第7話 ムーランと火攻め

「この乱は、歴史上の真実だ!それを止めさせたら歴史が変わってしまう……多分、この反乱はまぎれもなく失敗として流れ去る。なぜと言うに、武后の細胞は、これから先、手のつけられないほど増殖して中国人民を飲み込んでいくから、ここで武后の心臓が掴み出されることはない……つまり負け戦ってわけだ!」


 傑の脳髄は冷静な結論を引き出す。


「だが、どっちつかずの返事ができないことは百も承知だ!今、長辰さんに分からせる薬はないな……この際、一旦、協力の種を撒きながら窮地に陥りそうな段階で逃亡を勧めよう!」


 俊介は蝙蝠になった気分で反乱軍への参加を承諾する。


「この場を退出する者は居ないようだな……それでは、此処に居る者は、全員挙兵に加わるものとする!耳の穴を大きく開けてよく聞け!挙兵は明朝で、総大将はかの有名な李将軍の御孫様、李敬業上将だ!上将は、武后の首を掻き切り、宮中に鼠のように繁殖した武氏一族を成敗して、かつて皇帝の座におわした中宗様を再びお迎えする算段を立てておられる。上将は戦さの大明神にあらせられる!故に、上将様がおられる限りこの挙兵の勝利は火を見るが如く明らかだ!」


 劉が腐った棒切れのような身体から火薬が弾けるような演説をぶつと、牢の隅に寝転がっていた中年の男が尖った顎を挙げて口を丸くした。


「李……敬業様だと……あの高句麗を滅ぼした李勣将軍の血筋を惹くお方か!」


「その通り!驚いたか!それじゃ、牢を出て此処から本陣に移動する!其処で武器を渡し所属を決めるからそのつもりでいろ!但し外では怪しまれないように罪人の連行を装って歩くから縛り縄はそのままだ!」


 隠れ本陣は深い森の中にあり、開けた場所に大勢の兵士が尻餅をついて座っている。


「半日の間、芋を洗うくらいの人数が居る!」


 そこへ、角の無い兜虫のような鎧姿の男が高壇に立つ。


 反乱軍の軍師、魏思温だ。

 

 長い顎鬚を垂らした平たい顔で正面を見据え、やや短足だが均整の取れた上半身を突き出すと、膨らんだ喉の血管を絡ませ声を振り絞って演説を始めた。


「いよいよ十万の兵が集まった!もはや、武后を支持している民衆は一人もおらん!明日は、洛陽を攻め落とす本隊と江南の潤州を占領する別隊の二手に分けて出陣する!潤州を手に入れるなどは容易い仕事だが、そこは上将の戦さ上手な手堅い戦法だ!此処へ集まった強者の諸君はその潤州の首を落としてくれ!時は勢いなり!天をも焦がす熱気が此処にある!成功を祈らんものぞ!」


 だが、魏思温の胸中には不安の骨が転がっていた。


 何しろ、集めに集めた反乱軍の兵士、十万人に対して、こともあろうに、都の軍は、約三倍の三十万人という比較にならないくらいの大軍が待ち構えているという情報を得ている。


 臆病な顔など微塵も見せる訳にいかない魏思温は、最後は笑い声で終えると、即座に背中から黒い陽炎を燻らして馬上の人となった。


「甲冑と武器を取れ!」


 都真子は身体に合った甲冑が無く皆ぶかぶかで身に付けると文句しか出ない。


「重いし、かっこ悪い!」


 傑の脳みその鏡には漫画が映る。


「古代中国の伝説の女兵士、木蘭みたいだ。ほら、年老いた父親の代わりに男装して軍に入り手柄を立てたって女性だ」


「ムーラン?それってディズニーアニメでしょ?そんないいもんじゃないわよ!」


「ちぇっ……江南軍か!洛陽軍に入って暴れたかったよ!そうすれば、武后の首をこの目で一早く見れたのに……」


 里市は勝ったつもりで大見得を切っている。


 長辰は考え深げに口を開く。


「反乱軍の勝ち目の方が大きけりゃ、遅かれ早かれ、武后の晒し首くらいは見られるさ。十万集まったというが、肝心なことは、都の兵士との差がどれくらいあるかだな……どっちみち、俺たちは、第二軍だから、本陣が負けない限り、都の精鋭軍と戦いを交えることはないだろう」 


 翌日、李敬業が反乱軍の決起を宣言すると、唐の人心はとうとう始まったかと、驚きの穴も開かない。


「ぎょっとするほどの都の大軍がいます!」


 報告を聴いた李敬業は、眼球が一回転するほど度肝を抜かれると、江南方面は心配いらないと言った軍命を翻して、ありったけの江南軍の引き返しを命令じた。


 さらに、それでも落ち着かない李敬業は、大事な弟の李敬猷を淮河に派遣し突破を試みさせたが、あっさり打ち破られてしまうという失態を犯したため、混乱は混乱を呼ぶことになった。


 長辰は、江南軍がろくすっぽ抵抗を受けることなく潤州に入ったのを見て、人心はこっちの味方なのかと反乱の成功に肋骨を膨らましていたが、意表を突く命令を耳にして一気に心中に疑いの炎が燃え上がる。


「こりゃ、何かおかしい……江南方面には、特段、出過ぎた抵抗は無いとしても、万が一の場合の拠点として、ある程度の部隊を残しておいたほうがいいのではないのか……」


 俊介は長辰に万が一の相談を持ちかけた。


「この合流の命令はお粗末です。こんな二の足を踏むなら、のっけから、総力をもってして洛陽を攻めればよかったのに……ひょっとすると、全軍を投入しないと勝てない状況が起きているかもしれません。雲行きが怪しくなったら、手遅れになる前に逃げましょう!」


「分かった!正直なところ、俺も腑に落ちない。仮にも総力で当たれば、打ち負かせるという望みがあるなら、それは捨てきれないが……いずれにしても、逃亡もあり得ることを他の仲間にも知らせて置こう!」


 俊介たちは、大運河の畔をじりじりと数日かけて進軍する。


「この運河は凄いよ!よく造ったもんだね!この大運河ができたおかげで、船を使えなかった南北の行き来をがらりと変えたって話だ!」


 傑が呟くと快斗がびっくりして鼻の穴を開いた。


「えっ!此れって、人工の河なの?とてもそうは見えない……」


「ああ、これは重機も無い時代に、人間の手で作った傑作だよ!もっぱら、南船北馬と言って、山の多い北部では船はろくすっぽ利用できなかったが、南部は水が豊かで水路を巡らしていたから、この運河が南北を結んで船の行き来を盛んにしたわけだ」


「万里の長城なんかも大工事だから、きっと、やらせたのは始皇帝だな……」


 慎太が大きい体を揺すって知った被る。


「いやいや、この運河は、唐の一つ前の隋の皇帝、初代の文帝と二代目の煬帝だ。隋の皇帝たちは北部の出身だから、豊かな南部の物産を手に入れたくて、長安から長江まで運河で繋いでしまおうと考えたんだな。但し、そんなにストレートな運河じゃなくて、すべて合わせると五本になるけどね。何しろ百万人位の人たちを、女性でも容赦なく動員したから、民衆の怒りを買って隋は滅んだのだが……」


 傑には隋の滅亡と李敬業の愚策とが重なって見える。


 そうこうするうち、江南軍は李敬業の居る本隊と合流し、反乱軍は一気に数万の援軍を得たが、その分、都の兵士も続々と追加されている。


 長辰は、まるで蝶が羽を広げたように岸辺に兵士が押し寄せ、川を挟んで目と鼻の先に見える敵に向かい合う姿を目にした。


「どうやら、この辺りは山の間に溜まった湖水や崖を切り裂いて流れる川が人間たちの行く手を阻んでいる。戦さとしては、これほどやり難い地形はあるまい!それに、この川幅じゃ船で近づかないと矢も届かない!俺たちは今、まさしく危険な戦場に足を踏み入れている。肝心なことは、戦いに有利な位置に早く陣を取ることが勝利の鍵だ!」

 

「おい!これだけの兵士が睨み合うなんて見たことがない!まるで戦国時代の映画のロケみたいだ!武者震がして来た……」


 快斗が息を吞んで眺めていると慎太の視界に敵船が映った。


「いよいよ始まった!敵の小舟が、わんさとこっちへ向かって来る!近づいて来たら投石の餌食にしてやる!」


「おい!そこの身体のでかい男と色の黒い男!この投石機が使えるか?本来は攻城戦に使うんだが、此処で使っちゃいけない法は無い……」


 部隊長に命じられた二人は、快斗が南瓜ほどの石ころを探してきて投石機のグローブに乗せ、それを慎太が力いっぱい捩じって放擲すると、石は放物線を描いて飛行し見事小舟に命中して大破させた。


「こりゃ、凄い!」


 それを見た俊介や傑、都真子までが、葦の生い茂る河原から石を拾って来ると、慎太が力任せに投石機でぶん投げて小舟軍団を破壊すると、部隊長は鼻息を撒き散らして息の合った動きを褒めた。


「お前たち、中々いいぞ!」


 長辰たちも、投石を繰り返し矢の雨を降らし必死に戦うと、とうとう都の小舟軍団は音を上げて、自らの岸に引き上げて行くのが目に入る。


「やつら、諦めたな……次はどう出る?」


 だが、不吉な事に、突然、空が重苦しい鉛色に急変し、凄まじい北風が吹き荒れ始めた。


「まずいな……誰でも考えつくことだが、俺だったらこの強い風を利用して火攻めをやるだろう!何故なら、この強風は俺たちに向かって吹いて来ているからだ。それに、この生い茂った枯草に火が付いてみろ、一気に燃え広がるのは間違いない!」


 長辰の考えは非常に理屈に合う。


「火攻めをやられる前に脱出しなければ焼け死ぬことになる……」


 長辰の心配を他所に、判で押したような火攻めがたちまち現実となった。


「火攻めだ!小舟軍団が枯れ草に火矢を打ち込んで来た!」


 風下となる反乱軍の陣地は、またたく間に強風で炎の竜巻が立ち上がり、真っ赤な火の粉を周囲に撒き散らすと、ありとあらゆる場所の枯草に飛び火し轟々と音を立てて燃え上がった。


「逃げるな!火を消せ!」


 地獄の業火にも似た高温の炎は人間の油も原資として広がり指揮系統を断ち切った。


「逃げろ……いや、逃げるな……」


 誰が誰やら、誰の言うことに従ったらいいものやら、其処彼処で大混乱が始まる。


 そればかりか厄介なことに、上流に回り込んで川を渡った都の斬り込み部隊が、真っ黒い煙と共に反乱軍に捻じ込んで来るのを目の当たりにしたが、火柱に詰まって後方に退却できないとなると、熱さと攻撃に堪えきれずに川に飛び込むしかなかった。


 だが、そこには小舟軍団が待ち受けていて散々に矢の餌食になる。


「まずい!焼け死ぬか矢で射られるかだ……」


「早く逃げ道を探せ!」

 

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