第13話 七つの星

「だが、地下道建設の真っ最中、隋は二代目の煬帝に変わる。すると、とんだ雨が降り始める。煬帝は、長安じゃなくて洛陽だと言い始めた。何故なら、有り余る物資に恵まれた長江の下流域、江南と洛陽なら運河で結べると考えたからだ」


 長久が残念そうに言うと傑が追い掛ける。


「隋の煬帝と言えば暴君丸出しだからな……長安を見捨てるなんてもったいない話だ!宇文愷は、さぞかし、がっかりしたことだろうな。俺たちもあの大運河では命拾いをしたけどね……結局、造らせた運河には、まさに百以上の部屋をもつ馬鹿でかい竜船を浮かべて自らの豪遊に精を出したというからね」

 

「そういう王様にはね、汗を流して固い土を掘らせたり泥だらけになって木の根っこを引き抜いたりさせなきゃ駄目よ!だから、人の苦労なんて理解できずに簡単に大工事を命令するのよ!人民は堪ったものじゃないわね!」


 都真子は鼻の穴を開いて憤ると、長辰が上がった体温に冷水を掛けるように言い加えた。


「宇文愷はそうした煬帝を見て、隋が滅ぶことを予感したようだ。そうなると、長安の図板を敵の手に渡すことはできない。そこで後の世に渡るように図板を隠した。それは、七枚にまとめた図板を、夜空に輝く七つの星に合せて、長安の何処かに隠したと言うのだ」


 傑はある記事が頭に浮かぶ。


「宇文愷は長安から見た夜空の星座を元にして図板を隠したのか……そう言えば、日本のキトラ古墳には天文図が描かれているが、それがどうも、当時の長安から見た星座になっていると聞いたことがある」


「宇分愷は長安を宇宙の片隅に浮かぶ都にしたかったみたいだな。そればかりか、謎解きを仕掛けて、見つけられるものなら見つけてみろって感じだ!」


 慎太は宇文愷という人間に感心すると長久も同じ感情を口にする。


「夢のある話だな!それにしても、遊び心ってのは大事だよ!後の人々に、発見の手掛かりを星に求めさせるなんて粋なやり方じゃないか!」


 長辰は煬帝の最期を締めくくった。


「煬帝の最期は惨めだ。暮らしを犠牲にしてまで煬帝の道楽につき合えるわけがないと、とうとう何十万という人々が各地で反乱を起こした。その挙句、煬帝は洛陽でなく江都で命を落とす。息子は目の前で斬られ、自信は家臣に裏切られて首を絞められて殺されたというわけだ」


「まぎれもなく、宇文愷の予想は的中ね!」


 都真子は宇文愷の先見の鋭さに勝ち誇るような思いを感じた。


「だが、宇文愷は煬帝よりも先に亡くなっていたから隋が滅ぶ姿は見ていない。長安は再び都となり、図板の噂を聞いた唐の高祖が大雁塔の地下にある地下道を発見した。だが、宇文愷の思惑通り、隠された七枚の図板は見つかってはいない。実は、その地下道の鼠になった男に会ったのだよ!」


 長辰は、額に影を落としながら間合を取る。


「俺が、ちょうど、玉門関の労役場で汗を垂らしている時だ。泥棒が一人長安から送られて来てな。その男は、罰当たりにも、盗む目当ては天に突き立つあの大雁塔に収めてある尊い経巻だ。売ればいい金になるとほざいていたがな……上手く忍び込んだはいいが、経巻を探して迷子も同然だ。すると入室禁止と書いた扉の前に出たから、泥棒の勘が働いた。こうした場所にこそ宝物があるに違いないとね。それで、まんまと鍵を抉じ開けると地下道が現れたので、きっと経巻はその先だ。嬉しくなって進むと居たのは警備兵だった。それで有無も言わさず御用になったというのだ」


「警備兵のいる地下道か……」


「そうだ!代々の帝王だけが知る秘密中の秘密だ!そして俺が持っている図板にはちゃんと地下道が記してある」


「じゃ、お前が図板を持ってることがばれたら首が飛ぶぞ……」


 そこへ李忠という桜色の頬をしたまだ青草の臭いのする若者が現れた。


「長辰様!とうとう佐伯子麻呂の居場所を突き止めました!」


「でかしたぞ、李忠!この長安に居るのか!」


「はい!子麻呂は大慈恩寺の僧侶の衣に隠れていました!本人の口から、自分は遣唐使だったと明かしたのを小耳に挟んだ寺の掃除夫がいたので、調べたところ、どうやら、十年ほど前に智蔵という名前の僧侶になったことが判りました!」


「いやはや、遣唐使だった男がお坊さんになっていたのか?そりゃ、皆で、見当違いの草叢ばかり探していたから見つからなかった訳だ……大慈恩寺と言えば、長安では格式の高い仏寺だ。よくそんな高名な寺に潜り込めたものだ」


「大慈恩寺にいるなら早く会ってみたい!今すぐ、行きましょう!」


 長久は矢も楯もたまらず尻を上げたので、俊介たちもじかに遣唐使に遭える機会だと柔らかい絨毯を蹴った。


「またあいつだ!何か騒ぎを起こしてるぞ!懲りない男だな!」


 大慈恩寺は敷地内に僧侶の修業の場として数百の御堂を抱えているが、慎太はその庇の下に見覚えのある男を目に入れた。


 偶然なことに、大路で出会った薛来興は、異国や日本の僧侶が修業する御堂に入り込んで、口から泡を飛ばして法論に夢中になっている。


「わが師匠、薛懐義様は言われましたぞ!天竺で始まった仏様の教えは、武后様がお生まれになったおかげで、遥々、山を越え砂漠を横切って、我が王朝に伝わったのでございますよ!」


 傍で写経をしていた華厳僧の道明は筆を止めて反論した。


「おかしなことを言うな!この国では、とうの昔に、仏様の教えを求めて命懸けで天竺に渡って経巻を持ち帰った玄奘三蔵や、真っ向から正確な翻訳に取り組んだ鳩摩羅什のような法師たちの並々ならぬ求道心があってこそ、現在のような仏法流布があったのだ!」


 薛来興は図々しい態度で執拗にまくし立てる。


「いよいよ五十六億七千年経って弥勒菩薩様が世の中に現れて民を救うとの予言の通り、今の世の中を見ますとまさに武后様こそが弥勒の再誕と思って間違いありません!そればかりか、大雲経には、天女が現れるとの予言があり、まさに武后様のことを指しておられるのです!」


 すると、読経をしていた天台僧の浄蔵は罵声の塊を投げつけた。


「五十六億七千年だぞ!釈尊が亡くなってから、たかだか、千年しかたっていないではないか?さしずめ、お前のように、根も葉もないことを平気な顔をして言う、たちの悪い奴がいるために、仏様の教えは、周の武宗の時代のように徹底的に叩き潰されたのだぞ!」


 薛来興は、まるで鼓膜に大穴が開いているかの如く、何を言われても気に留めず、堰を切ったように喋り続けている。


「我が国にとっては仏様の教えは、文字どおり、異国の教えでございますが、武后様は、仏先道後と言いまして、もともとあった老孔様の道教や儒教の教えより、仏様の教えをあらゆる教えの最も上に置くとおっしゃったのです。そして、その教えを広めるために、各地に大雲経寺を建てたおかげで、この国は安穏になったのです」


 傑は大雲経寺の名前を耳にして顎が外れそうだ。


「日本の国分寺はこの大雲経寺を真似た寺だ。それが、このいい加減な男の師匠の思いつきから始まったとは……まさに瓢箪から駒のようなペテンだよ。何しろ、この時代の中国では、我こそは釈尊のれっきとした本意を汲んでいると言い張る宗派が虫が湧いたように誕生した。日本の遣唐使や留学僧は、善いも悪いも区別なくがむしゃらにそれらを学んで日本へ伝えたってことだよ」


 俊介も晴々としない。


「中国の歴史は長いとは言え、多くの人々の命を奪った無慈悲な武后の恐怖政治のもとで、こともあろうに、生命を尊ぶ仏教が最も盛んになるなんて……実に皮肉なことだと思わないか……」


「お前、また来たのか!この寺を利用して名を売ろうとするな!修行の邪魔だ!出ていけ!」


 ふいに現れた大慈恩寺直属の僧侶が恐ろしい剣幕で怒鳴りつけると、薛来興は軽石のように吹き飛んで帰った。


 薛に泥水をかけられたを日本の留学僧は、心を鎮めようと道場の片隅に集まると、青龍寺の隆証が、矢も楯もたまらず心内を吐いた。


「薛のような愚人に法を説いて何になる。入唐以来、三十年の月日が溶け去ってしまった。早く、国に帰って教えの雨を降らせたいものだ。それにしても迎えの船は来るのだろうか?」


「私は、遣唐使とは違って、もっぱら、一生涯を賭けて仏法の奥義や真理を体得したいと考えている。いまさら、年月の長短など言うべきではない。仏の御心を信ずるならばいつかは帰れるだろう。だが、帰れないかもしれない……」


 法源は長い時間の喪失感が痩せた骨まで沁み込んで、こうした考えで胸奥を納得させている。


 ちょうどそこへ、躍り上がるような足踏みが床を振動させた。


「皆、聞いてくれ!日本から遣唐使船が来るそうだ!」


「智蔵!本当か?それは間違いないのか?」


 産毛頭を項垂らしていた隆証は、稲妻に打たれたように顔を上げた。


「間違いない!武后が許したそうだ!」


「それは困った!私はまだまだ修行が足りず帰国は迷う……」


 法源は相変わらず本音を飲み込んだままだ。


「すると……日本へはどの教えを伝えるべきか?」


「当然のことだが、最高位とする教えを一つだけ選ばないとな……」


「いや、そのように考える必要はない!愚かな衆生にとっては、釈尊の教えはどれも真実であり、どれも方便だ!学んだものを全て伝えることが大事だ!」


 いきなりの吉報は、留学僧たちを混乱の渦巻きに放り込む。


「あの智蔵という僧侶が佐伯子麻呂だという話です!」


 李忠が耳打ちすると、長久は御堂の中に座る智蔵に釘付けになった。


 智蔵の顔付きは蒼白い僧侶の顔では無い。


 商人のような額を広げ、さらに黒く太い眉の下に人を射る眼光、中央の尖った高い鼻と厚い唇が情の響きを感じさせる。


「石川長久と申します!智蔵さんはおいでか?」


 ふいに甲高い日本語で呼びかけられた智蔵は、一面識もない男の顔を怪訝そうに覗き込んだが、日本人ならばと表に出て来た。


「貴方は佐伯子麻呂殿ですね?」


 長久は智蔵と目が合うと一息に言い退ける。


「えっ!」


 智蔵は背筋に悪寒を走らせた。


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