第15話 夜襲

 智蔵は、長久にそっと耳打ちする。


「長久殿、貴方が喉から両手が出るほど知りたがっている図板の謎を話したいが、他の僧侶に気づかれると厄介だ!寺から抜け出てお話致そう!」


 長久は智蔵の誘いに脈が皮を叩いた。


「さて、この者たちを送りがてら砂嵐に溺れた者たちに経を参らせて来よう!」


 智蔵の眼は、砂に命を折られた死人の影を追って、長久や俊介たちを引き連れて大慈恩寺の門を出た。


 家が砂山になり砂山が家となった長安の街並みはすっかり見た目を変えている。


 俊介は彷徨い歩くことを心配したが、碁盤目状の道路と坊という区画のおかげで長安の骨格は微動だにしていないことを知った。


「今夜は満月だ!月光は、嵐が抉った街のあと片付けに役に立つだろう……」


 智蔵は華陽池の前で立ち止まった。


「この池にはこんな話がある。ある時、男が池に潜って魚を獲っていると大きな甕が沈んでいるのを見つけた。男は財宝でも入っていないかと蓋を抉じ開けた。すると、入っていたのは箱に詰められた図板だった。驚いて役所に届け出ると、不思議なことに男も図板も行方不明になったということだ」


「可哀そうに……長安の図板を目にしたために口を封じられてしまったのですね!」


 智蔵は包隠しなく本題に入った。


「長安や洛陽を築いた宇文愷は、都以外にも運河や道路、橋までを含めると数百の模型や図板を作ったり描いたりしている。ほとんどが行方不明だ!」


「軍事上の秘密を敵に奪われないようにした訳ですね!」


 長久は真顔になって問いかけた。


「多分、宇文愷は、自らの脳髄を絞りに絞って作った図板や模型であっても、役所に納めてしまうと容易に取り出せないことを知っていた。国家秘密だからな。そうなると隋王朝が滅ぶ際は、敵に渡るか戦の火で焼かれるのが関の山だと考えたに違いない。特に極秘に作った長安の地下道のことは誰にも知られたくなかったのだろう」


 智蔵は一面識もない歴史上の天才、宇文愷の心をとくと推測してみる。


「そりゃ、気持ちは判るな!苦労して作ったものほど思い入れがあるからな!」


 快斗は何か大切なものが頭に浮かんだようだ。


「宇文愷の性格を考えると、完成品を見るよりもそこに至るまでの計画作りに頭の油を燃やす方がよっぽど関心があったはずだ」


 慎太もいい指摘をする。


 傑も考え込むと口を開いた。


「地上に建てた建造物ってのは、戦乱に巻き込まれなくたって、どうせ、古くなったり皇帝が変わったりすれば建て替えられてしまうのは当たり前だ。だが、地下に造ったものは、見つかりさえしなければ永遠にそのままだから、必ず後世に残っていくはずだ。それで宇文愷は、地下通路を示した図板を特に大事にしたのではないかな?」


「地上より地下、見えるものより見えないものか……見えない智力の凄さの表現としたら、それは一理あるな」


 俊介は、宇文愷を通して、いつの時代であっても、人間の創造力の煌めく奥深さを感じた。


「長安を築くための図板は七枚。隋王朝の滅亡を予言した宇文愷は、この長安の何処か七か所に隠したというから、華陽池に沈んでいたのはその一枚だったのだろう。七枚の図板のうち一枚は日本に送ったが、見つけたのは曲江池だ。華陽池の一枚は武后が持っているから、残りの五枚はまだ見つかっていない。七つの星のことは知ってるな」


「ああ、知っています。宇文愷が図板の隠し場所を示した七つの星ですね」


「その星と長安を重ねて見ると、もっとも適した場所には全て池があるんだ。曲江池からも見つかったようにな」


「言うなれば、七つの星は七つの池という訳?」


 都真子は目を輝かせて問いかけると、智蔵は懐から一枚の紙を取り出して広げた。


 都真子が覗き込むと紙には長安にある全ての池がすべて描いてある。


「この図を見てくれ!七つの星は北斗七星だとするならば、その形に当てはまるのは、曲江池、華陽池、放生池、山水池、竜首池、碧池、蓬莱池の七つだ!」

 

 智蔵が、図を指差してなぞっていくと誰の目にも柄杓の形と分かる。


「本当だ!まさしく北斗七星の形になっている!」


「武后は七つの池のことを解き明かした様子はないが、長安内の池と言う池に、池の魚を売って暮らすという理由で女を一人ずつ置いている。女たちは魚の漁獲と営業権を独占していて、一度、不満に思った男が女の目を盗んで魚を獲ろうとして即刻、捕まっている。だが、本来の役目は図板の捜索に違いないと私は思っている」


「私が見たところ、長安には、やけに警備がきびしい場所が何箇所かあるが、こぞって、外へ通じる門の近くだ!つまり、武后は、宮殿が襲われたときに、脱出する出口として地下通路があることをちゃんと知っているのだ」


「えっ!それなら、余計に地下通路の存在を秘密にしないと……」


「その通りだ。もう一つ言わねばならないことがある……私がこうした危険極まりない図板の行方に関心をもっている理由だ。実は……私は佐伯子麻呂ではない。山田島沖という出雲の商人だ!私は、遣唐使として来たのでなく、国の決まりを破って入唐し……言わば、交易の道筋さえ見つかれば唐でも新羅でもよかったのだ。だが、日唐の関係は日に日に悪化し交易の夢など消え去ってしまった……」

 

 長久を始めとして、皆目を皿のようにして驚いた。


「えっ?貴方は佐伯子麻呂ではないのですか?話が合うものだから、てっきり、そうだと……」


「突厥の夜襲だ!坊の中へ逃げ込め!殺されるぞ!」


 ふいに、甲高い叫び声が月夜の長安に響き渡ると、人々は突厥の襲撃と聞いて震え上がった。


「突厥だと!やつらと言えば、人間を大釜に放り込んで、骨まで茹でて殺すような残忍残虐な民族だ!捕まったら命が幾つあっても足りはしない!」


 智蔵も北方暮らしの経験を持つ僧侶から、突厥とは野蛮で未開の獣臭い人間たちだと真偽不明の噂話を多く耳にしていた。


「長安の兵士が撃退してくれるはずだが……本当のところ、こうした切羽詰まった時に、ただちに避難できる地下の隠密回廊があれば、さぞかし役に立つことだろうに……」


 長久がじれったそうに呟くと、智蔵は自らのあとに従うように胸を突き出し、火が付いたように駆け出した。


「以前から気になっていたが、長安の各門の警備兵は門外にもう一人配置されている!もしや、地下道とは其処にあるかもしれぬ!」


「行ってみましょう!」 


「くそっ!夜に人を襲うなど卑怯なやつらめ!」


 快斗はいまいましそうに捨て台詞を吐く。


「きっと真っ昼間にまともに攻撃したんじゃ、目立ち過ぎて勝ち目が無いと考えたのに違いない!でなけりゃ、夜襲じゃ自分たちだって相手がよく見えずに不利になる。闇夜を襲う戦術には的が絞られているはずだ!」


 慎太は真面目くさって分析した。


「そんな悠長なことを考えている暇は無いでしょう!それにしても、ちょうど、私たちが居る日に長安を襲うなんて、私たちも運が悪いわね!」


 都真子は、気も漫ろになって不運な成り行きを嘆くしかない。


 苒徳は部族の兵士には作戦を十分力説していた。


「よく聞け!長安は城壁で囲われているから、馬で攻めるだけでは負けてしまう。まず、一つ一つの坊の城壁の内側に火矢を撃ち込め!火が付いたら、加えて油を浸した布や枯れ草の束を投げ込んで火場を広げろ!唐の兵士は斬馬剣と呼ばれる幅広い刀で向かって来るはずだ。そいつの柄は長いから馬に乗った我々にも十分届く。だから、騎馬でその剣より速く動けば、相手は重い刀を振り回してるうちに疲れるから、そこを矢で射て馬で踏み潰せ!」


 苒徳は、計画通り長安を火の海にすると、歩兵の多い唐の兵士は突厥の騎馬の動きに追いつけず防戦に回っていた。


「あそこが延興門だ!」


 智蔵は長久たちを率いて、砂嵐のおかげで、所々にできた砂山に身を隠しながら、坊の壁から壁を伝って走り、運よく突厥の騎馬隊に遭遇せずに門前に顔を見せた。


「見張りは誰もいない!この辺に地下道への入り口があるはずだが……おっ、あの小屋が怪しい!」


 門の外には大きな松の樹が聳え、その脇には小屋が建っていたが入り口には頑丈そうな鍵が掛かっている。


「鍵を叩き壊そう!馬鹿力の慎太の出番だ!」


「よし!任せとけ!素手じゃ無理だから、何か石か棒は無いか!」


 慎太は、快斗からずしりと重い石塊を受け取ると、軽々と振り上げて力任せに鍵に叩きつけた。


 鍵は粉々になって吹き飛ぶ。


「中に地下へ降りる階段がある……地下室か?」


 智蔵が覗き込んだが、灯を燈さないと何も見えないため、長久が松の樹を見つけて枝を折り松明を作った。


「騎馬の音がする!早く入れ!」

 

 小屋に雪崩れ込むと、尻の俊介が扉を閉めるやいなや二騎の騎馬が通り過ぎる。


「ふうっ……去った!」


「見ろ!壁に燭台が取り付けられている!人が使った形跡もある!」


 智蔵が鶏頭を務め、一つ一つの燭台に火を燈しながら前進した。


「此れは地下室じゃない!まぎれもなく地下道だ!」

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