第22話 不比等の手柄

 不比等は朝議のため、数人だけの従者を連れて朱雀門に向かっていた。


 すると、ふいに十数人の黒頭巾で顔を隠した者たちが行手を塞ぎ不比等たちを取り囲んだ。


「不比等だな!遷都はさせん!覚悟しろ!」


 襲撃した者たちは剣を抜いて真っ直ぐに刃先を突き付ける。


「はははっ、後ろを見よ!」


 振り返ると、都の警備頭、赤髭と部下の瀬乙の率いる兵が現れた。


「こんなこともあろうかと、お前たちの動きを警戒していたのだ!一網打尽にせよ!」


「しまった!計画は漏れていたのか……」


 長皇子は顔の血を一気に首から下へ落として警備兵の多さに驚くと、卑怯にも真っ先に逃げてしまう。


 皇子の逃げ走る背中を目にした豊広と草麻呂は目を剥き歯噛みをして悔しがった。


「事を起こしてしまったからには計画通りに動くしかない!俺がやる!」


 豊広はやけになって不比等に斬りかかると、瀬乙の矢が目にも止まらぬ速さで剣を持つ腕を貫いた。


 続いて、赤髭の兵が雪崩れ込むと、リーダーを失った反対派の者たちはほとんどが討たれるか捕縛されてしまった。


「これで遷都に反対する者たちを一掃できる!泥を吐かせよ!」


 不比等は頭上から炎を立ち上げて赤髭に厳命した。


「新しい都の候補となる場所は見つかったか?」


 病弱だが、二十歳を越えたばかりの文武天皇は語気に力を入れて問いかけた。


 すると、腑抜けた豆腐の皮のような顔に、濃く生えた髭と大きく横広の口が池の鯰を想像させる担当大臣の石上麻呂が応える。


「それが……中々、良き場所が見つからぬもので……とは言っても、中国では四神相応と言いまして青竜、白虎……」


 文武は途中まで耳に入れると、いきり立って白歯を見せる。


「そんなことは耳にたこができるほど聞いておる。そういう土地があるかないかを聞いておるのじゃ、馬鹿者!もう、良い!お前も首じゃ!もう任せておけぬ!」


 文武は病に侵され神経質となっている。


「そこまでされることは無かろう。遷都はそのように急ぐことではない」


 文武の母、阿倍皇女が威圧的に口を挟む。


 皇女の目はかっと大きく開き意志の強さを物語るが、声はやたら声が高く、頭の頂上から飛び上がるような発声のため、聞いている側も、脳が高周波で威圧されてひっくり返りそうになる。


 さらに顔の真中にある鼻の高さときたら尋常でなく、鼻が喋っているようだが、優しそうなちょうどいい暑さの唇と奇麗だが牙のような八重歯が目を惹く。 


 皇女の吐いた言葉を聞いて、文武も引き下がった。


「はい、母上、分かりました……」


 皇女は、文武と違い、現在、住んでいる藤原の地に慣れ親しんでおり、新しい都へは行きたがらない。


 だがそこへ、遷都賛成大臣の急先鋒、藤原不比等が遅れて入って来た。


 先ほどの襲撃など無かったような落ち着きで舌を転がした。


「帝に申し上げます!昨日、難波の港に遣唐使の一行が帰り着きました。実は、遣唐使が唐から持ち帰った土産の中に驚くものがございます。それをこれからご覧に入れましょう!」


「何じゃ、その驚くものとは?」


 文武も興味を持ったのか身を乗り出す。


「何を隠そう、唐の都、長安を建設したときの図板でございます!」


「何、図板だと?そんなものがあるのか……いったい、どうやって手に入れたのだ!まかさ、あの用心深い武后が渡す訳はあるまいに……」


「実は隠れて拝借したのでございます!」


 一同は仰天した。


「何と!そんなことが……もし、武后に知れたら大変なことになりますぞ!」


「いかにも、再び、唐との軍さになることは間違いない!」


「大丈夫でございます。拝借したといっても、元々、この図板は、唐でも行方が不明となっている代物でございます。それを日本の遣唐使が発見して差し上げただけです。盗んだりしたのではなくお借りしただけにございます」


「では、武后も存知していないわけか……だが、そんな図板があるとどうして分かったのじゃ?」 

   

 皇女も武后への不安は流し去りたい。


「都の長安は古くからあった都でございます。とは言うものの、隋王朝の時代に初代文帝が宇文愷という家臣に命じて新しく造営させた都でございます。ですが、息子の煬帝が暴虐な政治を施いて反乱を招き唐によって滅ぼされたことは周知の事実でございます」


 不比等は念を押すように歴史を紐解く。


「そのような事は誰でも知っておる……その先を申せ!」


「はい!ところが、隋朝が滅ぶ際、宇文愷はこの図板が唐に渡らぬように謎の場所に隠したという噂を唐人から耳にしました。それで、どうせ隠してあるものを発見しても知られることはあるまいと思い遣唐使の佐伯美智麻呂に捜索を命じたのです」


「何故それを、私に一言、言わぬのじゃ?」


「それは万が一、失敗した場合に帝の責任になってはいけないと思いまして、無事、発見してから申し上げるつもりでおりました」


「まあ、根も葉もない噂から出た話だからの……仕方がないか……」


「さらに美智麻呂が捜索を進めますと、宇文愷は図板の在りかを暗に示すために、謎かけを用いて長安の各所に隠したことが分かりました。そこで、美智麻呂は数年を掛けてその謎を解き明かし見事図板を発見してみせたという訳でございます」


「宇文愷の謎かけか……確かに公なものでないなら、それは盗んだことはならぬか……佐伯美智麻呂とは中々優秀な者じゃな。それはどんな謎かけであったのだ?」


「それは、私も詳しくは聞いておりませんので、後程、図板を持参した者がおりますので話させましょう」


「何じゃ、佐伯美智麻呂がおるのか?」


「いえっ、美智麻呂は体調を悪くして帰国は出来ないため、現地の日本人商人に図板を託し遣唐使船に乗せて運ばせました。その者の話によれば、武后も図板の存在のことは薄々気づいてはいるようですが、洛陽に都を移したこともあって長安のことにはそれほど関心を置かぬようだと聞いております」


「それなら大丈夫か……」


 新しい都造りに没頭する文武は、図板があると耳にすると夢心地なって、これを造ろうあれを造ろうと逆せ上がった。


「早う、此処へ持って参れ!」


 不比等が指示すると智蔵と長辰、長久が図板を荷車に乗せて現れる。


「この者たちが美智麻呂より図板を託された者たちでございます」


 不比等は、満面の笑顔で図板の入っている包みを丁寧に解かせると、そこから大量の図板が顔を出した。


「これが図板でございます!」


 薄浅黄色の七枚の図板を御門の前に並べると、そこには長安の地名や建物名、特殊な記号などが詳細に刻まれた都の全体像を一目で俯瞰することができる。


 文武は飛び上がって喜んだ。


「何と美しき都であろうか……是非このような都を造ってみたいものだ」


 さらに、他の包みからは、宮殿や役所の建物図板が二十枚、庭園図板などが十枚、そして道路や橋などの図板が十枚、最後に地下地図が十枚が取り出され、殿上の床に並べ敷き詰められた。


「よくこれだけのものを手に入れた……大手柄じゃ、不比等殿!そこにおる者たちもよくやった!どうやって謎を解いたのだ?遠慮なく申せ!」


 智蔵は初めて拝する御門の長い鼻に向かって口を開いた。


「美智麻呂殿は長安にある七つの池の配置が、夜空に輝く北斗七星の形と同じであると直観し、その七つの池に人を雇って潜らせたところ、沈められていた図板を発見したそうでございます」


「ははははっ、天に謎を込めるとはしたたかな話だが、よく解いたものだ」

 

 文武は、図板を一つ一つ手に取って丹念に目を近づけた。


「大臣たちも許す!近くで見よ!」


「実に緻密な設計でございますなあ……」


 石上麻呂が褒める。


「見てご覧なさい。城外の壁と別に、建物を置く坊まで壁で取り囲んでおる。他にも地下道や地下室をふんだんに作ってあり、異民族が侵入してきたときのための武器庫であり、逃げ道であり、まるで地下要塞の上に地上の建物が浮かんでいるようでございます」


「我が国の場合は異民族の侵入などは心配いらぬから、このような地下設備は不要じゃ」


 遷都には大反対な皇女は、不比等が図板の入手など余計なことをしてくれたものだと、苦虫をかみつぶしたような顔を見せ苦言を呈す。


「これだけの都を作るには何百万両は必要になるに違いない」


 否定的な意味も含めながら、建設費用という現実的なことに触れた。


「大丈夫でございますよ」


 石上麻呂は、もともとこの物部氏出身で、父親も政府の金庫番頭をやっていた大臣だったことを利用して出世した男で、強気なことを言う割りに心配性で、いつも何かに文句を付けていないと気が済まないたちで、大きい目玉を思いきり飛び出させてしゃべる様子は狸と蛙をいっしょにしたような顔をしている。


 皇女はお金の話になると段々と不機嫌になってきて、とうとう頭のてっぺんから甲高い声で息巻いた。


「全国から年貢を二倍搔き集めねばならぬのではないのか?」


 それを聞いて上麻呂は、実際集めるのは自分なんだから、それは大丈夫なことだと言い張る。


「そのようなことをすれば、地方から争乱が起きてしまって収集がつかなくなってしまったら、とても都造りどころではない!」


 不比等は、こんな発言もあろうかと謀議していた内容を喋り始めた。


「年貢を上げる方法より良い案がありますぞ。ここにおります商人たちに、交易を多いに奨励し、唐や高麗とも交易を盛んにして、儲けから都造りの資金を収めさせるのです。どうじゃ、お前たちも文句はあるまい」


 長辰は笑顔になって言上する。


「唐との交易が盛んになれば、こんな有難いことはございません。我々も多いに働き都造りに貢献できればと思いまする」


 さらに不比等は付け加えた。


「さらに今までの都は政府の役所を置くのに精一杯で、都に必要な品物の商売は都の外でやらせておりましたが、今度の都にはそういう場所を都の中に造るのです。そうすれば、特別に商売をやらせる権利を許すからという理由で商人から都造りの資金を出させることができます。どうでしょうか?」


 これは、智蔵や長辰から長安でやっていることを教えてもらった受け売りで、まるで自分で考えたように喋っただけだ。


 不比等は我ながら上手いことを口にできたとしたり顔だ。


「それはいい考えじゃ、朝臣は頭が切れるのう」


 文武は不比等を褒めちぎると皇女の口は石のように閉じた。


 これにて遷都の方針と方法は決定した。


 

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