第9話 長安の図板

 長辰と俊介が先頭になって二股の竜のように二方面にお堂を飛び出した。


 すると、お膳立ての出来ていない村人たちは間誤ついて混乱すると、尻からよぼよぼ追いかけて来た頭の禿げた村主が、皺に埋まった黒胡麻のような目を白黒させて追手を振り分けようとする。


「お前はあっちで、俺はこっちだ!いや、そうじゃねえ!俺があっちで、お前がこっちだ!いやいや、やっぱり、そうじゃねえ……」 


 俊介は見渡す限りの草の海へまっしぐら飛び込み、手足をフル回転させて長く伸びた草を掻き分けて逃げる。


 無我夢中で走り続けると、ふいに古めかしい神廟が行く手を遮った。


 慎太が口から提案を噴く。


「こうした、歴とした神廟に生えてる木ってのは、長生きして、いずれ御神木になるかもしれない……尚の事TS1を使ってみたらどうだ!」


 傑も慎太の言葉を拾って投げ返した。


「まさしく当を得ている!俊介!やってみよう!」


「俺も同じ考えだ!見ろ、この神廟にも樟が生えてる!」

 

 皆、樟の幹に吸い寄せられるように周囲に集まったが、その時、実に厄介なことが起きたのだ。


「騒々しいな……何の騒ぎだ!」


 驚いたことに、神廟の中には都軍の兵士が何人も酔っ払って寝ていたのだが、俊介たちの喋る耳慣れない言葉を耳にして、ドラム缶のような胴体の男が一人、扉を開けて腹を突き出した。


「ん、お前たちは何者だ?もしや……反乱軍の残党か?」


 男が雷鳴のような声を発すると、十人ほどの兵士たちが足をふら付かせて現れ、たちまち長い剣を抜いて俊介たちに向かって来た。


「まずい、見つかった!早く樟に寄りつけ!」


 すでにTS1のセットを完了していた俊介は、力一杯、親指で実行ボタンを押すやいなや、五人の姿はたちどころに影も形も消えて無くなった。


「あれっ?どうした……誰もいねえ……夢でも見たのか……」


 斬り掛かろうとした兵士たちは拍子抜けを食らったが、充血した目玉で幾ら覗いてもいないものはいないと気付く。


「酔っ払いめ!いい気持ちで眠っているところを起こしやがって!もう一眠りだ……」


「このタイムスリップの仕方は、春日大社の時とそっくりだ!」


 傑が俊介に向かって叫んだ。


トンネルが現れたら現代に戻るタイムロードを見極めようと身構えていた俊介は、身体が舞い上がるのを感じて、再び別世界に落ちる覚悟を決めた。


「駄目だ!一本道のタイムロードだ!」


 やがて樟の樹に向かって下降すると白い世界が現れて意識は消えた。


「起きろ!俊介!どうやって此処へ来たんだ!」


 聞き覚えのある声が俊介の頭内に鳴り響いた。


「此処は……」


「長久だ!長久がいる!」


 俊介の隣で仰向けに倒れていた快斗はタイムスリップの衝撃で五臓六腑がまだ振動していたが、わずかに瞼の皮が剥けて視界に見覚えのある男が目に入った。


「まるで化け物を見たように言うな!俺たちは、那の津でお前たちを下ろした後、危険極まる新羅の沿海を鯱のように逃げて揚州港に飛び込んだのはいいが、そこでまた一悶着起きてな……」


「どうした?蜘蛛の巣を広げた役人に引っ掛かったのか?」


「ああ、そうだ!揚州港で疾風の肋骨を抉じ開けられてしまって例の密輸品がすっかりばれたのさ。そのため、慌てて逃げ散ったから、今は皆、床にばら撒いた麦粒のように熊井も三牛とも逸れてしまったよ。だから俺は、この唐にいる父親を捜し出して没収された疾風を買い戻して貰おうと、こうして長安まで転がった訳だ。船さえあればもう一度集まれるからな」


「何?長安だって……まさか此処は唐の都、長安なのか?」


 意識に白い膜が掛かっていた傑は、飛び起きて首の皮を捩じると、丸く碧い池が青空のもとに広がっているのを目にする。


「森だ、池だ……塔も見える!」


 俊介はタイムスリップの仕組みが脳髄に姿を見せ始めた。


「この池は曲江池で、あっちには大雁塔だ。玄奘という偉いお坊さんが天竺由来の尊いお経を収めている塔だ!ところで、お前たちは坂東へ帰ったのではなかったのか?」


「無論、大宰府を拝した後、坂東へ帰ろうと那の津を出たよ。だが周防の沖で唐人の海賊にさらわれて登州に叩き落とされると、その後長安まで歩かされ、危うく奴隷として売られる寸前に、居眠りしていた牢屋番から鍵を奪って逃げて来たって訳だ!」


 傑のまるっきり出鱈目な話も辛うじて筋道が組まれている。


「唐人の海賊か……俺たちも出会ったことはある。だが矢のような速さで突っ走る疾風には指一本触れることはできなかったな。だが、奴らと来たら捕まえた人間は女子供であろうと容赦なく奴隷に売るような悪党だ。よく助かったな……」


「それじゃ、長久さんが此処へ来たのは父親を捜すためなの……」


 都真子は長辰が金の骨が埋まる長安に行きたがっていたのを思い出した。


「親父はこの長安からキャラバンを滑らして羅馬を往復し、交易で旗を揚げて豪華な絹の布団で寝ているかもしれないと思ってな。だが、その父親に……」


「情熱溢れるお父さんだものね……」


「ん?まるで、親父に遭ったような物言いだな……」


「知ってる訳ないでしょ!にわか想像よ……」


 長久の言葉を遮った都真子の眼の奥には、タイムスリップして出遭った長辰とは、共に生きるか死ぬかの大波乱に遭遇したことが鮮やかに蘇る。


「だが、長安に流れて来た理由はもう一丁ある。それは、疾風で運んだ密輸品の中に怪しい板切れを見つけたからだ」


「怪しい板切れ?」


 こうしたことに真っ先に興味の湯を沸かすのは傑だ。


「密輸品を入れた木箱を運ぶ途中に、うっかり手油で滑って、船から陸へ落として潰してしまったことがあってな。中の仏像は無傷で笑っていたが、壊れた木箱の底から一枚の図板を見つけたのさ。図板には十文字格子に曲江池や大慈恩寺、青龍寺などの名前と天の北斗のような星印や無数の印が刻まれていたよ。息が止まったのは板の裏側に中納言の藤原不比等様宛で筆者は遣唐使の佐伯子麻呂とあったことだ」


「藤原不比等か……まぎれもなく藤原一族のボスよね?」


「そうだ!つまり、佐伯子麻呂という遣唐使は、藤原不比等に渡すためにその図板を木箱に挟んだわけだ。曲江池や大慈恩寺の名称か……長安にある寺院だな……そうなるとそれは地図だ!地図は国の機密文書であり流しちゃいけない情報の塊だ。それは凄いものを手に入れたな!」


 傑の目つきを見ると完全に謎解きに嵌っている。


「いや、俺の血は蝙蝠のように騒いでいる!あれはただの地図だけじゃない!星印や他の印は長安建築の秘密の何かを隠している!それに長安全体が載っていないから残りの図板があるはず……だから俺は、佐伯子麻呂を捜し出して会ってみたいのだ」


 もや着く都真子が首を傾げる。


「でも、建築図みたいなものが本当にあったのかしら……大体、ピラミッドを始めとして古代の建造物でも建築図があったなんて話は聞いたことはないわ。第一、何かを建築する時は模型を作って寸法を割り出したらしいって聞いたことがあるわ」


「ぴらみっど……それは何だ?」


「ああ、坂東言葉だから気にしないで……」


「そもそも、遣唐使たちは、いったい、どのようにして長安が完成したのか奇跡だと言っていたそうだ。長安には麻袋に満杯に詰め込んだ胡麻粒を一気にばら撒いた位の大勢の人間が暮らすのに食べ物や品物が滞ることがない。異国の人間さえ働いて暮らすことができる。おまけに、そいつら同士の揉め事も少ない。きっとそんな有様を直接見たのだろう……」


 長久は感心の狼煙を上げると傑が吸い込んだ。


「長安の上っ面だけを真似た日本の都は、何でも集中させるのは良かったが、要らなくなったものを都の外へ上手く放り出す手立てが不十分だったらしい。おかげで、疫病まで溜め込んで酷い目に遭い、長安とは似ても似つかない都になったことを考えると、長安の仕組みをもっと学ばないと駄目じゃないのか?」


 長久は熱っぽく続ける。


「その通りだ。俺には宮中に飼っている虫がいて秘密は筒抜けだ。蛇の道は蛇ってやつでな。その虫が鳴いたおかげで、遣唐使が三十年ぶりに派遣されることや、遣唐使に選ばれた人間の名前、任務として長安を覆い隠している皮を一枚一枚引っぺがして心臓部から足の裏まで詳しく調べることがじきじきに加わったことを知ったよ」


「都もやる気満々ってわけだ」


「だが、遣唐使に選ばれた人間は、国に命を捧げていて物見遊山で入唐する浮ついた気分の者は一人もおらず、いくら袖の下を渡しても受け取らないから図板の事で口を割る者など皆無さ」


「さすが遣唐使ね」


「だが、宮中には唐人がいて、そいつに蜜を飲ませたら長安建造の幻の図板があるという噂を背中に背負っていたよ。さらに唐人が言うには、すでに三十年前の遣唐使たちが、捕まって処刑されようとも図板探しをやり遂げるつもりで渡海したらしいとね。おまけに天子様は、これまでの藤原の都を超える新しい都を、長安に真似て造ろうとされていることもべれべら喋ったよ」


 平城京のことに違いないと傑は浮かんだ。


「唐の国にとっては、長安を侵略しようと考える敵たちにその図板が渡ったら拙いことになるだろう。そうなると、その図板を探すことや図板の噂を口に出しただけでも厳しく罰せられる。長久のやろうとしていることは危険じゃないのか?」


「おい、もう役人が来たぞ!」

 

 慎太が蒼い顔で指差すと、蒸かした薩摩芋色の顔をした役人がやって来て、えらい剣幕で池の畔にいる人間をどかし始めたのだ。


「どけ、どけ!これから、武后様が曲江池にお出でになる!」


「えーっ!武后が此処に来るのか……大変だ、殺される!」

 

 快斗は腰を抜かしそうになった。


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