第5話 長辰との出会い

「きっと、あの柱の太い建物が大宰府の役所だろうか!九州における日本防衛の拠点だから、天皇の髪の毛を覆っているような場所だ!見張りに気づかれないように、将来、神木に成長しそうな若木を探すのだが……種類としては樟という木を探してくれ!見分け方は葉をちぎると樟脳の匂いがする木だ!」


「ようし、俺に任せろ!鼻はいいからな、ここらの木の葉っぱを片っ端から引きちぎって見つけ出してやる!ところでショウノウって何だ?……」


「お前、そんなのも知らないのか……箪笥に入れる防虫剤って分かるか?虫よけに使う、あのスーッとする匂いのするやつだ!あれを樟脳って言うんだぞ!」

 

 慎太はまるでヒットを打ったようにご機嫌だ。


「これも違うわ……」


 都真子は、嗅覚に全神経を集中してちぎった葉っぱを鼻先で振ってみるが乾いた匂いしかしない。


 何枚もの葉っぱに裏切られているうち、表面がてかり輝くある一枚の葉っぱを摘まんで真っ二つにちぎったとたん、葉の裂け目からいきなり薬臭い匂いが鼻腔を突いた。


「これよ!間違いないわ!俊介、来て!」


 皆が駆け寄って代わる代わる匂いを嗅ぐとまさに樟脳の匂いだ。


「やったぞ!これで現代に戻れる!」


 俊介は、TS1を専用ケースから取り出して電源を入れるとブルーランプの点灯だ。


「ソーラー充電は十分だ!奈良に入った日付を打ち込んでスタートさせるからな……皆、離れ離れにならないようにしっかり固まっていてくれよ!」


 メインスイッチが入ると、手元のモニターはザラザラとモノクロの粒子が流れ始め、やがて、周囲の空間に圧力が掛かり始める。


「来たぞ!いや……何か変だ!春日大社の時と何か違っている……」


 空間の渦巻は起きず身体上昇も起きないが、その代わり、目の前に大きな真っ暗なトンネルが幾つも出現した。


「何だ……このトンネルは!」


「もしや……トンネルの先が現代かもしれない!行こう!」


 俊介の声が鼓膜に響くと、全員、俊介が選んだトンネル内に雪崩れ込んだ。


 だが、不思議なことに、トンネルに入ったとたん、フラッシュを焚いたような眩い光に包まれ、あっという間に意識を失ってしまったのだ。


「お前たち!しっかりしろ!」


 遥か遠くから誰かが呼びかける声がする。


 波音も聞こえる。


 俊介が目を開くと海岸の黄色い砂利や小石の間に顔を埋めていることに気が付いた。


 口に入った味の無い砂を吐き出して手をついて身体を起こすと、目の前に二人の人間が立っている。


 一人は、わずかに黒々とした太い髪を纏め、顔は彫刻のように彫られて陰影が深く、肩幅の広い体躯を茶渋色の着物で包んでいる。


 また、もう一人は艶々した髪を結び、砂色の貫頭衣を着ていて顔は板チョコのように日に焼け童顔で子供っぽい。


「此処は何処ですか……貴方は……」


「驚いたな……此処が何処か知らないのか?此処は登州だ!俺は、日本の商人で石川長辰という者だが……崖の上から見たら人が倒れているのが見えてな……お前たちはいったい誰だ?」


 慌てて振り返ると、すぐ後ろで都真子と傑が身体を起こしており、快斗と慎太は隙間だらけの草叢を寝床にだらしなく倒れている。


 さらに見上げると高層ビルを真っ二つに切ったような断崖絶壁の真下に自分たちはいた。


「此処は……大宰府ではないのですか……」


「気は確かか……此処は唐の国だ!日本の大宰府など遥か彼方だよ……」


 俊介は唾を飲み込んでから、脳髄を絞って考えたが、登州という地名がまったくイメージできず、まるっきり丸いボールを滑り落ちて、又しても思い掛けない場所に落っこちたかと唇を噛み占める。


「えーっ!此処は唐ですか!まさか、登州って!あの遣隋使や遣唐使が、ここで船を降りて陸路を歩いて長安に向かったというその場所ですか!」


 ふいに傑が、頭髪を逆立てて馬鹿でかい声を上げたので、びっくりして慎太も快斗も飛び起きた。


 俊介や都真子も此処が中国と聞いて耳を疑った。


 崖から生えるくねった植物や巨大な一枚岩を目にすると日本の気がしない。


「ほう……よく知っているではないか?それじゃ、お前たちも、見たところ……商人なのか……船でも壊れたようだが、何処へ行くつもりだったのだ?」


「唐の都……長安に行くつもりで……けれども、嵐で船が壊れてしまって、遭難、いや、彷徨っているうちに此処に流れ着いたみたいです……」


 辻褄を合わせようと咄嗟に思いついたことはそれだけだ。


「偶然だな!俺たちも長安を目指している。だが、この登州には寄港しただけで、長安へは揚州から行く予定だ!お前たちも船が壊れたんじゃ、二進も三進も行かんだろう!俺たちの船に乗るか?」


 それしかなさそうだ……。


「是非ともお願いします!」


 五人は、長辰と里市の背中を追って崖を這い上がると、いきなり登州の海風に体当たりをくらってよろめいた。


 眼下の海原はどこまでも黄色い。


「此処はその昔始皇帝がやって来て、不老長寿の薬を求めて、蓬莱、つまり日本を遥かに眺めたと言う場所だ」


 都真子は、麒麟のように首を長くして日本の領土を探したが、影も形も見えないので、まるで帰国したい気持ちに砂を撒かれて踏みつけられた気がしている。


「おい、見ろよ!木から枝豆が生えてる!」


 好奇心旺盛の快斗が指差した木は、豆のような実を垂れ下げている。


「ああ、この樹は槐という名前だ。豆のような実がつくんだが、この樹は、軽く千年くらいは長生きするらしいぞ!」


 里市の何気ない一言に、俊介ははっとして都真子と顔を見合わせる。


「えんじゅ?この木は千年以上も生きるって……すると神木になり得るな……ならば、この槐が一枚噛んでいたに違いない……ほらっ、都真子が飛梅の話をしただろう。大宰府周辺には時空を超えた時間の道……つまりタイムロードが何本かあって……特に京都との間には、こうしたタイムロードがあったからこそ、主人を失った梅の木が、その道を通って大宰府まで飛んでいくことができたのだろう」


「タイムロードね……なるほど、それなら説明がつくわ。この木と大宰府の間のタイムロードを通って、此処へ来たって考えられるわけね」


「飛梅は有名だが、もう一つ、飛松っていうのがあるのを知ってるか?これは、同じ菅原道真を主人に持つ松の木が、大宰府に飛ぼうとして失敗してるんだ。まるで、道を間違えたように神戸に落ちてしまっている。それと同じ現象で、どうやら、俺たちも間違ったルートに入り込んだようだ……」


「それは厄介だな……こうしたタイムロードは様々な方面に幾つもあるってことだ。すると、この登州は遣隋使や遣唐使、始皇帝の伝説などの関係で日本に所縁のある場所だったから、大宰府との間でタイムロード現象が起きたのかもしれないな……」


 傑も頷くと、都真子もいくぶん謎が解けた気がする。


「そうだ!だから、大宰府でTS1を使った時、俺が焦って、最初に目にしたトンネル、つまりタイムロードへ皆を誘導してしまったのが誤りだ!トンネルは複数あった訳だから、今少し待てば、現代へ戻るトンネルが現れる筈だったのだ……」


「そうと分かれば、余計なことは考えずに次のチャンスを待ちましょうよ!」


 五人は細長い槍の様な形の長辰の船に乗船した。

 

 船名は春日と呼ばれ速度は出そうだ。


 春日は、丸い港を出ると渤海の黄色い海水を切り刻んで進み、膨らんだ黄海を南下して、巨大な竜が牙を剝いて万物を吐き出す長江の河口を目指す。


「海が随分と濁っているね……プランクトンか……」


 慎太が知ったかぶりで言うと傑が返した。


「中国の大地には四万五千の河が流れているそうだ……だが、日本だって三万はあるから負けてはいないけどな。その一本に黄色い河って書く黄河があってな。一日にバケツ何十億杯も、黄色い泥水を海に流してるから海が黄色くなるわけよ。現代だって、黄砂ってのが飛んできて車が黄色くなるじゃないか、海が黄色いのはユーラシア大陸の大自然現象だな」


「お前たち!腹は減ってないか?長辰さんに言われて干飯と汁を用意したよ!」


「はい、腹が減りました!」


 快斗が俊介を差し置いてしゃしゃり出ると、膳の用意された船室に案内された。


 其処では、既に長辰と副長の毛見志たちがわいわい話をしている。


「もうすぐ、遣唐使を止めてから十年になるが、このまま遣唐使は廃止か?」


「いや、そんなことは無い。日本が栄えるには唐の力がいるのだ。俺たちが目指す長江は海みたいにでかい河だというではないか。俺は、そこを拠点にして交易をやってみたいのだ。遠い国から色々な産物が集まるそうだから、どんな珍しいものに出会えるか楽しみだぞ。そればかりか、内陸にも砂漠を突っ切って羅馬という場所に至る道があるそうだ。都の長安はその途中にあるから交易は海上だけじゃない。だから、俺は長安に行った後、そこから、もっと西に行って羅馬に行ってみたいと思っている。そうなると……何年も掛かるだろうな」


 長辰は、遥か彼方を見るような目になって夢に陶酔している。


 俊介は、飛び交う会話を頼りに、いったい今が西暦で何年頃なのか頭を巡らせた。


「傑!俺たちはまだ奈良時代にいるようだ」


「ああ、俺もそう思う。遣唐使を止めて十年だろ……つまりだ……遣唐使が再開されたのが西暦の七百年頃だ!ほぼ三十年間、遣唐使を派遣していないとすると、ストップしたのが六百七十年頃……今は遣唐使が行かなくなって十年って言ってたから、今は、六百八十年頃って訳だ。長久が遣唐使船に乗るって言っていた頃から二十年も前にタイムスリップしたことになる!」


「遣唐使って何で行かなくなったんだ?」


 慎太が尋ねると都真子が割って入った。


「私が教えてあげる!それはね……遣唐使のルートだった朝鮮半島が通れなくなったからよ!」


「朝鮮?関係があるのか……」


 快斗も首を突っ込む。


「当時ね、朝鮮は新羅、高句麗、百済に分裂していて、そこへ唐が連合を組んで百済を倒そうとするの。日本は百済と親しかったから救援軍を送ったけど敗北して百済は滅んでしまったわ。それで日本は唐とも関係が悪化するし、朝鮮半島にも近づけなくなって遣唐使を止めたというわけよ」


 都真子は、この時代の出来事を喋っていることが不思議に感じられる。


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