第14話 砂嵐と苒徳

「私の名前は智蔵と言い法相宗の僧侶である!人違いだ!」


 智蔵が動ずる色を見せず頭から否定するので、長久は、持参した布包みを取り出し懐刀を突き付ける覚悟で舌を回した。


「智蔵様、この礼服は、貴方のお母様から預かって来た袍です。もし遭えたら本人に渡して欲しいと託された品です」


 長久は図板に名前のあった佐伯子麻呂の実家をふらりと訪ねていたのだ。


 智蔵は思わずしみじみとした顔で包みに手を伸ばす。


「この時勢にどうやって無事に海を越えられたのだ?それに、あろうことにも……母の願いを届けて頂くとは誠に尊いこと……母は達者か?」


「お声にも張があって、実にお元気なお姿でしたよ!では貴方は、まさしく、佐伯子麻呂様ですね?」


「どこで聞かれたのか知らぬが……判ってしまったなら仕方がない。その通りだ!」


 不思議なことに、智蔵は自らが佐伯子麻呂であることをあっさり認めたのだ。


「貴方は、長安の図板を木箱に沈めて藤原不比等様宛に送りましたね。あの図板から浮かび上がる内容はさぞかし重要なものと思われますが……」


「何ゆえ、長久殿の手に?あれは万が一掌中にあることをこの国に知られたら命に係わるが如き代物だ。そのため、手元に置くのはまるで竜を飼うようなものだと思い唐の商人を通じて日本に送ったのだが……」


「私は都の役人をしていましたが、同時に、都に隠れて唐や新羅と密易をしていました。その易品の中から、偶然見つけたのです。ちょうど、日本は新しい都造りを始めようとしており、ぜひとも、あの図板の謎を知りたいのです!」


「おい、見ろ!あれは何だ?」


 慎太が西の空を見上げて怯えた口調で叫んだ。


 大空に溢した真っ黒な墨汁が、数町もの高さの壁を作って聳え立つのが目に入る。


「ぐんぐん拡がって、こっちへやって来る!」


 俊介たちが、ふいに目にしたのは、大陸の奥に棲む龍が、気まぐれに吐いた曖気で、高く宙に舞い上がった砂が長安に降り注ごうとしているのだ。


「痛てて!当たると痛い!」


 たちまち、目も開けて要られないほどの砂の大雨が、顔一面に容赦なく衝突する。

 

 快斗は両手で顔を覆った。


「早く、建物の中に入れて貰おう!まるで、針に刺されてるみたいだ!」


「図板の話はまた後だ!とりあえず、中に入ろう!この砂嵐は、遠く瀚海砂漠から飛来する、きわめて、厄介な訪問者だ」


 外に居た誰もが、砂の弾丸に堪えきれず、智蔵の背中を追って御堂の中に駆け込んだ。


 俊介は長安の町が赤く染まるのを目にする。


 町が砂嵐に呑み込まれると、遮られた太陽光のうち、青い光が砂や塵のおかげで散乱して失われ、赤い光だけが取り残されるのだ。


「この砂の壁は丘ができるほど移動することがある!以前の砂嵐の時は、長安以西にあった城塞を飲み尽くし大勢の人間や家畜の命を奪った!通り過ぎるまではじっとしているしかない!」


 智蔵は険しい顔になって、砂嵐の恐ろしさを喉から絞り出して言葉を吐く。


「砂の移動で湖まで動いたって話を聞いたことがあるけど、この砂の勢いなら嘘じゃないわ!」


 都真子は、砂が壁を弾いて鳴らす激しい音に耳を塞いだ。


 部屋の隅にいた僧侶の隆証は、飛び込んで来た長久たちに気づいた。


「貴方たちは、日本語を操っていたが、まさか日本から来たのか?だとすると、日唐の行き来が再開されたのは本当だな!」

 

 長久は隆証の切り餅のような四角い顔に目が行く。


「遣唐使船はとうに出航する予定でしたが、天候が悪く今年にずれたのです!もうじき、遣唐使船は到着しますよ!」


「話は本当だったのか!私が唐にやって来たのは、三十年前の天智八年の第七次遣唐使団だ。都は近江の大津だったが今は藤原にあると聞くが……」


「都は大津から飛鳥、そして藤原に移っています!」


「そうなのか!天子様もお代りになっていることだろうな!三十年間とはそういうものだ!」


 そこへ、どかんっと大音響が耳を劈いた。


「扉が吹き飛んだ!」


 智蔵の目には、閂を掛けておいた扉が吹き飛んで出来た穴から、猛烈な風と砂が御堂に吹き込む有様が映る。


「うわっ、柱に掴まれ!身体ごと持って行かれる!」


 俊介たちは、指先の骨まで力を振り絞って柱に掴まるが、その顔へ砂が当たる。


「砂を吸い込むな!喉を塞いでしまう……」


 生きた心地もしないまま、思いのほか長時間続く嵐に耐えた。


「風のうねりが凪いで来た……」


「いやはや、ユーラシア大陸というのは凄いな!地球上で最も広大な大地が広がる陸地だ。厳しい自然環境の下に、わんさと民族が暮らす巨大な揺り籠だ。そこに、この唐という国がある!日本とは大違いだ!」


 傑は、初めて経験する砂嵐の一撃を口にすると、額に皺を波打たせ、やけに顎の尖った浄蔵と名乗る僧侶がもう一つの嵐を言い始めた。


「そもそも、唐を脅かすのはこうした大自然の災いだけではない!秦や漢の時代の匈奴や北魏を建てた鮮卑などの民族は千年以上も前からこの中国に繰り出している。羊や山羊、馬などの家畜の餌場を追いかけて移動しながら暮らす民族たちだ!」


 さらに小さな額に大きな口、二重の飛び出した眼が左右に走る道明と言う僧侶も繰り返す。


「だが、こうした民族の中には水のないはずの砂漠に水が湧く場所を見つけて、今じゃ移動生活を止める者たちもいる。井戸を掘って水が汲めれば砂地にだって畑を耕して作物を作り、家畜の世話もできるからな。おまけに武器と馬を手に入れて中国に踏み込んで大暴れだ!これも日本にはない脅威だな!」


「万里の長城を築いたのも、こうした遊牧民からの攻撃を防ぐためよね!」


 都真子が合いの手を入れると浄蔵の口は止まらない。


「現在の脅威は突厥だ!あいつらは、製鉄の技術を身につけたお陰で、他の民族を倒して国まで建てたからな。武后様の主人である太宗も相当手を焼いたという話だ。だが、東西に引き裂くことに成功して勢いを削いだが、個々の部族が勝手に侵入を繰り返して武后様を困らせているという話だ」


 道明も言い足りないようだ。


「特に、苒徳という名前の族長の動きが活発で、しばしば万里の長城を越えて唐の領土に侵入しているらしい。どうも、太宗に親を殺されて復讐心が強いという噂だな」


 ちょうどその頃、まさにその突厥では苒徳が戦さの準備をしていた。


 苒徳は、爽やかな容貌の男丈夫であったため、部族内から絶大な人気と信頼を得ていて、苒徳の部族は一匹狼の集団として、分裂をくらった唐への復讐を諦めなかった。


「今年最大の目標は長安の攻撃だ!我が父も祖父も、唐との戦いで戦死している。俺は必ずその復讐を果たすと父の骨の前で誓った!しばらく大きな戦さを控えて馬は肥え兵力は充実している!いよいよ出陣の時だ!」


 苒徳は、唐の捕虜から漢文字と漢詩を習って文武の素養を身に付けている。


「敵への復讐心のみでは野獣と変わらない!部族の発展こそが第一だ!そのために武を用いるのは車輪が前に進もうとするときに石を弾き、草を踏みつけるのと同じだ!生きることは前進あるのみだ!」


 さらに、特筆すべきことに苒徳は様々な民族を領地に受け入れている。


「俺は民族や部族が違うからといって差別することはしない!わけても、肌の色や言語、習慣の違いを、より興味を持って観察することは人間を知るための大切な手段だ!様々な民族により、また人間性により、同じ人間であっても、異なる思想を持ったり違ったものの見方をしたりすることを知るのは生きた勉強をしているのと同じだ!勢力を拡大するためには、自らの狭い部族だけに拘らず視野の広い見方や考え方を身に付けるのだ!」


 こうして苒徳は、雑多な民族の出身者を集めた。


 選りによって、苒徳の妻シャディは、キャラバンの一員としてシルクロードを通って長安の西、敦煌にやってきたササン朝ペルシャの娘である。


 シャディはと言えば、ペルシャは戦闘にも女性を同伴することもあって、女性といえども騎射に優れ、刀を振り回す強さを身に付けている。


「私は、数年前、行方不明になった父親を探しにペルシャを後にした。やっと敦煌まで来て、何かの情報があればと聞いて回ったが、父親の消息に繋がるものは無かった。父親は、家族を見捨てるような人間ではないから、きっと何か帰れない理由があるに違いない」


 シャディは強く父親を信じていた。


 そんな折、父親を見かけたというペルシャ商人に出遭った。


「長安で日本人と一緒にいたのを見たよ。近寄って話しかけると、これから日本という国に行ってみるんだと……日本は、海を渡ってさらに南海にあるらしくて未開の国らしいから商売になるかもしれないと言っていたよ」


 シャディは躍り上がるように喜んだ。


「おそらく、日本に渡った後、何かの理由で帰れないでいるのかもしれない!父は必ず生きている!」


 だが、シャディが、父親の消息に希望の光を見い出した矢先のこと、キャラバンが騎馬民族の襲撃を受けて捕虜となる羽目に陥ってしまう。


「領内にならず者の集団を許してならん!」


 苒徳は、襲撃から落ち延びたキャラバンの隊員から救いを頼まれると、電光石火、非道を行った騎馬軍団を大軍で打ち負かした。


「あの女は何者だ?」


 この戦いの際、捕虜の檻を破ってペルシャ刀を振り回し、男顔負けの勇敢な戦いぶりを見せたシャディは、一躍、苒徳の目に止まることになったのだ。


 苒徳は美しいペルシャの娘を見初める。


「さすがに女一人で異民族の中にやって来ただけはある。是非、夫人に迎えたい!」


「本来であれば、無くしてしまった命……私で良ければ……」

 

 シャディの潔い態度に、苒徳は重ねて感心した。

 

 こうして、夫婦戦士の善戦は、俄然、部族一同を活気づけただけでなく、家族の絆を示す模範の姿を映ずる。


 だが、シャディは一日足りとも父親と故郷の家族を忘れることは無かった。


「父親の手掛かりは何か無いものか?」


 他の部族との接触の際は、必ず父親について尋ねたが情報は容易に手に入らない。


「やはり、日本という国へ行ってしまったのか?いつか自分も日本という未知なる国へ父を探しに行ってみたい!」


 優しい父親の面影がシャディの脳裏を常に横切る。


「襲撃は、次の満月の夜と決まった!満月は我が部族に強い力を与えてくれると俺は信じている!また、暗闇が深ければ慣れない場所での戦闘は不利だ!今度こそ長安の街を焼き払ってやる!」


 苒徳が言い放った数日後、部下の一人が言葉の矢を放つ。


「今夜は満月です!出陣の時です!」


 この満月の夜こそ、長安に砂嵐の吹き荒れたその夜のことなのだが……俊介たちは知る由もない。


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