第20話 やっと難波の地に

 智蔵は駒彦の袖を引っ掴んで倉庫の陰に素早く身を隠す。


「駒彦!俺が囮になって小舟で長江に漕ぎ出るから、その隙に疾風を出港させて逃げるように長久に伝えてくれ!お前も逃げろ!此処に居る者は皆捕まって、拷問が待っている!」


「そんなことはできません!私も一緒に囮になります。二人で船を漕げば逃げ足も速いはず……さっ、小舟はすぐ真下に何艘もありますから行きましょう!」


 智蔵は表に飛び出すと、楊の鼻っつら目掛けて啖呵を切った。


「小役人め!俺が智蔵だ!捕まって堪るか!」


 駒彦も長久に向かって叫んだ。


「早く疾風を沖へ出して!」


 警吏と争っている長久の鼓膜に言葉の矢が刺さった。


「分かった!熊井、三牛、多治馬!水夫を引き連れて疾風に乗れ!」


「俺はここで食い止める!お前たちで行け!」


 熊井は棒を振り回しながら、先に長久に乗船を急かした。


 俊介と都真子が応戦していると、丸腰の傑が捕まって連れ去られる姿が目に映った。


「まずい!傑が捕まった!」


 快斗や慎太も喉元に剣を突き付けられて身動きが取れない。


「間抜けな役人め!俺は此処だ!」


 智蔵と駒彦は大声を張り上げて、楊を威嚇すると長江へ小舟で漕ぎ出た。


「智蔵を捕まえるのが先決だ!船を回せ!」


「熊井!俺たちのことは心配するな!お前は長久と一緒に疾風に乗ってくれ!俺たちには秘策がある。何があっても大丈夫だ!」


 俊介は熊井に強く乗船を促した。


「秘策?」


「いいから、早く!疾風に乗れ!」


 熊井は、俊介の迫力に圧倒されて徐々に港に滑り出した疾風に飛び乗った。


 一方、智蔵と駒彦の小舟は長江の波と戦って腕が痺れるほど漕いで逃げるが、楊を乗せた大船がみるみる迫って来る。


 何しろ数倍の人数が漕ぎ手に回っている。


「こりゃ、追い付かれるな……」


 駒彦が心配の息を吐くやいなや、ふいに黒い大きな影が雲のように湧いて真横に現れたのだ。


「疾風だ!」


「早くこっちへ乗り移れ!」


 甲板に立つ長久が叫ぶと楊の船の行手を疾風が塞いだ。


「何だ!この船は?」


 長久は、巨象と蟻が向かい合うが如く疾風を操り、楊の乗った船に狙いを定めると、疾風の舳先が楊の目と鼻の先の視界を占領した瞬間、警吏たちの乗った艇は真っ二つに裂けると全員が長江に投げ出された。


 楊は脳震盪を起こしていて海中に沈みかけたが、智蔵が乗り捨てた小舟に這い上がった部下たちによって襟を掴まれる。


「もう追ってこれまい!ところで俊介たちはどうした?」


「俊介は秘策があると言っていたが……」


 熊井が返すと長久は頷く。


「不思議な者たちだからな……きっと上手く逃げ延びるに違いない!」


 疾風は静かな長江を風の如く進み大洋へと出て行った。

 

「都真子!大丈夫か?」


「大丈夫じゃないわよ!早く助けてよ!」


 俊介は快斗と慎太に剣を向けている警吏と棒切れで戦う都真子を目にした。


 すると、目にも止まらぬ速さで、竹棒を振り回し二人の警吏の額を割り気絶させた。


「死ぬかと思ったわ!棒切れと本物の白刃じゃ、いくら何でも勝ち目はないわよ」


「俺たちも万事休すだったよ……早く傑を追わないと……」


 俊介たちは見えなくなった傑を追って通りに出ると警吏に囲まれた傑を発見した。


「まずいな……相手が多すぎる……減らないものか」


「よし、俊足の俺に任せろ!俺が飛び出せば何人か追って来るだろう。一回りして逃げ戻って来るから、それまでに残りの奴らをやっつけといてくれよ!」


「傑を返せ!ほらっ、こっちだ!」


 快斗は警吏に向かって叫ぶと、今度は背中を見せて逃げ出した。


「仲間だ!追え!」


 警吏が快斗を追いかけると、傑の警護は一人になってしまった。


「こりゃ有難い!」


 俊介はふいに警護の前に立って脅かすと、後ろから慎太が棒で背中をどついて気絶させた。


「助かった!一時はどうなることかと思った……」


 傑は後ろ手に縛られた縄を外され腕に血流を戻すと、そこへ快斗が嬉しそうな顔で戻ってきた。


「まいてやったぞ!さっさと消えよう!」


「寺を探して逃げ込もう!寺なら神木になりそうな樹木があるに違いない!そこでTS1を使ってこの時代から逃げよう!今度は、失敗はない筈だ」


 俊介が自信を見せると傑も言う。


「揚州には、鑑真が住職だった由緒ある寺があったはずだ。遣唐使も世話になっている。俺がこの街の人間から筆談で尋ねてみる」


 傑は文字の解りそうな僧侶を呼び止めて地面に「寺」「鑑真」と漢字で地面を引っ掻くと、僧侶は「大明寺」と「九の塔」と土を記し、方向を指さした。


「謝謝!」


「判ったよ!大明寺という寺だ!塔も建っているから近づけば見える筈だ!行ってみよう!」


 傑が先頭切って歩き始め、僧侶の指差した方角に進んだのは良かったが、段々と深い森に迷い込んだ。


「道に迷ったか?」


「いや待て、見ろ!塔が見える!一、二、三……九層ある!大明寺の塔に違いない!」


 境内を目掛けて走ると銀杏の大木が沢山聳えるのが目に入った。


「聞いてくれ!タイムスリップの状況が解って来た。初めに春日大社の御神木から奈良にタイムスリップした時と揚州の神廟の時は空中に舞い上がった。つまりそうしたケースは一本道だ。選択の余地がなく一か所に飛ばされる。だが大宰府から登州への場合は複数のトンネルがあって選択ができた」


「と言うことは、タイムロードには二種類あるわけか……でも、それってタイムスリップが始まってしまえばコントロールは不可能だろう」


 傑が疑い深く応じる。


「始まってしまえばの話だ……だが、タイムスリップが始まる前に知る方法がある。実は長安の大慈恩寺の境内で試しに実験してみたら思った通りの結果だったよ」


「そう言えば砂嵐の来る前に、俊介の姿が見えなかったな」


「ああ、あの時だ。つまりTS1には実行前には待機時間がある。その時間に樹木のエネルギーを感じ取ってタイムスリップの性質をモニターで確認できることを見つけた。電源を入れた後、実行スイッチを押すまでの間にモニター画面に渦巻き型かトンネル型か表示できるってことだ」


「そんな便利な機能を身に付けていたのか」


「大慈恩寺の樹木、槐は渦巻き型で何とインドへ通じていた。昨日泊まった宿の近くの楓はトンネル型で幾つかの地域に繋がっていたが、日本は無かった。だから、トンネル型で日本にタイムロードが通じている樹木を探せば良い。さて此処の銀杏はどうだろうか……今からやってみるからな」


「どきどきするわね」


 俊介は樹齢の若そうな銀杏を選んで皆を呼び集めた。


 都真子は緊張して息が止まると、俊介が銀杏にTS1を取り付けてスタート電源を入れる。


「どうだい!これだけだとタイムスリップは起きないだろう!モニターを見ろ!トンネル型だ!タイムロードが幾つも現れた。一つ一つトンネルの先の風景が何処なのか確かめよう!」


 皆モニターに釘付けになってトンネルの先に映る日本の景色が、いったい何処なのか見極め始めると傑が叫んだ。


「おい左のトンネルの先を拡大してみてくれ……御堂が一直線に並ぶと言えば四天王寺だ。間違いない!俺は行ったことがある!やったぞ!」


「現代ではなさそうだが、一旦、難波の津に着けば、春日までは目と鼻の先だ。春日の杉は渦巻き型で現代へのタイムロードしかないから一気に帰れる。よし、四天王寺へタイムスリップだ!皆集まれ!」


「上手く行ってくれよ!」


 俊介はメインスイッチを押した。


すると、大宰府の時と同じように周囲の空間に圧力が掛かり始めると、幾つものトンネルが現れる。


「トンネルを間違えるなよ!あれだ!四天王寺が見える!あのトンネルに飛び込め!」


「眩しい……」


 俊介の意識は遠のいた。


「おいっ!朝だ、起きろ!御寺の前で寝るとは不届きものめ!」


 俊介が目を開けると、弓矢を背にした若者に身体を揺すられている。


「四天王寺ですか?」


「そうだ!今日は遣唐使の休憩所になる!さっさとどかぬか!」


「えっ?遣唐使……まさか唐から遣唐使が返って来るのですか?三十年ぶりの?」


「よく分かっているではないか!ならばこんな場所に寝てはいかん!早く家に帰れ!」


 よく見ると、街路へ続く一帯には至る所に弓矢を手にした若者が警備をしている。


「すみません!すぐ帰ります!おいっ、皆起きろ!目を覚ませ!」


 俊介は一人一人を起こして四天王寺の裏に連れて行くと、ちょうどよく井戸がある。


「ああ、美味い!昔の水は豊かな自然からの授かりものだな」


 快斗が汲んだ水を飲み干すと慎太も続いた。


「さっきの話からすると、私たちが揚州で見た遣唐使船が帰ってくるタイミングにタイムスリップしたわけ?もしかすると、長辰さんが乗っているかもしれないわね」


「そうなると、長久たちはとっくに日本に着いて今頃奈良に居るのか?意外に長辰さんを迎えに此処にやって来るかもしれないな」


「俊介!今度はもっと望んだ年代にタイムスリップできるようにTS1を改造してほしいわね。偶然が重なり過ぎてはらはらしどうしよ!」


「そう欲張るなよ!TS1にタイムマシンの機能が備わっていることだけでも発見だ」


「さあ、一刻も早く、春日村に直行だ!今度こそ未来に帰ろう!」


 快斗がじれったそうに鼻の穴を開いて息巻いた。


「だが、長辰さんに一目逢いたいな。遣唐使船の到着を見届けてからでも遅くはないだろう」


 傑が名残惜しそうな目で訴える。


「そうしましょう!私たちが無事なことも知らせて置いた方がいいわよ。きっと長久たちも心配しているに違いないわ」


「わかったな、快斗!」


 慎太が諭す。


「それじゃ、難波の港にいってみよう!俺たちが疾風で逃げた場所だ」


「凄い数の兵士だな。都までの遣唐使団の護衛が任務だろうか」


 すると赤髭で巨漢、ぎょろ目で顔の皮が分厚くびんも首まで届きそうな毛深男で主人によく似たがっちりとした馬に乗ってやって来る。


 隊長の朱雄だ。


「都までは山を越え川を渡り、平地を横切っていかねばならないから、屈強なる兵士が揃って山賊などに備えなければならない。ましてや、長安から持ち帰ったものを奪われるようなことがあれば腹を切ってもおつりも出ないからな」



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