第21話 赤髭隊長

 赤髭は続ける。


「ここ数年、相次ぐ争乱が秩序の骨を砕き、治安の悪化に歯止めが掛からない。おかげで、地方からの租税物を狙っては、山には山賊、海には海賊と何処に行っても悪党どもが蔓延っている」


「そんなこととは知らなかったな……」


 快斗が丸い唇から息を吐く。


「都までの山中には山賊がいて頭目には袴塚と呼ばれる男がいる。この男は役人上がりで、人を殺して山賊の集団に身を隠し、雲が湧くように頭角を現したらしい。海坊主のようなのっぺり顔だが、事が思う通り運ばないと任せた部下でさえ半殺しにする位の残忍な男だ。今回の遣唐使の護衛には、この男の捕縛も任務の一つとして命じられており、居並ぶ都の精鋭部隊も指揮下に加えている」


 精鋭部隊の先頭には隊長の乙瀬が馬上にてその雄姿を靡かせている。


 色白だが眼力鋭く智謀に長けたこの青年は、無限の体力と胆力を備え、率先垂範、危難に遭遇したならば、真っ先に飛び出して行く勇敢そのものの男だ。


 赤髭は、大変にこの若者を気に入っていて、一緒に仕事を組めるのを楽しみにしていた。


「遣唐使団の到着まであと半時だ!警備を怠るな!」


 難波の津は天然の入り江になっている。


「景色の良いところね。此処なら船が来たら良く見えるわ!」


 都真子の目には入り江の先に続く白浜が眩しい。


 船着き場には、出迎えのために大勢の役人や関係者が集まっており、俊介たちはその後方の野次馬に潜り込んだ。


「あれは……」


「船だ!」


 水平線から昇った黒い粒は、みるみる船の形となって一直線に入り江を目指して近づいて来る。


「遣唐使船だ!間違いない!」


 船は大勢が騒ぐ船着場の方に舳先を向けた。 


 みるみる遣唐使船が近づいて来ると乗組員の顔が判別できる。


「あの人は……そうだ!長辰さんの顔が見える!それに……隣に居るのは長久と明珠さんだ!あの時、疾風に乗って揚州を脱出したはずだったのに?」


 俊介は自分の目を疑ったが、長久たちに逢える喜びは立ち昇る噴水のようだ。


 やがて遣唐使船はゆっくり接岸すると、船を固定し下船の準備に取り掛かる。


 しばらくすると乗員が降り始めた。


「粟田真人様だ!」


 真人は二年前に出港した時の大使である。


 三十年ぶりに故郷の地を踏んだかつての遣唐使や留学僧は感極まる喜びを撒き散らして出て来たが、その後から長辰や長久の姿が目に入ると俊介が叫んだ。


「長久!」


「俊介……?よく戻って来れたな!何と!やっぱりお前たちは、紛れもなく不思議な者たちだ……」


 長久は落雷に打たれたように胸が震えた。


「長久こそ、遣唐使船に乗って来るとは、こっちも驚きよ!疾風に乗って、とっくに日本に戻っていると思っていたわ?」


 都真子が不思議そうな顔で返した。


「疾風は沈没したよ!あれは無理な出港だった。疾風は十分回復していなくて、警吏船との衝突で穴が開いてしまい乗り捨てるしかなかった。それで結局、長安の父の家に戻って出直すしか出来なかったのだ」


「疾風に逢えないなんて寂しいわね……」


「だが、心配は要らない!こっちで新しい疾風を建造するつもりだ!明珠を連れて海を駆け巡る夢はこれからだからな!」


「俊介!いつ日本に着いていたのだ?」


 長辰も重ねて疑問を投げると、そこは傑の出番だ。


「上手い交易船を見つけまして……」


「それは良かった!」


「鴻臚館に案内致す!あとに続かれよ!例の物は持参してあるな……」


 都の役人が長辰に近づくと耳打ちした。


「ご心配は無用!鴻臚館にてお渡し致しますので……」


 鴻臚館に着くと早速、不比等の使いという男が待機している。


 男は、色黒でまゆ毛はほとんどなく、狭い額に釣り上がった目尻でまさに鳥が人間の顔をくっ付けているようだ。


 男は馬と走っても劣らない強い心臓の持ち主で、とにかく、飛ぶように走るから、走れと言われれば、喜んで平地だけでなく、山の斜面であれ、どこまでも走っても顔色一つ変えない化け物のように体力のある男だ。


 挨拶もカアカアカアと聞こえる。


「この男に不比等様への届け物を渡してくれ!」


 遣唐使団の一行は、鴻臚館に一泊すると、翌朝、都へ向かって出発した。


 危険な山越えが始まったのだ。


 久方振りの唐からの品物の隊列とあって、山賊中の山賊、袴塚が見逃すわけがない。


 もちろん、袴塚にとっては最強の警護部隊との厳しい対決になることは分かり切っているが、獲物の大きさを考えると魅力的であった。


 そこで袴塚は作戦を練った。


「まずは最も道が狭くなる場所を狙うことだ。兵士がまとまれないで分散するからな!そして、矢の勢いが増すから、山の上から襲うのがいいだろう!いや、下からもだ!」


 つまり、隊列が最も細長くなる狭隘地を選び出し、部隊の分断を狙って様々な方角から奇襲する作戦を立てた。


 しかし、そこは都の精鋭部隊、山賊の目論見など想定済みだ。


 赤髭は、乙瀬を前にして山賊を迎え撃つ策を自信ありげに提示した。


「山賊は必ず、狭隘な場所を狙って攻撃を仕掛けてくるから、そのような場所で部隊を分断されないようにしなければならない。先頭には敏捷な兵士を歩かせ、正面からの攻撃をいち早く見つけ出し、結集型の陣列を取って四方八方に結集攻撃をかけることが出来るような体制を取ろうと思うがお主の考えはどうじゃ?」


 乙瀬はすかさず返す。


「全方位への構え、お見事でございます。但し、山中の戦闘は、高台を征した側が有利となります。あらかじめ、高台に兵を配置いたしたいと存じます。また隘路での密集隊列は矢の狙い安きことこの上ないものと思われます。左右、後列も遣唐使らの隊列から少し間を空けて離し臨機応変な動きの出来るのが宜しいかと思われます」


「なるほど。それはよい策じゃ。より高い位置を手に入れておけば、敵は這い上がるしかない。体力の消耗をきたすと同時に頭上の敵は狙いにくいというわけじゃな。一方、密集隊形にするのは、密集から繰り出す矢数の多さで圧倒しようと考えたまでじゃ……だが瀬乙の策で行こう!」


 赤髭はあっさり自らの策を捨て去って嬉しそうに前途有望な若者の策に従った。


 いよいよ遣唐使らの一行は、山道へ足を踏み入れる。


 山々は紅葉も終わり木枯らしに枯れ葉も高く舞い上がる季節となっていた。


 すると、空気を切り裂くような音と共に無数の矢が隊列の頭上を下方から通り過ぎた。


 空中を飛んだのだから誰一人、矢の餌食になった者はいない。


「やはり、無駄な矢が飛んで来たぞ。斜面の下方から我々をうまく狙える矢など打てるわけはない!」


 赤髭が笑うと、乙瀬が叫んだ。


「全隊、盾を掲げよ!右陣は下方に向かって矢を放て!」


「うわわわっ!」


 矢に射られた山賊たちの声が上がる。


「斬り込め!」


 乙瀬は自ら白刃を抜いて駆け降り、二十人ほどの山賊に追い着くと数人と斬り合いを始めた。


 勇猛な将には勇猛な兵卒が多いとある。


 下から上がってきた山賊は一人残らず討ち取られてしまった。


 一方、別の山賊たちが、遣唐使の隊列の前後から襲ってきたが、これも高台に配置した兵から一斉射撃を受けた。


 さらに怯んだところを赤髭の指示を受けた兵士たちにより多くは討たれる。


 隊列に戻った乙瀬は赤髭に尋ねた。


「頭目の袴塚が見当たりません……どこで指揮を取っているのでしょう?」


「たぶん、不利になった時に逃げやすい後方だ!遠くに逃げてしまう前に足の強い者たちに追わせよう!」


「それなら、私が一番です!」


 乙瀬は部下から十人ほどを選んで袴塚を追いかけた。


 赤髭は、視界が開ける平地まで一気に進み、再攻撃に備えて隊形を立て直したが、結局、その後の攻撃などはもう起きない。


 袴塚を追って後方を迅速果断に駆けた乙瀬は、予想通り、首領の袴塚を発見した。


 袴塚の周りには、親分を守るため二十人ほどの山賊たちがぶら下がっている。


「十人対二十人か、こちらは精鋭部隊だ。負けてたまるか!一人が二人を倒せばよいのだ。十分勝算はある!」


 乙瀬は、鉄面顔で山賊集団に飛び込んだ。


「強過ぎる!こうなったらお頭を差し出して逃げよう!」


「馬鹿な事をするな!お前ら、覚えていろ!」


 乙瀬の勢いにたじろいだ山賊たちは、自ら頭目の袴塚を縄で縛って差し出し、一目散に藪の中に逃げ去ってしまった。


 乙瀬は、早速、袴塚を赤髭の元に担いで運んだ。


「とうとう袴塚に縄を掛けたな!」


 赤髭は乙瀬の手柄をことのほか喜ぶと、さらに兵を割いて袴塚の護衛を強化した。


 だが、その後、山賊は火が消えたように現れることは無かった。


 一方、都では、夜の闇に紛れて、都を移すことに反対する者たちが集まっていた。


 遷都を目論む不比等をことさら憎む理由をそれぞれ持つ者たちは、鬼のような形相をして咽喉が涸れるまで不比等を罵ると心に共通の血が流した。


「藤原宮は、母の持統天皇が、父、天武天皇の意思を継いて造営したのだ。不比等は、その藤原宮をまだ未完成だというのに捨ててしまおうとしている。だから不比等を倒すことは父母への恩返しなのだ」


 首謀者の長皇子は歯を噛み鳴らした。


「私は最後の一人となっても絶対この藤原京から離れるものか!不比等によって祭祀の仕事に追いやられてしまった中臣の一族をもう一度、復興させるのだ」


 藤原氏の本流から外れた中臣豊広は憤る。


「私の一族も、昔は入鹿様について大層繁栄したが、藤原一族のために入鹿様は討たれ、今では落ちぶれてしまった。この遷都は、不比等が自らの勢力を拡げるために仕組んでいる。決して帝のためではない!都を移されては私の一族はさらに散々ばらばらになってしまう」


 蘇我氏の末裔、石川草麻呂も怒りを露わにする。


「ところで流言の効果はどうだ?」


 長皇子が豊広に尋ねた。


「はははっ、都を移せば悪いことが起きると流したら、皆口々に不安をこぼすようになっている」


「そりゃ、いい!上手く行ったな。だが、遷都を止めさせる一番の方法は、不比等を殺し、さらに長安の資料を焼き捨ててしまうことだ!そうすれば簡単にけりがつく!」


 草麻呂は眼球に血の筋を走らせ、せせら笑った。


「私の考えも同じだ。隙をついて不比等一人を倒すだけで遷都は止まる!このまま不比等の専横に甘んじて生きていくよりましだ!決行の日はすでに陰陽によって占ってある。遣唐使が都に到着する明日だ!奴らが準備を始める前にやるのだ」


 長皇子の一言で実行は決まった。


 だが、斬るか捕まるかの無謀な計画でもあった。

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