第12話 秘密の地下道
「えっ!あの人、ひょっとすると……長辰さん!」
都真子の甲高い声が頭頂から上がる。
俊介の真正面に立っているのは、まさしく、揚州を目前に狩人と化した村人の襲撃を食らって散り散りになった長辰その人の姿だった。
「俊介!生きていたのか!それに他の皆も!」
「どうして俊介たちを知っているのですか?」
長久は親しそうな姿を見て呆気に取られていた。
「この人たちとは、昔、武后との反乱で一緒に戦った仲なのだ。だが、反乱はものの見事に砕け散って謀反人として追われ揚州に逃げる途中で逸れてしまってな……」
俊介たちが、ペルシャ絨毯が波打つ広間に通されると、幾人もの給仕人が飲み物や食べ物を下げて現れた。
「あれからもう十五年か……あの時は済まないことをしたな……」
「私たちは小船を盗んで長江を流れ落ちたのですが、揚州の一歩手前で都の兵士に出くわしました。それで、船を捨てて逃げ回たのですが揚州に着いたのは半月後。それでも運よく新羅船に船員として雇って貰って無事日本の地を踏むことができました」
「そうだったのか……それは無事で何よりだったよ」
「その後、坂東へ帰った私たちは、長辰さんの無事を長久さんに知らせようと都に行き、出遭うことはできましたが一緒に追われる羽目になったのです。ところが、那の津までは一緒でしたが、坂東へ帰る途中、海賊に捕まって長安まで連れて来られ奴隷に売られるところだったのです」
「それは忝い。それにしても危ない目に遭ったな!」
傑の今日の筋書きは穴だらけだ。
「長辰さんたちこそ無事に揚州へ着けたのですか?」
俊介は傑の滑った話を水に漬けた。
「それがな、何とか船に辿り着き、数日お前たちを待っていたよ。だが残党狩りが激しくなってな、とうとう、船に踏み込まれて捕虜になってしまった。皆、ばらばらにされて彼方此方の労役場に送られたが、俺は長安の先の玉門関というところに送られてな。だが、俺にとっちゃ渡りに船で、わざわざ、こっちまでただで連れて来てもらった様なものだ。こっそり労役場から逃げ出して、キャラバンの荷物担ぎに潜り込み砂漠を越えて羅馬に行ったのだよ」
「羅馬に?」
快斗が頓狂な声を上げた。
「ああ、羅馬は身震いするような凄い場所だ。丸くて馬鹿でかい見世物場、白い神殿、頑丈で広い道、水を流す橋などがすべて石だよ。産物もぶどう酒から、瑠璃、絹などあらゆる品物が満ち溢れていたから、有りっ丈の金を注ぎ込んで買い漁ってな。長安まで運んで売ったところえらい値段になったよ。その金で新たに自分のキャラバンを手に入れて、交易を続けてこんな家まで建てることができたわけだ」
「いやはや、凄い屋敷だから心臓が止まりそうで……羅馬まで行くなんて!何年かかったのですか?」
慎太が尋ねると長辰は記憶の泉をどんどん湧かす。
「ああ、まさに命がけだった。行って帰って三年もかかったが、それでも戻ってこれるだけ運がいい方だ。道は険しい上、山賊や強盗が多くてとても危険な旅だ。だから、羅馬へ行ったのは三度きりで、その後は、羅馬まで行かなくても、途中には商人たちが品物を運んで来る場所が幾つもある。そこと交易をすれば十分だよ」
「他の皆とは逢えていないのですか?」
俊介は、里市や毛見志たちの顔を、ありありと思い浮かべた。
「いやもう、どうしたものか……此処へ来る江南人に、しょっちゅう尋ねてはいるが誰一人逢えてはいない……皆元気でやっているといいのだが……」
「それにしても長久はよく長辰さんと巡り合えたわね」
都真子はずっと気になっていた。
「長安に来たとき、日本の商人がいるという噂を聞いてね。疾風を取り戻すために此処を訪ねると、何とじられないことに、その商人は父だったのだ。母や私と約束を守って異国との交易で成功したことを知って、やはり父は凄いと思ったよ!」
「こっちも驚いたよ!日本人と聞いて会ってみるとまさか息子だったのだからな……」
「ところで、二人で日本へは帰らないのですか?長辰さんの財力なら、その気になれば、日本への渡航もできるはずだわ」
「長久とも話したが、もうすぐ三十年ぶりの遣唐使船が到着する。多分、それを機に唐と日本も公式な往来を始めるに違いない。そうしたら、堂々と日本に帰りたいと思っているよ。妻も首を長くして待っているだろうからな」
「それはお母様も喜ぶわ!」
都真子は白歯を見せて微笑んだが、長久の顔は曇り空だ。
「父の耳にも入れてあるが、俺は、例の図板のことを解決してからでないと帰らないと決めている!」
「それじゃ、探していた遣唐使はまだ見つからないの?」
「ああ、八方、手を尽くして探しているが、これだけ探しても、ろくすっぽ見つからないってことは、佐伯子麻呂という名前を捨てて唐の人間になって暮らしているかもしれないのだ……」
長久が奥歯を噛み締めて言うと長辰が付加える。
「俺の調べたところでも図板の話はまんざら嘘では無さそうだ。だとすれば、是非とも、日本の新しい都造りに力を貸すために、その図板とやらを探し出して天子様にお届けしたいと考えている」
さらに長辰の慧眼は長安の歴史にまで及ぶ。
「そもそも、長安を築いたのは宇文愷という男だ。この男は、唐の前の隋王朝で帝王に仕えていた武臣であり土木官だ」
「俺も父から聞くまでは、これっぽちも知らなかったが、宇文愷は長安を造っただけでなく、洛陽も手がけている。他にも、黄河と長安を結ぶ運河を掘らせたり、万里の長城の修理をしたり、高句麗を攻める時の橋を架けたりと多くの功績を携えてこの国の歴史に名を残した人間だ」
「うぶんがい……初めて耳にする名前ですが優秀な人物ですね!」
俊介は感心して目奥を光らすと、長辰は尚も調べた詳細を披露する。
「何しろ、宇文愷の目論見は、長安という都を、帝王一代きりの都で終わらせるのでなく、先々の帝王の御代まで永久に栄える都にしたいと思っていたようだ。そこで、帝に設計図板を説明すると、今までに見たことがないと驚いて、いったい、何処でこのような能力を見に付けたのかと問うたそうだ」
「ころころ都を移す日本とは大違いだ!さすがに、この国は人材の宝庫ですね。で、宇文愷の答えは?」
傑は身体を乗り出して長辰に尋ねる。
「宇文愷が答えるには、自分は、幼い頃から、板切れや粘土板に建物や塔などの見取り図を書いて遊ぶのが好きだったと。他の子供たちも面白がって、宇文愷の見取り図通りに、土や泥や棒切れを使って作ってみたそうだ。土や泥といっても計算が不十分だと、重ければ潰れ傾けば倒れるから、そうやって造り方を学びましたと言ったそうだ」
「早くから、そういう才能があった訳だ!」
慎太が痛く感心して顎を撫でた。
「こうして大人になると、寺院やお堂、役所の建築を手掛けたが、肝心なことは、くれぐれも自分で柱一本立てることはしなかったらしい。はち切れるような想像力と緻密な頭脳を持つ宇文愷は、自分が考えた通りに建てれば見事な建物ができるという自信に満ちていたのだな」
「なるほど!それが宇文愷の世界ね!その天才少年が羅馬と並ぶ大都市、長安を造ったわけか!」
都真子は、子供の頃からの才能を侮ってはいけないと感じた。
「大人になった宇文愷は、文字どおり、都の建設を任されると、例え地上の都であっても、森羅万象の気の運行を元にしなければならないという陰陽道にそって物事を考えるようになった」
「陰陽道?陰陽師って聞いたことあるな。安倍晴明だったか……」
「それは、日本の平安時代の人でしょ!」
長辰は、自分も説明が難しい……と前置きしながら続けた。
「俺も、それ程信じてはいないが、陰陽道ってのは、陰気と陽気という二つの気が森羅万象に流れていて、この気がうまく流れれば吉といって物事はうまくいくが、気が詰まったり、変な方に流れると凶といって悪いことが起きるということらしい……」
「確かに世の中のものは、皆二つからできていますね。熱いと冷たいとか、右と左とか、男と女もそうだ。必ず対になっている」
快斗は俊介の受け売りを自慢げに口にする。
「それで、都を守る神様も、気がちゃんと流れるように、東西南北に決まった神様がいないと駄目だって言うんだな」
「それなら、私も知ってるわ!四神相応っていうのよ。北が玄武で山、東が青龍で川、南が朱雀で池、西が白虎で道だったわね。だから、都を造るなら、この山、川、池、道の四つがそろう場所に造るといいっていうわけでしょ」
都真子が得意げに言うと傑も付け加える。
「東の方角に川のなかった京都は、わざわざ、鴨川の流れを変えて、東に川が流れるようにしたって話もあるよな」
「お前ら何でそんなことまで知ってるわけ?」
快斗はふくれっ面だ。
「そればかりか、風水といって、水を得られ風を防ぐ場所には気が留まるからと、宇文愷は天子様の宮殿をより高い場所に作り、そこから道を縦と横に巡らせて天子様の気が都の中にいきわたるように造った。また、大臣の屋敷や都を守る兵士や武器は、天子様の気を邪魔しないように、かと言って遠くにならないように置いた」
「ああ、鬼門とかいう方角の話か……」
「その一方で、都で暮らす人々の気ってものもあるから、品物の交易が豊かにできるように、東と西に一つずつ市場を作ったり、もうけた金で遊び戯れる歓楽の場所や、儒教や道教、仏教による都の守護を期待してお寺やお堂も建てた」
こうした権力者と庶民がともに楽しむ都を理想とした長久は、宇文愷の都造りに多いに感心していた。
「街路に囲まれた一つ一つを坊と呼んで、しっかり城壁で取り囲み門を取り付けて、ちゃんと朝晩に開け閉めして侵入者を遮るようにしたが……ここが問題だ。万が一、長安が襲撃された時に、天子様が脱出するための地下道を張り巡らしたと言うのだ。当然のことながら、こうした秘所を公にする馬鹿はいないから宇文愷は天子様と近い家臣だけにしか知らせなかったのだ。だから俺が手に入れた図板にある不明な印はその地下道を示したものではないかと父が言うのだ」
「長安の地下には、秘密の地下道が張り巡らされているってわけか?こりゃ、ミステリーだな」
快斗が眉根を寄せて呟いた。
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