くれぐれも壊すなよ」
彼はそう言って教壇の下に体を潜め、大きな段ボールを引っ張り上げた。雑にガムテープを引きはがし、中を漁って板状の段ボールを一つ取り出す。
「まずはタブレットだ。この段ボールの中に、スタンドにもなる充電器とコード、保証書と一緒に入っている」
アロハ短パンはそう言って板状の段ボール箱をさらに三つ取り出し、左の列から順番に配り始めた。
「全員受け取ったな。それじゃ、箱を開けて中身を確認してくれ。不備があったら教えてくれよ」
俺も皆と同じように、手元の段ボールをいそいそと開け始める。
まず、段ボールのパーツで固定され、ビニールに包まれたタブレットを取り出す。スタンドと充電コードも一緒になって出てきた。
タブレットの画面は大きめで、十インチくらいはあるだろうか。これなら、ビデオ通話も快適にできそうだ。
まだ何か入っていそうなので、箱をひっくり返す。すると、数枚の書類が出てくる。これが保証書か。
「確認したか?大丈夫そうなら先に進むぞ。……次はタブレットの初期設定だな。本体右横のスイッチを押して電源がつくか確かめてくれ。……そしたら次は……」
ここから後は何の面白みもないデバイスの個人登録なので、割愛する。特に変わったことはしていない。本人情報を入力して、ロック画面を指紋認証に変更したくらいだ。
「よし、皆つつがなく設定できたみたいだな。保証書は必要事項を記入して今週中に俺のところまで持ってきてくれ」
今日は月曜日。締め切りまでだいぶ猶予がある。
「次はお待ちかね、VRデバイスを配るぞ。タブレット以上に繊細だからな。落としたりぶつけたりするなよ」
アロハ短パンはタブレットの時と同様に、小包ほどのサイズをした段ボールを全員に配った。
「箱には本体と、これまた保証書が入ってるから確認してくれ。こっちの保証書も今週中に頼む」
俺は箱を彰から受け取ると、ガムテープを剥がして中を確かめる。中身を全て取り出し、箱を軽くたたんで椅子の下に置いておく。
「その名も『チェリーギア』。社長自らがデザインした桜杏高校限定仕様だ」
中にはVRヘッドセットと両手に持つコントローラ、ヘッドセットを充電するケーブル、それと保証書が入っていた。
ヘッドセットは、ヘッドホンのヘッドバンド部分に湾曲した板状のデバイスがくっついたような見た目をしている。装着することでデバイスが頭をすっぽりと覆い、VRの世界に潜れるのだろう。
左右のユニットにはさくらんぼの身を模したイラストが、ユニットから中央に向かってはさくらんぼの茎を模した緑色のラインが描かれている。デバイス中央にはさくらんぼのマークがあしらわれており、右のユニットからは細長いマイクが伸びている。
コントローラは、右手用と左手用の二つがある。さくらんぼをイメージしたのか鮮やかな赤色をしており、持ちやすいグリップ、上部と側面にいくつかのボタンがある。
全体的にかわいらしいデザインをしている。個人的にはおしゃれで好きだな。
「向きは分かるな。まずは動作確認も兼ねて使ってみてくれ。……頭に装着すると電源が着くから、スイッチを探さなくていいぞ」
アロハ短パンはクラスの全員に伝えた後、一番前にいる生徒に注意した。デバイス表面に指を這わせていた生徒は、指摘されると恥ずかしそうにうつむいた。
もうやだよこの担任。
俺はため息をつきつつもコントローラを握り、ヘッドセットを装着した。その瞬間、
――初めまして。この度はご入学おめでとうございます。
真っ白い空間に、校長そっくりの見た目をした人がいた。
ここがVR空間だな。校長のような抑揚の無い口調で響いた声は、目の前にいる校長のそっくりさんから発せられたようだ。よく見ると表情もアンドロイドっぽいので、校長ロイドと名付けよう。
――まずは個人登録を行います。
校長ロイドがそう言うと、空間上にキーボードが描かれたウインドウが出現した。
俺はコントローラの操作に手間取りながらも、名前や生年月日などの必要事項を登録した。
――登録ありがとうございました。ヒイラギトオル様ですね。これらの情報は後で変更することができます。
感情のこもっていない声で名前を呼ばれると、こそばゆい気分になる。
入力が終わると、キーボードはふっと消えた。
――続いて、デバイス間の同期を行います。現在、ヒイラギトオル様名義で登録されているデバイスはこちらになります。
空間上に、先ほど登録したタブレットのアカウント名が表示される。
――こちらのデバイスと同期を行いますか?
『はい』、『いいえ』の選択肢が出現する。俺は迷わず『はい』を押す。
――ありがとうございます。こちらの設定は後で変更することができます。
これで、タブレットから『チェリーギア』の設定を変更したり、タブレットでVRソフトをダウンロードして『チェリーギア』で利用することができる。
――最後に、ログイン方法の設定を行います。推奨されているのは網膜認証ですが、どうなさいますか?
校長ロイドがそう言うと同時に、網膜認証、パスワード認証、合言葉認証の三つのアイコンが浮かんだ。
網膜認証は安全で楽だし、これでいいな。網膜認証を選択する。
――ありがとうございます。お手数ですが、網膜情報を頂きます。目を開けたままお待ちください。
俺は言われた通り、目をかっぴろげて待つ。
――はい、ありがとうございます。網膜情報を登録しました。こちらの設定は後で変更することができます。
これで次回以降のログインが簡単になる。他人が悪用することは無いと思うが、セキュリティは万全の方が良いだろう。
――お疲れさまでした。登録情報を更新するためにログアウトします。ログアウトした状態でヘッドセットを外すことで、自動的に電源がオフになります。次回以降は設定した方法でログインします。
そう言った直後、校長ロイドの姿はたちまち消えた。
そして、白く何もない空間に『ログインしますか?』『はい』『いいえ』というウインドウが表示された。
これがログイン画面か。もう脱いでいいな。
ヘッドセットを頭から外し、現実世界に帰還する。周囲を見ると、まだ設定をしている人が半分、外して大人しく待っている人が半分という感じだった。
しかし、何で設定を担当するAIが校長の姿なんだ。後で絶対に別のアバターに変更してやる。
そんなことを考えていると、全員の設定が終わったみたいだ。アロハ短パンが短く手を叩いて注目を集める。
「まだ夢見心地の者もいるかもしれないが、そろそろいい時間だからな。全員初期設定と、タブレットとの同期まで済んだな?……よし、これにてホームルームを終了とする。次は食堂で各自昼食を摂ってくれ。食堂の場所は分かるな?」
一階の中央に位置し、講堂の隣にある部屋が食堂だ。
「じゃあ今日は解散!明日は八時半に教室に集合だ。寝坊するなよ!」
やっと終わった。いい感じにお腹が空いてきたし、早くご飯を食べたい。
手早くタブレットとVRデバイスをトートバッグに詰め込み、俺は昇と彰に一緒に行こうと声をかけるのであった。
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