第6話 女帝と反乱

「それに今は皇后だが、のちに中国初の女性皇帝になる則天武后という恐ろしい女性が政治を牛耳っている。何しろ、夫にあたる唐の三代皇帝、李世民も自分の兄を殺して皇帝になったというからな……その皇后だから一筋縄じゃいかない怪物だ。例えば、前皇后の手足を斬って酒壺に放り込んだり、密告を奨励してばんばん処刑したりと残虐なことをして歴史に名を残しているからな」


「えーっ!つまり俺たちは、その時代にいるってわけ?、これから、そんな恐ろしい女がいるところに行くのか……」


 傑の話を聞いて心配性の慎太はとたんに蒼ざめる。


 そこへ長辰たちの会話が耳に入った。


「長辰さん!あの皇后がいると自由な交易は難しいんじゃないか……」


「いやいや、そこが狙い目だ!武皇后のもとでも、俺たちが唐の奴らと上手く商売ができれば、日本の都の連中も大目に見てくれる筈だ!国が動けないんだから俺たちが勝手に交易をしたって文句は言わないだろう……隣国に長安のような夢の都がありながら、狭い日本に甘んじることなど俺にはそんな血は流れていない!」


「俺もそう思う。だが、俺は揚州より広州に行って、もっと日本人と違う血が流れている人間に会ってみたい……それはそうと、お前たちは何処から来たんだ?」


 毛見志がふいに傑に向かって問いかける。


「都の近くの春日山の近くからです……」


 傑は皆の顔色を見た。


「何!いったい、どの辺りだ……俺たちも春日山の出だが……お前たちなど知らないぞ!」


「でも……長久さんの家で世話になって……」


 すると、長辰が目を丸くして甲高い声を上げた。


「何?長久だと……それは俺の息子の名前じゃないか!」 


「まさか、貴方は……長久さんのお父上……ですか?私たちは坂東出身で、都で商売をしたついでに春日山へ寄ったのです」


 傑の舌の肉はやむを得ず嘘を連発した。


「だから、お前たちの顔を一人も知らないわけか……それで、息子たちは元気だったか?」


 長辰の顔の骨は驚きを隠せず歪んでしまったが、鉄の心を開いて涙は流さず、残してきた家族の身を全身で油を搾るように案じている。


「元気で可愛い児ですね!お母様もお元気でした!」


 兎に角、辻褄の合う話にしなくては……。


 傑の目には、出会った長久の年齢は二十代半ばと映っていたから、計算すると、この瞬間はその時よりも二十年ほど前にタイムスリップしている。


 長久の年齢は五、六歳に違いない……。


「もし、日本に帰国した際に寄って貰えるなら、俺が至って元気でいること、どんなことをしても一旗上げると息巻いていたと伝えてくれないか……」


 俊介は突拍子もない親子の不思議な因縁を感じていた。


 まさに長久は父親と同じ夢をもった骨太の青年に育っているではないか……。


 俊介が人生の回転劇に遭遇する一幕を見ている間にも、大洋を進む一本の針のような船は、大竜が炎を吐く紅い喉のような長江の大きく開いた河口を遡る。


「凄い!こんな昔に、地球上にこれほど賑わっている場所があるなんて……おまけに、南洋の暑気が被さって湯気を上げている」


 快斗こそ火を噴きそうだ。


「碇を下ろせ!」


 毛見志が大声で船を停めると、見世物小屋の幕が上がったように揚州港の全景が長辰の目に入った。


「おいっ!どれがアラビア船だかペルシャ船だか分からないが、異国船の帆や骨組みを見てみろ!あれなら……荒海なんぞ一跨ぎだ!それに、荷物の積み下ろしをする男たちときたら牛のように馬鹿でかいぞ!真っ黒い筋肉が膨らむ男、頭から足まで金色の毛の生えた男、みんな力士のようだ!何ということだ!同じ人間でありながら、この違いは……何と世界は広い!いつか……この連中と対等な付き合いをしてやる!」


 長辰は、棒で殴られたように頭と胸と足元がひっくり返った挙句、雷に打たれたように痺れている間、じっと両眼のレンズに映った見たことも無い光景に釘付けにされた。


「次は何より肝心!検問のことあるよ!」


 唐人の王は長辰が信頼する中国人だ。

 

 中国北部の出身の王は、髪を糸のように編んで長く垂らし、口の周りにはへの字に髭を蓄え、白玉のような眼球に土色の繊維で編んだような皮膚をしている。


 そこへ、港の役人の劉が声を発しつつ船に上がって来た。


 白髪の混じった残り少ない髪の毛が骸骨のように丸い頭に河童のように張り付き、針のように細い首、枝のように細い腕、竹のように細い脚が衣服の下に隠れているが、馬鹿に高音の声を発し動作もきびきびしていて油が十分注がれたばかりの機械のようだ。


「何処から来たのか?積み荷は何か?」


「新羅から来たあるよ!積み荷は新羅にみんな売ってきたから空のこと!おっとと……いけねえ!」


 王が貨幣のぎっしり入った布袋を重力に任せて袖から甲板に落すと、ジャラジャラジャンと貨幣と甲板のぶつかる音が劉の耳穴へ心地よく鳴り響く。


「何か……いい音が聞こえたが……」


 劉が、甘い蜜を吸う蛾のような顔になると、王も景気よく鳩に餌を撒くようにざっくりと貨幣を掴み劉の骨太の手に握らせた。


「もう一人、いるんだが……」


 王は、もう一人に渡す筈は絶対あり得ないと脳内が灰色に染まったが、もう一度ざっくりと貨幣を掴んで劉の袖に入れる。


「異常なし!何か困ったことがあれば……いつでも呼べ!」


 劉は満腹になって餌を食べるのを止めた蟷螂のように何も調べることなく下船した。


「何処の役人も一緒だな……」


 甲板の下に暗室に籠って鳴りを潜め、港内に起きる大波小波に船ごと揺すられていた長辰は、モグラのように穴から出て来ると、流れた冷や汗を吸い込んで湯気を出している王の顔を見て胸を撫でおろすと王は言う。


「さて、これから船を降りること。私の知人の店あることよ。揚州や長安、あれこれ聞いて今後のこと決めること!」


 俊介は、誰もいない奥地から黄金から生き物の肉と骨まであらゆる物を転がし流して来る長江の水が、その泥で築いた揚州の分厚い土の上に、今その一歩を踏み下ろすと、まるで此処に地球の全てがあるかのように思えた。


 どこに行ったって地球は地球だ。


 早く現代に戻りたい……。


 だが、揚州に漂う空気は何処となく血生臭く、吸えば吸うほどその血が喉に張り付き肺に溜まり続けるように思える。


 着いたばかりなのに……悪い予感がする。 


 王は、人々でごった返す市場に入り、路地裏にある油で汚れた食堂に飛び込むと、樽のように太った主人の氾が出迎えた。


「王だ!飯を出してくれ!景気はどうだ?」


「揚州はまずいことになってる……去年、前の天子様が亡くなって、新しい天子様に変わったばっかりだったが、どういうわけか、わずか百日でお辞めになってな。今度は、その弟様が天子様になったんだけどよ、引き籠ってしまわれてな。何しろ、皇太后になられた武后様が、天子様を飛び越えて、政をお決めになっているからよ。おまけに、それに反抗する者は、だれ彼かまわず、無実の罪を着せて容赦なくこれさ!」


 主人は襟からはみ出す顔より太い首を手刀で斬る真似をする。


「それじゃ、長安で商売はできねえかな……」


「いや、皇太后様はもう長安にはいねえよ!どうも、手にかけた者たちが化けて出るらしくてな……それが嫌で洛陽に行っちまったよ!」


「何!皇太后は長安に居ないのか……そりゃ、好都合だ!長安は、皇帝が居ようが居まいが寂れることはないだろう……」


「勿論だ!あの馬鹿でかい都が駄目になる筈はない!皇太后様に気に入られた商人が幅を利かせてやがるから、そいつらに袖の下を渡せば大丈夫だろうよ。他にも、皇太后様は仏様の教えに精を出しておられて、竜門の崖を削って自分の顔に似せた小山ほどの仏像を造らせたそうだ。仏様の道を上手く説く者にゃ目が無いって噂だ!」


 王がてきぱきと通訳する。


 俊介は、武照という女が、後ろ指を刺されながらも、血にまみれた手段で敵を倒し、皇后になり皇太后になって伸し上がり、皇帝以上の権力を振り回すようになったという出世物語として理解した。


「そう言えば奈良の大仏は竜門の大仏をモデルにしているらしい。まさか……奈良の大仏の顔は則天武后の顔か……」


 傑が勝手な想像を巡らしている。


「だがよ。皇太后様を良く思わないやつらが、この揚州に集まっているって噂だ。ここじゃ洛陽から目が届かないからな。きっとな……何かやらかすつもりだ」


「おいっ、お前たち!何の話をしていた?一人残らず縛り上げろ!」


 驚いたことに、船で金を渡した劉が、大勢の部下と一緒に店に雪崩れ込んだ。


「何をする!さっきは何も言わなかったじゃないか!」


 王が目をぱちくりさせて喚いたが、劉が喉元に剣を突き付けると抵抗できず、目と鼻の先にある倉庫に連行されて粗末な牢に押し込まれた。


「俺たちは何も悪いことはしていない!何故、捕まえる?」


 王は再び牢の中から叫ぶ。


「よく聞け!俺たちは、乱れたご政道を糾すために、これから洛陽の毒虫を倒すために兵を挙げる!お前たちも、この挙兵に加わって、毒虫退治に協力するなら揚州での自由な活動を認め、おまけに土地まで与えるが、どうする?」


「えっ!本当ですか?」


「約束する!賛同すれば約束状を渡す!」


 長辰は、仲間の顔を見渡すと、包み隠しなく切り出した。


「この挙兵は成功する見込みはあるのかどうかは分からない。だが、揚州の土と自由を手にできる話は悪くない!どのみち、俺たちはこの国では何も持っていない身だからな……一か八か、この戦さに賭けてみるか……俺はこの挙兵に加わるぞ!」


 俊介は困惑する。


 いくら何でも戦争だ……。

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